日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

方言と言う言語

2011-01-28 16:03:52 | 大阪
最近、地域の人々が集う会合に、仕事の関係で出席したのだが、
地域の人しかいないため、当たり前だが司会も参加者もみんな
泉州弁というかこのあたりの方言で喋っていて、ヨソモノの自分としては
かなりつらかった。

といいつつ、全然近所づきあいとかしていないので、
この、僕が住んでいるあたりの地域はヨソモノに冷たいのかそうでないのか、
よく分からないのだが、とはいえ標準語で話したりとか、あと
地名を間違って読んだりすると(固有名詞だから仕方ない)、
「関東の人ですか?」などと言われてたりする。やっぱ排他的なのかな?


帰属感の轍

2011-01-26 14:26:02 | 自分について
タイトルは適当につけてみただけで意味はないっす。

ということで子供の頃から「帰属感」というのが僕は苦手だ。
もともと小・中・高と転校ばかりしていたので、あまり自分の
母校と言うものに愛着を持てなかったし、そもそもある学校と自身を
同一化して、それに深い愛情を注ぐ、というような感情が理解できなかった。
高校の頃の同級生で、学校大好きな人々がいて、「うちの高校は~」みたいな
ことを言っているのを見るにつけ、「こんな学校のどこがいいんだよ?」
などといつも思っていた。まあ、要するに学校に適応していなかったわけだ。

で、それは会社に入ってからも同じで、同期や同僚が
「うちの会社では~」みたいな、いわゆる自身が立派な組織の一部で
まるで組織をしょって立つ、みたいな発言をしているのを聞いて、
なんか違和感を覚えていた。というか自分はそういう言い方はしない。
なんかある組織への帰属ということが嫌なのだ。今いる会社だって
僕はいつ辞めるか分からないし、会社と自分は別物であるはずなのに、
それを同一視して、なんか代表して言うのは(社長ならともかく)、
なんか馬鹿みたいだ、と思っている。

と、そんなどこにも帰属しない(というかしたくない)自分なのだが、
今日、大阪市内で他社との連絡会みたいな会合に出席して、他の出席者から
うちの会社としての意見を求められ、「うちの会社は~なんで~」
みたいなことを言わざるを得なくなり、日ごろのポリシーに反して
会社人間のようなことを言ってしまった。会社員の宿命だがなんか虚しい。
つーか、賃金労働者なんだよ、僕も。

不安定な均衡

2011-01-23 15:17:17 | 大阪
修士論文も出したし、とりあえずしばらく勉強しなくてもよくなったので、
久しぶりに羽を伸ばして、大阪市内の美術館に日曜の昼、ブラブラ出かけてみた。
中ノ島にある、大阪市立東洋陶磁美術館だ。

実はこの美術館には去年の春、お客さんを連れて常設展を見に行ったことがある。
陶磁器には特に興味はないんだけど、東洋最大の陶磁器のコレクションがあって
大阪で必見の美術館だから、とか言われて。
そのときはあまりピンとこなかったんだが。

でも、今日の目的はルーシー・リー展だった。
彼女の展覧会も実は過去に東京で見たことあったんだけど、大規模な回顧展を
大阪でやるというのでなんか気になって。
美術館に行くと、ありえないくらいの人ごみができていた。大阪でも
ルーシー・リーがこんな人気なのだ。
人ごみをかきわけ、ようやく遠くから、展示ケースの中の
ルーシー・リーの作品の茶碗とか水差しとか、お椀とかを見ると、
彼女独特の不安定なフォルムと、うっとりするような山吹色や
目の覚めるようなブルーの色彩の作品が見えてしばし至福感を覚える。

ルーシー・リーの作品はいいなあ、と思う。
そのフォルムを見ても感動するし、その色彩を見ても感動するし、
その質感や量感を見ても感動するし、なんか陶磁器なんだけど
存在自体が輝いている作品群なのだ。

ソウルメイト

2011-01-22 12:01:14 | 音楽(種さん以外)



ベン・フォールズは昔は好きでよく聞いていたのだが、最近全然聞いていなかった。
なんとあの、『ハイフィデリティー』の英国人作家、ニック・ホーンビー
とコラボしてアルバムを作っていた。そのアルバムのキャッチーな曲が
このabove all。ホーンビーらしく、歌詞がうまくひねっているのだ。
ポップなメロディーに乗って、こんな深い歌詞が歌いこまれているとは。

People who belong together
Lost and sad and small
But there's nothing to be done for them
It doesn't work that way
Sure we all have soulmates but we walk past them every day, oh no

お互いに惹きあう人々は迷って、悲しんで、小さくて
でも彼らのために何もなされない
そんな風には物事は動かないんだ
僕らはみんなソウルメイトがいるのは確かだよ
でも、毎日、彼らを知ることもなく通り過ぎる

鹿児島の影

2011-01-17 16:16:16 | 日本
今日家に帰ると郵便受けに、先週僕が遅ればせながら出した寒中見舞いの
返事が来ていた。寒中見舞いと言うか、年賀状を書く余裕がなかったので
めぼしい人に年が明けてから寒中見舞いをパラパラと書いていたのだ。
その中に、小学校の頃の担任の先生からの返事もあった。

小学校六年五組の担任の先生だ。あの頃からもう30年も経っている。
僕の親よりちょっと若いくらいだから担任の先生ももう60代後半だろう。
僕は小学生の頃、父親の仕事の関係で枕崎という、薩摩半島の南端の、
ということは九州の南端ということになるが、ちっぽけな町の小学校に
通っていたのだが、その頃の担任の先生だ。先生は鹿児島市内の人で、
市内に家があるのだが。

葉書には枕崎に久しぶりに行ってみたら商店街も町もすっかり寂れていた、
というようなことが書かれていた。
枕崎もそうだけど、鹿児島に行ってまた先生に会いたいなあ。
会うとしたら25年ぶりになるが(高校の頃一度会った)
九州新幹線が開通したら行ってみようかな、大阪から。

who says

2011-01-16 01:06:07 | 音楽(種さん以外)
ジョンメイヤーの"who says"のアコースティックバージョンが
YOUTUBEに出ていたのでリンクしてみた。
(オフィシャルクリップはリンクできなくなっていたので・・・)。



ジョン・メイヤーは彼が若い頃から知っているが、
「都会の孤独」みたいなのが一貫してテーマになっているようで
この歌詞の中にも「22歳から長い夜を過ごしている」とか
「バトンルージュの夜」とかそういう表現が出てくる。
このビデオクリップは東京ツアーの風景を切り取っただけなんで
あんまりそんな感じは出てないが。

大したことない

2011-01-09 16:08:05 | 自分について
最近思ったのだが、「日本は南北に細長く、北と南では気候も風土も
まったく違います」とかって言う人がいるが、いくら南北に細長いって
言っても、南米のチリに比べるとそんな細長いわけじゃない。
あと、「地方色が非常に豊かで、各地方に独特の文化がある」とかって
言うけど、九州人の僕としてははっきり言って北陸地方と中部地方の
地方色の違い、とかってあまりピンと来ないし、そもそも地方色が豊か、
って言ったらフランスのほうがオーベルニュ地方とか、ピカルディー地方とか
ノルマンディーとかまったく異なった地域が固まっているような気がする。

ということで、なんか、最近、他人の話を聞いても
「そんなん大したことないよ」と思うことが多い。というか昔からそうだが。
というのも今日、フランス人の友人から電話がかかってきて、
友人の知り合いが抗鬱剤の飲みすぎで緊急医療センターに救急車で運ばれたとか、
そんな話を聞いてから、なんか小さなことで悩んだりするのが馬鹿らしくなってしまった。
フランスで薬呑みすぎなんて、ナン・ゴールディンの写真の世界だなあ。
あの薬中とかたくさん出てくる世界・・・。

福岡人の人懐こさ

2011-01-05 15:10:23 | 福岡
福岡人と言っても、北九州と福岡と筑豊と筑後じゃまるっきり
気性というかメンタリティーが違うから一くくりには言えないが。
とはいえ、僕は福岡人の、あけすけな、人懐っこいところが好きだ。

というのも、年末に福岡に帰省したとき、西鉄久留米駅から実家まで
タクシーに乗ったんだが、乗るなり、タクシーの運転手が、
「今日は雪がえっらい積もっとって、寒かったでしょうが。
うちのエアコンの室外機の水の出るところが凍っとったのに、
気がつかんで転んでしまったんですよ。ほいで、顔も手も
すりむいてこんな傷になったとですよ」などと言って、
おじさんが手の擦り傷を見せてくれた。
「いい年して、そんな転ぶのはおまえぐれえよって、
タクシーの運転手仲間にも笑われとったとですよ」と続ける。

確かに、タクシーに乗る前に、他のタクシーの運転手が
2、3人タクシーの周りにたむろして世間話してたもんな。
その負傷したという運転手はもう60は過ぎてると思われるようなおやじだったが、
子どもみたいに一生懸命、身振り手振りで状況を説明してくれた。

そういえば、前、帰省したときもタクシーの運転手から
べらべら喋りかけられたなあ、などと思い出す。
東京とか大阪でタクシーに乗っても、たいてい目的地まで
無言のままだから、こういうあけっぴろげなところが福岡だなあ、
などと思ってしまう。ちょっと自分が九州人でよかったと
ほっとしてしまう。
とはいえ、あんな筑後弁丸出しで
いきなり話されたら、東京の人は困るのでは?


聖アントニウスの火

2011-01-02 16:40:53 | 読書生活
新年早々、文庫本数冊買って読んでいたのだが、すべて論文を
書くことに対する逃避である。と言いつつ、逃避のほうに
一生懸命になってしまうのだが。

その中でも中野京子作『「怖い絵」で人間を読む』(NHK出版、2010)
は内容が面白くて3時間ぐらいで全部読んでしまった。
文章も平易だし、図版も多いし、そんな予備知識なくても
欧州の歴史を分かりやすく読み解いてくれる。

その中に中世の病「聖アントニウスの火」について書かれてあった。

原因は麦角アルカロイドによる中毒で、細菌感染したライ麦で
つくったパンを食べると発症しました。[...]
当時この病気を治癒する唯一の方法は、聖アントニウスを祭った
教会へ巡礼し、祈りを捧げることでした。かつて病に冒された人が、
聖アントニウスの聖遺物に祈って健康を取り戻した、と伝えられたからです。
この言い伝えたにすがるしかない人たちは、各地にあった聖アントニウスゆかりの
場所に詣でるようになっていきます。

                        ~中野京子「怖い絵で人間を読む」p237

そこを読んではっと思い出した小説がアントニオ・タブッキの
『レクイエム』である。原本は手元にないので詳細はうろ覚えだが、
夏の日、リスボンをさまよう主人公が、聖アントニウスの絵に
関するエピソードを聞く場面がある。
リスボンの市庁舎に「聖アントニウスの誘惑」の絵があり、
昔の人々が災いや病を治癒されることを願って、次々とその絵を見に来る
という話だ。
以前読んだときには、中世は絵画に魔力が宿ると思われていたのか、
ぐらいにしか思わなかったのだが、上記の本を読んでいて、実は
これはしっかりとした根拠のあるエピソードだったんだなあ、と感心。
同時にアントニオ・タブッキの知性の底深さを垣間見たような気がした。


2011年

2011-01-01 12:29:35 | 福岡
大晦日を過ごすために福岡に戻った。
もう何年も前から31日は福岡の実家で両親と姉夫婦と甥とで
テレビでも見ながら寿司を食べて年越しするのが日課になっている。
昔は伝統とか、記念行事とか、そういうものには
全然意味などないと思っていたのだが、今考えると
こうして家族が集まる機会を作ってくるのだからいいもんなんだ。

そして一日あけて2011年。
去年は転居があったり、うまくいかない話があったりと
盛りだくさんだったが(と言いつつ、あまり記憶していないが)
今年も盛りだくさんで行きたいなあ。

ということで写真は天神の新天町