すいた市民書房の元店主だった尾上竹男さんが亡くなられた。82歳。26年前から仕事を通じてのお付き合いをさせていただいた。
1930年兵庫県豊岡市生まれ。日本専売公社豊岡出張所社員、警察予備隊員、北星映画関西支社を経て関西共同映画社社長、1970年に千里丘書店開設、摂津民主商工会会長、摂津市議会議員2期、そして1982年にすいた市民書房設立。
今日の葬儀は無宗教形式ということで、尾上さんとゆかりの深い人たちがさまざまにお別れの言葉を語る中で進んでいった。最後に美代子夫人が「60歳の時に心筋梗塞で倒れ心肺停止、意識不明の状態から奇跡的に蘇生、生き返った人生でした。リハビリに努め杖で歩けるようになりました。とにかく釣りが好きでどこに行くにもいつもリュックに釣竿をしのばせてるような人で、最近はよくベランダから釣竿を差し出してまるで釣りに行ってるように一人楽しそうに過ごしていました。本当に好きなように生きた人生でした」と笑いながら挨拶された。
お店ではずっとレジに座っておられて、営業に行くとちょうどよい暇つぶしの話し相手がやってきたと思われたのか、いろんな話を聞かせてもらった。中でも印象的だったのが自衛隊の前身の警察予備隊での反軍演説の話だ。詳しいことはもう忘れてしまったが、警察予備隊の何かのセレモニーで新入隊員を代表して話をする機会があり、なんとそこで反戦平和を語り、警察予備隊批判を行ったという内容だった(もし違っていたらどなたかご指摘ください)。なんか想像もできないような行為としてその話が強く印象に残っている。その後の尾上さんの人生は、反戦平和、そして商工業者と市民の暮らしを守り、幸せを願う、そんな思いに貫かれていたのだと思う。
数年前に市民書房が次の人に引き継がれてからは、地元の集まりなどでお顔を拝見するぐらいになってしまったが、もっといろんな話を聞かせてもらいたかったなあ。
尾上さん、ありがとうございました。