
お江戸の街の中心は、時代を経るに従って段々に南南西方向へと位置を移動してきた。その昔の中心が浅草だったのが、大正、昭和と時がたつに連れて銀座へと移って行った。
かつてのお江戸の中心からそれ程は、離れていない旧中川沿いに、豪農の館があろうとは、思ってもみなかった。

小山家は、古くからこの地に根をはっていたらしい。この建物は大正六年の建造だが、その遥か以前から豪農として栄え、様々な事業を展開していたらしい。



家の手前には、枯山水などの庭があり、なかなかの石組みを見ることができる。


玄関脇から奥座敷を見渡す。欄間の細工など非常に繊細なのだが、解像度の問題もあり壊れかけのようにも見えてしまう。

奥座敷から、庭を眺める。




奥座敷の前の庭には、前庭に続き七福神が祭られている。おおらかな表情に親しみがもてる。


紫檀に黒檀に。この家は、建具の材に贅を凝らしている。どうやら、この家に住まった人にとってさえも、奥座敷は年に数回しか入れない別世界だったようだ。
かつてのお江戸の中心からそれ程は、離れていない旧中川沿いに、豪農の館があろうとは、思ってもみなかった。

小山家は、古くからこの地に根をはっていたらしい。この建物は大正六年の建造だが、その遥か以前から豪農として栄え、様々な事業を展開していたらしい。



家の手前には、枯山水などの庭があり、なかなかの石組みを見ることができる。


玄関脇から奥座敷を見渡す。欄間の細工など非常に繊細なのだが、解像度の問題もあり壊れかけのようにも見えてしまう。

奥座敷から、庭を眺める。




奥座敷の前の庭には、前庭に続き七福神が祭られている。おおらかな表情に親しみがもてる。


紫檀に黒檀に。この家は、建具の材に贅を凝らしている。どうやら、この家に住まった人にとってさえも、奥座敷は年に数回しか入れない別世界だったようだ。
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