日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

青い鳥1ダース~種さんの「HAPPY」

2005-08-31 06:06:41 | 種ともこ
先週職場の同僚に誉められた。
この歳になると誰も誉めてくれないし、フランス語だって
あんな真面目に勉強したのに、大して誰も誉めてくれないので
ちとばかしうれしかった。その代わり、週末会った
女性の友人には「人でなし」呼ばわりされだが。
いや、ちょっとここでは書けないような非道な話をしたもんで・・・。

ところで最近、日本から持ってきた種ともこの
「LOCKED IN HEAVEN」を聞いているのだが、
これははっきり言って傑作ですね。それぞれの曲の
完成度とアルバム全体の統一性の観点からも10年に一度の
シロモノだと思いますぜ。

中でも秀逸なのは「HAPPY」という曲。
種さんなりの幸福感をさりげない、でも意外性のある
ボキャブラリーの連続でさらっと歌っているのだ。

変な話だが僕は「幸せになりたい」とか普段全然思わない。
今現在、「ああ、幸せだ」とも思わないけど。幸福って
どういうものか実際全然実感沸かないし、それを追求する
気も全然ない。なんでだろう。性格障害か?
昔は自分のこと、ラッキーなやつだ、なんて思っていたけど
それも最近じゃ何も思わなくなった。
なんて正直な気持ちをずっと前、実家の食卓で両親に
話したことがあるのだが、「そんなことを言うのは
お前が幸せだからだ」とオヤジに怒られた。
でもそういう感覚は今でも全然変わらないのだ。
取り立てて不幸でもないけど、幸福でもない。そうなりたいわけでもない。
なんでだろう?

そんな僕とは正反対に種さんの歌は
HAPPY HAPPYと連呼されます。

♪ああ悲しいね どうしたらなれるのHAPPY
ああ 欲張りね もっともっと欲しいのHAPPY
ねえ 青い鳥 1ダース買ってきてよ

夏枯れ

2005-08-30 06:28:49 | フランス
ブザンソンに住む日本人の友達から電話。
「来週パリに行くんだけれど、何かいい展覧会とか
芝居やってないか」と。
答えはNO。展示も劇場もどこも夏休みでシーズンオフ。
夏枯れ状態なのだ。サンクルーのほうで
野外ロックフェスティバルをやっていたみたいだが、
知っているロックバンドが何一つなかったので行きださず。
ロックなんて今さら、そんなに聞かないが。

雑誌を読んでいたら、パリの不動産価格の記事が。
パリ市内で一番の不動産価格の高い区域はやはり
シテ島・サンルイ島地区。その次はサンジェルマン・デ・プレ、
オデオン、シャンゼリゼと続いていた。
逆に一番安いのは19区のグット・ドール地区。って当たり前か。
パリ市内は高いところから安いところまで千差万別なので
平均すると、西の隣接する町、ヌイイー・シュル・セーヌの
ほうが高くなる。そうそう、ブーローニュ・ビヤンクールも結構高かった。

バカンスも終わったし、街はまだ眠りから覚めていないし、
仕事はまた忙しくなるし、人間関係は天気予報で言えば曇天、って感じだし
ないない尽くしの八月の終わりなのであった。
そういえばユーミンの歌で、「シーズンオフの心には」っていうのが
あったけどあんな感じだよなあ。終わってるよ。

これがコスタデルソル?~南スペイン7日目

2005-08-29 04:24:43 | スペイン
明日でもうスペインを離れしてしまう。
そんな旅行も終盤戦にさしかかった日、
マラガから近郊電車に乗ってコスタデルソルの
町に出かけてみる。

電車は30分ほどでコスタデルソルの中心地、
トレモリーノスに到着してしまう。
本当にこの近郊線は便利だ。簡単にコスタデルソルの
あちこちの町に行けてしまうから。
駅を降りると歩行者専用の広い広場が日差しの中で
輝いている。その広場を海の方に向かって歩いていく。

サンミゲール通り。どうもこれがトレモリーノスで
一番繁華な通りらしい。通りは緩やかな下り坂に
なっていて両脇にはお土産物屋、服屋、写真屋、レストラン
などありとあらゆるお店が並んでいる。
途中でお土産物屋に立ち寄っては、スペインの
闘牛の絵の入ったステッカーや、マラガという
この地域特産のリキュールを購入する。お土産というのは
思いついたとき買わなきゃ。後になればなるほど
買うのが億劫になるもんね。

しばらくするとサンミゲール通りの坂道は終わり、
トレモリーノスの海岸通りにたどり着く。
通りは、まるでマイアミのよう(行ったことないけど)。
視界の果てまでビーチが続いていて、それとともに
高層のリゾートホテルが続いている。
強い日差しの中をビーチ沿いに歩いてみる。
海岸はパラソルと、海水浴客に所狭しと占領されている。
海岸沿いいのカフェに入って、ビールなど飲みながら
目の前の地中海を熱風に吹かれながら眺めてみる。
コスタデルソルかあ。自分には似合わねえなあ。

海とピカソと闘牛~南スペイン6日目

2005-08-28 18:22:12 | スペイン
毎日、毎日あちこちアンダルシアの町に
出かけていってはマラガに戻ってくる
生活にもうんざりしてきた。気温は相変らず
高いし、一日で100キロ以上移動するのも
結構な体力を要求されるのだ。要するに旅行の中だるみ。

ということで、今日はあまり動き回らず、
ホテルのあるマラガの街を攻略することにした。
よく考えたらマラガの街、これまで全然落ち着いて
見てなかったもんな。

正午過ぎ、マラガの大動脈、アルメダ・プリンシパル通り
を中心街に向かってぼちぼち歩いていく。この通りには
気持ちのいい街路樹が切れ目なく植わっているほか、
市内あちこちに向かう路線バスのバス停が集まっている。
バス停の人々の群れの横を何度もすり抜ける。
途中で郵便局に立ち寄り、日本の友人への葉書を投函。

ピカソ美術館は、旧市街、カテドラル近くにあった。
昔の宮殿、「ブエナビスタ宮」を改装して近年オープン。
そのアンダルシア建築を見学するだけでも
意義がありそうだ。

わくわくして入場すると、12程のかなり広い展示室に、
時代別にピカソの絵画がところ狭しと
展示されている。もう長いこと、パリのピカソ美術館に
行っていないのだが、ふと昔、そこへ行ったことを思い出しだ。
ある人が、「ピカソ美術館へ行くと、絵を前にして
ピカソと対話をしているような気持ちになる」と言っていた
のだけれど、本当にそうだと思う。そしてその感覚が
また甦ってきた、マラガのピカソ美術館でも。
極めつけは、美術館のパンフの表紙絵になっていた
「座るジャクリーヌ」。ジャクリーヌは本当にピカソに
とってミューズだったのだなあ、と実感するとともに、
こんな内省的で、精神的な絵を生産するピカソは本当に
天才だったんだなあ、などと思った。

ピカソ美術館のあとはマラガのビーチに。
陽はすっかり落ちて空は曇りかけている。
途中で闘牛場の脇を通る。闘牛の真っ最中らしく、
観衆の「オーレ、オーレ」という掛け声が中から
響いてきた。盛り上がってんだろうな。
マラガのビーチでは、ネルハの方向まで海岸沿いの町の
明かりがどこまでも見渡せた。

ピカソ美術館(↓)

www.museopicassomalaga.org


たとえ異国の白い街でも~スペイン5日目

2005-08-27 05:21:04 | スペイン
セビリヤから戻ってきた翌日、
マラガ駅から近郊線に乗ってミハスに向かう。
マラガ近郊線は、マラガとコスタデルソルの
保養地を結び、フエンヒローラまでつづく。
僕らは終点のフエンヒローラまで行き(約50分)、
そこからミハス行きのバスに乗り込む。

バスの料金はほんの1ユーロ。
フエンヒローラはリゾート地とはいえ、
近郊線の駅と、バスターミナルの付近は
車と歩行者で溢れ帰り、ひどい喧騒にあふれている。
バスはそんな俗化された街を離れ、
どんどんアンダルシアの山道を登っていく。
山の中腹にミハスはある。

ミハスはアンダルシアの白い村の中でも
交通の便の良さと、観光開発の歴史も手伝い、
もっとも有名なものだ。僕も大学生のころ
福岡に住んでいたとき、ミハスの村のポスターを
何度も旅行代理店で見たことがある。あの
白い壁と白い路地の続く、白い村。

バスはミハスに30分ほどで着く。
バスターミナルのある広場は思ったとおり、
俗化されていて、大型の観光バスがところ狭しと
止まっている。お土産屋もぎっしりと並んでいる。
本当に村は真っ白い。窓枠と玄関を除けば
すべて真っ白の世界。あちこちを観光客が歩いている。
ちょっと岡山の倉敷を旅行したことを思い出す。
有名な、もっとも旅行ガイドや観光ポスターの
ために写真に撮られる村一番の通りに出る。
山に向かって緩やかな上り坂が続く。
その両脇に白い家々。その壁には植物の鉢植えが
かかっている。残念ながら花が咲いてないのだが、
情緒は伝わってくる。坂の上り口にはカフェがあって
カフェの客はビールを飲みながら、その白い道を
眺めている。ああ、白い村までとうとう来たんだな。
なんて妙な感慨に浸る。

アルカサール~南スペイン4日目

2005-08-26 05:44:41 | スペイン
セビリヤ二日目はかつての王宮、
現在はスペイン王室所有となっているアルカサールへ。

アルカサールはムハデル様式の部分と
ゴシック様式に分かれている。
レオンの中庭を抜けて、本殿へ。
アンダルシアの青い空をバックに、建物の黄色が映える。
ムハデル部分の大使の間なんて、目の眩むような
細密な装飾が施された天井が広がっていて、眺めていると
思わず足がすくんでしまう。柱も、中庭も、窓枠も
手すりもすべてイスラム文化時代の名残がそこかしこに残っている。
セビリヤの歴史の深さを再認識。

アルカサールの広大な庭園部分に出る。
ヤシの木や、オレンジ、夾竹桃。
様々な南国の植物が並んでいる。
フランスの庭園とも、イギリス式庭園とも
違う、不思議な趣。静寂や均整の取れた
美しさはないけれど、明るい、陽光の中の庭園。

アルカサールの後、近所のマリア・ルイーサ公園
の中にある、オープンテラスのレストランへ行く。
レストランは入るなり、「バーコーナー」と
「軽食コーナー」と「食事コーナー」に分かれている。
「食事を」と告げると、葡萄棚の下にある、
涼しげな陰の中の、白いテーブルクロスをかけられた
テーブルに案内された。

それまで庶民的で、猥雑なールにしかスペインで
入っていなかったので、少し緊張。
公園の中のレストランなのに高級そうだ。
よく分からず注文した料理は、まるでフランスの
ヌーベルキュイジーヌのように、量の少ない
素材だけで調理したようなものだった。
セビリヤの名物料理ってなんなんだろう、とか
考えながら、まだガスパーチョすら今回の旅行で
食べてない自分に気づくのだった。

オレンジの中庭~南スペイン3日目

2005-08-25 06:42:32 | スペイン
セビリヤ行きの電車は午前10時40分に
マラガ駅を発車した。一日3本しかないセビリヤ行きの電車。
これを逃すと、午後遅くの電車になってしまう。
少し眠い目をこすりながら、冷房のよく利いた車内に腰を下ろす。

二時間半ほどで、電車はまるで空港のように
巨大で近代的なセビリヤ・サンタフスタ駅に
滑り込む。六月末に来てから二ヶ月ぶりのセビリヤ。
一歩駅の外に出ると、その日差しの強さに
面食らう(グラナダでもそうだったが)。
二ヶ月前と気候が全然違う。
どうやら僕は一年でもっとも暑い、
厳しい気候条件の時にセビリヤに来てしまったらしい。

それでも、噴出す汗をできるだけ気にしないようにして、
サンタクルス街にある予約していたホテルに向かう。
街はシエスタの時間であるせいか、シャッターを下ろした店が目立つ。
どれだけ暑いかというと、あまりに発汗量が多くて、
着ていたポロシャツが汗の結晶で(塩分?)胸や
首の周りが真っ白くなってしまった。

憧れのサンタクルス街は相変らず、白くて、熱気の中で
幻想のように広がっていた。歩いていると、建物の
玄関が時々開けっ放しになっていて、その中の
涼し気なパティオを垣間見ることができる。
パティオはタイル張りの壁に囲まれ、日陰の中で
涼しげな鉢植えの植物が配列されている。
こんな暑い午後でもそこだけは別世界。

サンタクルスを抜けて、セビリヤの象徴でもある
カテドラルに入る。世界で三番目に巨大なカテドラル。
途方もない高い天井や、巨大なパイプオルガン、
贅を尽くした金色に輝く祭壇に目を奪われる。
カテドラル出口付近に、昔のモスクの名残である
オレンジの中庭に出る。果実をつけた涼しげな緑の
オレンジの木々がシンメトリーに並んでいる様を
眺めているうちに、ああ、セビリヤにいるんだ、
という実感が。

グラナダは炎天下で~南スペイン2日目

2005-08-24 05:28:58 | スペイン
二日目はマラガのバスセンターからバスに
乗ってグラナダまで日帰り旅行に。
20分もしないうちにマラガ郊外の住宅街は終わり
荒涼とした風景の広がるアンダルシアの荒野を
バスは延々と走っていく。視界にはオリーブ畑
しか見えない。あのいつもの風景だ。

バスは二時間半でグラナダのバスセンターに着く。
バスセンターを出た途端、異常な高温の洗礼を受ける。
気温がマラガに比べて格段に高い。内陸であることもあり
熱気が街自体に充満しているようだ。太陽は容赦なく
照りつけ、軽い熱中症にかかりそうな陽気の中
グラナダの中心部を目指す。

駅のバスセンターでは目当てのアルハンブラ宮殿の
入場券は街の中心街にある銀行BBVAのカウンター
で売っているからそこで買えばいい、とのアドバイス
を受けた。中心街のBBVAに入る。クーラーの効いた
銀行内のカウンターでは人々が長い列をなしている。
列の中にはガイドブックを片手に持った人もちらほら。
僕らのような観光客だ。待つこと、20分。ようやく
カウンターでつたないスペイン語で(英語なんて喋ってくれないから)
「アルハンブラの入場券を」と頼むと、いきなり
早口で何か言われる。ようやく理解したところによると、
どうも銀行では明日以降のチケットの予約をしてくれるのみ
で、当日のチケットは直接アルハンブラ宮殿の窓口で
買え、とのこと。そりゃ、ないぜ。

めげずにアルハンブラ宮殿を目指す。ユネスコ世界遺産。
世界で最も美しいイスラム建築とキリスト教建築の融合。
宮殿は要塞の役割も果たしていたので、グラナダの中心近く
小高い丘陵地の頂上に立つ。丘陵地までの坂を上る。
無茶苦茶、坂の傾斜が急。太陽はもっと強く照りつける。
こりゃ、本物の熱中症になりそう。さっき、バールで
二杯飲んだアルハンブラビール(グラナダの地ビール)
も一気にさめてしまった。

苦行二十分。ようやくアルハンブラ宮殿、入り口の入場券
売り場に到着。これで宮殿が見れると思いきや、
発券所の上に表示された電光掲示板にメッセージが。
「宮殿入場券は本日はソールド・アウト。庭園入場券のみ購入可」
そりゃないぜ、ってまたかよ。

海沿いの国際観光都市~南スペイン1日目

2005-08-23 06:07:42 | スペイン
パリのオルリー空港から1時間半でスペインの
マドリッドの空港に到着。そこから国内線に
乗り換えて1時間足らず。あっという間に
飛行機はマラガ国際空港の滑走路に滑り込む。

マラガの空港は思っていたよりずっと規模が大きく、
空港内にはイベリア航空、エールフランス、
easy jetなどありとあらゆる規模
の航空会社の機体が駐機していた。
空港のターミナルビルを一歩出ると、強烈な
太陽が照りつける。空港を取り囲むように
山肌がむき出しになっている低い山々が視界に入る。
喉の乾きとギラギラした太陽。
ああ、アンダルシアにやってきたんだという実感。

マラガは南スペイン、アンダルシア地方マラガ県の中心。
ピカソの生家があり、かの天才が10歳まで住んでいたこと
でも知られるが、それもさることながら、現在は
国際的に有名な大リゾート地帯、コスタ・デル・ソル
への中継基地として名を知られている。

そそくさとホテルにチェックインしたあと、
マラガの旧市街まで歩いて見た。今週はどうも
feriaをやっているらしく、どこの通りも
ひどい人ごみだ。女性が、老いも若きもフラメンコの
衣装のような派手な色のドレスを着て街を歩いている。
あでやかなその色に思わず目を奪われてしまう。

街の中心にあるカテドラル前の広場のカフェで
ビールなど飲んでぼんやりする。スペインに来て
初めて飲むビール。サンミゲールの生ビール。うまい。
もう午後八時だというのに、カフェでは誰も
食事をしようとはしない。思い思いに喋っては
ビールを飲んでいるだけ。まだまだ宵の口なのだ。

うれしいひとこと

2005-08-14 17:19:03 | 種ともこ
『うれしいひとこと』、は種さんのアルバムの
中でももっとも大きなセールスを記録した
アルバムのひとつである。
それまでの『みんな愛のせいね』や『CHE-CHE BYE BYE』
などのアルバムに見られた、エキセントリックな部分が
程よく削ぎ落とされていて、聞きやすい、耳に優しい音楽になっている。

今までの「天才少女、種ともこ」を聞きたい
ファンにとっては、この大衆寄りの路線には
少々不満だったのかもしれないが、僕個人的には
相変らずのメロディーと歌詞のレベルの高さ、
コーラスワークの美しさに非常に満足をした思い出がある。
そうそう、衝撃を受けたのではなくて、
満足をしたのだ。「あ、やっぱり種さんだ」と。

このアルバムの中でも秀逸は、「空に映るうた」。
アフリカ旅行をしたときの印象を、驚くほどの
繊細さで曲にしている。

雲がゆっくり動いていく
僕もゆっくり歩いていこう

種さんは、アフリカ旅行を運命付けられた
ものとして考えていたらしく、後日出演したラジオでも、
「なんだかよく分からないんですけど、次はアフリカ
だって決めてたんですよ」と話していた。

土の暑さと草の静けさ 心に揺れて

「土の暑さと草の静けさ」が分かる人なんだよなあ、種さんは。

ちなみに最近、ネットラジオで種さんの登場した番組を
聞いてかなり悦に入っていたんだが、ちょっとした出来心で
東京プリンの登場した回も聞いてしまった。
「ネクタイ」といういろんな意味で趣味の悪い曲が流れた。
というか、ああいうのがいい、と思う人も世間には
いるんだろうが。
東京プリンの曲と種ともこの曲がどちらも同じページで
聞けるなんて、種さんへの冒涜だよな、と思った。



フランス語会話について(続き・その2)

2005-08-12 05:25:22 | フランス
昨日の話を職場の同僚のフランス人に話すと、
「既にdiscothèqueなんて言葉使わない」
との返事が返ってきた。
図書館のCDが並んでるスペースはもう、
médiathèqueというらしいし、踊りに行くDISCOだって、
みんなboîteとシンプルに言うらしい。

そういえば先輩がシャンソンを聞かせてくれる酒場
という意味で、昔パリで必死に「シャンソニエ」という
ものを探していたが、誰一人としてフランス人は
この単語を理解しなかった、と言っていた。
辞書など調べると確かにシャンソン酒場は
BOITE A CHANSONSであって
シャンソニエなんて単語はほぼ存在しないようだ。
和製フランス語なのか? つーか、昔地球の歩き方に
出ていただけの話なんだけど。

それを言うと、キャバレーだって日本語のそれと
フランス語のそれは全然違う。フランスのキャバレー
はそれこそ何か芸達者な芸人がそこにいて
ショーを見せるようなものだったと思う。それも
極めてパリ的な。地方でキャバレーなんて
聞かないもんな。

来週しばらくフランスを離れて近隣諸国を旅行します。
ちょっと寂しいような、ほっとするような、複雑な気持ち。

ちょっとフランス語会話など

2005-08-11 07:16:34 | フランス
今日はフランス人の友人となぜか
フランス語の単語や文法について
話し合う機会を得た。っていても
大したことじゃないんだけど。内容は
以下のとおり。

thèqueという単語は「戸棚」とか「文庫」を
示す接尾語だ。bibliothèqueなんて聖書bibleが
置かれている戸棚、転じて書斎や図書館なんて意味だ
もんな。で、普通discothèqueといったら
現代のフランス語では、discつまり
CDなどを置いてある図書館のCD貸し出しコーナー
のことになる。もちろん、音楽に合わせて踊る
ディスコの意味もないわけではない。では、どういう
ところで差が出るか?

je vais à la discothèque
と言ったら、図書館のCD貸出しコーナーに
CDを借りに行くことになる。
je vais en discothèque
となると、いわゆるディスコに夜踊りに行くことになるそうな。

もともとディスコのことだって、
僕など学校でBOITE DE NUITなんて
単語を習ったのだが、今そんな単語を使うのは
50代以上の世代らしい。もっと下の世代はDISCOTHEQUE
と言うらしい。もっと若い、10-20代は
NIGHTCLUBと言うらしい。
でも、ディスコに行くという表現は残っていて
je vais en boîte
と相変らず言うらしい。

あとアクサンテギュのことなど少々。
警察に言って作成する検査調書を
procès verbalと呼ぶが、皆、普通は
つづりに反して、procés verbal
と発音しているらしい。実際は。
è(アクサングラーブ)と é(アクサンテギュ)の
発音は同じ「エ」でも微妙に違うのだ。

チュイルリー公園界隈的には

2005-08-10 05:57:31 | パリ右岸
チュイルリー公園はパリのど真ん中に
デンと偉そうに腰を据えている巨大な公園だ。
ルーブルのガラスのピラミッドの延長線にある。
いつも砂埃りが舞っていて、煙たいこと
このうえないのだが、
上司が夏の間だけ開設される
敷地内の遊園地に子供を連れて行くというので、
なんとなく僕もついて行って見た。
って子どもか、俺は。

移動遊園地には巨大観覧車、ウォータースライダー、
絶叫マシンなど一通りのアトラクションが揃っている。
子どもたちだけでなく、大人も大声を上げて楽しんでいる。
アトラクションの赤や黄色のライトが薄暗くなってきた
夜の空気の中で瞬いていた。
バカンスで空っぽの街なんだが、だからこそこうやって
ぽっかりと息が抜ける空間というのもいいのかも。



僕の妄想

2005-08-09 06:05:51 | 自分について
週末に買ってきたナタリー・インブリーリア
のアルバムが実にいい!さわやかで控えめで、
でも人生を真摯に考えていて、軽やかで。
ああ、こういうクールな世界に生きたいよ、
なんて思う。自分も、周りの友達もみんなドライで
サラッとしていて、屈折してなくてさ。

と書きつつ実は僕は十代から二十代のころ、
物凄くコンプレックスが強くて暗かったので、
全然女の子にもてなかった。
って今ももてないが。
なんだか自分を本当にどうしようもない、魅力のない
人間だと思っていたんで。まあ、自分を好きに
なれなかったんだと思う。要するに。
でも、歳を取っていくうちに、いつの間にか
そんなことどうでもいいと思うようになって
きたんだよなあ。もちろん今でも、「どうして
自分ってこうなんだろうか・・」かなんてよく
考えるけどな。要は孤独に馴れたってことか。

仕事が終わった後、久しぶりに市民プールに
行って500メートルほど水泳してみる。
泳ぎ終わった後、鏡を見ると、疲労で目の下に
深いクマができていたうえ(つーか、もともと
僕は目の下にクマがあるんだけど、それがもっと
強調されていた)、ゴーグルをきつく巻きつけた
せいで、京劇の役者のように瞼の周辺にたくさん
アザみたいなのができていて、そりゃもう
恐ろしい形相になっていた。
つーか、俺、すごく醜い。
前述のコンプレックスじゃないけど、ほんと
カッコわりー。でも、歯磨きをどうしても
買わないといけなかったのでスーパーに行って、
恐ろしい顔をさらしながら、レジでお金を払う自分。
見かけより歯のほうが大事だしな。

セビリヤの人々

2005-08-07 21:23:21 | スペイン
昨日、FNACから「セビリヤの香り」という
本を買ってきた。これは旅行記と、ガイドブックの
中間のような本で、たとえばこの本であれば、
セビリヤを題材とした文学作品の一部を抜粋して
載せるとともに、それに関係する、より実際的な情報
を説明文としてつけている、そんな構成。
つまり文学も観光も同時に味わえる一挙両得な
書籍なのだ(どっちも中途半端という声もあるが・・・)

実は小生、このシリーズ大好きで、
「ナポリの香り」と「リスボンの香り」も
持っている自分だった。

さて、セビリヤの住民とその暮らしに関する
一文が載っていたので、ここに紹介しよう。
出典は1989発行のAUTREMENT文庫
[Je suis Sévillan]から。ちなみに翻訳は小生。

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街路の様子は多分変わったのだろう。
人々の習慣も、住居も。
けれど、住む人々は変わっていない。
ここに住む人々は相変らず陽気で、開けっぴろげで
感情豊かで、そして友情に厚い。

バールや、タベルヌの話し声は消えるはずがない。
ここの人々はみな、通りで生きているのだから。
マンサリーニャを何杯か飲みながら、
タパスと一緒にビールを飲みながら、
もしくはあのアンダルシアの空の色と、その
太陽のように輝くシェリー酒を飲みながら
人々はいつも大声で話している。

ここではお酒を飲むことは、友情を保つための
ひとつの儀式なのだ。
人々は生活の大半を街路で過ごす。
一年中、外で集まれるだけの温暖な気候のおかげで。
バールで人々は、サッカーや闘牛、
聖週間や春の花祭りの話に講じる。