脇本陣の相川家に建つ隠居所である。
一階の座敷は茶室に使われたようだ。
二階は寝室として使われたと思われるが、今は公開されていない。
茶室と言っても、二方が障子で大きく開く。炉は、床の間に切られるなど、異例ずくめの茶室で、堅苦しい事は目指されなかったという。
茶室の前の庭も、芝が植えられ広々としている。
年代物の松が、茶庭らしさを演出してはいるが。
茶室というよりは座敷のように感じられる。
堅苦しい茶事よりも、月見の宴にふさわしいように思われる。
一階の座敷は茶室に使われたようだ。
二階は寝室として使われたと思われるが、今は公開されていない。
茶室と言っても、二方が障子で大きく開く。炉は、床の間に切られるなど、異例ずくめの茶室で、堅苦しい事は目指されなかったという。
茶室の前の庭も、芝が植えられ広々としている。
年代物の松が、茶庭らしさを演出してはいるが。
茶室というよりは座敷のように感じられる。
堅苦しい茶事よりも、月見の宴にふさわしいように思われる。
ちょっと手を入れたいところですね。
茶庭でこういう開放的なお庭もいいものです。
床の間の隅のアーチ型の棚と下の物入れ。排水の為の床の間の床のボール。畳のへりの色にも自由さが伺えます。
ただうすべりを敷いたのでしょう、表が波打っているのが気になります。
このご時世です、予算が許さずにあえいでいる様子が伺えて・・・・
二階の非公開もオソラク老朽化に対応出来ずの止むを得ない事なのかなと。
幕末に建てられたこの隠居所は、それなりに型にはまらない自由さがあり、狭苦しい茶室の空間にささっと見切りを付けた目の新しさを感じます。
しかし、そんな事ができる人だったからこそ、庭へもちゃんとした庭木を植えたように思います。
少しの手入れで、見違えるようになりそうです。
それを実現できていないのが、少し残念です。
ともかく、この茶室は型破りでまるで熱海辺りの温泉旅館の一室のような感じです。
床の間の謎の切り込みは、実は炉です。ここに炭を活け、茶の湯を沸かしたというのです。
この建物、ご指摘のように老朽化が激しく、隣の神社によっかかる状態だったそうです。
二階まで手を入れるのは、時間がかかりそうです。