5月16日(火)
今日は少し遅めに起きて朝風呂と朝ごはんを済ませた。外に出るとすでに気温が高い。
乗る電車はいつもとは逆方向の京都方面行き。吹田から高槻で新快速に乗り換え、京都駅から近鉄京都駅へ向かい、そして宇治の近鉄伊勢田へ。機関紙協会大阪と大阪市役所退職者会の共催で行われる戦跡ウォーキングで、宇治のウトロ平和祈念館へ行くことになっている。以前から行きたいと思っていたチャンスがやって来たので、参加することにした。20人余りの参加者がぞろぞろと歩いて10分ほどで祈念館に到着した。
火曜日は団体向けの専用開館日だったが、建物の玄関でインターホンを押しても全く返事がない。電話をしても誰も出ない。困ったなと思っていると、地元宇治市内在住の知り合いのHJさんに連絡してみることにした。さらに別の方に繋いでもらい、何度かのやり取りの後、ようやく祈念館事務局の人に繋がった。確認すると、私たちの訪問が完全に見落とされていたことがわかった! 2日前の日曜日にも電話で確認していたのに・・・。さらに待つこと20分、ようやくスタッフの方がやってきて開錠してもらい、中に入る。
予定の時間が削られたため、スケジュールを変更してまず祈念館内を見学することにした。2階の常設展示はウトロ地区の歴史を、3階は企画展示室で立ち退き反対闘争時における女性を中心にした音楽デモ隊の展示を行っている。4階の屋上からは太陽光発電の「おひさま発電所」が見え、宇治市内の景色や隣接する自衛隊大久保駐屯地も眺めることができる。また、2階の通路には放火事件の様子や事件の裏にヘイトクライムがあったことを証明する展示もあった。
見学が終わった後、ボランティアの方の案内で放火事件の現場へ向かった。放火された建物には立て看板や生活用品などが収められていたが、火災は隣接する一帯の民家も巻き込んでいた。
祈念館に戻り、副館長の金秀煥さんから祈念館についての説明を受けた。祈念館は2022年4月にオープンし、韓国大統領の文在寅(当時)の後押しと在外同胞財団の支援、さらに日本国内外からの支援を受けて、総工費2億5千万円で完成した。当初は年間2000人の来館者を予想していたが、予想に反してこの1年間で13000人もの人々が訪れ、その半数以上が日本人以外の人たちだった。運営は市民のボランティアが行っている。ウトロ地区の人々のうち約3分の2が新しい住宅に移り、残りの3分の1には60世帯約300人が今も住んでいる。祈念館はウトロの人々への差別や同情を伝えるためのものではなく、困難を乗り越えて生き抜いてきた人々の姿や生きることの大切さを伝えるものだと金秀煥さんは語った。
ウトロ地区の歴史や祈念館の詳細は、こちらのホームページに詳しく書かれている。
さて、昼過ぎに見学を終えた後、参加者の皆さんは韓国料理の懇親会へ行くことになったが、私は会社へ出勤するために大阪へ向かうことにした。近鉄京都駅の改札を出たところで、周囲の光景が異様だと気づく。改札の出口から駅ビル出口までの一帯のスペースにほとんど人の姿がなく、その両脇に大勢の人々が警官によって規制されながらまるで有名人のコンサート会場の出待ちのように集まっているではないか。何事か尋ねてみると、上皇が奈良から帰るため、その姿を一目見ようと集まっているとのことだった。なるほど、世間の人々はそういう感じなのですね。