日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

冬は来ぬ

2009-11-30 22:39:27 | 西荻
「夏が来ぬ」というのは子供の頃から「夏は絹」のかけことばのような
気がしていたのだが、最近、種さんの「夏が来ぬ」のカバーを聞いて思ったのが
どうして、「夏が来ぬ」じゃないのだろうか?ということだ。
現代語に解釈するなら、「夏が来た」というのは違和感がないが、
「夏は来た」というのはちょっと不自然な気がする。

と、そんなことはどうでもいいのだが、エアコンが故障して
ブレーカーが上がってしまった。どうも漏電があるらしい。で、修理を
頼もうと思ったのだが、アパートの管理会社が分からない。あてずっぽうで
某有名不動産会社に電話すると、「そんな物件うちにはありません」と
言われる。仕方なく、不動産屋に電話すると、その某有名不動産の
ライバル会社を紹介される。僕の勘違いか。しかもそのライバル会社というか
大手なんだが、組織が大きすぎてたらいまわしにされる。2つの部署の
6人ぐらいの人と話した。最終的に今度はエアコンの業者から電話が
かかってきて、修理のアポも決めたのだが、30分後に業者から
また電話がかかってきて、業者が直接じゃなくて、オーナーさんが
依頼する業者からの修理になりますのでキャンセルさせてください、とのこと。
つーか、今度はオーナーも出てくるのか?と訳のわからない展開になった。

使えるような暖房器具のない我が家はエアコンがないとかなり
致命的なんだが。とほほ。

過渡期 periode de transition

2009-11-29 11:28:17 | 東京
フランス語はとくに意味ないっす。
先週大学院の授業で英語の論文のレジュメなどを発表したのだが
「直訳しすぎて意味が分からない」と教授に言われてしまったばい。
ああいう英語のレジュメって自分で何度も読み返していくうちに
自然な日本語なんだかどうだか分かんなくなってくるから
かなり曲者だよな・・・。しばし反省。

先週は同じ世代の同僚が弁護士になると言って会社をやめてしまった。
まあ彼は司法試験に受かっていたのでまったくゼロからの
出発と言うことではないが・・・。
昨日一緒にお茶した大学院の同級生【彼女も同じくらいの年代。
僕より少し若いが】も、交換留学制度にアプライして、合格し、
来年の秋から英国で勉強するらしい。優秀だなあ。
今後研究者になるのならそういうのも実績になるしね。

と周りはいろいろ新しいことにチャレンジして、新たな
人生の局面に乗り出しているが僕の場合ちょっと停滞気味。
パッとしないよなあ。といいつつ、論文をまたノロノロ読む。

赤坂見附界隈

2009-11-27 00:26:38 | 東京
古い知り合いと赤坂見附で飲み会。
久しぶり、というかほぼ1週間ぶりに酒を飲む。
最近禁酒生活を続けていたので。
赤坂見附はたまに行っていたのだが、こうして飲み会で
夜来るのは久しぶり。ポルトガルの郷土料理などを食って
最後は博多ラーメンでしめたっす。

ずーっと昔、東京に公務員試験を受けに来たとき
ホテルが見附の界隈で、夜、試験の前日、一人で
街に下りてきて夕飯を食べたことを思い出した。
あの頃は本当に、九州しか、というか博多のことしか
知らなかったなあ。

鍋とジャズ

2009-11-22 00:41:37 | 東京
子どもころは福岡に住んでいたので、そのせいかどうかよく分からないが
冬になると鍋物がよく食卓に並んだ。なかでも典型が
すき焼き(これは鍋じゃないか)と、湯豆腐と水炊き。野菜ばっかり
入っていてこれじゃ豆腐しか食べれないよ、と母親に不満を言ったものだ。
僕は子供の頃かなり偏食がひどく、野菜がほぼ食べれなかった。
ねぎとか、白菜とか、キャベツとか全部パス。そんなんでよく
大きくなったなあ、と我ながら感心。一人暮らしがもうかなり
長くなってしまったが、たまにあんなに嫌いだった鍋物など食べたい気もする。

昼に実家に電話してみる。小学校一年の甥とちょっと喋る。
図工の時間に描いた絵がよかったらしく、銅賞をもらい
蛍光ペンをもらったらしい。
「絵を描くのがうまいんだね」と言うと、「まぐれでたまたま
運がよかだっただけ」などと生意気なことを言っていた。

夜は湯島とか日暮里とか方面のジャズクラブになぜか行く。
知り合いが友人が演奏するから、と話していたので面白そうだったので
なんかついていったのだ。行ってみたら
ジャズはトリオでミュージシャンは3人しかいないのに
お客は4人だった。こりゃ、途中で帰れないよ、なんか。
セロニアス・モンクの曲を演奏していて、なんか懐かしかった。

肩透かしの夜

2009-11-19 23:33:55 | 東京
今日はホントは飲み会があって、代々木のスペインバルに行く予定だった。
結構自分も楽しみにしていて、禁酒したり、小綺麗な格好して
事務所に行ったりしたのだが、土壇場でキャンセル。
ドタキャンってやつですか。
落胆して西荻に戻ってくる。
こんなときは自分のどこが悪いんだよ、なんて卑屈な気持ちになってしまう。
ほんとは、なんでもないんだけどね。
代々木の南にあるスペインバル、タラやチョリソー、
イベリコ豚とかスペイン風オムレツとかいろいろ想像しながら
自宅で自分ひとりでスペインワインを飲む。
かなり一人上手。

沈黙は罪なんだろうな

2009-11-17 23:43:38 | 自分について
人間関係というほどのことでもないが、今日はもうすぐ
会社をやめる若い女性社員とお茶をする機会があったので
いろいろ話をした。将来の不安などを話していたので、
一応一生懸命励ましたり、勇気が出るようなことを言ったりした。
実はどれも自分が昔先輩に言われて勇気付けられたことばかり
だったので、全然オリジナリティーがなかったのだが。
しかし、昔は自分が周りの人に「自信持て」とかって
檄を飛ばされる役だったのに、今はこうやって他人の肩を押している。
歳をとるということはなんか感無量だ。

沈黙は罪である。といったのはキング牧師だ。
暴力の影に潜む、善良な市民の無関心と沈黙は結局は
暴力に加担していることに他ならない。
大学の関係で英国のオクスファムのことなんかを調べていたら
出てきた言葉だ。僕ももっと広い世界に出て行きたいものだ。

新宿界隈を歩く

2009-11-16 22:54:15 | 東京
自宅から一番近い都会は新宿だ。池袋でもなく、渋谷でもない。
中央線を乗った先にある町。あまりにひどい人ごみなんで
かなり苦手な街でもあるのだが、平日の夜は週末ほど込んでないので
少し余裕で街を歩くことができる。
今日は、会社帰りに新宿三丁目にできたH&Mにセーターを買いに行った。
単価が安いので、二枚目のセーターとかネクタイなどいろいろ
買ってレジに持っていくと「合計1万3000円」とか言われ少し引く。
ま、いっかたまには。そんなに服とか買わないし。

子供の頃の体験

2009-11-12 22:42:51 | 自分について
今日は仕事で外に出ていのだが、外で会った仕事の関係の
人が妙に不自然な動作をしているのが印象に残った。
なんか言葉も動きもぎこちないのだ。

それで思い出したのだが、僕は子供の頃親の転勤で
よく転校していた。小学校、中学校果ては高校も転校していたくらいだ。
とは言っても田舎にずっと住んでいたのでなかなか
大都市に住む経験はなかったんだけれど。
それでも子供でも転校というのは大きな経験だ。
全然違う文化圏、全然違う風習の街に越していくのだから。
僕の場合西日本をあちこち転校していたのだが、やはりそれでも
あちこちでギャップを感じた。
そんな中で子供なりに感じたことがある。これは処世術の鉄則だと思うが、
「どんな場所に行っても、前いた場所のことは誉めるな」ということだ。

実は福岡から鹿児島に子供の頃転校したことがあった、(今は違うが)
あまりに田舎だったので子供心にがっかりしたことがある。
福岡にいたときはテレビが6チャンネルぐらい見れたのに
鹿児島にいったらいきなりチャンネル数が減ってしまったのだ。
そういうささいなことなんだが、子供にとっては大事件だった。
でも親も鹿児島出身なんで、あまり不平を言えなかったが。
「福岡に比べると鹿児島は発達していない」みたいなことを
小学校でうっかり言ってしまってクラスから総スカンを食ってしまった
ことがある。それ以来、警戒してあまり不満を言わないようになってしまった。
情けないような、悲しいような思い出なんだけど。


猫の目

2009-11-10 23:34:11 | 東京
今日は用事があって千駄ヶ谷方面に行っていた。
用事を済ませ夜10時過ぎ、駅のホームで電車を待っていたら
黒猫がノロノロ線路の脇を歩いているのが目に入った。
線路脇と言っても駅の敷地内だ。レールのすぐ横。
千駄ヶ谷の駅周辺は(千駄木じゃなくて、千駄ヶ谷です)
なぜか野良猫が多くて、駐車場とかに野良猫集団がたむろしているのを
何度か見かけたことがあるのを思い出した。
しかし、線路の中まで入ってくるとは。ここも立派な
猫の生活道路なんだなあ、などと妙に納得。
そのうち猫は猫だけが知っていて、猫だけが通れるような
秘密の抜け穴に入り込んでしまい、姿が見えなくなった。
そして総武線の三鷹行き電車がホームに滑り込む。
僕は普通に電車に乗り込み、何もなかったように猫のコロニーから離れる。
猫は今夜の雨をどう思っただろうか。

日常の生活で忘れていくこと

2009-11-08 00:15:07 | 読書生活
今日は夜の飲み会もキャンセルになったためかなり暇になった。
ぼんやり本など読んでいたのだが、胸につっかかるような
一節があったので、忘れないように書いておく。

    *     *     *
アムネスティの運動は、1961年にピーター・ベネンソンという英国の弁護士
が開始した。

ベネンソンの理念は、当時軍政下のポルトガルで学生2人が逮捕
されたという新聞記事を目にして、彼自身が考えたことがベースになっている。
彼が何を考えたかというと、まず「とんでもないことが起きている」と感じた。
学生2人がカフェで「自由のために」と乾杯しただけで捕まってしまうとは、
由々しきことである。

もう一つは、彼自身こうした見逃しがちな小さな新聞記事を読んで奇異に
思わなかったというショックがあった。日常生活をしてゆく中で
このようなひどい話はよくニュースで見かけることである。朝のニュースで
こうした事件を見かけたときに多くの人々は「ひどい事件もあるな」と感じるが、
昼ごろにはもう忘れてしまう。ニュースは山のようにあり、食事をしながら
もう次のニュースを追いかけている。そのことが彼自身にはショックだった。

ベネンソンとしてはこの「忘れてしまう」ことのショックをみんなと共有
したいと考えた。だから1961年5月に彼が投稿した新聞記事のタイトルは
「忘れられた囚人たち」だった。人々に忘れられようとしている社会的な死、
つまり社会的に殺されてしまう人々を思い出そう、これがアムネスティという
運動の原点である

          ~「人権分野におけるアムネスティの取り組み」寺中誠

西荻駅のプラットフォームで

2009-11-04 23:28:31 | 西荻
一日中なんかバタバタとして過ごす。
夕方定時に出ようと思って早めに出社したが
なんやかんやあり、結局退社がずれ込む。
そのあと大学院に行ってEUの授業など受ける。
EUの北辺地域(北欧諸国)の地域同盟の動きなど。
面白いテーマなのだが、疲労で途中で説明を聞きながら
気が遠くなる。

授業は9時ごろ終わり、そのあとプールに泳ぎに行こうと
思うがなんだか疲労で泳ぐ気にもなれず、そのまま
中央線で西荻に戻る。
i-podでシンニード・オコーナーの
nothing compares to youを聞く。昔好きでよく聞いていた曲だ。
聞いていた頃の記憶がよみがえってくる。歌とは不思議なものだ。
あの頃の友達に会いたいなあ、と思った。
西荻のホームは寒々しい風が吹いていて、
駅前のマンガ喫茶のネオンも煌々と瞬いていて、
東京は苦手だなあ、なんて思わせるような風景だ。



ポルトガルの手紙

2009-11-03 21:21:04 | 読書生活
今日は文化の日だったので、ということもないが
東京都現代美術館までぶらりと行ってみた。ドイツの
レベッカ・ホルンと服飾の展覧会「ラグジュアリー」展の二つを鑑賞。
レベッカホルンの微妙な運動をする羽根とか、水面に落ちた文字とか、
どこを向いているか分からない銃口とか、なんかそういう
緊張感の弛緩感覚が良かった。作品に近づくと一瞬緊張するのだが、
何も起こらないのでちょっと引いて緊張が緩むのだ。

とそれはさておき、種さんがブログで書いていた「ポルトガル文」
という詩をネットで検索して読んで見た。
注意深く読もうと思ったのだが、最初の一行あたりで投げ出してしまった。
フランス語が難しかったというのが一番の理由だが、それに加えて
直接的な内容にちょっと引いてしまったのだ。感情のぶつかりあいとか
ああいうストレートな恋愛感情は苦手だな。
だから僕はいまだに独身なのかもしれないが。

la lettre portugaiseのリンクは↓

http://www.bacdefrancais.net/portugaises_texte.htm

家族考

2009-11-01 20:25:12 | 自分について
福岡の母親から手紙が来た。大した用事はなくて、近況報告だったんだが。
福岡の甥っ子が佐賀の三瀬どんぐり村に社会科見学に行ったとか、
熊本で父親の同窓会が開かれたとか、母親が菊の勉強会に行っているとか。
最後に、「家族の幸せだけをいつも願っています」と書かれてあった。
何が幸せなんだかよく分からないんだが、うちの家族はすごい心配性で
僕が海外出張に行く度に地元の神社に、僕が出張中に事件に
巻き込まれないように、とかそういうのをお祈りしに行くのだ。
家族じゃなくていいから、自分の幸せを考えてください、と言いたくなる
ような照れくさい手紙だ。