日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

たくさんかカラッぽ

2010-08-31 13:54:56 | 大阪
今日は午前中は明日やるイベントのための設営を同僚として
職場をせわしく動き回っていた。コードを引っ張ってきたり、
机を移動させて運んだりとか。

そのあと、今度自分のやる企画のために、いろんな業者に声を
かけようと思って、電話で宣伝活動みたいなことをする。
飛び込みで、なんの紹介もないのに、10社ぐらいの会社の代表にかける。
担当がいないので、あとで担当から電話かけさせます、と言って
電話なんかかかってこない大企業とか、分かりました、分かりましたとか
って生半可な返事だけして、適当に流される会社とか。そういうのが大半。
でも、その中で女社長が電話口にでて、「あなたみたいな業界のことも
分からない素人の企画はお断り」みたいなことをヒステリックに
言われた。「たしかに、よく分かっていませんが」と反論しても、
そのあと二言、三言小言を言われ、ああ、こりゃダメだなあ、と思いながら
話を聞いていたのだが、最後には根負けしたらしく、「話を聞いてやる」
ということになった。まあ、いいんだか、悪いんだか、よく分からないが。

そのあと、夕方、東京から来客。事務所で打合せなどする。
めまぐるしい一日だが、暇こいてカラッポだと思うような一日よりずっといいや。


モロッコ以降

2010-08-28 02:22:38 | 大阪
モロッコのあと、フランスを経由してまた大阪に僕は戻ってきた。
ラバト滞在中にインタビューした人たちにお礼のメールを出したり、
あとテープおこしをしたりと地道な作業をする。苦手なことだが。

よく考えると去年から出張やらでいろいろ海外に行っていたのだが、
どれも仕事関係の人に会うばかりで、慌しすぎて、その場所の景色をみたり、
人を観察したり、あと、社会の様子を吟味したりすることなどなかったので、
今回のモロッコ旅行はその意味で、本当の旅行だったような気がする。

なんか戻ってきて、一週間ぐらいは余韻に浸ってしまい、
今までやっていたこととか、人間関係のしがらみとか馬鹿らしくなってしまった。
まあ、自分は自分でしかないのでどうこうできることではないのだが。
もちろん3日しかモロッコにはいなかったし、しかも15年ぶりぐらいの訪問で、
何が分かったのか、といえばそれまでの話なのだが、なんか
行ってよかったなあと思える旅行だった。


モロッコ行き(11)

2010-08-26 15:55:48 | 海外(フランス、スペイン以外)
ローマ遺跡を見た後、今度は女性の社会的地位向上のためのアソシエーションの
事務局にお邪魔していろいろ話を聞く。アソシエーションの歴史や、
社会の存在意義など。

それが終わると短いモロッコ滞在も終盤ということで、僕は
タクシーに乗ってラバトの空港に行く。ラバトの空港は首都の空港なのに
恐ろしく小さい。多分、佐賀空港より施設はしょぼい。
出国手続きを済ませて飛行機を待っていると、待合室の脇で、一心不乱に
祈りをささげているイスラム教徒のおじさんがいた。
床にカーペットを敷いて、一生懸命祈っている。

祈る、というのはどういう行為なんだろうか。僕には
祈る習慣がないのであまり分からない。不安な世界を生き抜くために
すがりつく行為なんだろうか。よく分からないけれど、
おじさんは床に頭を擦り付けては一心に祈っていた。

モロッコ行き(10)

2010-08-24 15:03:50 | 海外(フランス、スペイン以外)


モロッコにあるローマ遺跡のことをVOLUBILISとフランス語で言う。
ラバト市内にある考古学博物館に一人でぶらっと行ってみると、
ローマ遺跡から発掘された当時の装飾品や像に、さらっとどれもvolubilis
と言う言葉が添えられていた。



そしてラバトの郊外には実際にローマ遺跡が残っている。
荒れ果てた感じで、見捨てられた遺跡跡に、観光客がまばらに訪ねてくるだけ。
シェラという名前のローマ遺跡で、夏には野外劇場としてジャズのコンサートも
行われるらしい。でも僕がいったときにはそんなことなど嘘のように、
真夏の太陽の下、蜃気楼のような空気の中に遺跡があった。



瓦解した建物跡、ここが浴場だったのか、とか、ここがエントランスなのかとか
いろいろ考えながら歩き回る。遺跡というのはすごいものだ。
何世紀もの前の人間や世界とコミュニケートできるから。



ローマの余韻を抱いたまま、市内の喧騒に戻る。



モロッコ行き(9)

2010-08-22 17:38:47 | 海外(フランス、スペイン以外)
午後にももう一つ、人権関係のNGOの事務所に行って
インタビューなんかして、夕方ごろ居候している友人宅に戻る。
晩御飯は、友人たちと一緒にレストランに行くらしい。友人って誰だよ・・・、
と思いながらもそのまま夜9時半ごろレストランについていく。
というか、9時半から食べ始めるのってかなり遅いぜ。

レストランに着くと、居候の友人の友人がごちゃごちゃいて、
数えてみるとテーブルに12人ぐらいいた。日本人、フランス人、
イタリア人、モロッコ人、アイルランド人、スペイン人など多国籍な感じ。
僕はこういう食事会というのは実は一番苦手なんだが、逃げるわけにも行かず
テーブルに着く。知り合いの友人は一番遠い席へ・・・。おいおい。
とそのような状態だったのだが、まあ、僕ももう40だし
20歳そこらの大学生のようなことをいまだに行っているのもかなり痛い、
と思い直し、とりあえず前の席のモロッコ人、横の席のイタリア人、
左隣のアイルランド人になんでもかんでも話しかけてみる。

そこにいたモロッコ人は、普通のモロッコ人じゃなくて、外務省に勤めていたり、
アメリカに留学していて民間企業に勤めていたり、とかなりインテリな人々だった。
僕の前に座っていたモロッコ人に、ラバト市内で昼間見た、路面電車の工事のことを
話したら、「本当に情けない。あんな路面電車を作るより、貧困の削減とか
他にやることはたくさんあるのに、あんなことにお金をつぎ込むなんて、
市当局は情けない」みたいなことを言っていたが、あまりにも
言い方が他人事っぽかったので、
「じゃあ、おまえの給与、半分、市に寄付して貧困削減に使ってもらえよ」
と言いそうになった。


モロッコ行き(8)

2010-08-22 04:40:39 | 海外(フランス、スペイン以外)
午前中のうちに人と会ってインタビューなどやる。話しているうちに
どんどん時間が過ぎてしまい、すぐにお昼を回ってしまう。
聡明そうな、エリートっぽいモロッコ人女性だった。頭のいい人とか、
自分に自信のある人というのは、他人を恐れていないので、気持ちのいい笑顔とか、
いやみのない笑顔で初対面の人とも接することができるんだと思う。
彼女はそんな感じの親しみやすさで、僕と話してくれた。

昼は、友人から紹介されたレストランに一人行く。
おいしいと評判らしく、無茶苦茶込んでいる。
入り口近くのテーブルに座って、黙々とソーセージとフライドポテトを
食べる。こっちの人はゆっくり昼食をとらないんだなあ、
と思ってしまうほど、人が入ってきたり、出て行ったりする。

モロッコ行き(7)

2010-08-21 03:14:18 | 海外(フランス、スペイン以外)

その後、炎天下の中、ちょっとラバトのメディナに
迷い込んでみる。メディナの入り口は城壁になっていて
新市街から行くと、壁を越えると、そこは違う世界、って感じで
なかなかいいのだ。



中はまさに喧騒の世界。
客引きをしたり、大声を上げたり、ひそひそ話をしたり、
物乞いしたり、商品をべたべた触ってみたり、と人間のいろいろな
エネルギーが充満している。お店は全部通りに張り出していて
みんな好き勝手に入っては出て行く。





写真はメディナとカスバ(メディナの脇にある、別の歴史地区。こっちは
騒々しさはなかった)が一緒になってます。


モロッコ行き(6)

2010-08-18 22:05:18 | 海外(フランス、スペイン以外)


翌日は、午前中にちょっと時間があったので
市の北側にある、ムハンマド5世の霊廟に行ってみる。
行ってから思い出したのだが、この場所、僕が大学生の頃
この地を観光したときにも一回来ているはず。
あのときは、もうモロッコには来ることはないだろうな、
と思っていたのだが、結局戻ってきてしまった。



あと、霊廟の前に広がっているハッサンの塔。
前庭(と呼ぶのか?)が、そのまんま、パリのパレロワイヤルの
ダニエル・ビュレンの中庭だった。というか、ビュレンが
パクッたのか。

モロッコ行き(5)

2010-08-17 14:44:01 | 海外(フランス、スペイン以外)
一日目の夜は、友人と友人の彼氏に誘われてラバトの中心部にある
フランス風ビストロに連れて行ってもらう。
ラバトは他のモロッコの都市と同じように、旧市街であるメディナと
フランス人の作った新市街に別れていて、ビストロは新市街の
ど真ん中の通り沿いにあった。

店の中に入ると客は西洋人の観光客ばかり。
窓の近くのテーブルについてタルタルステーキなど頼む。
値段を見ると140DHと書かれている。日本円に換算すると1600円ぐらい。
安いどころか、無茶苦茶高い値段なのだ。パリ並みの物価。
そのあと、モロッコの平均月収は一人当たり3000円ぐらい、みたいな
話を聞く。自分は月収の半分に相当する値段の料理を食べてるんだ、
と思うとなんだか居心地が悪くて、食事がなかなか進まない。

モロッコ行き(4)

2010-08-16 23:38:31 | 海外(フランス、スペイン以外)
そもそもなんでモロッコに行こうかと思い立ったかというと、
大学院の研究で地中海地域をテーマにしているのだが、
なんか地中海南岸の国に行って、地中海の空気を吸ってみたい、
地中海を聞いてみたいとか、そんな感じの理由だ。
具体的なようであんまり具体的じゃないんだが。

なんか大阪でいくらEUとか、地中海が云々とか考えてみても
やっぱ限界があるわけで、行ってみて、呼吸をして、視覚でみて
なんかわかることがあるんじゃないかなあ、と思ったのだ。
ほら、フェルナン・ブローデルが初めてアルジェリアに行って
反対側から地中海を見たあとで、新しい地中海を見る「眼」を
獲得したみたいに・・・なんかそんなやつ。
まあ、いずれにせよ旅をしたり、環境をかえたりすることは
いいことだと思う。新しい視点を獲得できるし。

それはそうと、いきあたりばったりで自分でも困るのだが、
ようやくモロッコの日本人の友人にも落ち合えて友人宅へ。
友人(というか彼女も人の家に住んでいるのだが)の
住んでいる家の広い庭。

モロッコ行き(3)

2010-08-15 23:01:13 | 海外(フランス、スペイン以外)
モロッコは実は初めてではない。大学生のときに一度行ったので
これが二回目になる。ただ学生のときは自分で電車やバスに乗って移動していたので
余り行動範囲も広くなかったし、そもそもモロッコの人と接する機会が非常に
限定的だった。自称ガイドの町の客引き、レストランのお姉さん、
駅でベンチの隣に座った軍人、メディナで会った若者。
こうやって列挙してみると結構接しているが、ただみんな世間話程度の
コミュニケーションだった。まあ、それが当たり前なんだが。

空港で日本から予約をしていたタクシーの運転手と落ち合う。モハメッドという
なんかボーっとした、よくいる感じのおじさんだ。おっさんと言いつつ、
自分より若かったらいやだなあ、などとどうでもいいことを考えつつタクシーに乗車。
ラバトの、およそ首都にある空港とは思えないぐらい小っぽけなおもちゃみたいな
空港を後にして、ラバトに向かう高速道路に乗る。

強い日差しとまばらな樹木や何もない荒地を見ているとアフリカに来たんだ、
という実感がわいてくる。

モロッコ行き(2)

2010-08-15 14:23:21 | 海外(フランス、スペイン以外)
モロッコは遠い国である。
大阪から行くとなおさらである。僕の場合、エジプト航空で
カイロまで飛んで(13時間)、そこで乗換えで3時間ぐらい待ち、
そのあと4時間ほどかかってパリまで飛んだ。
で、パリで一泊し、オルリー空港からラバと空港まで2時間40分の旅である。

オルリー空港で、どうしたわけかラバトとカサブランカを勘違いしてしまい、
同じ時刻にほぼ出発するカサブランカ行きの同じエアラインの飛行機に
乗ってしまうところだった。
列に並んでキャビンアテンダントのチェックの寸前で、画面を見たら
「カサブランカ行き」と出ていて、間違いに気づき、急いでホールに出て
ラバト行きの出発ゲートを確認。
ゲートまで全速力で行くと、乗り込む乗客の列の最後尾に運よく滑り込めた。
こんなところでも走っている自分なのだった。

ラバトに着くと、入国審査でどこに泊まるのか聞かれる。
ホテルなどと適当に答える。が、実はしかし、僕は泊まる住所を知らないのだ。
モロッコで働いている友人と落ち合ってその家に泊めてもらうことに
なっていたのだが、実は友人と落ち合う時間と場所だけ決めていて、
その友人の家がどこにあるのか全然教えてもらっていなかったのだ。

こりゃ、待ち合わせの場所に友人が来なかったら、すべてパーだな、
などと思いながら空港を後にする。

写真はラバト空港の滑走路。38度の炎天下を
延々と入国審査場まで歩かされる。


モロッコ行き(1)

2010-08-08 07:32:32 | 海外(フランス、スペイン以外)
今週の頭にバタバタとモロッコでの日程が決まり、
今夜モロッコに出発することに。今、荷物を詰めているのだが
なんの下準備もあまりしていないことにちょっと我ながら脱力。
観光というより人にあってくることが目的なので
あまりガイドブックなんか読んでいないのだ。
ほぼ20年ぶりのモロッコだ。暑そうだよな。
とりあえず、エジプト航空でカイロ経由でパリに行き、
そこからモロッコの航空会社(聞いたこともない会社だった)に
揺られてラバトに行く予定。まあ、なんとかなるだろう。

福岡の夏(3)

2010-08-07 16:17:39 | 福岡
いつもはあまり照れくさくて喋らない父親ともちょっと食卓で話す。
大阪で住んでいた場所などを聞き出す。西区に住んで、港区で働いていたらしい。
父親が住んでいた昭和40年代は、日本全国が公害列島になっていて
大阪もその例に漏れず、父親が住んでいたところから見える
川はゴミやヘドロが浮いて、ひどい悪臭がしていたらしい。

甥っ子が地元で有名な皮膚科に通っているらしいのだが、
有名病院なんで順番取りが大変らしい。そのため、
父親が病院のオープンする朝9時から出かけていき、
孫の順番取りに行っているという話を聞いて、
孫のためならなんでもするんだなあ、などと感想。

写真は天神の街角。

福岡の夏(2)

2010-08-06 17:19:47 | 福岡
西鉄電車の中では西鉄の無料機関紙、「にしてつニュース」を読んでいた。
天神駅のラックの中に入っていたのを勝手に取って読み漁っていたのだ。
ニュースの中にはたとえば新宮海岸のお勧めスポットや、
二日市駅前のお勧めレストランなどローカルな話題が満載で何度読んでも読み飽きない。
僕はもう福岡を離れてもう何年も経つが、こうしてたまに戻って
情報誌を読むと、まるで地元民のように熱心に読んでしまうのだ。

実家に着くと、母親が「遅かったじゃないの、何してたの、もう
みんな待ってるよ」と声をかける。半年振りなのにちょっと照れくさい。
リビングの向こうの部屋のふすまをあけると、そこは畳の部屋で
そこには父親、姉、姉のダンナ、小学生の甥などが二つ並べたテーブルの
周りに台座してビールを開けるのを今か今かと待っていた。僕と母親も入れて6人。
こういう団欒みたいなのをうちの親はやりたいんだろうな、と納得。
特別に駅前で買って来たという、久留米で一番おいしいおすし屋のお寿司を
みんなでパクパク食べる。そのほかにハッシュドポテト、刺身、
鹿児島のおばさんが送ってきたエビフライ、グリーンサラダ、など。
7歳の甥っ子もはしゃぎまわって大笑いしている。