まいど、日本機関紙出版です。

〒553-0006 大阪市福島区吉野3-2-35
 TEL06-6465-1254 FAX06-6465-1255 

またあしたね~土佐いく子の教育つれづれ⑥

2012年02月08日 | 土佐いく子の教育つれづれ

拳ちゃん乗せてシベリア鉄道走る

■電車の運転手に

 今年も800枚近い年賀状が届きました。その中で一番わくわくした教え子からの年賀状の話です。

「先生、ぼくは大学はやめることにして、電車の運転手になることになりました」

 三~四年生の時、担任した拳ちゃんからでした。とにかく電車に夢中で、「交通科学クラブ」という学級クラブを作り、目を輝かせていた子ども時代でした。方向オンチの私が講演に行くというと、電車を調べてくれ、発車音までやってくれ、おまけに「先生、この電車は二輌目には、トイレがありませんから気をつけてください」と教えてくれたものでした。四年生の交通の学習をする時は、彼が先生をして、みんなに授業もやってくれたのです。

 拳ちゃんが書いた作文は、昨日のことのように細かい中身まで鮮明に覚えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 けんは そばのつう    三年 西野 拳
 
 住の江図書館へ行って、本を7さつかりました。

 かりようと受付まで行ったら、前、図書館の説明をしてくれた人がいました。
 けんがかりた本はぶあつくて魚の本や宇宙の本をかりたので係の人に
「重たい本ばかりで持てますか」
と言われましたが、けんは、とくいげになって持って帰りました。

 その帰り、おなかがすいたので、けんの大好物のおそばを食べに行きました。

 けんはまよわず、「生一本の三宝そば」を注文しました。

 食べたあとは必ずそば湯を飲みます。

「そば湯ください」

とけんが言うと、お母さんが
「けんちゃんは、そばつうだね」
と言いました。

 「そばつう」の意味がわからなかったのでじ書を引きました。

 「つう(通)ある物事にくわしいこと、またその人」とありました。

 これで、けんはそば通です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■好奇心にさそわれて

 好奇心旺盛、新しい世界との出合いを日々楽しんでいた拳ちゃんです。

 あれから8年、今高校三年生18歳の春を迎えています。その春に、大学進学はやめて電車の運転手になるという決断をしたというから、なんとも愉快じゃないですか。

 しかし、お母ちゃん、一人っ子の息子を大学に行かなくてもいいとよく認めたもんだと久しぶりに電話をかけたのです。懐かしいお母ちゃんの声が返ってきました。

 なんと拳は今、インドへ一人旅に出かけたと言います。ネパールへ渡り、ヒマラヤを見て、最後はシベリア鉄道に乗って、高校の卒業式に間に合うように帰って来ると言うではありませんか。16歳の時に一度シベリア鉄道に乗りに行ったのですが、お金をとられ断念し、北欧へ渡ったと言います。ホテルも何も決めず、心の向くまま気の向くまま、好奇心にさそわれて冒険の旅を続けているのです。お金は、バイトで貯め、言葉がわからなければ一人旅はできないと英語の勉強をし、シベリア鉄道に乗るからロシア語も勉強していたと言います。やるぞ!拳ちゃん。

 しかし「やっぱりお母ちゃん、心配もしたでしょうに、よく認めはったね」。

「そりゃあ先生、悩みもしましたよ。第一、高校の先生だってびっくりしてはりましたよ。でも、いろいろ力になってくれました。まあ先生、子どもの頃からあんな子でしょ。好きなことになったら夢中、熱中、とめられませんわ。今大学へ行っても仕事のない時代でしょ。好きなことをして人生楽しく生きていけたらいいかなあ」

 ハハハハ…。この親にしてこの子ありですよ。母ちゃんだって、大好きなピアノに夢を託して、今も舞台で演奏しているんですから。

 拳は、今頃インドの電車に乗って何を見、何を感じ、何を考えて走っているのでしょうね。

 私もかつてインドやネパールを旅しました。その日々のことを思い出し、なんだか今すぐにでも飛んで行きたい気持ちになりました。

 拳ちゃん、帰って来たら、いっぱい話をしようね。あなたが運転する電車に乗れる日がくるのを先生わくわくしながら待ってるよ。

(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節米報国ポスター[群馬県]

2012年02月04日 | 戦時下のポスター、反戦抵抗[実物資料]

米・麦・パン・麺類の配給統制組合が共同で作ったポスター。

1939年夏、西日本や朝鮮、台湾の日照りで米は大幅な減収となった。翌年5月、東京では外米6割混入の米が配給され、8月には食堂などの米食が統制された。

1941年4月、生活必需物資統制令が公布され、6大都市で米穀配給通帳制・外食券制が実施された。戦場にある兵士や米作農家の苦労をしのんで米一粒たりとも無駄にすなとの呼びかけである。

果てしない兵力増強で働き手は次々に軍隊に召集され、都市も農村も疲弊していった。泥沼のような戦争への不満は厳しい統制のもとでも消すことはできず、1939年の労働争議参加人員は約12万8千人、うちストライキには約7万人が参加した。1940年には砂糖、マッチが切符制になった。

戦争も行き詰まった1945年、「朝日新聞」(6月18日)は「食料資源の活用」「こうして食えば工夫次第で材料は無尽蔵」という見出しで、「鼠、よく消毒して食用とする」という記事をはじめ、落花生の殻、梅やびわの種、籾殻、茶殻、いなご、バッタ、モグラ、蛇などの食べ方を紹介している。そして最後に「いろんなものを食って大東亜戦争を勝ち抜く体力と気力を養え」と読者に説教をしている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戸毎に日の丸手に債権ステッカー[大蔵省]

2012年02月04日 | 戦時下のポスター、反戦抵抗[実物資料]

大蔵省が日本勧業銀行に作らせたもの。1938年(昭和13)5月、「交隣相助、共同防衛」の名で作られた隣組で各戸に配られ、家の柱に貼り付けて貯蓄の意識化をはかった。

同年の大蔵省貯蓄奨励局のパンフレットには「戦費の…大部分は国債による…がその消化資金は…貯蓄にまつの外ない」とのべ、その年の国家予算約80億円、臨時軍事費約48・5億円に対して、国民貯蓄目標80億円を国民に「強制」している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の安曇野はマイナス12℃。散歩する山登りねこ2代目の「のん&ふく」

2012年02月03日 | 岡田裕の山登りねこ、ミケ@安曇野

久しぶりの山登りねこ関係便りです。岡田裕さんからのん&ふくの散歩写真が送られてきました。

安曇野の今朝の気温はマイナス12℃! 

それでも元気に仲良く散歩する2匹です。

 河原の土手道を散歩するふく。ずっと後方にのん。

 何を見つめるか、のん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『国保の危機は本当か』、紹介記事!

2012年02月03日 | 書評・紹介記事

国保制度の再建を突破口に、日本をだれもが安心して暮らせる社会に~「女性のひろば」(2012年3月号)に書評いただきました。ありがとうございます。

コチラです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする