ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

欝の始まり

2004-09-05 | 
渋谷まで出かけて、完璧な乳房再建の難しさの知って、ショックを受けて 疲れて帰ってきて、
次の2月3日は、いつもより 寝坊した。
日記には、「節分も淋しい」なんて書いてある。
 
2003年2月4日、
朝、駅の階段を登るときに 右ひざが痛んだ。
この日の日記。
「ゆうべは いろいろ考えて、ねむれなかった。
 初めてだ。
 答えは 出ない。」
何を考えてたのか。乳房再建を、多分もう あきらめていたと思うが。


このころ、
書きなぐったメモがある。
電車の中で書いたものが ほとんどだと思う。

「私は 何になりたかったのだろう
 私は 何をしたいのだろう
 私は 何をやりたいのだろう
 私は どう生きたいのだろう」

「つまらない つまらない つまらない」

「私には 友達が いないのだ」

「そうだ、私は 普段 緊張する事がないのだ。
 電話のベルにも 緊張しなくなったし。」

「思索。哲学すること。」

むちゃくちゃな内容だが、思った事をそのまま 文字にして、
小さな手帳に 小さな字で、精一杯 丁寧に書いている。
忘れたくない思いだったのだと思う。

「自分らしく生きるためには エゴイストになれ、
 というタイトルの本があった。
 ドッキリして 悲しくなった。
 私に必要なのは、こういう本だと思った。
 だけど 本当に 自分が やりたいことや
 自分に必要なものが わからない。
 こんな悲しい事ってあるだろうか。
         ※渋谷駅前の子供の本のお店で見つけた。
          私、こんな本のお店を したかったなあ。」

「絵を描きたい。 
 歌をうたいたい。
 語学が好き。
 イーゼルがほしい。」

「2月です。
 これからの さまざまなことを
 計画したいと思います。
 いろいろなことを、無理をせずに。」

「泣きたいくらいつまらない。」

「私は 頭は 悪くないのだ、と 思いたい。」
 
「どうせ○○できっこない、
 というふうには 
 あきらめないこと。
 できないかもしれないけど、
 やってみよう。」
 
「あなたの夢は なんですか?
 
 --夢をみつけることです。
 いつかはきっと 見つけたいと思います。」


こんなに いろんな事を考えたのは、久しぶりだったと思う。
考える事自体は、嫌いじゃなかった。


この冬は、寒かった。
少なくとも私には、寒かった。

朝、痛む足を なんとか靴に入れて 玄関を出ると、
そこには 枯れた花が あった。
玄関前の植え込みの 一番日の当たる場所は、
いつも 華やかな色の 花を植えている。
秋から冬の花に 植え替えをするのを サボった。
サボる理由ができた、というところか。
そうして、暗い気持ちで出かける私を、
枯れたベゴニア・センパフローレンスが 見送り、
また 疲れて帰る私を 迎えてくれるのだ。
首は 痛いほど下を向き、
枯れた花がそのままになっているのが 嫌でも目に入る。

冷たいハンドルを握って 駅へ向かう。
駅は 風の通り道。
電車を待つ5分や10分は、
田舎育ちの私には 待つうちには入らないはずなのだが、
そのわずかな時間を ホームで じっとたたずんでいるのは、
この上なく辛い。
じっと。
ただ、じっと。 
耐える。


そして週末、風邪で熱を出してダウンした。
放射線治療に通うのに、飽き飽きしていた。