日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

シャルロットゲンズブールの新作映画

2006-10-31 06:44:27 | フランス
シャルロットゲンズブールの新作映画、
PRETE-MOI TA MAIN(あなたの手を貸して)
が明日から公開、ということでテレビでもネットでも
あと地下鉄のポスターでも大々的に宣伝している。
コメディアンのアラン・シャバとの軽いタッチのコメディー
なのだが面白そう。

予告編を今朝もテレビでやってたが
シャルロットが控えめな、内気な女性を演じるのではなく、
はすっぱな、ああいうのなんて言うんだろうか、がらっぱち、か
そういう快活でスレた女性を演じているのだが、彼女の
可憐さも手伝って全然下品じゃない!
「セックスは3人でやるのが好き」とかそういうドキッとするような
台詞を言ったりするんだけど、全然いやらしくないのだ。
そうえいば彼女の出世作、『小さな泥棒』でもシャルロットは
学校帰りに下着をまんまと万引きする場面があるんだけど、
あまりにあっけらかんとして万引きするんで見ているほうも
そういうもんなんだ、と妙に納得してしまったっけ。
そう、不思議な説得力のある演技なのだ。

(ミュージカルの)バグダッドカフェを観にいく

2006-10-29 18:07:50 | パリ右岸
今日はサラっと書きます。

ギャラリー・ラファイエットの裏、モガドール劇場で上演中の
ミュージカル版「バグダッカフェ」を観に行く。

あまり気持ちが乗らず、舞台にも集中できず楽しめなかった。
なぜだろうか?

映画のイメージが強すぎて、舞台に登場する役者と映画のそれの
ギャップが気になった。
映画は「静」のイメージで、音楽にしても台詞にしてもすべてが
静かに心地よく流れていくのだが、ミュージカル版では
台詞も歌もうるさく、耳障りに思えた。

舞台背景の砂漠もなんだか空しい。舞台の限界なんだろうが。

映画の中で一番好きな、ブーメランを投げると一瞬宙の中に消えて
グルグル回りながらまた手元に戻ってくる場面。

あれは他者との差異を超えて橋を架けたり、また、自分のルーツを
求めてまたもとの場所に帰ってくることを象徴的に示しているのだという。

ブレンダの息子がいつも引いているバッハ。あれはジャスミンのやってきた
ドイツの作曲家なんだよな。ロサンジェルスの砂漠でバッハにまた出会うとは。

隣のフランス人カップルは「演出もいいし、すばらしい舞台」と感想を
もらしていたが、僕はあまり感心できなかったなあ。
バッハがバッハに聞こえなかったし。

あまりサラッとならなかったなあ。


ダンフェールその2

2006-10-28 06:57:57 | パリ左岸
会社の女性職員から演劇を誘われるけど、簡単に断る。
あまり気が進まない出し物だったし、他人と演劇見に行くのもなあ。
最近、人の誘いを断る事が非常に多い。断らないときのほうが稀。
社交性ないよな、というか気を使うのがいやなのだ。
誘ってくるほうが多かれ少なかれ僕に好意的な感情があるから
誘うんだろうから、大事にしなくちゃいけないとは思うのだが。

水曜のダンフェール・ロシュローの駅の写真がまた出てきたので
貼っときます。夕暮れ、茜色、電光掲示板、通勤客の群れ。

翻訳なんて

2006-10-27 06:16:52 | フランス語
僕は翻訳家でもないし、通訳でもないし、仕事のうえで
仕方なくその真似事をやることがたまにあるが、基本的な訓練を
受けているわけでもないし、真剣に取り組んでいるわけでもないので
たいてい失敗に終わる。もともと適性も才能もないし。

来月、日本の漫画についてフランス人にフランス語で説明しないと
いけない機会がありフランス語の資料をたくさん与えられたのだが
なんだか読んでいるだけでげんなりしてしまった。日本の漫画なんて
よく知っているし、慣れ親しんだテーマなんだがそれを果たして
フランス語で説明するとき、たとえば手塚治虫の「鉄腕アトム」を
説明したくてもそれをフランス語言うと何になるのか?
(astro, le petit robotと言うらしい)とかいろいろ考え出したら
知らないことだらけだし、どうも居心地が悪いのだ。

翻訳者というのはバイリンガルである必要はない、と思うのだが
ひとつひとつの単語のその向こうにある意味の重さを考えると
僕なんてとても翻訳なんてできそうにない、なんて思ってしまう。
例えばフランス来る前、bizarreという単語は「奇妙な、おかしな」という
意味でしか認識していなかったけど、こっちでun type bizarreというと
本当に、「変わっていて手のつけられない人間」となんか救いようのない
人間というニュアンスに変わる。日本語の「変な人」ってなんか
変わってるけど憎みきれないやつ、なんてニュアンスがあるけど
それとは全然違うのだ。そういうこと考え出すと翻訳なんて
できなくなっちゃうんだよな。

ダンフェールの夕暮れ

2006-10-26 06:02:59 | パリ左岸
秋も深まる夕暮れ、あと数日で冬時間に。
夜7時ごろダンフェールロシュローの駅のホームで
電車を待っていたら、頭上の夕焼け空があまりにも
美しかったので一枚とってしまった。この時期
パリはあちこちに枯葉が舞い散り始めて非常に美しい。
セーヌ河岸やチュイルリー公園。街が秋色に染まる。
ジャック・プレヴェールですな、枯葉なんて。
といっても仕事に忙殺されて悠長に街歩きなんてできないっつーの。

セネガルから来た人

2006-10-25 05:31:00 | パリ左岸
セネガルの首都、ダカール在住の日本人と今日
なんかの機会に話すことがあった。
知らない人と話すのはなんだか楽しい。
かつその人が自分のまったく知らない国、知らない街で
生活しているならなおさらだ。

セネガルの暮らしのことなんか話す。
聞いても聞いても全然イメージが沸かない。
想像力が枯渇しているのか、いつかテレビで見た
砂埃が待っている街角しか頭に浮かばないのだ。
どっちにしても断片に過ぎない。実際に行って空気吸わないと
何も分からないんだろうな。

地中海の感傷~ユーミンたる所以

2006-10-24 05:35:23 | 音楽(種さん以外)
最近、ユーミンのかつての名曲「地中海の感傷」(アルバム『紅雀』)
を聞いたのだがこれがものすごくよい。高校生の頃聞いたときには
よく分からなかった心の機微の世界が無茶苦茶手に取るように分かる。
しかもこんな世界を描いてしまうユーミンに脱帽だ。

スペインの光と影で表現される陰影の強い世界ではなく、
どこか冬の初めのくぐもった空の下。得体のしれない感情を抱いて
得体の知れない街を彷徨する人間。そんな世界が突き刺さるような
言葉でばさっばさっと表現されている。

Barcelona,Barcelona
沖は白くあたたかな霧が降ってた
週末へ急ぐように
島をめぐる夜の船 うるんで消えた

Barcelona・・・そのあとの住所も知らず
たどった坂の街は 輝く蜘蛛の糸
あの時胸焦がした 絵葉書それは
ただ一度送られた 心のしるし

束の間の表情としぐさのかけら
まぶたの闇の中を ひとときよぎる

失くしても失くしても
たたみ込んで波音が面影運ぶ

Barcelona,Barcelona
塔の上も やわらかな霧が降ってた
気の長い人々が ふっとやりきれず
いつかしら はぐれた遠く 歩いて歩いて

植民地主義という言葉

2006-10-23 05:04:27 | フランス語
植民地主義とはいわゆるcolonialismeの訳だ。
六月に新しくできたケー・ブランリー美術館の市民大学では
植民地主義の世界史を考える市民講座をシリーズでやっていて
フランスから、ポルトガル、スペイン、イタリア、ロシア
オットーマン帝国からなんと日本の植民地主義まで取り上げる
壮大な講座を来年の春までやっているのだが、「植民地主義」
という言葉を出したとたん、アレルギー的反応をするフランス人が
僕の周りには多い。というか、5人ぐらいと話して、5人とも
「フランスが最悪なわけじゃない」とか、「最近の流行のテーマだ」
とか、険しい表情をしてあまり話をしようとしないのだ。

日本人の思うところの「植民地主義」は、自国の歴史と照らし合わせると
19世紀末から20世紀前半の、いわゆる短い期間に起こったことなのだが、
たとえばフランスやポルトガルの植民地主義は17世紀から延々と続き
かつ戦後も植民地の内戦、独立など辛酸をなめさせられた経緯がある。
つまり、「植民地主義」と一言で言っても言葉の重さ、
その背後にある言外の意味、集団意識が国民によって違うのかな、
などとぼんやり思った。

サミュエル・ベケットの芝居

2006-10-21 06:41:18 | パリ右岸
今晩は地下鉄LA CHAPELLE近くの
ブフェ・デュ・ノール劇場までサミュエル・ベケットの芝居、
fragmentsを見に行った。
あんまり良かったんで、逆に何も書くことがない。
フランスの演劇は質が高いなあ、とかベケットは本当に
言語とか音というものに敏感だったんだなあ、とかそんなことぐらい。
いい演劇は下手な感想を拒絶するんだなあ。


パッサージュ・デ・パノラマ

2006-10-20 05:23:25 | パリ右岸
普段は平日は外に出ずにオフィスで仕事付け。
仕事が終わって街にでるともうどっぷり日が暮れていて
街角の風景なんて撮れたもんじゃないんだが、
雑誌で9区のパッサージュ・デ・パノラマに関する
コメントがあったんで記しておく。数あるパッサージュの
中でもこのパッサージュはなかなか庶民的で、でも
味があって僕も好きなパッサージュの一つだ。
グランブールバールにも近いし。切手屋が多いのが特徴かな。

j'aime ces petites galeries qui partent du faubourg
Montmartre.Pour les vieilles estampes, les affiches
passées, les bouquins poussiéreux, et les cartes postales datées.

モンマルトル通りから続くあの小さな商店の数々がとても好きだ。
そこでは古い版画、昔のポスター、誇りっぽい古本、
そして年代ものの絵葉書を売っている。

鉄道線路脇の風景、午後20時

2006-10-19 06:03:54 | パリ郊外
帰り道の風景。仕事帰りでちょっとぐったり。
やっぱ人生にはバカンスが必要だよな。

仕事でフランス人の日本語の先生と電話で話す。
アグレガシオンも持っている非常に優秀な、高度な日本語力
を駆使する人なんだけど、授業が6時間詰まっている
日が一週間に一日あって、その日はクタクタで
夜なんか電話で日本語話されても日本語が出てこないそうだ。
あんな優秀なのに、やっぱ外国語なんだ、彼女にとって日本語って。
俺なんか、疲れてなくてもフランス語出てこないことあるよ。

西の京都

2006-10-18 04:29:21 | 福岡
というか福岡とは関係ないのだが、山口市に住んでいる
高校時代の同級生から転居のお知らせはがきが着いた。フランスまで。
ありがたいことだ。

山口市には住んだこともないし、縁もゆかりもないのだが
高校のころ家族でドライブに行ったことがある。あのときは
維新公園なんかを回ってファミリーレストラン(サンデーズサンという
地元でしか有名でないチェーン)でピザを食べたっけ。
そのあと20代のころ福岡の実家からバイクで出かけたことがある。
そのときは山口市は通り道だっただけで、何をやったかまったく覚えてない。
そしてフランスに赴任する前にまた、この高校の友人を頼って
山口市に行ったっけ。なんか繁華街が湯田温泉という温泉街ということ
にもびっくりしたが、それを除けば居酒屋で友人と飲んだことしか覚えてない。
と僕の記憶力が悪いのか、覚えてないことだらけなのだ。

ひょんなことから偶然最近、東京の別の友人から山口市に関する
メールをもらった。美術品の価値は時代によって変わる、という
テーマのシンポジウムに出席した感想を書いていたのだが、
たとえば明治維新の立役者の銅像は時代とともに価値が下がっていって
今でもおおっぴらに立てられているのは山口の維新公園ぐらいだ、とか
そんな内容だった。旧共産圏のレーニン像みたいだな。

ベン・ハーパー、インタビュー

2006-10-17 05:53:50 | 音楽(種さん以外)
実は僕はBEN HARPERというのはちゃんと
聞いたことはないのだが、誰も彼もがベン・ハーパー、と
騒ぐので名前ぐらいは知っていた。ソウルな感じの兄ちゃんかな、と。

最近彼は、both sides of the gunという二枚組みの
新しいアルバムを出したらしい。地下鉄の中で無料で配られる
新聞にインタビューが載っていた。
ちょっと印象深かったので記しておく。

(南北戦争時の革命家、ハリエット・タブマン
についての映画の仕事をしたことについて)
「この仕事を僕はすぐに引き受けたんだ。なぜって、僕は
いつも仕事に意義を見つけたいと思っているから。それに
この女性については学校で聞いたことがあったし。」

どのようにあなたは曲を創作していくのですか?
「僕はいつも、どこでも曲を描いているよ。いつもボールペンを
持って、何かノートをしているし。描くことは僕にとっては、
血みたいなもんさ」

どのように未来を考えてますか?
「僕にはたくさんの未来への道がある。でも、ときどき偶然、
思いもよらないような道に出くわすことだってある」

JE CHERCHE TOUJOURS UN SENS A MES PRROJETS.
仕事に意味を見出すことって、いや意味のある仕事を見つけ出す
ことって難しいよなあ、とつくづく思う。
って思ったって何も前には進まないんだが。


頭を冷やして

2006-10-15 19:04:59 | フランス語
金沢の鏡花ゆかりの川は浅野川でした。友達から指摘が。
ほんと、記憶力っていい加減ですな。

週刊誌を読んでいたらフランスを代表する美人女優
エマニュエル・ベアールのインタビューが掲載されていた。
彼女が仕事に関して次のようなことを言っていた。

le métier, c'est 98% de concentration, 2% de talent.
仕事の98パーセントは集中力、残りの2パーセントは才能でなされる。

本当にそうだと思う。たいていの仕事は集中力で解決されるのだ。
面談録を作る、という仕事がある。フランス人とのフランス語での
面談を日本語になおし、レジュメを作るのだ。
あとフランス語のビジネスレターを作る、という仕事もある。
これは最初からフランス語で展開させていく。
どれも集中すればものの1時間ぐらいでできるはず・・・なんだが。
才能の問題か・・・。ルーティンだけで手一杯だからか。