ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

静かに降り積もるもの

2005-12-05 | 乳がん
この秋の ウォーキングの後の 
汗をかいた 私。

ブラ着用。

右胸は ブラの形に 乾いた部分がのこる。

左胸だって ブラを着けているのだが。

私は 汗を こんなふうにかく。

真夏のウォーキングのあとなら
汗じみは もっとくっきりしていた。



私の左胸は 汗をかかない。

くっきりと 定規で線を引いたように
汗じみができない。

これは かなり ヘンテコではないだろうか。

こんな汗のかき方をしている人を 
私は見たことがない。

だから私は 普段 
汗をかいたシャツが 人の目につかないように 
かなり気をつけている。

放射線を当てた部分は 汗をかかないから。





朝 手のひらを握る事ができなかった。

手の指が痛む。

足の関節が痛む。

座っていた姿勢から立ち上がった時に
ドテドテ、ヨチヨチとしか 歩けない。

息子が小さく口の中で「うざい。」と言った。

娘がムスっとして 返事をしなかった。

亭主がイライラして 大声を出した。

きょうも家の中が汚いのに掃除をしなかった。

ガスコンロの吹きこぼれが 焦げ付いている。

出かける予定が 亭主の都合で 取りやめになった。



それから

こういう変な汗じみがついたTシャツを脱ぐ時。

乳輪の外側の 弧を描いたくぼみの中を洗う時。

無意識のうちに見ないようにしている
自分のおっぱいが鏡に映っているのが 
目に入った時。

ブラ・パットが 
うまくブラの内側に収まってくれない時。



そんな時
小さな小さな悲しみは

静かに静かに胸の中に降りてきて

そっとそっと降り積もっていく。

そして 私の表情と 心を
ゴワゴワに固くしていく。



静かに降り積もるもの、
それは 雪だけではない。

ほんの些細な悲しみ。

雪のように 
解けなければ 
それはそこに 少しずつ積もっていって

心を重たくする。



この夏 私を苦しめたのは
小さな悲しみのカケラの 
ひとつぶ ひとつぶの
ささやかな重みだった。

ヤマトイモ

2005-12-05 | 考えたこと
3D立体画像、では、ない。

これは 9月の大和芋畑。

葉っぱが うっすら 色づいてきている。

この後 すっかり枯れあがったこげ茶色の畑になり、

葉っぱが刈り取られ、

今 収穫の季節を迎えた。



写真の中に 
ツンツンと角のように立ち上がっているものが
見えるだろうか。

あれは スプリンクラー。

大和芋は なんでも 水が大好きなのだそうだ。

夏の暑い日に 雨が降らない時は
毎日盛んにスプリンクラーが稼動している。

道路を車や自転車で走っていても
歩いているときでも

たまには スプリンクラーの雨をかぶることがある。

畑の中に 水の管を通して 
スプリンクラーを設置して
(大変な設備投資だと思うのだけど)

そして 畑の端のほうまで 水をやろうとすると
時には 通行人を巻き添えにしてしまうことになる。

こうして どんな気候の年でも
平均した収穫量を確保しようとしている。



当地から そう遠くない所に
‘やまと芋のふるさと’と称しているムラがあった。
(今は ○○市と変わったかも知れない。)

あそこがふるさとなら、ここだってふるさとだろう、
と思う。

肥沃な土壌があるから 栽培できるのではないか、
と思っている。

ヤマノイモとか ナガイモとか 
ツクネイモとか イチョウイモとか

呼び方も色々あって 種類が違うらしいが
当地では ヤマトイモと呼ぶことが多い。



先日
種苗会社から 春の花壇や畑のための
カタログが届いた。

3年前には
ああ、これは 退屈な時間を楽しみな時間に変える
魔法の本だ、と思って

わざと目を通さずにしまっておいて
入院する時に 持って行ったのだった。

やはり 読まずにとっておいた 
『ハリー・ポッター』を読み終わった後は

これが一番の‘魔法の本’だった。

今年も そのカタログが届く季節を迎えて
感慨深かった。



その中に‘やまいも’のページがあり、
〈静岡農試60号 自然薯〉とあるのを見て驚いた。

自然薯というのは
山の中に 自然に生えているから 
‘自然薯’と呼ぶのだと思っていた。

どうやら 自然薯にも種芋があり、
栽培できるようなのだ。

「静岡県のさまざまな地域に在来する自然薯の中から選抜育成された優良な自然薯です。とても育てやすく、粘りが強く・・・(中略)・・・そのまま植えつければ、霜が降りるころにはおいしい自然薯が収穫できます。」

・・・・・・自然薯も進化しているようだ。