日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

丸の内界隈と雨

2009-09-29 23:50:33 | 東京
出張前でクソ忙しいのだが丸の内界隈で昔の同僚との
飲み会があったのでイソイソと出かけていく。1ヶ月以上前から
決まっていた日時の飲み会なのでいきなりドタキャンも
人間性を疑われるかも、と思い。

で、行ってみたのだが店の名前と地図をプリントアウト
していかなかったので案の定迷ってしまう。以前行った事のある店で
ビルの二階にあるスペイン料理、ということは覚えていたんだが、
恐ろしいことに丸の内界隈似たようなビルばっかり。
結局しらみつぶしにビルを見て周り30分後ぐらいにようやくたどり着く。
効率悪すぎ・・・。

昔高校生の頃、九州にいたのだが神奈川県の大学生のイトコが
遊びに来たとき、「丸の内で働きたい」みたいな話をしていたのを
思い出した。会社の名前じゃなくて、町の名前じゃん、それ、
と当時は思ったのだが、今思えば丸の内にあるような日本の有名企業
で働きたい、ってことだったんだな。

家に戻ってきて、窓を開ける。外は夜だが、雨が降っているのが分かる。
僕のアパートの前の空き地に茂っている木めがけて降っては、
木の葉と擦れあう雨音が静かに響いてきて、いい感じなのだ。


作る喜び

2009-09-27 20:14:48 | 自分について
周りの人間は皆知っているが、僕はかなり不器用だ。
性格も不器用なんだが、手先なんて全然ダメで、箸なんかも
まともにもてない。これでよく大人になったなあ、と我ながら
感心してしまう。

そんな僕だが最近自炊に凝っている。元はといえば外食ばかりだと
栄養が偏るし、実際偏ってたんだけど、何よりも野菜が
食べたくなったからだ。あと自炊しているといい気分転換になるしな。

とはいえ、僕の場合かなり不器用なので料理もまともなものが
できず、すぐ犬のえさみたいなのができあがってしまう。
まあ、それでもおいしけりゃいいだんだが。

フランスの友達

2009-09-23 21:16:47 | フランス
シルバーウィークの最終日、午前中に大学院の授業のための
発表レジュメを頭をひねりながら書いていたら実家から電話がかかってきた。
母親からで、この連休中に長崎にドライブして僕へのお土産にびわゼリーを買ったが
郵便で僕のところに送って、郵便受けにびわゼリーの箱が入るかどうか、
とかそんなどうでもいいことだった。びわゼリーは好きなんだけどね。

午後から職場に行ってメールをチェックするとフランスで同僚だった
バレリーからメールが来ていた。彼女は事務所を今月一杯でやめて
あらたにパリに開く子供向けのアトリエ兼ギャラリーの仕事をメインに
するらしい。ギャラリーのプレスリリースなどが添付されている。
彼女が会社を辞めてしまうのは非常に残念だが、また新しい目標に
向かって踏み出したことは本当に喜ばしいことだ。
人生は転がり続けるしかないしね。

夕方知人と会う約束が予定が合わなかったり、タイミングがずれたりして
結局会えなくなる。そのときのやり取りを見ながら、僕はバレリーのことを
思い出す。世の中に、いたわりとか心配りとかなければどんなに楽か。
人間の素の部分だけで付き合えるから。バレリーみたいに見境なく
怒ったり、怒鳴ったり、わめきちらしたり、でも何の屈託もなく
あくる日は何もなかったように笑ったりできる人間が好きだ。
作り笑いまでして人間関係を保持しようとするのは哀れだ。

ピーターキャメロンの新作

2009-09-22 23:06:58 | 読書生活
来週の集中講義で発表することになっているため、今日は
連休中だけど出かけもせずに、家でレポートを書く。紛争地域の
NGOの活動について調べていたのだが、自分が持っている本では
対応できないことが分かる。でも、今から本買ってたら今度の
発表に間に合わないっす。ということである文献でなんとか書いていく。
うう、こうやってレポートの内容が薄くなっていくのか。

とそれはそうと、最近ピーターキャメロンの最新作を
アマゾンで購入して読んでいる。

someday this pain will be useful to you
いつの日かこの痛みはあなたにとって役に立つだろう

というタイトルの本なんだが、18歳の大学進学を目前にした
ニューヨークの少年の話だ。キャメロンが人間嫌いの、将来に対して
漠然とした不安を持っていて、それゆえに途方もない夢を持って
(カンザスに家を買って、ポーチに座ってぼんやりシェイクスピアの
本を読みふけりたい、とか)それを一生懸命
周りの人間に話して聞かせる少年の姿を描写している。

そのときにはまったく価値の分からないことというのは
若い頃にはたくさんあるはずだ。大学に行ってなんになるんだろう、
母親はどうしてこんなことで怒るんだろう、とか。
そんなのことをたくさん思い出してしまった。

    *    *    *

三度目の結婚に早々と失敗して、離婚してきたママに
僕は尋ねる。「どうしてあいつと結婚したんだい?」
ママは答えない。ママはただ窓の外を見ている、いやそうじゃなくて
ただ窓に映った自分の顔を見ていただけなのかもしれない、僕には
よく分からないけれど。ほんの少しの間、僕はそんな質問を実際に
したわけじゃなくて、たぶん、心の中で考えてみただけだったのかも
と思った。
でもそのとき、突然ママは軽く、頭を振った。まるで何か
考えをクリアにするみたいに。彼女はまだ暗い窓を見ている。
そして言った、「だって孤独だったから」


今日も集中講義

2009-09-21 09:02:00 | 自分について
連休中なんだか今日も集中講義を受けに行く。
今日は開発援助の話の続きと、紛争地域の平和構築など。
理論的なところ(実はこっちのほうが好きなんだが)と
実際の例など示しながら朝11時から午後6時まで延々と講義が続く。
コソボとかマケドニアとか東チモールとかカンボジアとか
いろいろ話を聞いているうちに、先週町工場がどうとか
倉庫街に行って新鮮だったみたいなことを考えていた自分が
ますます青く思えてきた。授業の最後でアフガニスタンの
スライドなど見る。実際に教授がカンダハルに行ったときに写真だ。
援助でできた道路、学校など。当時まだカンダハルには外国人が行けた時代。
草木一つ生えていない、砂嵐の中の荒野を父親に手を引かれて
10歳ぐらいの女の子がロバと一緒に歩いている写真があった。
決してぼろぼろの服を着ているわけではない、と先生が言っていたが
確かに、美しい色彩の民族衣装を着ている。
ふとこの女の子とお父さんはマイケル・ジャクソンが
死んだことも知らないのかな、などと思った。
いや、でも別の写真では街角でコカコーラが売られていたから
そんなことないか。
まあ、とにかくいろいろなことを考えながら写真を見ていたので
非常に疲れてしまった。でも、「世界の見方を勉強する」なんてよく言うが、
全部の世界を見ることなんて不可能だし、各人の世界観を理解すること
だって至難のわざだ。カンダハルは遠すぎるからそこの人々の世界観は分からない、と言っても、じゃあ、同じ日本人だからといって、平和島で会った
人々の価値観を僕が理解しているかと言ったらそれだって怪しいもんだ。
それでは僕が何をやっているかというと、偏狭な僕の世界の見方を
少しでも広げるために人に会ったり、本を読んだり、
考えたりしているということか。


連休は講義

2009-09-20 07:41:05 | 東京
連休中は大学院の集中講義があるというので大学に行って
聴講してきた。ずっと夏休みで講義に出るという習慣から
遠ざかっていたので、講義内容というより座って
先生の話を聞くという態勢が苦痛で・・・。
朝の11時から昼休みを通じて夕方5時半まで
ずっと講義を聴いていた。しかも、ちょっと遅れていったので
空いている席が一番前の席しかなく、最前列・・・。

内容は国際機構論に関する内容で、援助とか開発とか
そういう関係の基礎的なことだった。

なんか頭が疲れて、うちに戻って何もする気になれず
翌日の予習もせず、DVDなど見る。最近買った「21グラム」
という映画。シャルロット・ゲンズブールが出てるんだよね。

東京湾岸界隈

2009-09-19 07:36:31 | 東京
今日はモノレールで流通センターまで行き、
平和島の倉庫街に行って仕事の話をしに行く。
今週は東京の東から西から、南からといろいろ移動が
多い一週間だ。普段行かないような場所ばかりで
自分としては見たこともない風景にあえて嬉しいのだが
デスクワークがおろそかになってしまい仕事が
たまっているのだが・・・。

平和島は埋め立てられた平らな土地に、大型の物流倉庫が並ぶ。
住宅など一軒もなくて、搬入・搬出のトラックがひっきりなしに
道路を行きかう、工業地帯という感じ。
仕事の後、暮れ始めた空の下、とぼとぼと平和島をモノレールの駅まで歩く。
ふとこういう人工的な、木々もない場所はどうやって今が
秋なんだか、夏なんだか、そういう季節感を感じるんだろか、
なんて思った。

.

複雑なキモチ

2009-09-17 22:49:16 | 自分について
今日も仕事の関係で下町の町工場を何件か回った。
町工場には独特の雰囲気が流れていて、手に職を持った
技術者が黙々と働いているのがよく分かる。

職場に戻ると同僚が作った新しい企画書が書かれていた。
でもなんだかそうやって外の世界を見た後では、
虚しく字面だけ小難しく踊っている文章にしか読めないのだった。
誰に分かってもらおうとしてこんな単語を使っているんだろうか?
そんなんじゃ何にも伝わらないよ、と思ったが別に僕は
その同僚の上司でもなんでもないので何もコメントせず。

日曜の夜に大酒飲んだせいでずっと禁酒していたら
目がくぼんできた。ああ、僕の目はいつもアルコールのせいで
なんか瞼が脹れてたんだなあ、などと納得。そういえば僕の父は
若い頃、鹿児島の人間にありがちだが無茶苦茶奥目で彫が深かった。
禁酒は小休止で、今晩は黒ビールなど軽く飲む。

実は複雑な気持ちがまだ続いている。僕は仕事にあまり実感が
もてないんじゃないか。他人を喜ばすとか、他人に誉めてもらうことを
目的とする仕事なんてむなしい。自分の手でどうやって仕事をするか。

本を読んでいたら、次のような文章があった。

地雷で手を失ったカンボジアのブンタ氏(36歳)
多くの仲間が戦争に借り出され目の前で死んだ。そのトラウマのせいか
精神的な障害を持ち、歩いていても意識を失うこともあるという。
20アールの土地を持っているが十分な収穫が得られていない。
「将来の展望や夢は?」との質問に、「考えたこともない」とのこと。
目の前の生活を安定させることしか考えられない。

東京あちらこちら

2009-09-16 22:46:52 | 東京
今日は外勤日ということで朝から南阿佐ヶ谷にある
クライエントの仕事場に行く。

そのあと今度は東京の東、三ノ輪に移動、街角にある
小さな町工場に人に会いに行く。
町工場は住宅や商店や、学校、ショッピングセンターなど
なんでも混在している街角にあり、蒸せるような空気の中で
音を立てて機械が動いていた。町工場で働いている人は汗をかきながらも
黙々と仕事に励んでいる。

その後、備品を買うために地下鉄を有楽町で途中下車する。
ちょうど街角で新首相誕生の号外を配っていた。一部もらって新閣僚の
写真をじっと眺める。

有楽町のガードの近くを通ったとき、人が並んでいる光景を目にする。
なんだろうと思うと、列の先に靴磨きを職業としているおじさんが3名ぐらい
並んでいた。僕は靴磨きというのは、10代のころ、福岡の天神駅でそれが
行われているのを見て以来、全然見たことがなかったのでそういう職業が
まだ残っていることすら考えもしなかった。

いろいろ見た後、妙に照明だけ明るい自分の職場に戻り、
パソコンの画面だけ一日中眺めるような仕事をしている自分をちょっと
考えてなんだか複雑な気持ちになった。





日本橋界隈

2009-09-13 21:17:09 | 東京
午前中に実家に電話をしたのだが、ちょうど
姉と甥が実家にいて、食事中だったらしく、父親が
「今、●●君(僕の甥の名前)が一生懸命ご飯を食べてるところ」
と嬉しそうに言っていた。僕の甥は今、小学校1年生で実家の近くに
住んでいるのだが週末の度にこうして実家に行っているらしく
僕の親を喜ばしている。孫というのはどんなに可愛がっても
可愛がり足りないものらしく、僕の親は愛情をいっぱい注いで孫を可愛がっている。

午後から読書するのも厭きて、日本橋に行ってみる。
日本橋にストリートアートの典型例のような壁画があるとネットで見たので
見ようと思ったのだ。でも地図を頭に叩き込んでこなかったせいで
日本橋にはついたもののどこにあるかよく分からず結局見つけられない。
仕方ないので日本橋のデパートに入り服など物色する。
衝動買いでバナナ・リパブリックのジャケットを買ってしまう。
商品が「買ってください!」と言っているようで、つい。
カーディガンも買おうと思ったが、それはさすがにやめておく。
ギャップより値段が2割以上高いぜ。

写真は高速道路の下に甘んじた日本橋。いいのか、こんな日陰で。
江戸随一の賑わいはどこへ。

感情の種-珍しく自己嫌悪

2009-09-12 13:25:01 | 自分について
仕事上のストレスとかって僕の場合、もともとそういうもんだろう、
と最初から思っているので、あまりストレスをストレスと受け止めることもなく
割とサバサバやりすごしている(つもり)なんだが、
なんか今日は一日中仕事関係のトラブルでストレスフルな日になった。
しかも最後らへんが深夜近くまでの残業となって、体力がついていかない・・・。

思わず上司に「俺だけの責任じゃねえよ」とか、もしくは
「こんなんじゃやってられないよ」とぶちまけようと思ったが、
別に恋人同士じゃあるまいし、そんなココロの叫び訴えられてもなあ、
と思い返し結局黙って仕事をしてしまった。
あと、周りの割と仲のいい同僚にいろいろ愚痴ってスッキリしようかな、
とも思ったんだが、もともと仕事のことをそんな風に愚痴る習慣もないので
ちょっと唐突かも、と思いやめてしまった。

ということで結局感情は抑えたまま残業して、家に帰る。
こんな風になんやかんやいって、僕は感情を解放しないからダメなんだろうな、
などとちょっと自己嫌悪に陥ってしまったばい。

元の生活に戻って

2009-09-09 22:54:26 | 東京
短い旅が終わり、またいつものように福岡空港から飛行機に乗り
羽田に戻る。そして電車を乗りついて西荻窪の小さなアパートに戻る。
戻ってすぐに、実家の母親から短い手紙と、旅行中に撮った写真が届いた。
写真と言うものは時間を凝縮したもので、実は凍結した時間を
持ち運んでいることに他ならない、と誰かが書いていたがみんな
笑っている写真がたくさん送られてきた。
不自然な作り笑いじゃなくて、自然と湧き上がってくるような笑顔だった。
ホテルの宴会場、宇宙センター、鹿児島の船乗り場、
中種子町の日本一大きいソテツの前で撮った僕と父親の写真。
僕の腹がちょっと出ていてやばかった。

還って行く場所(8)

2009-09-08 05:52:10 | 日本
最終日は正午前のジェットフォイルに乗るために早々と
朝食を済ませチェックアウト。波止場近くのお土産屋で
何か買おうと思って品物を物色する。
実は、子供の頃に船に乗る前に姉と一緒に入っては、
星の砂とか貝殻の細工など売っているものを物色していた
「お土産センター」というお土産屋がまだ残っていて、
しかも中で売られているものが当時とあまり変わらない
ごちゃごちゃしたものであるのを目の当たりにして、胸が一杯になった。

ジェットフォイルに乗った後はすごい速さで時間が進む。
鹿児島の波止場に着いて、食事。そして駐車してあった車に乗り、
高速道路で一路、福岡に向かう。
八女あたりに着いたとき、車の中で小学校一年の甥が
「もう旅も終わりだね」みたいなことを言った。小学校1年とも
なるともうこんな気の利いたことを言うようになるんだなあ、と
僕は心の中で納得。そう、夏の終わりの短い旅は終わってしまったのだ。

写真のような海岸の風景がココロに残っている。
ココロに住み着いている風景の一つ。

還っていく場所(7)

2009-09-07 22:28:57 | 日本
種子島では、よくぼんやりしながら景色を眺めていた。
ふとしたときに目にした遠い海岸線や、車の窓から見えた
サトウキビ畑。ホテルの近くから見上げた高い、宵の初めの空、
船から見えた遠ざかっていく島影。

東京にいると毎日が目が回るほど慌しくて、立ち止まって
考えることも、景色を眺めることも忘れてしまう。
それに比べると少しだけ贅沢な時間が流れているんだなあ。
10分も20分も眺めていた、子供頃よく来た、
種子島の東海岸。


還っていく場所(6)

2009-09-06 10:30:26 | 日本
夕方ホテルに戻る。午後7時前。まだ空は暗くなっていない。
ホテルまで親戚のおばさんとおじさん、そして母親の従妹が
訪ねてきてくれた。総勢8人で宴会場の個室を借り切って宴会。
種子島産の焼酎を飲んだり、刺身や魚介類などを食べ談笑する。

途中で僕の母がカバンから何かを取り出しておばさんに見せていた。
なんだろうと思って近寄ってみると、今年の6月に亡くなった
おじさん(母の兄)の若い頃から最近までの写真を家で探してきて
小さなアルバムみたいにしたものだった。おじさんの
30代の頃の写真、種子島の古い家の前でおばあちゃんと写っている写真、
姉の結婚式に来たときの写真、そしてついこの間、医療施設で
入院しているときの写真まで入っていた。
母もおばさんも泣きそうな顔をしてじっと写真を見ていた。

僕はそれよりも、実家の二階の書棚を開けて、たくさんの
写真アルバムの中から一つ一つおじさんの写真を選び出して
アルバムに入れる作業をしている母親の姿を眼に浮かべて
なんだか泣きそうになった。