日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

秘密のかけら

2005-12-30 06:27:07 | パリ左岸
邦題は『秘密のかけら』というらしいが、カナダの鬼才、
アトム・エゴヤン監督の新作『la verite nue』を近所のMK2まで
見に行った。

実はエゴヤン監督作品は10年以上前に『エキゾティカ』を見てから
虜になっていて、同作品なんて映画館に3度も見に行ったぐらいだ。
挙句の果てにDVDも購入してしまった。
よく言われることだが、彼の、難解なパズルを組み立てて
いくような映画の構成と、極限まで練り上げられたシナリオ、そして
登場人物のパーソナリティの深い掘り下げ方が僕のような大衆を
うならせるのだ、手放しで。
『エキゾティカ』の次の、『スィートヒアアフター』はイマイチだったけれど、
その次の『フェリシアの旅』はまたもや名人芸という感じですごく
よかったため、今回の新作も迷わず見に行った。
ちなみに『フェリシアの旅』はフランスではテレビで放映されたのだ、
しかもゴールデンタイムに。素晴らしい国だよ、フランスって。

今回の新作、la verite nueはケヴィン・ベーコンが主役。あの
ケヴィン・ベーコンだよ。80年代に一番僕がサントラを聴いた映画、
『フット・ルース』の主役俳優。
既にクリント・イーストウッドの『ミスティック・リバー』に出演した
ベーコンを見ていたからそんな驚かないけど、やっぱ当時の面影はないよね、彼。
当たり前か、『フット・ルース』からもう20年ぐらい経ってるもんなあ。
彼のBIOGRAPHIEを見たら、もう彼は47歳だった。歳月は無残。
でも、それってフット・ルースの映画って、彼、20代後半だったのに
高校生の役やってたってことか? 驚愕。で、彼の相手役コリン・ファースは
かく言う『ブリジット・ジョーンズの日記』の映画の中のプリンス役。
ってそのイメージしかないんだが。

で映画なんだが、印象深いし、名人芸なんだけど、あまりエゴヤンの良さが
生かされていないような気がした。彼はもっと人間のエゴとか人間の業とか
人間の狂気をあぶりだすような映画を作ってたと思ってたんだよね。
やっぱ原作が先にあると牽制してしまうのかなあ、いろんな面で。




あっち、ってどこ?

2005-12-29 16:49:42 | フランス
こっちに住む日本人の知り合いで、在仏歴がものすごく
長いのに、いまだにことある度に、「日本では~」みたいな
ことを口癖のように繰り返す人がいる。
それって新しい学校で、ことある度に「前の学校では~」と
言っている転校生みたいで、バカみたいだと思う。
誰も君の前の学校のことなんて聞いてないよ。

ということで自分は「日本では云々」みたいなことを言うのは
極力やめようと思い、「AU JAPON(日本では)」という
単語を使わないといけない場面ではいつも「LA-BAS(あっち)」
と言い換えていたのだが、昨日友人と話していて真顔で
「tu parles d'ou? c'est ou "la-bas"?」
(どこのこと話してんだよ? あっち、ってどこのこと?)
と言われてしまったぜ。
何の話をしてたかは忘れたけど。
まあ、言葉の問題じゃないんだろうけど。

最高気温が2度、最低気温が-2度とかそんな凍える日が続いている。
frisquetという単語を使ってこの寒さを形容していた人がいるが、
frisquetはうすら寒いから違うな。surgelé(冷凍の)って感じかも。


ジャック・ジョンソンって

2005-12-28 04:56:57 | 音楽(種さん以外)
恥ずかしながらジャック・ジョンソンって知らなかった。
ついつい家でラジオ聴きながら掃除していると、RTL2から
流れてきた、軽くて、でもどこかメロウで聞き取りやすい曲。
こりゃいい、とネットでチェックしてみると、ジャック・ジョンソンの
sitting, waiting, wishingという曲だった。

FNACに早速アルバム買いに行くと、FNACでも一押しアーティスト
らしく、視聴コーナーに大量のCDが並んでいる。迷わず購入。
ネットで調べると、どうもハワイ出身のサーファーアーティストで
日本でもかなりの人気とか。そりゃ、日本ツアーやるぐらいだからね。

で、アルバムなんだけど、アコースティックギターにシンプルで
すがすがしいサウンドが14曲も入っている!しかも捨て曲がない。
音がたくさんへばりつくような粘着質な音楽が苦手な僕にぴったり! 
上記の曲の印象的なサビの歌詞は以下のとおり。

And i ain't the lord no i'm just a fool
learning loving somebody don't make them love you

Must i always be waiting, waiting on you?
Must i always be playing, playing your fool?

僕は神なんかじゃない、ただの馬鹿なだけ。
誰かを愛することを学ぶことと、君が愛されることは違うんだ

まだ君のことを待ち続けないといけないのかい?
まだ君のバカに付き合わないといけないのかい?




シテ島界隈

2005-12-26 07:55:57 | パリ右岸
夕方遅く、シテ島にあるノートルダム大聖堂に
LA CRECHE(キリストの生誕劇を小さな人形で再現した模型)
を見物に行く。この時期になるとフランス各地の教会でこの
クレーシュを様々な趣向を凝らして飾り付けているのだ。

去年マレ地区にある聖ポール聖ルイ教会にぶらっと立ち寄った時
美しいCRECHEが展示されていたのを覚えている。
イタリアなどはクレーシュの本場らしく(彼の地では別の呼び名
があったと思うが)、ナポリのバロック式教会を訪れた際、
圧倒されるばかりの巨大なクレーシュがガラスケースの中に
展示されているのを見た。クレーシュに使われる人形や樹木や家屋の
模型などを売っている店が延々と立ち並ぶ通りもあった。

ということでRERを乗り継いではるばるノートルダム大聖堂に
たどり着いたというのに、内部はひどい大混雑。クリスマスのミサが
行なわれていて、その出席者だけで教会はほぼ満員状態なのだが、
それに観光客の群れも手伝って、通路も入り口も身動きの取れない状態。
人ごみを掻き分けて何とか教会の奥の部分へ進んでいく。
が、しかし、お目当てのクレーシュが全然見つからない。
CHOEUR(内陣)の部分におよそクレーシュとは似ても似つかない、
東方の三博士が小さなキリストに向かって贈り物を奉げている場面
を描いたと思しき複数の人形が展示されていたのだけれど、
これがそうなのだろうか?
こんな雑で、ディテールのこだわりがない、自然史博物館のハリボテ模型みたいな
もんがノートルダムのクレーシュなんだろうか?


独身に見えるのか、やっぱ

2005-12-24 05:51:11 | パリ左岸
今日仕事の関係で、フランス在住の日本人と話をしていたんだけど、
ひょんなことで雑談になり、僕の近況などを話す羽目に。僕の
近況なんてそんな面白いことないんだけれど、まあ、仕事を通じて
フランス人と接することが最近はますます多くなってきた、みたいな
当たり障りのない話をする。すると、相手がとっさに
「その中には一緒に一生いたいと思うような相手はいないんですか?」
などと質問。
「いやあ、なかなか僕にはそんなチャンスもなくて」などと
心の中でムッとしながら答える自分。

相手が帰った後、よく考えてみると、その質問、僕が独身である
ことが前提になってるやんけ。自分の歳とか、結婚してるとかしてないとか
そんなことひとっことも話したことないのに! 
この歳になっても〔37歳〕独身にしか見えないんだろうか。

バンビのように可愛い受付の女の子のが今日を持って退職する。
花買ったり、お世辞言ったりしてゴマをする僕、ってなんか哀れだよ、自分。
「退職しても、また会えることを期待しているよ」と言うと、彼女は
一言、「どっかですれ違うでしょう」だってさ。これってあっけなく
振られたってことか? まあ、そういう彼女のあけすけなところが良かったんだけど。

ジョンメイヤーという人

2005-12-22 06:26:49 | 音楽(種さん以外)
念願のipod nano購入。ちょっと高かったけどなかなかの
優れもの。せっせと家に戻って音楽をダウンロードしては
ipodにインポートする自分だった。

これは入れなければ、と早速インポートしたのが
ジョンメイヤー。もともとは敬愛する種さんが数年前に
プッシュしていたので知ったのだが、いわゆる北米によく
ありがちなロック青年、と思いきやなかなかのメロディー
メーカー。しかもそのメロディーがポール・サイモンみたいな
いわゆる「泣き」のあるメロディーラインなのだ。

歌詞も結構平凡なんだけど、よく洋楽にありがちな
「君がものすごく好き」一点張りや、「これから自分はがんばる」
みたいな単細胞なんじゃなくて(ってこれって洋楽じゃなくて
日本のポップスもこういうの多いよな)、
写真で切り取った風景の中に君の面影を追う
(『3×5』より)ようなモチーフだったりしてなかなか
ひねりがいのある曲が満載なのだ。

何よりいいのは聴いたあと、すがすがしいこと。
清涼感があること。気持ちいい人間なんだろうな、彼は。

人間の感情の中で憎むべきもの

2005-12-20 06:21:47 | 自分について
ランチを友人と食べていて、ふとしたことで
人間の感情の中で憎むべきものは何か? 
という話になった。
ちょっと考えてこれなら品性を疑われても仕方ない、
感情とか行為を三つまで挙げてみた。すると笑われた。
笑われるようなことかなあ? それとも僕が言うから
おかしかったのか?

1.嫉妬
2.ひがみ
3.他人の日記を読むこと(というかプライバシーの侵害)

最近、いい歳こいてひがみっぽい人間と仕事のやりとりが
あるんだが、ほんと困る。ひがみというかコンプレックスって
大人になれば消えるもんだと思ってたけど、そうでもないらしい。
もっと自分でいることに満足しろよ、てか。


チェリーという名のチョコレート

2005-12-18 18:37:13 | パリ右岸
チョコレートを買いに行く。クリスマスプレゼントに。
プレゼントもチョコレートも滅多に買わない。贈り物をする
という習慣がほとんどないもんで。
チョコレートがたまに食べたくなったら、スーパーに行って
棚に並んでいるのを無造作に選んで家でバクバク食うぐらいだもんな。

それにしてもこっちのチョコレート屋というのは本当に
かしこまっていて苦手。割と広い店内に、ガラスケースが
置かれていて、その中にそんな多くもないチョコレートがもったい
ぶって陳列されている。しかも買うとき、「何グラム?」とか
って聞かれるし。量り売りってたってよく分かんねえよ。

しかし、日本のチョコレート売り場のように若い女の子が
キャアキャア言って品物に群がっているのよりはましか。
僕が今日行った、COTE DE FRANCEには客は
僕と70歳は超えていると見られるばあさんしかいなかったし。

買ったチョコはチェリーと呼ばれるチョコレート。
形がそのままサクランボウ(写真参照)。
中にもサクランボウが入っていたような、
いなかったような。いつもプレゼント用に買っていて自分じゃ買う
ことないんでどんな味だったか覚えてねえや。

そういえばチェリーっていう坊さんが「うる星やつら」に出てきたっけ。
錯乱坊とかいうやつ。関係ないか。
ちなみにチェリーの値段もなかなか。こんなん頻繁に買えないよ。

ママがプールを洗う日

2005-12-16 06:58:00 | 読書生活
こんな人を食ったようなタイトルの短編小説集だが
実は自分にとっては大学時代から何度も読み返している
バイブルみたいな書物。何がいいかって、実際よく
分からないんだけれど。確かにスポーツライターとして
名高い山際淳司の翻訳はこなれていてツボを抑えている
んだけれど、それ以外に何か文学的価値が高いとか、
斬新なスタイルとか、そんなことはない。

どちらかというと、途中からからパラパラ読んで、
最後まで行かないうちに読みやめてしまったり、
何ページも飛ばしてよんだり、そんな読み方ばかりしている。

舞台はアメリカ。決して貧乏でもない、でも裕福でもない
すごい不幸でもない、でも現状に満足しきれていない
ミドルクラスの子供や若者が主人公。
ある短編の中で主人公が自問する。

たまに僕は間違った育ち方をしたんじゃないかと
思うんだよ。幸福に育ちすぎたのさ
~「夏・ポートランド」より

虚無感や浮遊感があちこちにあふれている短編小説が
ぎっしりつまっている。それぞれが自分なりに悩んだり
するんだけれど、その存在のつかみどころのなさゆえ
中途半端な風景しか人生に描けない。
多分僕自身、中途半端な人間だし、中途半端なことしか
やってきていないから惹かれるんだろうか、この本に。

何もかもが違って見えるわ、とジョーンは思う。
酔っ払っていて、あたりは暗く、風が吹いていて、
人生に変化が訪れようとしているときには。すべてが
違って見えるのだ。彼女はとにかく町に戻って、
もう一度やりなおしたかった。
               ~「結婚と異教徒」より


決まりごととウジェーヌ・アジェ

2005-12-14 06:55:26 | フランス
仕事相手のフランス人と電話でだらだら話していたら
いきなり

C'EST UN BATEAU(それは船です)

などといきなり言われた。なんだなんだ、と思って
でも文脈とあまりにもかけ離れているので、「また変なこと言ってる」
と思い聞き流したんだが、家に帰って辞書で調べたら
「そんなの月並みだよ」って意味だった。
たしかに、あるフォーマットに記入する文章のことを話していて
去年もその前の年も毎回、毎回同じことを記入している、
みたいなことを話していたと思う。確かにそんな文脈じゃ
使うだろうな。

ところで「決まりごと」とはなんて嫌な言葉なんだろうか。
ルーティーンなんてまったく興味がないし、人間の自由さを
奪ってしまうものだと思う。と言いつつ、毎日決まりごとを
単調にやることで僕なんか金もらってんだけどね。

ずっと前に知人にプレゼントされたウジェーヌ・アジェの
写真集を一人でパラパラと見る。ほんの100年ほど前の
パリ郊外が白黒写真の中に収められていた。
瞬間を切り取ったようなその写真の中の人々はけして裕福では
ないのだけれど、非常に強い、訴えるようなまなざしでこっちを
見ていた。アジェが今生きていたらどんな写真を撮るんだろうか。

待てど暮らせど

2005-12-13 06:48:30 | 種ともこ
宵待草(大正2年) 竹久夢二作

待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな

暮れて河原に 星一つ
宵待草の 花が散る
更けては風も 泣くそうな

唐突だが、種さんのホームページが更新されていた。
左上の種さんの写真をクリックすると、種さんの歌う
「宵待ち草」の音源がワンコーラス聴けます。

http://www.tomokotane.com/

前回の音源が「砂山」。今回が「宵待ち草」なんて
種さんもなかなかやってくれる。そういえば
以前ライブで「朧月夜」を種さんは披露してくれた
ことがあったけれど、「これがあの朧月夜?」なんて
思うぐらい意外なアレンジでうっとりするような曲に
生まれ変わっていたっけ。

しかしこの竹久夢二の奥ゆかしい、古風な歌詞はなんだろう?
最近の作詞する人たちにも見習ってほしいよな。
情景描写だけで研ぎ澄まされた感情を描き出すなんて
言葉に緊張感がないとできないんだと思う。って思うだけなんだが。






ノルマンディーの入り口

2005-12-11 06:17:33 | フランス
ノルマンディーの入り口と言っても、ルーアンとかじゃない。
パリからTGVで1時間、24時間レースで有名なル・マン到着。
そこから鈍行に乗り換えて30分の場所にあるアランソンの町だ。
この人口5万人ほどの静かな町、アランソンは
ロワール川地方やブルターニュ地方から見たノルマンディーの入り口なのだ。

普通の土曜日は大抵アパートでぶらぶら掃除したり、昼寝したり
してるんだけど、今日に限ってアランソンになんだか行きたくて
しょうがなくなり、衝動的にここまで来てしまった。

アランソン駅前は冷たい風がヒューヒュー吹いている。
何の変哲もない街角が続いている。地方の典型的な小都市という感じ。
実は学生の頃、ノルマンディーのカンに語学留学していたのだけれど、
その頃の友達にアランソン出身の子がいてその頃からなんだか
この町が気になっていたのだ。

町の旧市街は石畳のショッピングモールがこじんまりと広がっている。
その先に前から見たかったLA HALLE AU BLEの建物が。
ここは昔の穀物取引所だったほか、家畜の取引も行なわれていたらしい。
今では改装されて、ちょっと中を覗くと地元のアマチュア画家たちの
個展をやっていた。とほほ。
円形の建物の上にはガラスの天井が。中から空を見上げると
12月の乾いた青空が透けて見えた。ノルマンディーの南、
サルト地方のどこまでも真っ直ぐな、森と放牧地しかない大地の
真ん中にある、閉じ込められたような小さな町。

「メランコリー」だった

2005-12-10 06:54:43 | パリ右岸
グランパレで開催中の展覧会、「メランコリー」を見に行く。
入り口からひどい行列。お金と時間に余裕のありそうな、高い
毛皮を着た50-60代のおばさんが多く並んでいる。こういう
ちょっと教養のある層を惹きつける展覧会なのかなあ。

展覧会はただただ感嘆。「メランコリー」というのが西洋の
美術の中で大きなテーマになってきたことが手に取るように
分かる。社会の変化とともに、罪悪とされていた「メランコリー」
がルネッサンスと同時に創作の源泉と見なされるようになり、
近代の「神の死」の後はロマンティスムの中で捉えられる。
そして19~20世紀からはフロイトの心理学理論の登場で
科学・心理学的側面に光が当てられれる。
数々の絵画を鑑賞しているうちに、あっという間に二時間
過ぎてしまう。いやあ、素晴らしい展覧会だ。

極めつけは添付した絵画。19世紀初頭の作品。「海辺の修道士」
というタイトルだそうです。絶望的だよなあ。

Caspar David Friedrich
Le moine devant la mer
1808-1810
Huile sur toile, 110 x 171,5 cm
Staatliche Museen zu Berlin, Nationalgalerie, Berlin
© Jörg P. Anders

パッサージュ論、って言っても

2005-12-09 08:28:46 | パリ右岸
またまた雑誌を読んでいたら、今度ポンピドーセンターで開催される
写真界の大御所ウィリアム・クラインの回顧展に関する記事が出ていた。

KLEIN EST UN OISEAU RARE.

「クラインは珍しい小鳥だ」という意味かと思って辞書を引いたら
あら不思議。「ETRE UN OISEAU RARE」で「大したやつだ」という意味に
なるらしい。奥深いなあ、フランス語は。

さて、東京から来た某大手出版社の編集者にパリを案内する、という
半分遊び、半分仕事のようなミッションが舞い込み、とりあえず自分の
得意とするパリ・パッサージュ巡りを提案する。
というかパッサージュって個人的に好きで、日頃からその歴史を紐解いた本を
読んだり、写真集を眺めたりしているので、かなり得意分野なのだ。

右岸の裏オペラ界隈(と自分が呼んでいるところ)のパッサージュを
しらみつぶしに回る。パッサージュ・ベルドー、パッサージュ・パノラマ、
パッサージュ・デ・プランス、パッサージュ・ジュフロワ、パッサージュ・
ショワズールなど、「もういいよ」と言いたくなるぐらいのパッサージュを
駆け足で回る。あ、「パリのインド人街」ことパッサージュ・ブラディ
は行かなかったけど。あとパッサージュ・デュ・ケールも外したか。

極めつけはパッサージュ・ヴィヴィエンヌ。これが1世紀以上前にできたものか
と目を疑うくらい美しい、「優美」という本当に言葉が似合うパッサージュだ。
ってもちろん時代にあった改装をしたせいで綺麗なんだけどね。
でも貴族的で、洗練されたブティックが並ぶそのパッサージュに迷い込むと
本当、別世界のようだ。って僕みたいな人間が言ってもあんまり説得力ないか。

人生はやり直しの連続である

2005-12-07 07:07:39 | パリ右岸
ふと雑誌でRECOMMENCEMENTという
単語にぶつかったので辞書で意味を調べていたら
次のような例文が出ていた。

la vie est un recommencement perpétuel.

「人生は際限のないやり直しである」
まったくそうだと思うよ、ほんと。
やり直しばっかだもんな、自分。などとしみじみ回想。
ちなみに雑誌に出ていた文章は次のようなもの。

l'amour n'est qu'un éternel recommencement.

愛は永遠のやり直しに過ぎない。そうかもな。って
あまり実感沸かないけど。

今日は久しぶりに知り合いと16区ミラボー駅近くの
イタリア料理店SAN FRANCISCOに行ってみた。
午後2時前。店内満席で10分ぐらい待たされる。16区らしく
スーツを着た立派な身なりの客ばっかり。ちょっと気後れしつつ
テーブルに案内され、パスタを頼む。運ばれてきた料理は
絶品!パリのイタリア料理屋はまずくて有名だけど、こんな
おいしいパスタ食べたの初めてっす。パンもゴマ入り黒パンが
出てきてBIOぽくていい感じ。ソースもパスタ地もすごいいい風味。
ダイナミックさと繊細さが同居していていい味。値段も
法外に高くないし(一皿20ユーロ程度)。幸せなひと時であった。

家に帰ってネットで調べるとこの店は、「パリにおけるもっともおいしい
イタリアンレストランの一つ」と紹介されていた。やっぱり。