日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

雲に映る歌

2007-01-31 07:39:38 | 種ともこ
実家の親が僕に種ともこのライブDVDを国際宅急便で
送ってくれた。タワーレコードまで買いに行ったらしい。なんかすまない。
で、種さんの最新のライブをDVDで鑑賞して
いたのだが、その中に、アルバム『うれしいひとこと』の名曲
『雲に映る歌』が収録されていた。


どんな愛が欲しいの
分からないでもいいね
どんな愛が欲しいの
分からないでもいいね

この分からないでもいい、という歌詞は大学生の頃どれだけ
僕を救ってくれたものか。いまだになんだか人生も、社会も
会社員生活もよく分からないけど、分からないでもいい、という
境地なんであまり悩まない。もちろんちょっとは悩むが。
真剣に答えを出さないといけない人生の命題なんてあるんだろうか?
自分の罪悪感を駆り立てないといけないような問題とか。

都市の空気

2007-01-30 09:19:53 | フランス
昔、子供の頃読んだ話に『街角のジム』という少年小説があった。
たしかロンドンの街角で、元船乗りのジムが主人公に
とんでもない冒険旅行を話して聞かせる物語だったと記憶している。
その話がとても好きだったのを覚えている。どうして好きだったのか、
というときっと自分を異空間へ導いてくれるジムのような存在を
探していたからかもしれない。

その話は読んでいても、街角の匂いが漂ってきて、
本当に都市の空気を嗅ぐような感じだったかもしれない。
かなり後になって、その本の翻訳者である超有名な児童文学者の
方に光栄にも会う機会があって、なんだか感動してしまったのだが。

さて、その本の中にも出てきた都市の空気。年末、福岡に
帰ったときも嗅ぎ分けた(という気持ちになった)。
まず福岡市の西部は博多湾が近く、海の塩分を含んだ風がいつも
吹いている、でもカラッとした空気だ。
僕にとって西新(福岡市西部、副都心と言われていた)はカーキ色の
イメージなんだが、これはやっぱり高校の塀の色と早良郵便局の
壁の色のイメージが強いからだろう。

久留米の空気は草の匂いだろう。筑後川土手一面に茂っている
枯れた芝生の匂いだ。筑後川から向こうは背振山系の山々、
南は耳納連山が連なる。そこを流れる大河の上をゆっくりと空気が
動いていく。穏やかな冬景色がいつも浮かんでくる。

パリの匂いは一言では言えない。地下鉄の匂いとも、
舗道の匂いとも、場末の盛り場の匂いとも。あまりに多種多様過ぎて。
そういえば盛り場なんて久しく行っていないなあ。

世界が変わるのを待っている~ジョン・メイヤー

2007-01-29 06:04:46 | 音楽(種さん以外)
ジョン・メイヤーの新しいアルバム"CONTINUUM"
を遅ればせながらようやく購入した。どんよりした焦燥感や
原因を突き詰めることのできない不安感がアルバムに溢れていて
なかなかいい感じだ。

就職してから、と言うか25歳から35歳ぐらいまでの10年間
まったく新しい音楽というものを聞かなかった。今だってそうだけど。
新しく発見して好きになったのはブラジルのボサノバとかそんな音楽だ。
日本の音楽なんてまったく聴く気に慣れなかったし、洋楽もだ。
ニルバーナとかREMとかどこがいいのかちっとも分からなかった。
ふと思ったんだけど、それって歳を重なる段階で、なんだか
「若者らしいもの」から無意識に遠ざかっていたのかも。前向きとか
アイデンティティーを探すとか、なんかそういう青臭いメッセージソング
というのはいまだに嫌いだ。音楽ばかり聴けばいいんだけどね。

といいつつ、ジョン・メイヤーはなかなかいい。
歌詞と言うよりメロディーがなんだか泣かせるところがあるんだよね。
メローな感じで。


いまやすべてが悪い方向に行っているかもしれない、
世界もそれを動かす人々も。
それに対して立ち上がることもそれをたたきのめす
すべも僕らにはないような気がしているんだ。

世界が変わるのを待ち続ける
ただ世界が変わるのを待ち続けるんだ


レストランの夜

2007-01-28 08:08:06 | パリ左岸
たまたま週末仕事の関係で左岸、メトロCONVENTION近くの
レストランに行く。そういえばレストランに出かけるのは
久しぶりだ。11月にジビエを食べるために躍起になって
レストランに行って以来。そのときもジビエ食べられなかった
んだけど。いつになったらジビエ食べられるんだか。

パリに住んでいるけど、滅多にレストランに行かない。
昼間はランチを取りに界隈のレストランに行くけれど、
あれはレストランと呼ばないだろうな。ビストロとか定食屋というか。
なんか心躍る、食事を味わう夢のような空間、という
感じではないのだ。たまに日本からの客を連れてレストランに
行くことはあるが、ほんとたまにだし、仕事の延長みたいな
感じで全然面白くない。でもそもそもレストランって
一緒に行った人と話しないといけないから、話が続かないような
相手と同席すると苦痛な空間なのだ。

などとレストラン論などつらつら書いたが、今日のレストラン
良かった。フランス料理だったけど、オーセンティックで。
またアンドゥイエット食べてしまったぜ。おいしい。

僕とアンドゥイエット

2007-01-26 07:00:27 | パリ左岸
● アンドゥイエット
豚の腸に、内臓やその他の肉を細かく切って詰めた腸詰のこと。

今日の昼はちょっと遠目の場所にあるビストロに行って
アンドゥイエットを食べた。すごくうまい!
実は長い間アンドゥイエットというものを敬遠していて
苦手だったのだが、去年の夏高速のドライブインでたまたま
食べてみたら、これがおいしくて、それ以来大好きになってしまったのだ。

アンドゥイエットといえばトロワ。
中世の時代にはそのアンドウィエットの評判はヨーロッパ中に
轟いていたらしい。ナポレオンもルイ16世も絶賛した腸詰。
ちょっと臭みがあるのだが、多分赤ワインなんかと合うんだろうな。
今日は禁酒の日だったので水で合わせたが。



トラムに乗って

2007-01-25 07:53:46 | パリ左岸
今日は初めて、パリの南のぺリフェリック沿いに
新しく開通したトラムに乗って移動してみた。

ピカピカの車体。目新しい停車場。
Porte de versailles, brassanse,
Porte de vanve, Porte d'orléan, cité universitaire...
次々と駅が現れる。夜の街はあまりはっきりしないけれど、
パリのもう郊外への入り口になる、街区の街並みが窓越しに
浮かび上がる。カフェ、高層の集合住宅、鉄路、地下道。
なんだかぼんやりと、殺伐としている雰囲気だ。
光の街、のパリの姿はもうそこにはない。

それにしてもトラムでの移動はバスや地下鉄に比較して
非常に遅い。すぐ止まるし、みんなよくイライラしないよな。



BENABARのアルバム

2007-01-23 07:50:17 | 音楽(種さん以外)
前々から聴こうと思っていたBENABARのアルバム
「reprise des négociations(交渉再開)」を買ってくる。
ヌーベルシャンソンの旗手と言われるだけあって
何もかも新しい。
舌を噛みそうなくらい長い歌詞と息づきもなく
歌いこまれるメロディーライン。
なかなかいいのだ。

中から一曲。『悲しき田園』

ça ira mieux demain, du moins je l'espère
parce que c'est déjà ce que je me suis dit hier.

きっと明日はうまく行くだろう。
とにかくそう願いたい。
なぜって昨日もそう考えたから。



セビリヤのトリアナ地区~ quartier de Triana

2007-01-21 19:19:52 | スペイン
アンダルシアの抜けるような青い空、悠々と流れるグアダルキビル川。
セビリヤにはもう何度も行っているのだけれど、昨日、mercure de france
という出版社から出ている『gout de seville』という本を読んでいたら
グアダルキヴィル川の向こう側、古いジプシー街trianaについて
書かれていた。この界隈には行ったことがない。さてどんな街区なんだろうか。

            *   *   *

『セビリヤの魔法』という著書の中で、Michel del Castilloは次のように
述べている。

ジプシーほど陽気な人々はいない。しかし彼らの喜びと言うのは
ただ愚直なものではない。生きることの悲劇的な現実を知った上での
喜びなのだ。彼らの目に映る人生は、官能的で陽気なものだ。
しかし、彼らはそこに死があることも知っている。彼らは強く死を
恐れているのだ。

このようなジプシー文化は、単なる「家畜泥棒」というばかげたクリシェ
で何度も語られながらもアンダルシア全体に深く根付いている。
何世紀もの間、ジプシー文化のメッカはグアダルキビール川の右岸に
位置するトリアナ地区だった。
今日、トリアナ地区は純粋なジプシー人街ではない。Théophile
gauthierはもう、彼が旅行記の中で描いた絵のような街角をもう
見出すことはできないだろう。実は1960年代から70年代
にかけてこの街のジプシーはセビリヤの遥か彼方の郊外に
移住させられたのだ。
トリアナ地区には見逃せない歴史的建造物など何もない。
興味を惹くものすらない。しかし近年の街区の開発にもかかわらず、
この街は旅人に多くの魅力を与え続けている、「庶民的な街角の
打ち解けた雰囲気」という魅力を。ここでは人々は通りに暮らし、
陶器作りといった伝統的な生業を続けている。通りの小さな
魚料理のレストランで夕食をとり、想像もできないようなおいしい
タパスを出すバールの片隅で素晴らしいフラメンコ
を聞く。つまりセビリヤの本当の魅力は、他のどこでもなく
トリアナにあるのだ。




ボーブールの夜

2007-01-20 07:11:24 | パリ右岸
久しぶりに友達とポンピドーセンターで待ち合わせをし、
界隈のカフェでクレープを食べた。
ニキ・ド・サンファルの噴水をぼーと見ながら
愚にもつかないことをダラダラと2時間ぐらい話した。
ボーブール界隈は薄暗い闇があちこちに存在していて
ポンピドーセンターだけその闇に浮かび上がるという図式。
写真はセンターのすぐ近くにある映画館の前の通り。

カフェというもの

2007-01-18 08:24:36 | フランス
カフェについて。なんて普段当たり前すぎて何も
考えないのだが、敬愛する種ともこ先生が最近、ブログで
次のように書いていた。

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カフェラテ飲みながら往来を眺めてると、何となくわかったことがあるの。
それはカフェって敗残者の気分をステキに味わえるところなのかも、ってこと。
凱旋門やシャンゼリゼの見えるカフェでコーヒー飲んでる人も多分挫折の味を
楽しんでるんじゃないでしょうか。ワタシの目の前にはマツモトキヨシと
パチスロと無国籍料理居酒屋の看板しかないけど、人生バラ色じゃないわ、
とかつぶやきながらコーヒー飲むのが超楽しかった。
****************************************************************

フランスに住んで、もう通算7年ぐらいになるが、いまだに
カフェに馴染めない。というかカフェなんか入らない。
結局、人生の敗残者になることを深層心理で避けてるのかも、自分。
ていうか、負け組みでも勝ち組でももうどっちでもいいんだけど。
それ以前にカフェってそんな重要か? カフェって何?



家族の写真と中年の危機

2007-01-17 06:55:14 | 自分について
年末に帰国したときの家族写真が送られてきた。
写真中央に頬の膨れた、太った、目のぎらぎらしている
中年のおじさんが映ってるなあ、と思ったら自分だった。ちっ。
街を歩いているとき、疲れた中年の白髪のおじさんとか見て
あんな風にはなりたくない、とよく思うのだが、着実に
そうなっているかもしれない。こういうのって加齢の恐怖って言うのか?

大学の同級生から来た年賀状に、
「生活習慣病予防のためにフィットネスクラブに通ってます」
という一文が載っていたのだけれど、友人のその文章とスポーツクラブ
に通うという行動の凡庸さよりも(というか、別にそんなの驚かない)
自分の同世代からの手紙に「生活習慣病」という単語が踊っていた
事実に驚愕した。生活習慣病なんて、自分と関係のない世界の
ことと思っていたのに・・・。

全然関係ないが、冬休みに日本で読んでいた本に次のような
一文が載っていた。なかなかグッド。

"神はディテールに宿る"

創作の基本ですな。

几帳面さとずぼらさと

2007-01-16 06:37:51 | 自分について
自慢じゃないがこの歳になっても周りの人間から
「失礼だ」とか「礼儀知らず」だとよく言われる。
別に言われても反省しないので、全然直らないのだが。
実は年賀状をぜんぜん出してなくて、出さないと、出さないと
と思っているうちに新年が来てしまった。で、仕方ないので
寒中見舞いを週末に書いていたのだが、いろいろ
考えて書いているうちに前に進まず、結局1枚しか書けなかった。
来週残りの数十枚の年賀状を書こうと思うのだが、こんなスピード
だから大幅に遅れること必至。
そんで1月末ぐらいに僕の寒中見舞いをもらった友人や知り合いは
「礼儀知らずなやつめ」とまた思うんだろうな。いや友人だから
もう慣れていて何も思わないか。

さて下の僕が撮った柳川の写真を見てふと思ったのだが、
よく考えると柳川って50回ぐらい行っているかも。
ていうかよく飽きないよな、僕も、家族も。
何せ4歳の頃から既に白秋生家とか連れてってもらってたから。
ちょっと久留米の石橋文化センターの青木繁の画に似ている。
地元の人は飽くほど見ているから、「また海の幸が展示されとる」
とか言って、大作を目にしても全然有り難味がないのだ。
まあ、思われてるより小さい画ですが。

タブッキ(続き)

2007-01-15 05:37:34 | 読書生活
今読んでいるタブッキの小説、Rebus(謎かけ)という
短編に次のような一節があった。

人生は約束のようなものだ、ただし、その約束がいつ、どこで、誰と
どのように行われるものか分かっていないことを除いて。時々我々は思う、
もしあんなことを言う代わりに他のことを言っていれば、
早く目覚める代わりに遅く起きていれば、今ごろ知らないうちに
まったく僕は違った人間になっているかもしれない、もしくは世界だって
違ったものになっていたかもしれない、と。
もしくはそんなことしたって、なんら変わりはないかもしれない、自分も、
世界も。いずれにせよ僕にはそれを知る由もない。

しかし、僕は例えば謎かけをするためにここにいるわけではない。
何の答えもない謎かけ、もしくは答えはあるけれど僕には分からない答え、
本当に時々、酔った勢いで友達に話すような答え。
謎かけをしようか。どんな風に君が答えを見つけるか。どうして君は
なぞなぞに興味があるんだい? 謎に心惹かれるのか?もしくは他人の
人生に飽くなき興味を持つ人間なのか?

2年ぶりに福岡に戻ってみる(9)

2007-01-14 05:02:36 | 福岡
冬休みの福岡旅行の続き。
どうも、僕は影響を受けやすいのか、日本についてから
3日ぐらい時差ぼけでフラフラ、かつ自分の母国なのに
文化環境に慣れるのに非常に苦労した。
で、旅行が終わる頃にはすっかり純日本人に戻ってたんだが、
今度はフランスに戻ってくると、フランス語が
うまく出てこなくなっていて、今、骨を折っているところだ。
もともと頭の切り替えが早くないので、フランスに住んでいても
日本語からすっとフランス語に切り替えたりするのがすごい苦手。
バイリンガルの人はほんと、すごいと思う。

とそれはさておき、写真は柳川の白秋生家前の通り。
静かな、誰も歩行者のいない、有明海方面に抜ける小さな道だ。
年の瀬、北風、弱弱しい陽光、穏やかな冬景色。
典型的な、福岡県南部の風景だ。せかすものも、駆り立てるものも
何もない、のんびりとした風土。危機感がないと、前進はないんだろうが。