日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

記憶の中のピカルディー

2005-10-31 05:46:25 | フランス
アミアンの大聖堂。フランス最大のゴシック建築。
その他の教会と同じく、13世紀に建立されてから
戦争、大火で何度も破壊されては、修復を繰り返している。
今日でさえ、ファサードを修復している。
こうやって何度も大聖堂は時代に合わせて新しい顔を
持ちながら、人の心の拠りどころになり続けるんだろう。

重々しい外観とは裏腹に、大聖堂の内部はすっきりとしている。
ゴシック建築特有の真っ直ぐな柱と弓状の天井。
簡素なバラ窓、祭壇奥の燃えるような色のステンドグラス。

教会の中で椅子に腰を下ろし、高い天井などを見上げながら
しばし瞑想。パリの北駅からアミアンまでの車窓の風景は
まるで夢みたいだったなあ。
遠く、地平線まで刈入れの終わった畑が続いていて、
そこを時々、おじさんたちが横一列になって歩いているのが見えた。
狩猟をやっているようでもあったが。
ピカルディーはどこまでも真っ直ぐで、澄んだ空気だ。
この大地をもっと北へ進んでいくと、カレーやダンケルクと
いった国境の町、そして英仏海峡に出るんだよな。

全然関係ないがパリ郊外の治安悪化が最近とみに深刻。
週末は機動隊が出動する小競り合いもあったとか。
クリシー・ス・ボワっていう、北のほうの郊外なんだが。
そんなことを考えながら、北駅に戻ってみると駅の混雑が
尋常ではない。なんだ、なんだと思って進むと、駅のコンコースの
ちょうど中心部分、ユーロスターのチェックイン窓口あたり一角が
全面立ち入り禁止。数名の警官がものものしく徘徊している。
駅のアナウンスを聞くと、どうも不審物が発見されたとかで
処理が終わるまでその一角には入れないらしい。
待つこと、10分。突然、耳を劈くような爆音が響く。不審物爆破。
ああ、このことをみんな待っていたんだ。
爆音が響いたあとは立ち入り禁止のロープは程なく外され、
警官も旅行者も何もなかったように自分の場所に戻っていった。



限りなく官能的なダンス

2005-10-30 09:26:21 | パリ右岸
パリ市立劇場へ、イギリスの前衛的モダンダンスのバレエ団
DV8の公演、JUST FOR SHAWを観劇に行く。
DV8というのはdeviateと読む。フランス語だとdéviance
つまり性的逸脱性、とでも訳すんだろうか。常軌を逸したもの、とのニュアンス。

その名前に恥じることなく、限りなく前衛的な舞台。
1時間半の公演の中、あらゆるエッセンスが散りばめられていた。
ビデオアートとホノグラムを多用した演出、
クラッシクバレエからモダンバレエまでダンサーが次々へ
変幻自在に踊っていく。あるときにはまるでオペラ座のバレエのように。
あるときにはベーコンの画のように、歪んだポーズの連続のパフォーマンス。
消費社会への批判、「平和な家庭生活」への侮蔑、性愛への揶揄
暴力、性交、憂鬱、孤独・・・。
めまぐるしく舞台の上で繰り広げられる世界。

これが世界のレベルなんだなあ、などと感心。
最近日本のコンテンポラリーダンスを見る機会が
あったんだけど、DV8と比較するとはっきり言って全然・・・。
何もかもが中途半端だった。コミカルな場面も、官能的な場面も、
すべてがイマイチなのだ。やっぱ官能的なダンスは
官能的な人々がやらないとだめなんだろうな。

二日酔いとフランス語

2005-10-29 19:23:51 | パリ右岸
昨晩フランス人の友人がやってきた。
食事を食べる予定だったので、赤ワインを用意していた
のだが、友人も発泡性ワインを持参してきた。
で、結局二人で二本フルボトルを開けた。
その前にアペリティフでポルトとかパスティスとか
飲んでいたんで、最終的にひどい酔いが回ってしまった。

で、今日は二日酔いで朝からフラフラ。
あんな酒飲むんじゃなかったと後悔。最後らへん
全然覚えてないもんなあ。やば。

フランス語のこと聞こうといろいろ質問があったんだが
それも忘れてしまった。いやあ、こないだ小説読んでたら
「à une prochaine fois」という表現が出てきたんで、
普通に使われる「à la prochaine fois」とどう違うのか?
とかもしくは「 à une autre fois」みたいなニュアンスなのか?とか。

そういえば、「つまり」という意味のc'est-à-direという表現が
あるけれど、あれを多用して喋るのは結局自分の情報伝達力の
欠如をさらしているようなもんで、いかがなものか。




フツーだけはやめたい

2005-10-28 06:19:18 | 自分について
種さんの傑作アルバムLOCKED IN HEAVEN
の中の一曲、「あの頃アタシもカナコも」に
珠玉の歌詞が出てくる。

♪あの頃カナコの口癖
フツーだけはやめようねだった
カーテンで作ったスカートと
腕いっぱいブレスレットで出かけた

これこそ我が人生の座右の銘、
他人と変わらないような、フツーの人生だけはやめておこう、
なんて、10代の頃からずっと考えていたもんだ。
保守的価値観への追随、安易な順応主義なんて悲し過ぎるかも。
今日、少し年上の日本人の知り合いのおばさんと
昼食を取っていただけれど、彼女が言っていた。
「昔から、○○夫人、とタイトルがつくような大人には
絶対なりたくなかった」と。
つまり夫が銀行の頭取だったり、大使だったりして、
その夫人に成りすますような地位の女性にはなりたくなかったと。

彼女は結婚なんてつまらない価値観に縛られずにここ、
フランスで悠々と独身で暮らしている。自由に羽を伸ばして
暮らしているみたいだ。

日本にいるときもよく考えたけど、
いわゆる世間で一般的にいいと思われているものを
何も考えずに自分もいい、と盲目的に思うことほど愚かなことは
ないんだろうな、と思う。

例えば身近なあるおばさんが、日本で一番難しいと言われる
大学を卒業した息子のことを自慢していたのだけれど、
ハタで見ていてそんなこと自慢するなんてある意味
悲惨だと思った。だって、日本で一番いい大学がどこかなんて
フランスじゃ誰も知らないんだし。ちっぽけなプライドに
しがみついて生きていくっていうのかい、老いてなお。


アメリー・プーラン

2005-10-26 06:17:56 | パリ右岸
なんかだらだら仕事をして家に帰ってみると
FRANCE 2のゴールデンタイム、
つまり8時40分からの映画枠で「アメリ」をやっていた。
まだ初々しいオードレ・トトゥが新鮮だ。

実は以前、友達から「アメリ」のDVDを借りて
観たこともあり、今更何もコメントもないのだけれど、
久しぶりにテレビで見ると、やっぱりよく作りこまれた
映画なんだなあ、と感心してしまった。世間の甘ったるい
パリのイメージをそのままパロディー化して、ありえない
パリの街を再現、そしてありえないおとぎ話を構築して
いるんだが、すべてがパロディーに徹しているので、
例えば人生のほろ苦さとか、現実の厳しさとかに
全然映画の中で出会わなくたって、全然気にならないのだ。

出てくる界隈もモンマルトル周辺、東駅、サンマルタン大通り
など、いい具合にパリっぽさと生活臭が混ざったような街区。
リボリ通りとかシャンゼリゼなんてまず出てこない。

オードレ・トトゥーの人を食ったような表情と、
マシュー・カソヴィッツの風変わりさがいい味だしている。
まあ他の登場人物も一癖あるやつらばっかりなんだけど。
ちなみに、モンマルトルの八百屋のいじめられっこ役の
ジャメル・ブールズは超人気コメディアンなのだった。

ちょっと自己嫌悪

2005-10-25 07:10:56 | パリ左岸
先日、ジェラール・ド・パルマスと書いてしまったが、
よくよく知人に聞いてみると、彼の名は
GERALD DE PALMAS、ジェラールじゃなくて
ジェラルド・ド・パルマスだった。失敬。
しかし、ジェラルドなんて名前のやつ、知りあいにいないよなあ。

今日は仕事上の知り合いで日本のNPOで海外との
演劇交流をやっている人とお昼をいっしょにとる。
毎月のように日本と海外を行ったりきたりしている
エネルギッシュな女性。フランスの大学でも勉強して
フランス語はぺらぺら。何より、好きなことを
自分の技能を最大限に生かしてやっている、ということが
話していて伝わってくるのだ。
人間的な魅力も手伝って、たくさんの知人がフランスにもいるらしい。

快活な彼女を見て、ちと自己嫌悪。自分なんて日々雑用しか
してないし、本当日常に埋もれてる。相変らずパッとしないしね。
やってる仕事なんて別に興味ないし、言語には興味あるけど、
別にフランス語の研究やってるわけじゃないしね。
二十代のころ、「パッとしない」が口癖だったんだけど、
いまだにそんな状態に自分がいるとは・・・。ふがいないっす。

こんなとき種さんだったらどう言うんだろうかな?
「考えて出る結論はいつも最悪」なんて歌があったなあ。

買い物なんてくだらないが

2005-10-23 07:14:44 | パリ右岸
かなりずっと昔、日本人だけが集まる
パーティーに行ったことがある。行ったといっても
顔を出したぐらい。そこで出会った日本人の女性から言われた、
「シャトレ、って危ないですよね。絶対あんなところに
行ったらダメですよ」なんて。
言われる先から自問。シャトレに行かないならどこで買い物
しろと言うんだろうか? 15区のコメルス通り?
シャトレのどこが危ないのか? シャトレを避けたら
パリなんて買い物するところないぜよ。

長いこと服というものを買っていなかったので最近自分の
着ているものに飽き飽きしてきた。ということで街へ出る。
自慢じゃないが二年ぐらい行ったことのなかったギャラリー・ラファイェットに
行ってみる。二階にあるGASの売り場を覗いてみようと思ったのだ。
予想に反して非常に狭い、しかもGASと言いつつ全然
カッコいいベストなんて売っていない売り場だった。
どこにでもありそうなパーカーとかシャツしかないし。

しかしギャラリー・ラファイエットって異空間かも。
それぞれのショップの店員の兄ちゃんが異常にカッコよい着こなしを
しているのとは対照的に、客はみんなだらしないというかダサい。
中国系の観光客なんて、お前らこれからジョギングするのかよ、
というようなルーズパンツ履いてどうどうとトミーヒルフェガー
のショップ覗いている。ああ、ルーズパンツなんて履くような
人間にはなりたくねえ。高校時代の親友がよく履いてたっけ。

ということでデパートには買いそうなもんがないので、
やっぱりシャトレのフォーラム・デ・アールのブティックに行って
ジャケットやシャツやら買ってみる。セーターやパーカーも
買いたかったがそれらは次の週までのお預けか。

ジェラール・ドパルマスなどなど

2005-10-22 17:11:15 | 音楽(種さん以外)
先週スーパーでぶらぶら食料品を買っているとき
ジェラール・ドパルマ(GERALD DE PALMAS)
の『楽園へ(AU PARADIS)』という曲がかかっていた。
聴きやすいメロディーとアコースティックなアレンジが
なかなか良かったもんだから、本日FNACに行って
同曲が収録されているアルバムを購入。

彼はかなりのヒットメーカーらしく、よくテレビで
ビデオクリップが流れていた曲が他に2曲収録されていた。
歌詞は結構単純で、エチエンヌ・ダオーみたいに
ひねくりまわしていない。ストレートに動作と情景がすっと
入ってくる感じ。音楽は全編を通じてギターサウンドが心に地いい。

CDの中に入っていた歌詞ブックレットにドパルマスの
日常を綴るようなスナップショットの写真が何枚か掲載されている。
その中に、英国の大物歌手、ロバート・パーマーのアルバムジャケット
写真が! 懐かしい! 70年代のアルバムのようだが
(『DOUBLE FUN』のちょっと前のやつ)、一目で
パーマーと分かる、彼自身が芝生の上で女の子と語らっているジャケット。
思わず頭の中で、彼の大ヒット曲
「愛しき人々(EVERY KINDA PEOPLE)」
が流れてしまった。そんなパーマーももうこの世にいないんだよなあ。しんみり。

人生の道標

2005-10-21 05:53:07 | 自分について
今日は同僚のバンビに(のような目をした可愛いフランス人女性)
書類作成を頼み、別の同僚に届けてもらうという仕事があった。
後からバンビに会いに行って、
「頼んだ書類作って、○○さんに丁寧に渡してくれた?」
と尋ねると、彼女はニヤっと笑って、
「大丈夫、大丈夫。あの書類、○○さんの顔めがけて、投げつけてやったから」
(je les ai balancé sur sa figure)とフランス語で返された。
勇ましい娘だ。

アパートに戻ってネットを見ているとシンガーソングライターの
槇原敬之のコンサート記事が出ていた。はっきり言って
この人には興味ないのだが、年齢を見て絶句。僕と同じ歳だよ。
しかもニュースの中で「世界にひとつだけの花」という歌を
歌ったと書かれていたが、自慢じゃないがその歌聴いたことない。
スマップが歌ってヒットしたらしい、ことは知っているがその頃には
もうフランスに来ていたので、耳にする機会を逃してしまったのだ。

自分と同じくらいの年代の人のブログを読んでいたら、
人生の標語みたいなのが書かれていてまた絶句。
「嘘をつくやつと約束を守らないやつは絶対信用するな」とか
「よれよれのシャツや折り目のないズボンで相手に信用されると思うな」
とかすごい標語がたくさん出ていた。僕は自分では自分のこと
誠実な人間だと思っているが結構約束を破る。あとだらしない格好で
お客さんに会いに行ってよく相手に驚かれる。つーかそんなこと
どうでもいいと思っているのだ。などとその人の書いている
標語と反対な生活を送っているのだが・・・・。彼にとっては
僕は敵のような人間なのかも。つーか、そんな人生のべからず集なんて
考えてるから自分を追い詰めるんだよ!などと他人のブログに突っ込み。

散歩の時間~不思議の種本(2)

2005-10-19 05:01:32 | 種ともこ
種さんの著作、『いっしょに、ねっ』を読んでいて
気づいたことがある。種さんにとっての日常性、
ルーティーン、何気ない日常が彼女の創作にとって
いかに重要なことなのか。少女時代の追想の中で
彼女は次のように幼少の頃を記している。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
あまり友達ができなかったけれど、けっして
おとなしい子ではなく、男の子と遊ぶのが好きな勝気な子でした。
その頃読んだ本で、「イルカの夏」というお話があり、
エーゲ海の小島を舞台に貧しい少女とパーンやケンタロウスや
イルカや波のニンフが登場するもので、その幻の島が「ヒリア」
という名前だったので、私も真似て家の近所の雑木林や田んぼや
あぜ道に「○○砂漠」とか「△△ガ丘」とか名前をつけて、
その一帯をヒリアと読んで地図をつくり領土を区切って
遊んでいました。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

こうした日常を非日常に無意識のうちに変えてしまう技術、
子供はきっとみんなそういうものを持っているのだろうけど、
なんだか感心してしまう。自分も子供の頃、本当に今いる場所に
いたくなくて、よく「ここは○○の国なんだ」とかって自分に
言い聞かせて逃避していたっけ。

『いっしょに、ねっ』の中で散歩について触れたページがある。
種さんなりの散歩観と、本当にすばらしいエッセイのあと
種さんは次の言葉で文章を閉めている。種さんらしい一文。

だから散歩してみませんか。もしあなたが、普通のどこにでも
あるような事件に興味をお持ちだったら。もしよかったら。
今度は、いっしょに、ねっ。

不思議の種本(1)

2005-10-16 03:04:27 | 種ともこ
高校時代からの古い友人が、日本から
種ともこの最初の著作本「いっしょに、ねっ。~不思議の種本」
を送ってくれた。無茶苦茶うれしい。
大学生の頃、本屋で立ち読みして以来、買おう、買おう
とずっと思っていたのだが、いつまにか廃刊になってしまい
何年も探していたのだ。今回、アマゾンに中古が売りに出ていた。
インターネット万歳!

「いっしょに、ね」は種さんがデビュー間もない80年代中ごろに
出版した、本人の作のショートストーリーあり、短いバイオグラフィーあり、
エッセイあり、中森明夫との対談あり(時代を感じさせるぜえ)、
とバラエティに富んだ構成の傑作本である。種さんの世界観や
創作のルーツを探る上でも非常に重要な著作である。
実際、この本の中に出てくる考えやイメージやモチーフは
その後の種さんの歌の中で繰り返し現れたり、もしくは
焼き直しされて、次の次の著作、種さんの著作の中でも最高傑作と
して名高い「おおきなもの」の中で重複されたりしている。

種さん、中森明夫との対談の中でこんなヘンなこと言ってます。

中森:少女とおばあちゃんて似てない? 女の人って根のところで
   少女性と老婆性があると思うんだけど。
種: ふーん。そこはよくわかんないけど、例えばパンの耳を切ったやつを
   袋に詰めて、公園でハトにやったりして帰っていくのなんてのになりたい
   って思うけど、そんなところはもしかしたら女の子と同じところ
   かもね。
中森:そう、似てますね。
種 :結局ほら、しなきゃいけないって事が無くなっちゃうからかなあ。
   私ももともと、こうボーッとしているの好きなんですよ。

か・・・噛み合っているのか、この対談。しかも、パンの耳切ったやつって、
種さんらしいけど・・・。

今日は地下鉄に乗って

2005-10-14 05:51:59 | パリ左岸
仕事帰りに地下鉄のホームで電車を待っていたら、
たまたま同じ事務所の女の子がホームに立っていた。
バンビみたいなくりくりっとした目をした美人な彼女だ。
彼女の住んでいる場所と僕が行こうとしていた
場所が同じ方面だと知っていたので、声を
かけて乗車。以前に帰り道が一緒になったのは
バカンス前だったから、こうしてメトロに
一緒に乗るのは二ヶ月ぶりかも。

何話したら良いのか分からず、職場の話など
する。物事をバサ、バサっとはっきり言う
子なので、そこが好きなのだが、「あいつはいい」
とか「あいつは馬鹿」などいろいろ彼女は話していた。
ああ、こういうストレートなのがいいよな、やっぱ。

ところで、彼女と話していて、日本語で「地方」
にあたる言葉として、フランス語に「LA PROVINCE」
という単語があるのだが、僕の理解ではパリ、イルドフランス
以外の地域に対してはすべて「LA PROVINCE」と
呼んでいいと思っていたのだが、彼女はたとえばリヨンや
マルセイユみたいな大都市も「LA PROVINCE」と
呼んでいいんだろうか、なんてことを言っていた。確かに日本語でも
大阪を「地方」と呼ぶのはなんか語弊があるもんな。僕だけか?

夜家でテレビを見ていると西アフリカ諸国からモロッコに密入国し
そのあと更にフランスに密入国しようとする不法移民のルポルタージュ
をやっていた。税関や警察にワイロ渡して便宜を図ってもらったりするやつ。
そうえいば先週はモロッコの西部、というか旧スペイン領西サハラに
滞留している不法移民をモロッコ政府が無理やりピストン輸送して国境の
外に追いやる、という事件があったっけ。砂漠にバスで連れて行かれて
その場で置き去りにされる、というやつ。なんか何のために生きてんだか
分かんないような状況。

西鉄大牟田線

2005-10-12 05:57:30 | 福岡
夜テレビでベン・スティラー主演のコメディー映画
「MON BEAU FRERE ET MOI」を
やっていた。邦題はどういうのだろう? この映画
日本からフランスに向かう飛行機の中で5年前に見た覚えが。
ベン・スティラーが今ほど売れっ子じゃなく、まだ若々しかった
頃の映画かも。アンチ・ヒーローの代名詞。
極めて現代的なアメリカ映画のヒーロー。といいつつ
そんな好感がもてるわけでもないんだけどな。

僕の地元である福岡県の主要都市を結ぶ大動脈として
西鉄大牟田線というものがある。九州というか西日本一の
大繁華街天神を起点にし、乗れば、たいていの福岡県の
主要都市は通過することになる(もちろん福岡市以北の
北九州は除く)。

天神、筑紫野、久留米、柳川。
日本に住んでいたとき、東京から帰省するときはいつも
福岡空港から地下鉄に乗り天神まで行き、そこから
この私鉄に乗り継ぎ久留米まで行っていたっけ。
福岡、久留米間の車内は家族連れや、学生、ヤンキー、
公務員、会社員、主婦など本当にあらゆる種類の
人種で溢れていた。社会の縮図のように。僕は窓の外の
平野の風景をじっと見ながら久留米までの35分間を
ただただぼーと過ごしていたのだけれど。

もし僕が福岡県庁に合格して、地方公務員になっていたとしよう。
そうすればきっと、定年まで35年ぐらい毎日、博多と久留米の間を
この西鉄大牟田線で通勤していたはず。現状になんら疑問も
持たず、東京に行こうなんて気も起こらず、きっと
適当な相手を見つけては結婚し、久留米よりは少し地価の安い
小郡市なんかに家を買っていたのかもしれない。
なんて、全部想像のことなんだが。
しかも福岡県庁の試験には合格しなかったし。

北原白秋先生(2)

2005-10-11 04:58:40 | 種ともこ
種さんのオフィシャルホームページがアップデートされ、
なんと左上の種さんをクリックすると、あの北原白秋
先生の「砂山」が今度は1コーラスフルで聞けます。

http://www.tomokotane.com/

日本的というかワビサビというかあなわびし、というか
種さんの味のあるボーカルが堪能できます。

種さんの歌った「からたちの花」もそうだし、
オリジナルアルバム未収録の、ライブで聴いただけの
「朧月夜」もそうだったんだけれど、種さんはつくづく
「くずしがいのある曲を選んで、くずして歌うのが好き」
なんだと思う。いしだあゆみの往年のヒット曲、
「ブルーライトヨコハマ」も、崩しまくってカバー
してたしね。しかもくずし方が巧妙すぎて、元歌を
忘れてしまうほど。
ああ、自分もくずしたマナーの食べ方とかくずした
格好の服装とか好きっす。これはただ、だらしないだけだが。

あと「カナリヤ」の一部の曲が試聴できるようになりました。

http://www.recosell.com/pp/pp08.html

大聖堂と僕

2005-10-09 20:15:32 | フランス
澄んだ秋晴れの空を見ていたら
ふっとシャルトルまで大聖堂を見に行こうか、
なんて気持ちになった。ってなっただけで、
行かなかったんだが。シャルトルはイル・ド・フランスの
広大なボース平野の真っ只中に位置している。
以前シャルトルを訪れたとき、駅近くのバスターミナルに
「トランス・ボース」という会社の運営する、ボース平野
のあちこちを効率よく結ぶバスがたくさん並んでたっけ。
鉄道じゃ不便そうだもんな、ボース平野は。

大学生の頃よく読んでいたレイモンド・カーバーの短編に
「大聖堂」というのがあったことをふと思い出した。
レイモンド・カーバーの小説というのは、「アル中」だの
「浮気」だの「離婚」だの、「家族の断絶」だの、「ドラッグ中毒」
だのそういう自分にはあまり興味のないテーマばかりだったので、
読んでいて面白いとは思わなかったのだが、この短編だけは別だった。

うろ覚えなんだが、要はこういう話だったと思う。
妻が古くから知っている文通相手のおじいさんがひょっこり
我が家に訪ねてくる。僕は彼の訪問前からも、実際に我が家に
来てからも、彼に対する一種の居心地の悪さがぬぐえない。
しかも彼は盲目ときている。妻の不在時、彼と二人きりになった。
そのとき何気なく彼が僕に対して切り出してくる。
自分は盲目なんだが、一度でいいから大聖堂がどういうものなのか
知ってみたい。大聖堂がどういうものなのか、教えてくれないか。
僕は写真の中の大聖堂を彼に見せようとする。彼の手を取って
大聖堂の梁やバラ窓、尖塔、鐘楼、祭壇、正面門などを
いっしょに写真の上からなぞっていく。

というなんか奇妙な話なのだ。読んだときカーバーが
この小説で、何を言いたいのかよく分からなかった。
今でもよく分からない。それで今日まで来てしまった。
なんか、定義とか理解とかそんなのとは別の次元の話の
気がするんだが。。。。