私の実家には お墓があって 父が眠っている。
会った事もない祖父も 最期は認知症だった祖母も入っている。
入っているのは、お寺の歴代の住職が眠っている墓所で、
病気で倒れる前の父が きちんと整備しておいたものだ。
亭主の実家の墓地は 義母が亡くなって初めて作った。
立派な墓石に こだわりの文字が刻まれている。
今のところ 義母がひとりで眠っている。
私の 今年のテーマカラーは、薄いピンク。
私の昔の勤め先に アルバイトで入ってきたある女の子は
女性正社員全員が未婚なのに ひとりだけ結婚した。
彼女は あるお寺の跡取り息子とレンアイし、ケッコンをしたのだった。
話を聞くところによると
お姑さんという人、これがなかなかユニークで面白い人のようだった。
「死んでまで お父さんと 一緒の墓になんか 入りたかないわよ!」
と 公言していらしたようで、
「その時、お父さんは?」と聞くと
となりで しょんぼりとしながら お母さんの発言を
黙って聞いていらしたのだという。
そのお寺さんでは 歴代住職の墓地と
寺族(住職の家族?)の墓地とは 別になっているらしかった。
私の実家は みんな一緒になってしまうけれども。
いろいろなんだなあ、と思ったことだった。
自動車屋のアニキからいただいたお歳暮のシンビジウムがこの色だったのは
単なる偶然。
「姑とは 一緒の墓には 入りたくない」
という嫁は多いのだそうだ。
私も 姑と同居でもしていたら そんな気分になったのかもしれない。
先日は 新聞の人生相談に
まだ生きている両親の 将来の墓地をどうしたらよいか、
という相談が寄せられていた(→自分勝手な父の墓 どうしよう)
墓をどうするか、という問題に
「身勝手」ということがかかわってくるのは
残されて 先祖をまつる人間の心情として
「それは、イヤッ」というのがあるからだろう。
(わからないでは、ない。。)
この相談者のお母さまも
夫婦一緒の墓には入りたくない、とおっしゃっているようだ。
(わからないでは、ないのだが。。。)
お父さんの実家の墓は 伯父さんが守っている。
一方、お母さんの実家の墓を守っているのは、末っ子のお母さん。
お父さんを 実家のお墓に入れるには
伯父さんの許可が必要だろうと思う。
伯父さんが 「ダメ!」とおっしゃった場合、
別の場所を考えなくてはならない。
弁護士の回答にも
伯父さんの承諾が得られなかった場合、
「祖父の墓は、 お兄さんの直系の家族が入るのが普通です。
実家を出て独立して一家を構えた方は、入れないのが通常でしょう。
したがって、おっしゃるように、父上の墓を作るか、
お寺と相談して別の供養の仕方を考えるしかないと思います。」
とある。
別のお墓を お父さんのために建てる、というのは お金がかかる。
相談者は きっと違う方法を検討するだろう、と 勝手に想像(笑)。
薄いピンクの花が咲く予定のヒヤシンス。
でも、どうして 独立して一家を構えたら 一緒のお墓に入っちゃいけないの?
実家が田舎で 今も田舎住まいの私には 解りかねる。
大家族主義では いけないのか?
核家族化したからこその、問題点も多々出てきたことを知っている私たち。
それでも 宅地開発のためならば、と
ぽんぽこ狸の出没するような山を切り開き、
家を建てて エッチラオッチラ 通勤や通学に時間を割いてきた私たち。
墓地開発のために またまた山を切り崩して
将来はどうなるか?
少子高齢化の影響で
そのうち どんどん 無縁墓になっちゃうんだよ?!
だったら このムラの人たちの 畑の中の墓地みたいに
一応 家ごとには分かれているけれど
親戚一同、みんな、ここ!という収まり方の方がいいんじゃない?
今の世で 一緒に暮らすのは 気苦労があって大変でも、
お墓でならば みんな一緒で いいんじゃない?
一方、回答者によると
相談者のお母さんは 墓地を 事実上管理しているというだけで
使用権は 実家の当主にある事も考えられる、という。
ややこしい。
「入れて。」と言われたら、「いいよ。」と言って 入れてあげるのよ、
そう公園や幼稚園で習ったのではないかいな?
そうして、オキナワ式に お墓の前で、みんなで大宴会!(爆)
(あ、宴会ができるほどには 広くないね。。。。。)
まあ、だいたいが、
死んじゃったら みんな 仏さま
(または、仏さまになる修行中の人)なわけだよね?
だったら、誰と一緒の墓に入るのか、なんていう小さなことには、
だれもこだわらないよね?
死者となってしまったからには、
小さなことにこだわらず、おおらかに見守っててほしいよね。
文句は言わないはずだよね(笑)。
「T子さんの話」(2008年2月16日の記事)のT子さんによると、
死者の魂は 一瞬のうちに
行きたいと思う場所にすっ飛んでいけるのだそうだから、
どこへでも 行きたいところに行けばいいよね?
(だから、富士山の見える墓地、なんてのは ナンセンスなのだとか。
確かに、富士山が見える、という景色は やはり気持ちがいいと思う。
だから、死んでからではなく、生きているうちに行きたいね。
あ、そうか!
残された遺族がそこに行きたいから、そういう場所にお墓を作るのか!)
亡くなった後の魂は
それまで苦労させられた人とか 毛嫌いしていた人とかを
区別して 受け入れたり 受け入れなかったりする、というんだろうか?
ねえ、お母さん、娘さん。
どんなお父さんでも、
骨になっちゃった後ならば
ちょっとガマンして 入れてあげようよ。
ピンクの花が咲く予定の、チューリップ。どんなピンクだろう?
私自身の死後のことは
残された者たちが やりたいように、やりやすいように、
やればいい、と思っている。
(半分、そんなの、どうでもいいや、と 思っている。
でも、それは、内緒。)
会った事もない祖父も 最期は認知症だった祖母も入っている。
入っているのは、お寺の歴代の住職が眠っている墓所で、
病気で倒れる前の父が きちんと整備しておいたものだ。
亭主の実家の墓地は 義母が亡くなって初めて作った。
立派な墓石に こだわりの文字が刻まれている。
今のところ 義母がひとりで眠っている。
私の 今年のテーマカラーは、薄いピンク。
私の昔の勤め先に アルバイトで入ってきたある女の子は
女性正社員全員が未婚なのに ひとりだけ結婚した。
彼女は あるお寺の跡取り息子とレンアイし、ケッコンをしたのだった。
話を聞くところによると
お姑さんという人、これがなかなかユニークで面白い人のようだった。
「死んでまで お父さんと 一緒の墓になんか 入りたかないわよ!」
と 公言していらしたようで、
「その時、お父さんは?」と聞くと
となりで しょんぼりとしながら お母さんの発言を
黙って聞いていらしたのだという。
そのお寺さんでは 歴代住職の墓地と
寺族(住職の家族?)の墓地とは 別になっているらしかった。
私の実家は みんな一緒になってしまうけれども。
いろいろなんだなあ、と思ったことだった。
自動車屋のアニキからいただいたお歳暮のシンビジウムがこの色だったのは
単なる偶然。
「姑とは 一緒の墓には 入りたくない」
という嫁は多いのだそうだ。
私も 姑と同居でもしていたら そんな気分になったのかもしれない。
先日は 新聞の人生相談に
まだ生きている両親の 将来の墓地をどうしたらよいか、
という相談が寄せられていた(→自分勝手な父の墓 どうしよう)
墓をどうするか、という問題に
「身勝手」ということがかかわってくるのは
残されて 先祖をまつる人間の心情として
「それは、イヤッ」というのがあるからだろう。
(わからないでは、ない。。)
この相談者のお母さまも
夫婦一緒の墓には入りたくない、とおっしゃっているようだ。
(わからないでは、ないのだが。。。)
お父さんの実家の墓は 伯父さんが守っている。
一方、お母さんの実家の墓を守っているのは、末っ子のお母さん。
お父さんを 実家のお墓に入れるには
伯父さんの許可が必要だろうと思う。
伯父さんが 「ダメ!」とおっしゃった場合、
別の場所を考えなくてはならない。
弁護士の回答にも
伯父さんの承諾が得られなかった場合、
「祖父の墓は、 お兄さんの直系の家族が入るのが普通です。
実家を出て独立して一家を構えた方は、入れないのが通常でしょう。
したがって、おっしゃるように、父上の墓を作るか、
お寺と相談して別の供養の仕方を考えるしかないと思います。」
とある。
別のお墓を お父さんのために建てる、というのは お金がかかる。
相談者は きっと違う方法を検討するだろう、と 勝手に想像(笑)。
薄いピンクの花が咲く予定のヒヤシンス。
でも、どうして 独立して一家を構えたら 一緒のお墓に入っちゃいけないの?
実家が田舎で 今も田舎住まいの私には 解りかねる。
大家族主義では いけないのか?
核家族化したからこその、問題点も多々出てきたことを知っている私たち。
それでも 宅地開発のためならば、と
ぽんぽこ狸の出没するような山を切り開き、
家を建てて エッチラオッチラ 通勤や通学に時間を割いてきた私たち。
墓地開発のために またまた山を切り崩して
将来はどうなるか?
少子高齢化の影響で
そのうち どんどん 無縁墓になっちゃうんだよ?!
だったら このムラの人たちの 畑の中の墓地みたいに
一応 家ごとには分かれているけれど
親戚一同、みんな、ここ!という収まり方の方がいいんじゃない?
今の世で 一緒に暮らすのは 気苦労があって大変でも、
お墓でならば みんな一緒で いいんじゃない?
一方、回答者によると
相談者のお母さんは 墓地を 事実上管理しているというだけで
使用権は 実家の当主にある事も考えられる、という。
ややこしい。
「入れて。」と言われたら、「いいよ。」と言って 入れてあげるのよ、
そう公園や幼稚園で習ったのではないかいな?
そうして、オキナワ式に お墓の前で、みんなで大宴会!(爆)
(あ、宴会ができるほどには 広くないね。。。。。)
まあ、だいたいが、
死んじゃったら みんな 仏さま
(または、仏さまになる修行中の人)なわけだよね?
だったら、誰と一緒の墓に入るのか、なんていう小さなことには、
だれもこだわらないよね?
死者となってしまったからには、
小さなことにこだわらず、おおらかに見守っててほしいよね。
文句は言わないはずだよね(笑)。
「T子さんの話」(2008年2月16日の記事)のT子さんによると、
死者の魂は 一瞬のうちに
行きたいと思う場所にすっ飛んでいけるのだそうだから、
どこへでも 行きたいところに行けばいいよね?
(だから、富士山の見える墓地、なんてのは ナンセンスなのだとか。
確かに、富士山が見える、という景色は やはり気持ちがいいと思う。
だから、死んでからではなく、生きているうちに行きたいね。
あ、そうか!
残された遺族がそこに行きたいから、そういう場所にお墓を作るのか!)
亡くなった後の魂は
それまで苦労させられた人とか 毛嫌いしていた人とかを
区別して 受け入れたり 受け入れなかったりする、というんだろうか?
ねえ、お母さん、娘さん。
どんなお父さんでも、
骨になっちゃった後ならば
ちょっとガマンして 入れてあげようよ。
ピンクの花が咲く予定の、チューリップ。どんなピンクだろう?
私自身の死後のことは
残された者たちが やりたいように、やりやすいように、
やればいい、と思っている。
(半分、そんなの、どうでもいいや、と 思っている。
でも、それは、内緒。)