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ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

仏教の堕落は世襲制から始まったのか?

2008-03-14 | なんとなく仏教?
寺院の名簿?が 戸籍の役割を果たすようになったのが
確か江戸時代。

‘葬式仏教’の始まりだ。

でも それ以前から
僧侶が 実の子息を 自分の正統の跡取りとして承認する、
というのはあった。

なんと、平安時代末には すでにあった。

これには、びっくりする。

つまり 実の子どもが生まれるようなことを、していたわけだ。

そんなことが 認められていない時代だったはずなのに。

その後 女房・子どもと一緒に 教団を形成する宗祖もでてくる。

もう、どうにでもなれ!だ(笑)。







冬が終わる、という次期に 今年は 土手の下で‘野焼き’が行われた。
‘野焼き’は 県の条例で禁止されているが 
去年 強風の日に 枯れた草に火がついた事から 
地元の人たちが考えたのだろうと思う。






やっぱり 私は
子どもが必ず親の後をとって 後継者になるのが
当たり前に繰り返されるようになって
仏教の堕落は極まってきたのでは? と思っている。

仏教が、お寺が、つまらなくなった!







黒い土手と野鳥。 たぶん、アオサギだと思う。
初めて見た時には 鶴かと思って興奮した!(笑)
条例で禁止されているけれど、「病害虫の駆除のため」という一文があれば
野焼きは 容易に許可されるらしい。






私が学んだ仏教学部には
お寺の跡取り息子がいっぱいいた。

跡取り娘もいた。

次男・三男で 婿入り希望者もいた。

そして 臆面もなく
「実家の跡をとる」
「お婿さんをもらって実家の跡を取る」
「喰えるお寺に婿に行きたい」
とノタマッテいた。

実は私も 実家の寺の跡を取るのだろうと周囲から思われていたし
親も「あわよくば」という感じでいた。

(貧乏で、「喰えるお寺」じゃないのに。)

姉は 東京で サラリーマンの息子(それも、長男)と付き合っていて
実家に戻る様子はなかったのだ。

私は そんな周囲に反発していたから 
そんなふうにだけはならないように(爆)気をつけていた。

しかも、大学に入って 反発が一層強まったのだ。

それは。。。







土手の芝焼きをすると たくさんのゴルフボールが出てくる。
カラスがくわえてきたのか?
私は拾って持って帰って 愛犬のおもちゃにする。
噛み砕いたのを見ると ボールの芯には いろんな種類があることがわかる。






何の疑問も持たずに(少なくとも、持っていないように見えた)
跡を継ぐ、と考えるオトコどもが不思議でならなかった。

覇気がない! とも思った。

女性に対しても、なぜそう思えるのか?と 不思議だった。

イヤラシイ、とも思っていた。



仏教学部は 偏差値が低くても入学できた。

僧侶を目指す学生が みんな馬鹿に思えた。

実際、
坊さんになるには 国語と音楽さえできれば
勉強はできなくてもいい、とか

(つまり、お経がちゃんと読めさえすれば 
 英語も数学もできなくていい!)
 
男の兄弟がいっぱいいる中で
一番デキの悪いのが お寺の跡をとることになった、とか

(しかも、本当に、兄弟で一番不出来な子だった!)


私が通っていた宗門関係の大学に入学することを説得するために
親が息子に 車を買ってやった、とか

(しかも、本当に、
 バカ! としか言いようのない外車を買い与えるんだ!!!

 たとえば、ムスタングを買ってあげるから、
 あの大学の仏教学部に入ってね、とか。

 バブルの始まりだったのかね?)

そんな話は いっぱいあった。



あんな奴らと 付き合ったり 結婚したりなんて、絶対するもんか!
と 私は思っていた。



成績の悪い学生達は 不真面目に見えた。

仏教の勉強さえ、マジメにやっているようには見えなかった。

だいたいが、
あんな奴らが僧侶になって 寺の跡を継いで、お経を読んで、
死者が成仏できるのか?!

本気でそう思っていた。



そんな私も 
就職して 結婚して 子どももできて アタフタしていて
ようやく落ち着いてきた頃

彼らの噂を風の便りに聞くと、
なんと、あの不真面目馬鹿たちが 
意外にも マジメにやっているらしいことがわかった。

そんなもんなのかな~~~~?



あんな大きくて有名なお寺の息子が 
あんなアホンダラで どうするんだろう?
と思っていたアホンダラ先輩も
もうそろそろ有名な住職になってきている。

ふとした折に写真入の消息を見つけると
昔と同じ顔で 
少々老けていたり、ふっくらふくらんでいたり、の姿で
それなりにやっているみたい。

あの頃の私がしていた反発や心配って、
必要のないものだったのかしら?







焼いても踏んづけても 野の植物は元気だ。






一昨年 
実家の甥っ子が 僧侶になるための修行をした。

これで一人前の一歩手前、というところまできた。

私は安堵した。

実家の姉も闘病中だが
その夫で 住職である義兄も 持病を持っていて 
発作を起こしたこともあるという。

(だいたいが、太りすぎなんだよ!)

これで 何かあっても、安心だ、
そう 私は 思った。



仏教は、寺院は、こうして堕落していくのだろうか?

あれほど嫌っていた寺院の世襲に安堵するなんて、
私は 
ずっと こうした矛盾した考えを持っていたのか?!



ひとつ 嬉しかったのは
甥っ子が 僧としての道を歩き始めたことを
お檀家さんたちが喜んで下さっている、と聞いたこと。

お檀家さんというのは 
イバラキの 実家の周りの 農村地帯の 
あの強い訛りの(笑) 村の人たちで(いや、最近は市民になった)、

姉や私や それから甥っ子たちのことを
小さい頃から見知っている人たちだ。

(義兄は 実家の跡を弟に任せ
 東京の会社を退社して 
 父に弟子入りして 
 本山で修行もして
 父の死後、実家の寺の住職になった。

 近所の人たちが義兄に初めて会った頃には 
 義兄は30歳くらいだったと思う。)

そんな人たちが すごく喜んでくださっている。

甥っ子が伺うと 喜んでくださる。

甥っ子を 可愛がってくださる。

そして 同年輩のお檀家さんたちは
住職である義兄に向かって
「早く代替わりしろ!」と 冗談を言うそうだ。

(冗談でなかったら大変だ! 笑)

また 甥っ子は 年寄り達に とても‘ウケ’がいいそうなのだ。

オバチャンは 嬉しいよ。

叔母バカしてるけど、
世襲制も、悪いことばかりじゃ、ない、よね(汗)?







「生命の再誕」といった勢いを感じる。






世襲制でないとしたら、どうなるか。

私の想像が当たっているかどうかはわからないけど

いろんな規則がたぶんあって

このお寺の住職が亡くなって
(または、夜逃げして? または、追い出されて?)
ポストが空きました、となった場合、

近所のお寺さんから 派遣されてきた人が
本山の承認を得て 住職(または兼務住職)になる、

あるいは 本山から派遣されてきた人が
近所のお寺さんに認めてもらって住職になる、

そんな感じかと思う。

いずれにしても
「こんな人がいいな」と お檀家さんが望んだとしても
その通りになることは 滅多になさそう。



それまでの 良く知っている住職やその子息が
(田舎の場合、それこそ100年以上も前からの付き合いだったり;汗)
 
それまでどおりの付き合いを継続していける、という
安定した関係では なくなる。

より安定を求めるようになった年寄りたちにとっては
不安材料になるかもしれない。

だから、
多少 デキが悪くても、という気分も わからないではない(苦笑)。



一方、跡取りのいないお寺さんの場合、

現住職には 
次期住職になる僧侶を 選び出し、一人前にするという責任が 
少なからずあり、

後継者が赤の他人の場合、
それは かなり大変な仕事になるだろうと想像する。

実際、養子を取ったり 夫婦養子で後継者を入れたりした場合の
若い人と 熟年者との 仲というか 相性の良し悪しは大切で、

跡をとるつもりだったが 止めて 寺を出てしまった
(跡をとらせるつもりだったが、出て行かれてしまった)、
などというあちこちの噂は 耳にしてきた。

(『雲の上のキスケさん』で、キスケさんはひとり息子だとか。

 キスケさんの両親はどうするんだろう?)

(映画『パッチギ!』の男の子は 跡をとったみたいだったね;笑)



それが 跡取りが自分の子息ならば
ある程度の事までは やはり やりやすいはず。

(そして、‘ある程度’以上の事は  本人の自覚次第で、
 周りがどんなに教え諭しても 
 本人が自ら求めなければ習得することはできないのでは?)







きょうは、ホワイト・デー。 
過日出かけた亭主からは 
既にコージー・コーナーのホワイト・チョコレートをもらってある。
さっき 冷蔵庫から出して食べた。 もちろん、美味しかったよ!





まとまらないのに、エラソウなタイトルをつけてしまった。。。



免許を取得した息子の運転する車に乗って 実家に行って
久々に甥っ子の顔を見たのは
去年の5月のことだった。

甥っ子の頭は ボサボサに伸びていたのだった。