ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

防災の日

2004-09-04 | 考えたこと
今月の ゾラデックス注射は、ちょうど防災の日でした。
がんセンターの 最寄の駅につくと、
訓練が終わった所のようでした。
いくつもの挨拶に、拍手がありました。

訓練がムダになるといいですね、何も起こらずに。
訓練が生かされるといいですね、いざという時には。

この防災の日は 関東大震災のあった日、ということですが、
わたし、地震は、だいっきらいです。怖いもの。

超(!!!)年代モノの 建物に住んでいたので、
よくゆれたんです。
基礎は大きな丸い石で、家の柱が 直接乗っかってました。
柱という柱は みいんな 傾いでいて、
屋根は、茅葺。
時は、高度成長時代、
国道を ダンプカーが 鹿島へ、成田へと 走り回っている頃。
小さい頃は まだ国道が 舗装されていなくて、
ダンプが 疾走すると、奥に建っている我が家が、
ガタガタと 音を立ててゆれてました。
舗装されると、幾分ゆれは マシになりました。
交通戦争、勃発の時代。

小学校の高学年の時に、
確か十勝沖地震というのがあって、
高学年の教室が入っている鉄筋二階建ての新校舎が 
凄くゆれて、長~くゆれて、乗り物酔いしそうだったことが
忘れられません。
(低学年は、木造の校舎、二階で雑巾バケツを ひっくり返すと
 一階に漏れてくる、あの あ懐かしいタイプの 校舎でした。)
私は、「我が家は、潰れていないか」と、
半分本気で心配してました。
さすが、関東大震災にも負けなかった建物、
なんともありませんでした。
いつものように、少し 南東にかしいだまま、がっしりと建っていました。
茨城は、地震が多いんです。

倒れたブロック塀の犠牲者が 多かったのは、
新潟地震だったでしょうか。
盲点だったので、びっくりしましたが、
今でも、もしかしたら いざ、と言う時には、
塀に近寄ろうとするかも知れません。

忘れた人も多いと思うけれど、
千葉・茨城で 大きな被害が出た地震があります。
あの時に、石灯籠の下敷きになった 寺庭婦人がいました。
どこの町だったかは 忘れましたが、
まだまだ お若い方で、
子供があったら、まだ小さいだろうに、と哀れに思いました。
きっと、石灯籠のそばに、
思わず近寄ってしまったのだと思います。
実家は建物が新しくなった後だったので、
被害は 少なくて済みました

阪神・淡路大震災のときの ニュースの影像は、
誰しも ショックを受けた事と思います。
ショックであるとともに、
私は 脱力感、無力感に とらわれました。
自然の脅威に対し、
無力な人間、何もできない自分。
あんな思いは、もうしたくありません。

なのに、何度も 同じ思いに とらわれます。
湾岸戦争。
天安門広場。
9.11。
イラク戦争。
チェチェン紛争から、今回の 北オセチヤ共和国事件。
戦争・紛争の歴史を見ると、
人は 歴史からは 何物をも 学べずにいるようです。

それでもきっと、自然災害からは 少しずつ知恵を
つけさせてもらっている、と思いたいのです。
今年の台風の爪あとも、被害や犠牲が 予想外に多かったけれど、
もう少し小出しに被害を出してくれれば、対策をたてられるのに。

そして、びっくりしたのは、
浅間山の噴火です。
防災の日に 噴火するなんて。
きっと、今のうちに対策を立てるようにという、
自然の啓示だと思います。
人間は、もっと謙虚にならねば・・・。

・・・防災グッズ、私はまだ、揃っていません。