ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ヤマボウシの紅葉

2005-12-19 | なんでもないこと
先々週のヤマボウシの葉っぱ。

プロフィールのところのイメージ写真は ヤマボウシの実。



この実はいただいたもので、我が家のではない。

ヤマボウシはどうやら 真っ赤な実がつくらしいのだが、
実は熟すとすぐに落ちてしまい、

土に落ちると これまたすぐに 虫がつく。

だから 落ちる前に採って来たんですよ、と 
カンちゃんからいただいたのは、先月。

食べてみたら ほんのり甘く、
懐かしい匂いがした。



我が家のヤマボウシも 
今年 あんなに白い花をつけていたのだから
そろそろ 実を収穫できるかもしれない。

『奇跡』

2005-12-18 | 考えたこと
2005年の夏は

静かに降り積もるものに埋もれてみたり

毎日 朝早くから一人ぼっちで
どこへも出られずに留守番をしながら 
過食してみたり

掃除もせずにいて 自己嫌悪に陥ってみたりしながら

過ごしていた。



前にも書いたが 亭主がへろへろになってからは
やたらと 外食と カラオケが増えた。

うつうつとしているのに飽きると
私は声を出したくなるので。

「カラオケいきたなー。」と言うと
週末には カラオケだった。



亭主は 気に入った曲でも
ただ聞いていては 覚えない。

歌詞カードを見ながら じっくり耳を傾け
少しずつ声に出していって
やっといくらか歌えるようになる。

そんな亭主が ある日
カラオケに行く、という時に
「よし、今夜は ママのために歌うぞ!」
と言った。

それが、『奇跡~大きな愛のように~』だった。



さだまさしという歌手については
好きな人と嫌いな人とがはっきりしている方だと思う。

亭主も私も 青春を 
フォークやニューミュージックの時代に過ごし、
二人とも さだまさしは、好き。

亭主が歌った さだまさしの歌、
『奇跡~大きな愛のように~』の歌詞を紹介したい。




どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれど あなたを想う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を装いながら奇跡は いつも近くに居る

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは ななた独りじゃない♪




今日と未来の間に 流れる河を夢というなら
アナタと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれて来た

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない♪



さだまさしの歌のメロディーは
けっこう歌うのが難しい。

この曲も 歌い出しが難しく、音がはずれそうになる。

亭主が歌い始めたとき、
私は心配しながら じっと聞いていた。

なんとか無難に、音をはずさずに歌いだしたので
ほっとしたとき、
私は亭主の視線を感じた。

・・・・・・そうだった!

この亭主は こういうワザとらしいことをする奴だった!

ママのために、と言っていたじゃないか!

じっと私のほうを見ながら
神様と自分とを比べるような 不遜な歌を歌う亭主だ。

こういうワザトラを 私は 大嫌いなのになあ!



写真は 近所の大イチョウ。

先々週は 黄緑色も混じった 美しいグラデーションだった。

12月のユリ

2005-12-18 | なんでもないこと
今年の秋も 義さんに球根をいただいた。

だから 植えつけた。

そしたら どんどん伸びて つぼみをつけた。

どうやら 低温処理をしてあったらしい。

冷蔵庫から出されたユリが
「春だ!」と勘違いして
花を咲かせる。

寒い春だね。

庭のプランターでは可愛そうなので
切り取ってキッチンで楽しんでいる。

娘の靴

2005-12-17 | こどものこと
娘が冬休みに入った。

よかった。

とりあえず、2階で寝てくれる。



ここのところずっと
娘はリビングで寝ていた。

自分の部屋があるのに、と 
自分の部屋を持たずに育った母は
不思議に思う。

あの部屋、いらないなら、ママにおくれ!



朝 私が起きてくると リビングに娘が寝ている。

それだけなら、まだ、いい。

昼ごろまで居るのだ。

しかも、眠って。

邪魔な事、この上ない!



「おい、自分の部屋へ行って寝ろよ。」

応答ナシ。

「起きないと、お前の寝顔を写真にとって
 ブログに載せちゃうぞ!」

「う、う~ん。」

反応アリ!

でも、それだけで、また爆睡のつづき。



寝顔はマズイかもしれないから、
娘の最新の靴を載せてみる。

ずいぶん大人っぽいのを買ったものだ。

外反母趾になっても、知らないよ。

ママもこんなパンプスを履いて
お出かけしたいなぁ。。。。。



娘は お昼ごろ ようやく起き出して

シャワーを浴びて メイクして 出かける。

朝ご飯も 昼ごはんもナシだ。

帰宅は深夜。

当然、夕ご飯もナシ。

どんな食生活をしてるんだか。

帰ってくるだけ、マシか。

雪国

2005-12-17 | なんでもないこと
雪国は 美味しいものがたくさんある土地が多い、
そんな気がする。

日本海側に単身赴任中の義弟から届いた、お歳暮は、蟹。

ウシシ。

当分そこに赴任しててくれてもいいよ。

自宅に居ながら
冷凍でない蟹を食べる贅沢、
これで3回目。

去年の蟹より小さいって?

気にしないヨ。



冬は雪かきが一苦労だとか。

若いモンでさえそうなのだから、
年寄りは・・・。

いや、もしかしたら 年寄りの方が
腰がはいったスコップの使い方ができていて
上手かもしれない。

雪の降らない地方そだちの義弟なんかよりは。



それでも 親たちがそうだったように
どんな年寄りも もっと年をとる。

若いモンと一緒に暮らしていれば
少しずつ助け合う事もできるだろうけれど、

全部を 老夫婦で、となると、
キツイことが多くなる。

雪かきなんかは、その最たるものだろう。

屋根の雪下ろしで 怪我をしたり亡くなったり。

けれど これを しないで済ますこともできない。

家が雪の重みで潰れるから。

雪は 大きなお荷物だ。



冬になると‘5時起き’して 雪かきをしないと、
出勤できないんスよ、
と 山形にお勤めした 近所の若者。

腰がいてえ、半端じゃねえ、と 義弟。
(もちろん、イバラキ訛り。)

美味しいものをいっぱい食べて
元気で過ごしてほしい。

お酒

2005-12-17 | なんでもないこと
今朝も亭主が 私に向かって
「お前、ゆうべ 酒 飲んだか?」
と聞いてきた。

すごいイビキだったらしい。

本人、覚えていないんだから、しょうがないじゃない。

夕食の時には 昨日は珍しく ほんの少し 味見したけどさ。



亭主が 秩父方面の人にお土産でいただいたらしい。

それほど親しい人ではないらしい。

なんせ、我が家は お酒を一滴も飲まないと知らないのだから。



それでもなんだか
箱に「特別限定品・純米大吟醸」とか書かれているので、
気になる(笑)。

食事の時に すこ~~し、なめてみた。

癖が無くて、口に残るいやらしい甘さもなくて、おいしい。

これなら 和風のおかずの時に
ちぴっと飲んだら いいんじゃない?



「秩父の名峰・武甲山の伏流水と
 厳選された酒造好適米を高精白し、
 伝統の技で長期低温発酵させました。

 おだやかな吟醸香と 
 ふくよかで豊醇なうまみの幅をあわせた
 バランスよい逸品です。」

いつものように 人にあげたり 料理に使ったりしないで
ちびちびと じっくりと いただこう。

昨夜の雪

2005-12-17 | なんでもないこと
パソ子が戻ってきた。

なのに ゆうべは 疲れて眠くて 記事も書かずに寝た。

夜中に起きて

というより、「イビキがうるさい!」と亭主に起こされて(笑)、
水を飲もうと思ったら なかった。

ベッドサイドに いつも 水か白湯を置いておくのに。
(宝水などというらしい。 
 寝起きに飲むと ドロドロ血の私には 
 宝のように 貴重なもの?)


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‘しもげた’インパチェンスに まだつぼみが。

初夏の強風で ケヤキの若葉でいっぱいになる我が家の庭は
冬の風でも やはり ケヤキの落ち葉でいっぱいになる。

今年はまだ 掃き掃除をきちんとしていない。

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起き出して台所へ行き、水を飲んだ。

ふと見ると 窓の外が白い。

! 雪だ! そんな天気予報だったのか!

ああ、明日は 娘に息子の送り迎えは頼めないなあ。

(娘は最近 中古の軽乗用車に乗っているが
 スタッドレス・タイヤを履いていない。)

そんな事を思いながら もう一度眠りにつく。



今朝みたら どっこにも雪なんかない!

隣の建物の屋根の上も 土の上も 石の上も 草の上も。

?????



月が丸くて大きかったから、
おそらく 月光に白く輝く世界を 雪と間違えたんだ。

毎年やる間違いだ。

日めくりを見ると、昨日が満月だった。

もっと冬になる

2005-12-14 | なんでもないこと
画像のない記事はつまんない!

でも 何か書かないと もっとつまんない!

パソ子は インターネットには繋がったのに
メールが機能してないので
入院が長引く。



11月は 暖かだった。

でも 暮れの準備、なんて 思いもしなかった。



12月に入って 急に寒くなった。

身体が寒さに慣れない。

身体が動かない。

ようやくこの頃 身体が寒さに慣れてきた、
と思ったら・・・・・・。



今週の初めから すごく寒い!

身体は寒さに慣れたから
昔 うちのアホ娘がよく言っていたように
「空気がピキン!と冷たくて気持ちいい」状態。

だけど 長くは外にいられない。

外、というのは、家の外ではなく、
リビングの外。

廊下も寒い。

玄関は、もっと寒い。

寒い玄関は 現在 八百屋と化している。

ほうれん草、白菜、青梗菜、長ネギ、大根、・・・。

贅沢だな。



こう急に寒くなると 落ち葉がすごい。

掃き掃除、去年や一昨年はどうだったかなー、
と考えてみて
ほとんどやっていなかったことに思い至る。

今年も。

まだやってない。

「葉っぱが落ちきるのを待ってるのよ。」

とうそぶいてきたが 今度はなんと言おうか。

「どうせなら 強い風が吹いて
 葉っぱが吹き寄せられて かたまるまで 待ったら?」

オイ、息子よ。

お前が 休日に掃き掃除してくれてもいいんだよ。



去年も 冬は ほとんど歩かなかったので
春までに 戻ってしまったのだ。体重が。

それでも ブログに載せる写真を撮りたくて
寒い戸外へ 意を決して出かけたっけ。

息子を送っていくのが 朝早かったので

息子を起こす時の 二階の窓からの空とか

駅へ向かう車の中からの景色とか

すごくキレイで
なんとか 伝えたくて
そして 
朝早くないと 見えないものがあるので。



昨日の朝は イバラキの山、筑波山が見えた。

普段は見えない。

朝見えても 暖かくなる頃には 霞んでしまう。

今朝の散歩でもも見えた。

往きでは まあまあ見えたのに
還りでは うっすらとしか見えない。

あの辺に見えるはずだ、とわかっていないと
見えないくらいに霞んでいる。

去年 山の名前が ひとつわかった。
もう間違えないぞ。
(もう20年近く住んでいるのに;笑)



昨日は 正月事始だった。

正月準備、開始!の日。

大仏殿のお身ぬぐいなんかも この頃だ。

実家の義兄は 正月用の お札の準備なんかを
やってるだろうか。

例年は 11月に一度 すごく寒くなって
12月に入ると 寒さが緩むのだが

今年は 暮れの準備を天候が邪魔をする?(笑)

やはりあったかい部屋で ぬくぬくしていたい。

連想バトン

2005-12-10 | なんでもないこと
画像がないのが寂しいけど
記事を書かないでいるのも寂しい。

連想バトンなるものを 冬のつれづれに。



恋―――胸ときめくもの


愛―――胸あたたまるもの


人間―――愛すべき弱い存在


親友―――静かに支えてくれる人


友達―――悪意のない人


家族―――守るべき愛する人たち


父親―――太い眉毛の 幼稚でワガママな男だった


母親―――母性愛と我欲


永遠―――宇宙に満ちた愛


夢―――今の私に少し足りないもの


現実―――金銭。経済。


死―――ひとつの生の終末


生きる――― 一足ずつ 歩を進めること。土の上を。


未来―――子供達の子供達の その 子供達の世界
       明るい未来でありますように!


次にまわす5人―――どなたか、ぜひ 持っていってください。

山に雪

2005-12-06 | なんでもないこと
これは 昨日の風景。

ひと晩で
遠くの山々が 雪景色になった。

もっと遠くは もっと白くなっていた。

今日は 曇っていて山が見えない。

もしかしたら もっともっと白くなっているところ?



実は パソ子の様子がまたまたおかしい。

風邪でもひいたに違いない。

しばらくは あまりパソに触らないと思う。

デスクトップは どうも私の肌合いではないので。

連想バトンも 少し待ってね。

へろへろ亭主

2005-12-06 | いろんな人
それは 2005年7月の晩だった。

夫婦の寝室で。

いつもの亭主の愚痴が
急に湿り気を帯びてきた。

「オレは 何をやってたんだろう?」

「オレは 毎日 一生懸命やってて
 何やってたんだろう?」

「あんなに一生懸命働いて
 何になったんだろう?」

「バカみてえ。」



義母が 亭主の顔を見て 誰だかわからなかった、
と 帰ってきた亭主から聞かされた直後だったから

きっと そのことで
ショックを受け、がっかりしているのだろう、
と思ったが

本人は 違う、と言う。

もう 一月も前から こうだった、と訴える。

一月。

ちょうど 一大イベントがあった時期だ。

きっと 燃え尽き症候群だったのだ。

それに 義母の病気の進み具合とか
思い通りになってくれない子供たちへの苛立ちとかが

複雑に絡み合って
「もう、何もかも嫌」になっちゃったのだろう。



なるべく冷静に話を聞いたつもり。

暗がりの中の、隣のベッドで。

亭主は 普段考えられないくらい
へろへろになっていて

弱みをさらけだしていた。



けっこう強いオトコでいたいタイプ。

強がりも多い。

無理もする。

虚勢を張ってでも 強い自分を
自分と周りとに 認めさせたいタイプ。

妻にも 子供にも 親にも 友達にも。

その夫が へろへろになって
弱いダメなオトコになっている。

これは 余程のことだわ、と
私は内心ドキドキしていた。



亭主は 自分のベッドで 私の側に
頭を近づけた。

「いいコ いいコ して。」



びっくりした。

恋愛中には 「いいコ、いいコ」したことが
あったかもしれない。

結婚して20年は なかったと思う。

いつも 自分が中心で つっぱしっている亭主が。

私は 手を伸ばして
精一杯 優しく いいコいいコをするしかなかった。



強がらずに 自分から
「いいコ いいコ」を求めてくるなんて。

これは 亭主の 久々の進歩かもしれない。



その晩は 
いつまでも いろんなことを語り合った。

亭主は 自信を失って 非常に弱気だった。

今なら 素直に 
私の言う事をきいてくれそうな雰囲気だったので

私はチャンス、とばかり
いろいろな要望を出した。

そんな対話さえ このところ ほとんど無くなっていた。

久々の 言葉の キャッチボール。

亭主は 私の言葉に対して
今まで聞いたことがないほどに
素直な返球を返した。



娘や私が ネットにはまって(?)いるのが
楽しそうで 羨ましかった、と亭主は言った。

私は 今自分が一番面白いと思っている
ブログを亭主に提案した。

前から 仕事の関係の ホームページを開く事を
夢に見ていた私だった。

どうやら 私には ホームページは難しそう。

または、面倒そう。

でも、ブログなら。

いろんな人に訪れてもらって
コメントをいただいて
交流を図れるブログなら。

亭主はこの提案に興味を示し、
それでも仕事で時間を割けないから、と
亭主と私、ふたりの共同作業で
ブログを開設しよう、という話になった。

内容は 亭主も以前から 暖めていたものがあると言う。

それを 私が打ち込んで・・・。

夜はどんどん更けていって
翌朝 私は眠かったけど
亭主はスッキリした顔で起きてきた(遅い時間に)。



私はひとりでワクワクしながら
準備した。

そしたら、私の窓に紹介する?どうする?
とか 悩んだり。



結局 亭主の仕事は 8月の終わりに
また多忙を極めるようになって

色々な計画は立ち消えになり

亭主は 強がり亭主に戻り

新たなブログは始まらない。。。

静かに降り積もるもの

2005-12-05 | 乳がん
この秋の ウォーキングの後の 
汗をかいた 私。

ブラ着用。

右胸は ブラの形に 乾いた部分がのこる。

左胸だって ブラを着けているのだが。

私は 汗を こんなふうにかく。

真夏のウォーキングのあとなら
汗じみは もっとくっきりしていた。



私の左胸は 汗をかかない。

くっきりと 定規で線を引いたように
汗じみができない。

これは かなり ヘンテコではないだろうか。

こんな汗のかき方をしている人を 
私は見たことがない。

だから私は 普段 
汗をかいたシャツが 人の目につかないように 
かなり気をつけている。

放射線を当てた部分は 汗をかかないから。





朝 手のひらを握る事ができなかった。

手の指が痛む。

足の関節が痛む。

座っていた姿勢から立ち上がった時に
ドテドテ、ヨチヨチとしか 歩けない。

息子が小さく口の中で「うざい。」と言った。

娘がムスっとして 返事をしなかった。

亭主がイライラして 大声を出した。

きょうも家の中が汚いのに掃除をしなかった。

ガスコンロの吹きこぼれが 焦げ付いている。

出かける予定が 亭主の都合で 取りやめになった。



それから

こういう変な汗じみがついたTシャツを脱ぐ時。

乳輪の外側の 弧を描いたくぼみの中を洗う時。

無意識のうちに見ないようにしている
自分のおっぱいが鏡に映っているのが 
目に入った時。

ブラ・パットが 
うまくブラの内側に収まってくれない時。



そんな時
小さな小さな悲しみは

静かに静かに胸の中に降りてきて

そっとそっと降り積もっていく。

そして 私の表情と 心を
ゴワゴワに固くしていく。



静かに降り積もるもの、
それは 雪だけではない。

ほんの些細な悲しみ。

雪のように 
解けなければ 
それはそこに 少しずつ積もっていって

心を重たくする。



この夏 私を苦しめたのは
小さな悲しみのカケラの 
ひとつぶ ひとつぶの
ささやかな重みだった。

ヤマトイモ

2005-12-05 | 考えたこと
3D立体画像、では、ない。

これは 9月の大和芋畑。

葉っぱが うっすら 色づいてきている。

この後 すっかり枯れあがったこげ茶色の畑になり、

葉っぱが刈り取られ、

今 収穫の季節を迎えた。



写真の中に 
ツンツンと角のように立ち上がっているものが
見えるだろうか。

あれは スプリンクラー。

大和芋は なんでも 水が大好きなのだそうだ。

夏の暑い日に 雨が降らない時は
毎日盛んにスプリンクラーが稼動している。

道路を車や自転車で走っていても
歩いているときでも

たまには スプリンクラーの雨をかぶることがある。

畑の中に 水の管を通して 
スプリンクラーを設置して
(大変な設備投資だと思うのだけど)

そして 畑の端のほうまで 水をやろうとすると
時には 通行人を巻き添えにしてしまうことになる。

こうして どんな気候の年でも
平均した収穫量を確保しようとしている。



当地から そう遠くない所に
‘やまと芋のふるさと’と称しているムラがあった。
(今は ○○市と変わったかも知れない。)

あそこがふるさとなら、ここだってふるさとだろう、
と思う。

肥沃な土壌があるから 栽培できるのではないか、
と思っている。

ヤマノイモとか ナガイモとか 
ツクネイモとか イチョウイモとか

呼び方も色々あって 種類が違うらしいが
当地では ヤマトイモと呼ぶことが多い。



先日
種苗会社から 春の花壇や畑のための
カタログが届いた。

3年前には
ああ、これは 退屈な時間を楽しみな時間に変える
魔法の本だ、と思って

わざと目を通さずにしまっておいて
入院する時に 持って行ったのだった。

やはり 読まずにとっておいた 
『ハリー・ポッター』を読み終わった後は

これが一番の‘魔法の本’だった。

今年も そのカタログが届く季節を迎えて
感慨深かった。



その中に‘やまいも’のページがあり、
〈静岡農試60号 自然薯〉とあるのを見て驚いた。

自然薯というのは
山の中に 自然に生えているから 
‘自然薯’と呼ぶのだと思っていた。

どうやら 自然薯にも種芋があり、
栽培できるようなのだ。

「静岡県のさまざまな地域に在来する自然薯の中から選抜育成された優良な自然薯です。とても育てやすく、粘りが強く・・・(中略)・・・そのまま植えつければ、霜が降りるころにはおいしい自然薯が収穫できます。」

・・・・・・自然薯も進化しているようだ。


2005-12-04 | 明るい農村
土手の芝さえ 紅葉する。

これは いつもの土手。

サーモン・オレンジに染まって美しい。



陽ちゃんから ネギをいただいた。

今年は ○○ネギだから、柔らかいよ、
と 人のよさそうな笑顔を見せる。

最近の▲▲▲ネギは 固いけど
前からある品種の○○ネギは 柔らかいのだそうだ。

柔らかいと 八百屋の店先で 早く痛む。
硬いネギは 鍋に入れて火を通してもヘタらない。

必要だから生まれた、硬い品種が人気があるのだろう。



以前当地は 美味しい梨の産地でもあった。

それはそれは 瑞々しくて 
甘くて美味しい梨がとれたそうだ。

しかし これも 店頭で 早く痛むので
八百屋に嫌われた。

私達が当地に来たころは
一箇所 梨を栽培する果樹園があったが

今はひとつの梨もとれない。

以前にも書いたかもしれないが。



学生の頃
冬には青首大根が 甘くて美味しい、と
初めて知った。

首、すなわち 大根の上部が 
薄く緑色をしているのが
消費者に嫌われて 当時は安かった。

その後 青首大根が 甘い、と人気が出ると
夏大根まで 青首になった。

ヘンテコだなぁと思った。



キュウリは ブルームと言って
白い粉を吹く品種がある。

ちょうどカビが生えたみたいで嫌われた。

ブルームレスと言って 白くならない品種が生まれた。

その後 白い粉を吹くものの方が美味しい、
と言われるようになって
また 以前のようなキュウリが主流になっている。

消費者の好みで 
作る作物の品種はくるくる変わる。

踊らされているような、農業従事者。

もっと消費者に教えてもいいはずだと思うのだが。



陽ちゃんのネギ、
太くて長いものを一本
亭主が「焼いてくれ。」と台所に持ってきた。

3等分して やっとグリルに入れた。

初め強火で、
黒く焦げてきたら ひっくり返して弱火であぶる。

黒焦げの外側を剥いて
中身だけ 食べる。

とろりと自然の甘み。

熱いところを ハフハフとかぶりつく。

・・・・・・もっと短く切ったほうが食べやすい(汗)。

でもそうすると ひっくり返すのが面倒。

これからも この野趣あふれる食べ方でいくか。



寒さが苦手な私には 辛い季節になるが 
美味しいものは これからが本番!

Jリーグ

2005-12-04 | なんでもないこと
今年のJリーグは 
ガンバ大阪の優勝で 昨日幕を閉じた。

ずっとずっと首位を独走していた
我が鹿島アントラーズは 勝ち点1の差で3位だった。

私の大好きなトニーニョ・セレーゾが 
監督を止めちゃうというのに
優勝できなかった・・・。

セレーゾ監督、6年間、ありがとう。
(次の監督はどんな人なんだろう?)



Jリーグの試合では
勝つと 勝ち点が3 もらえる。

負けると 当然 勝ち点0で、
引き分けると 勝ち点1。

勝ち点が多いのが、優勝。

今年から 一年を通して優勝を決めるようになった。

前期優勝や後期優勝なんてのがなくなって、

わずかな勝ち点の差のなかに
優勝の可能性のあるチームが5つもあって

無茶苦茶な終盤戦になった。

前日まで首位だったセレッソ大阪は
最終日に引き分けてしまったので
なんと、5位だ。



たとえ負けなくても
引き分け続きだと 1の積み重ねだから
優勝できない。

この 「引き分けたら 勝ち点1」という制度は

何年か前に
引き分け続きで 負け試合がほとんどないのに
上位にあがれなかった
鹿島アントラーズが作ったようなもの。

今年も 大事な所で 引き分けが続いた。



もう ずっとずっと前に
国立競技場に 鹿島アントラーズを応援に
家族で行ったことが二度ある。

子供たちは 二人とも小学生だったと思う。

初めてみた本物の試合では
貴公子・レオナルドが 華麗なプレーをしていたが
ジェフ市原に負けた。

相手チームながら 
やたら動きのいいのが 二人いる、
と思って見ていた。

あの外国人プレイヤーは スキラッチと言ったと思う。

もうひとりは 城彰二。

ふたりの活躍でアントラーズが負け。

なんと城選手の得点した後のバック転まで
見せられてしまった。



競技場を出てから 駅へ向かう道が すごく辛かった。

赤いアントラーズのサポーターと 
黄色いジェフのサポーターが
揃ってゾロゾロ帰る訳だが

当然 黄色い服を着た人たちは大喜びしてるし。

初めての観戦で 負けたくはなかった。。。

子供をつれて 家族で外出、なんてのは 
年に一度くらいしか できなかったのに!



あの時 子供たちは
試合よりも 
周りのサポーターの方を見ていたように思う。

親のほうも初めてで
応援の仕方なんて 知らなかったのだが
声を出しての応援は 刺激的で 楽しかった。

娘のお気に入りは 親指を下にして「ブ~~~」
という、ブーイング。

ニコニコして 父や母の顔を見ながら
「ぶ~~~」してたっけ。



次に見たのは 対ジュビロ磐田戦。

これも負けた。

それからはずっと 観戦に行っていない。

仕事が忙しくなったせいもある。

けれど 今度行く時は 国立競技場はやめよう、
と ずっと家族で言っていた。



・・・・・・今度 Jリーグを観戦する時
子供たちは もう ついてこないかもしれない。

子供が成長するのは 頼もしく嬉しいことだが
寂しくもある。

あああ、亭主と一緒かぁ、
コイツだけかぁ、みたいな。
(パパ、ゴメン。)

(アンタが嫌いになったわけじゃないのよ。

 でも、アンタとふたりで行っても
 子供と一緒の時ほどには
 楽しくはないなあ、と思うの。)



来年は ワールドカップの年。

Jリーグが ますます面白く
(つまり、アントラーズがもっと強く)
なりますように!