日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

let me know about you 3

2010-11-30 15:16:34 | 日本
翌朝は快晴で、那覇の街をぶらぶら歩き始める。
11月末とはいえ、大阪とは季節が1ヶ月ぐらい違っていて
ちょっとでも日が差すと、半袖でもいいくらいだ。

相変わらず色の濃い植物の葉を眺めながら、ふと
よく分からないのだがデレク・ジャーマンの庭のことを思い出した。
デレクジャーマンの庭は今は、YOUTUBEで見ることができる。
ちょうど僕が大学生ぐらいの頃、デレク・ジャーマンの
アンダーグラウンドで、しかしスタイリッシュな映像の芸術は憧れだった。
今の生活では、周りの人の中に、たとえば「いい人間」と「悪い人間」を
簡単に分けたり、もしくは挫折しないで生きることが一番すばらしい、とか
そんな考えを持っている人が結構いるのだが、そんな人にデレクジャーマンの
映画を見せたらどんな反応をするんだろうか、などと思ってしまう。

まあ、そんなことは余談として、那覇港近くの船着場に向かって歩いていく。
ひっそりと閉まっている呑み屋やキャバレー街、
そして1500円ぐらいで素泊まりできるホテルなどが並んでいる。
あとで聞くと、格安素泊まりホテルはみんなで雑魚寝して寝るんだとか。
たぶん、10年前だったら僕もできたかもしれないが、今じゃ無理だろうな、雑魚寝は。

let me know about you 2

2010-11-29 12:41:52 | 日本
いつか仲のいい友達に問い詰められたことがある。
「君は他人を知ろうと努力しないのか」「君は、他人に
自分のことを分かってもらうために努力しないのか」
気が遠くなるような、絶対的な、他者に対する無関心。

そんなことを思い出しながら、ホテルを抜け出して那覇の夜を散歩する。
街は週末の夜と言うのに、そんなに人がいない。後から聞いた話だと、
知事選を控えて、選挙活動や後援会の事務所に詰めたりとかで
この週末は呑みどころではなかったらしい。

国際通りを横切る。ぬるい、でも少し肌寒い風が吹いている。
そのまま桜坂方面へ向かい、細い住宅街の路地を抜けてひめゆり通りへ。
そこからモノレールの安里駅に数分歩くとそこには栄町市場のある一角が
佇んでいる。

戦後復興の中で発展した市場を中心とした街は、今では
那覇のほかの地域の発展に取り残されたようにひっそりしている。
市場の南側はいわゆる連れ込み宿街になっていて、どちらかというと
年齢の高めの女性が飲み屋兼宿の店舗の前に座っている。
うつろに空を見上げている人もいれば、通行人に積極的に声をかける人も。

ガイドブックに書いてあった通り、昼間と夜ではまったく違う表情を見せる一角。


let me know about you 1

2010-11-28 14:17:59 | 日本
なんか知らないうちに、週末、また那覇に来てしまった。
前回那覇に来てからまだ1ヶ月ちょっとしか経ってないのだが。
ネットで往復の航空券とホテルを予約して、金曜の仕事帰りに空港へ行く。
2時間ほどの闇を我慢したら、もう沖縄に到着する。

今回は前回時間がなくて見れなかったものを見るのと、
人に会うことが目的だ。そんなことはさておいて、
僕はもう来週、誕生日を迎えて一つ歳をとってしまうんだが、
「こんなんでいいんですか?人生」みたいな問いを自分に投げかけてしまう
昨今。何も考えずに、フラフラ生きていた若い頃が懐かしい。

そういったことも含めて、足が沖縄に向かったのだ。
沖縄知事選直前で、街には候補者ポスターがあちこち貼られている。
金曜には社民党代表の応援演説もあったようだ。
いろんな意味で動きつつある沖縄の真ん中に。

僕と難波

2010-11-25 15:05:50 | 大阪
今日も会社帰りに難波まで行ってしまった。
というか最初から行くつもりだったのだが。
家で修士論文を書いていると、気が散ってしまい、パソコンに
集中できないので、難波あたりの喫茶店でも行って
作業しようと思ったのだ。

南海の駅で電車を待っていると東京の友人から電話。
携帯の向こうで騒いでいる飲み会の雰囲気が伝わってきて
これから一人で難波で勉強する、自分のわびしさを
ひしひしと実感してしまった。

難波に着くと、ついつい足が道頓堀の「一蘭」に向いてしまう。
なんか、難波に行く度についいって博多ラーメンを食べてしまう。
超カタ麺で、替え玉も注文、と模範的な博多ラーメンの食べ方を実践。

そのあとまた、これもいつも行く場所なのだが
法善寺横丁の水掛地蔵にも行ってしまう。苔むしたお地蔵さんに敬礼。
などとブラブラして、難波にいてもやっぱり気が散る僕だった。


雨の停車場

2010-11-21 15:23:34 | 大阪
停車場というか単なるターミナルなんですが。
駅前をフラフラ歩いていて、あまりに風情があったので
撮ってしまった一枚。

難波のマルイに服を買いに行ったのだが、
とても買えそうな服なんかなくて結局手ぶらで戻る自分。
しかも腕時計をどこかに忘れてしまい、時計のない状態。
ちなみにマルイに入っているのは、80年代の
僕が大学生だったころには既にあったブランドのショップばかりで
なんだか個性というかオリジナリティーのあるブランドはなかったなあ。
僕はファッションには興味はない。そもそも自分をよく
見せようとかそういうのにも興味ないし。
とはいえ、季節は変わるし、服も買わないといけないしな。




大阪の下町を歩く

2010-11-21 02:19:18 | 大阪
難波駅南のいわゆる大阪の(それほど有名でない)下町を
ブラブラと歩く。通りは薄暗くなっていてこのまま、物陰からなんか
現れても逃げられないような場所だらけだ。実は大阪のミナミは、
もちろん難波とか心斎橋とか夜になっても不夜城のように明るいのだが、
逆に難波駅と新今宮の間の商店と住宅(高層の団地)などが混在している
ところは人通りが少ないうえに、夜は非常に暗いのだ。

個人的に、名もない、観光地でもない、単なる住宅地とか
工業団地とか、さえない商店街をぶらぶら歩くのは好きだ。
なんか街の雰囲気を感じるようなことができるので。

そういえばテレビで、大阪市の河川事務所が冬場の河川掃除をする際に、
わざとゴミを他の場所から川に捨てて作業をしている、という記事が
報道されていた。冬場になると河川にゴミが減って仕事がなくなるかららしい。
そういった、本末転倒なことをやっている人をちょうど最近見る機会があり、
一気に大阪のイメージが低下したのだが、よく考えると福岡や他の場所でも
僕が知らないだけでそういうことは起こっているのかもしれない。

http://www.news24.jp/articles/2010/11/04/07169977.html

かつ、よく「中国とかアジアの公務員は腐敗していてダメだ」という
人がいるが、日本だって程度の差はあれそんな誉められたもんじゃないよ、と思う。




毎日がバタバタと

2010-11-19 16:10:12 | 大阪
昨晩東京でゼミに出席し、夜9時半ぐらいまで大学におり、
そのあと羽田近辺のビジネスホテルに滞在し、今朝、始発の飛行機で
大阪に戻ってきた。

今日は今日で一日中外から電話がかかってきたり、外部の人が
尋ねてきて打ち合わせしたり、外部の業者が作業しにきたり、と
ひっきりなしに出たり入ったりして席にいることがなく、
慌しくすごす。慌しいほうが仕事をしている実感がして僕は好きなのだが。

9時まで残業した後、久しぶりに同僚と居酒屋に行く。
仕事のことはさておきいろいろ雑談する。僕は自分のことを話すというのが
苦手で、あまり職場の同僚に自分のことを聞いてもらうことがないのだが、
今日はなんだか自然にいろいろ話ができた。九州の話とかいろいろ。

おばあちゃんの思い出

2010-11-15 12:51:12 | 自分について
昨日おばあちゃんのことを書いたので、少しおばあちゃんのことを思い出してみた。
僕が生まれる前に祖父はもうなくなっていたので子供の頃の思い出といえば
種子島にいるおばあちゃんぐらいだ。

おばあちゃんは種子島で生まれ育ったが、教師になるために鹿児島市内の
女学校に通った、当時としてはかなり進歩的な女性だったらしい。
しかし結婚のため、また島に戻ってきたのだが。おばあちゃんは
会話の端々に「内地」という言葉を連呼するのだが、子供なりに
内地というのは九州本土のことをさすのだな、と話すうちに分かってきたっけ。

その本土、鹿児島県の小学校に僕も通っていたのだが、一度、おばあちゃんに
「種子島で生まれたなんて恥ずかしくて言えない」というような趣旨の
手紙を書いたことがある。実際に鹿児島県にいると、本土と離島の壁というの
がかなりあって、小学生でも僕はそれを感じていた。
そうするとすぐおばあちゃんから返事が来た。達筆な字で、
種子島は鉄砲伝来の歴史を持ち、今は宇宙センターもある場所です、
誇りを持ちなさい、というような事が書かれていた。
子ども相手にも真剣な手紙だった。


植物と対話する人

2010-11-14 16:14:39 | 自分について
金曜に会った大学のときの友達はいまだに
わたせせいぞうのハートカクテルが好きだと
言っていたのでちょっと引いた。まあ、いいんだが。
でもバブル引きずってるなあ。

久しぶりに実家に電話をする。電話に出た母親と話をする。
母親が大事に育てていた菊の花が、地元の品評会で市長賞を取ったらしい。
僕は菊の花の枝ぶりとか、咲き方とかがどのように評価されるのか
よく分からないけれど、数年前から母親がかなり本気で菊を育てているのを
知っていたので、素直に「おめでとう」と言った。
実家に帰っていたとき、雨が降ってきたら大急ぎで聞くの鉢を
軒下に移動させるために走っていった母親を覚えている。

ふと思い出したことがある。僕は子どものころ種子島のおばあちゃんに会いに
ほぼ毎年お盆には親と帰省していたのだが、一人暮らしのおばあちゃんの
家に行くとまずおばあちゃんが言う言葉があった。「まあ、庭を見てちょうだい」と。
(種子島の言葉で)
庭にはおばあちゃんが精魂込めて育てたハイビスカスや蘭やアマリリスや
そのほかよく分からない植物の鉢が並んでいた。
そういった植物に毎日水をやるのがおばあちゃんの何よりの幸福だった。

そのころの僕にはあまり理解できなかったのだが、おばあちゃんが亡くなった今、
やはり精魂込めて菊を育てる母を見て実感したことがある。
おばあちゃんは植物を植物として育てていたわけではなく、長い孤独の生活の中で
話し相手として育てていたのかもしれない。何も言葉を喋るわけでもない
植物だけれども。

10年ぶり

2010-11-13 14:16:43 | 大阪
大学の頃の友人で、大阪で働いている奴とほぼ10年ぶりに会って
難波で久しぶりに飲む。前回会ったのが20代のほぼ最後らへんの歳で
今が41だから当たり前なんだが、友人がすっかり老けて中年になっていた。
ということは、同い年の僕も老け込んだということなんだが。
家族の教育のことなどいろいろ話を聞いた。聞いているだけだったが。
あと懐かしい九州の話なんかもした。友人は大阪にマンションを買ったらしい。
定年まで大阪に住むんだろうか。ぼくにはあまり想像できないが。

その人

2010-11-10 14:54:26 | 東京
僕は別に自分のことを知ってもらおうと思ってモノを書いたり、
ブログを更新したりしているわけではないので、
あまりブログの内容についていろいろ考えたりすることはないのだが、
今日はふと、自分を客観視することがあったので書いてみる。

その人は今僕が通っている大学院の先輩ということでゼミに現れ
自分の経験をゼミ生に話す、という名目で話し始めた。
彼は僕よりも少し年上(だと思う)で、もうアメリカで20年近く働いている。
日本の商社を辞めて転職したあと、アメリカの大学院で勉強し、
MBAやCFAの資格をとり、世銀などの国際機関に就職し、
アジア銀行などで働きつつ、現在は米国のミクロクレジットを扱うような
銀行の副社長になっている。キャリアだけでも、なかなかうらやましいものだが、
本人もアメリカでの生活が長いせいか、英語力はもとより、
交渉術にたけた、自信家な人間だった。

日本人が海外で働くとき英語がカギになる、とか
日本人は交渉ができないからダメだ、とか
自分は国際機関に長くいたせいでどこの国でもトップに
なる人材とネットワークを持っている、とかそういう
ことを言って、話を聞いていたゼミ生を感心させていた。

僕もそのこと自体はすごいな、と思うのだが、実際として僕は
そういうキャラではないし、そもそもアメリカ人と交渉したり、
流暢に英語を喋ったり、あとあちこちにネットワークを戦略的に持ったり
できないので、まったく他人事として聞いていた。
社会で成功するために必要なこと、アメリカで成功するために必要なこと
そんなことは実は具体的にあって、それに向かってがんばれば
いくらかは誰でも成功するのかもしれないのだが、なんだか、僕はそんな
基準で人生を考えているわけでもなく、ああ、そうですかと
言うしかないのだが。

自分では気づかないが

2010-11-07 12:59:16 | 大阪
今日安さが売りの理髪店に行ったのだが、あまりに乱雑な散髪に
かなり後悔してしまった。いやあ、普通、髪切る前は髪を洗うまで
しなくても、霧吹きとか髪を湿らせるよなあ。ジェルとかついてるんだし。
それもやってくれなくて、いきなりバリカンとかいれられかなり不服。
ヒゲそりも不完全な感じだし。あと眉毛の下も剃ってもらったが
そり方が雑で・・・。

とあまりパッとしない日だったのだが、初対面の沖縄の人に
「鹿児島出身でしょ!」と言い当てられてしまった。どうもその人の
鹿児島の親戚に顔がそっくりだったらしい。
自分じゃ気づかないが鹿児島に多い顔なのか。
東京じゃ中国人によくいる顔と言われたことがあるが・・・。


最終目的地はどこか?

2010-11-03 15:35:26 | 東京
先週の金曜に東京に行き、夜中目黒で仕事の打ち上げのような飲み会で騒ぎ、
翌土曜の昼は、やはり中目黒に住んでいる同僚のマンションの1階のフランス料理屋で
ランチを同僚ととり(美味!)、そのあと三鷹に人に会いに行き、
土曜の夜は昔の海外駐在員時代の同僚と一緒に
台風の中、恵比寿のイタリア料理レストランに出かけ(美味!)、
日曜の昼は丸の内界隈で人と会い、などはっきりいってあれこれ
遊びすぎて、アルコールも大量に摂取し、太ってしまった。

で、今週は自戒の念にかられながら黙々と過ごしているのだが、
なんかもしかすると、人生が変わってきているのかなあ、という予感がしてきた。
今まで、これで人生が変わるんじゃないか、と思ったときは大学在学中に
1年フランスに語学留学したときだったのだが、結局あのときは人生が
大して変わったわけじゃなかった。

これまであまりパットしない、人生を歩んできたわけだが、それは同時に
どこにも着地せずに、最終目的地も決めずに適当に遊んでいるような人生だったわけだ。
僕も40になり、沖縄にも行ったし、そろそろ最終目的地を探せ、ということか?