日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

シャルロットゲンズブール、ライブ参入

2010-10-28 14:43:18 | フランス
参入というか、大阪にライブに来たので行っただけの話しなんだが。
でも、僕は彼女を、高校の終わりぐらいの頃から、シャルロットが父親と
シャルロット・フォーエバーをデュエットしている頃から知っているが、
こうやってライブに行って実物を見るのは初めての体験だった。
シャルロット自体、昔は歌う行為自体が嫌いで、ライブなんてとんでもない、
というような感じだったから、それに比べるとすごい進歩だ。

彼女の乱暴な歌い方、たたきつけるようなドラム裁きなんか、
もともと彼女が持っている純粋なんだけれど、野性味や粗野な部分が
伝わってきた。主演映画で彼女は少年院で、「人目を避けるような眼差し」
(REGARD FUYANT)を持っていると言われるのだが、そういう
飼いならされない、芯の強さを持っている女性なんだ。


沖縄行き7

2010-10-26 16:21:07 | 日本
首里では樹齢300年のアカギの木が数本生えている一帯を訪ね、
ただならぬ霊気にむせ返った僕だったが、なんやかんやいって
大阪に帰る時間になってしまった。
ノロノロと空港行きのモノレールに乗る。

一瞬、このまま那覇に残って、沖縄で暮らす人生を想像した。
モノレールのエスカレーターをぼーっと上がっていくとき。
海の近くで、湿った空気の中で、おじいやおばあや、
親戚や友達に囲まれて、酒でも飲みながら、ゆったり人生を送るのだ。
そんなことができればどんなに幸せなんだろうか、などと
不覚にも妄想してしまった。

といいつつ、足はモノレールに乗り、勝手に空港に向かう。
空港でシーサーの置物と、ハイビスカスの苗木とブーゲンビリアの苗木を買う。
大阪に行っても沖縄を思い出せるように。

沖縄行き6

2010-10-23 16:42:15 | 日本

沖縄のいいところは、生命力の強そうな樹木が街を歩いていても
あちこちに生えて、自己主張して、人間を見守っているところだ。
九州の街中の街路樹や、山の緑なんかもかなり色が濃いが、
沖縄は輪をかけて色彩が濃い。強い日差しとあいまって、色調の
コントラストがすごい。

モノレールの車内や、街中の書店で、沖縄風のすらっとやせた、
黒い長い髪の美少女がやたら多いことに気がつく。こっちの人は
やっぱ可愛いなあ、とちょっと中年ぽく感心。

沖縄行き5

2010-10-22 14:51:31 | 日本
翌日は、ずっと前から行きたかった首里城へモノレールに乗ってでかける。
同じ町にもかかわらず(というか昔は別の町だったらしいが)、首里は
那覇の中心部からかなり遠い。しかも、なんか落ち着いた住宅地が
広がっていて那覇と全然違うのだ。

首里城に入って沖縄の歴史年表などをしげしげと眺める。
日本本土とまったくパラレルに、別の歴史を生きてきたことが分かる。
そして薩摩藩が江戸時代に琉球に侵入し、それ以来江戸幕府にも
琉球王国がある種の義務を負ったこと、
19世紀にとうとうまた薩摩が攻め込み
琉球王朝に開城を迫り、最終的に琉球藩になった琉球処分のこと、
そして太平洋戦争にかかわる現代史が細かく説明されていた。

僕は親も自分も鹿児島の離島出身で、鹿児島の小学校にも行っていたのだが
琉球との歴史を誰かが話していたり、もしくは学校の社会の時間に
学んだ経験は一度もない。鹿児島県の一部である奄美や徳之島のような
奄美諸島の歴史についても触れたことは一度もない。
そんなふうなのに沖縄ではそんな風に、直接的に薩摩との軋轢が
記されて、歴史認識としてたしかに残っていることに軽いショックを覚えた。

鹿児島には離島がたくさんあるが、僕の生まれた種子島は
士族がいたぐらいだから、日本の歴史の中に組み込まれているという
意識が島民にはあるような気がする。屋久島もトカラ列島もしかり。
奄美、徳之島、与論島は鹿児島県の離島ということで鹿児島の教育を受けるが、
言語的にも琉球文化の影響が強い。鹿児島と沖縄の中継点のような感じだ。
ちなみに甑島という離島もあるが、あそこは完全に本土かも。
でも種子島の親戚や近所の人が奄美や沖縄に引っ越したり、就職したり
する話を昔聞いて、一体どんな場所なんだろう、とずっと思っていた。
首里の丘の上から町を見下ろす。

沖縄行き4

2010-10-20 16:33:22 | 日本
コザから戻ってくるともう夕方になっていた。時間があれば南部に
行こうと思っていたのだがもう時間的な余裕もない。
仕方ないので久茂地界隈をブラブラ歩いて、ホテルに戻る。
仮眠を取った後、夜の那覇を散歩。
国際通りは昼も夜も人であふれている。市場通り、平和通り、
アーケードの中に人はどんどん引き込まれていく。

僕はモノレールの駅の方向へ歩いていき、24時間営業の
地元の食堂に入ってゴーヤチャンプルーを食べる。
オリオンビールの生がうまい!
ゴーヤも本土で食べるのと味が違う!ゴーヤも豆腐もしなっとおいしく
炒められていて味付けも濃くない!
ちょっと酔っ払いながら、外の舗道を歩く人を見ながら
ぼんやりビールを飲む那覇の夜だった。

沖縄行き3

2010-10-19 14:59:49 | 日本
午後からバスに乗って本島の中部に向かう。ずっと行ってみたかったコザの街を
歩く目的で。去年、沖縄に関する展覧会を見に行って、突然
コザ暴動のことを思い出した。ずっと忘れていたのだ。そのあと、「太陽の子」
をもう一度読み直してみたりした。それから、学生の頃見た「オキナワの少年」
の映画のシーンを久しぶりに思いし出してみた。ただいろんなものを読んだり
見たりしても、やはり自分がその場所に行ってみないことには何も分からないのだ、
そういう気がしていた。
今年の憲法記念日に東京で聞きに行った集会でも、「問題が起きないと
何もしない本土の人間」のことが言われていた。そんないろいろなことを考えながら
バスに乗って那覇からコザまで移動する。

昭和60年代に作られた中央パークアベニュー。
街づくりの成功例としてよく言われるが、行ってみると人気もなく閑散としていた。
最近は北谷にできた大型ショッピングセンターに人は流れているよう。

遠くの丘から見たコザの町。コザは昔は一寒村に過ぎなかった。それが
米軍基地ができて豹変し何もかもが変わってしまった。
一番上の写真にある米軍ゲートにつながるゲート通りも人影はまばら。オキナワ第二の都市とは
思えないほど、静まり返っている・・・。

2時間ぐらい町を歩いて、それだけで何が分かるのかといわれればそれまでだが
コザ暴動の起こった場所周辺をぐるぐる廻り、またバスに乗る。
コザ(というか沖縄市)、宜野湾市、浦添市と通りまた那覇の中心街にバスは戻ってくる。
バスの車窓からは米軍基地ばかり。基地の真ん中を通るコースもある。これではまるで
町の中に基地があるんじゃなくて、基地の中に都市があるようだ。
沖縄の面積の10%を占める米軍基地、と言ってもピントこないがこの景色を見るとそれが
実感される。しかも、島の北部の基地とこんな市街地に隣り合わせになっている基地は
まるで位置づけが違う。

沖縄行き2

2010-10-19 14:39:47 | 日本


翌朝は朝から青空が覗いているのが、ホテルの窓から見えた。
じっとしていられず、そのまま着替えて街へ。
目抜き通りの国際通りを突っ切って、市場通りのアーケードを
いろいろな店を冷やかしながら歩いていく。

こんなにゴッチャにいろいろ売っているのに、
あまり猥雑な感じがしない。それに客引きの人々も
観光地にありがちな、観光客に何でもいいから売りつけてやろう、
みたいなオーラが漂っていない。と、僕が感じただけなのかもしれないが。

アーケードは程なく終わって、壷屋どおりブラブラ歩いていく。
高層ビルも空に迫ってこなく、時間も人ものんびりしていて
散歩していて心地よい感じだ。


沖縄行き1

2010-10-18 14:15:36 | 日本
沖縄には前から行こう行こうと思っていたが実現せず今日に至っていた。
いろいろやりたいこととか、見たいものとか、たくさんあったのだが、
なかなか決心がつかなかった。
で、今回大学院の論文の中間報告も提出できたので、ぷらっと沖縄に行ってみた。
ホントにプラッと、週末のみ。到着は夜10時前。10月の那覇の夜は、
風も吹いて、でも少し蒸していて、半袖のポロシャツが似合う感じだ。

下の写真は夜の国際どおり。

友人のいる場所

2010-10-15 14:33:52 | 大阪
僕はもともと友達の少ないほうで、今続いている友人と言えば
高校の頃の友人、大学の友人など片手で数えるほど。
社会人になってからの友人もそんな多くなくて、東京に数名、
あとフランスにいたときのフランス人とかその他の友人なども数えるほど。
で、そういう友人も、大阪に越してきてゼロになった。
もちろん東京にいる友人とかと連絡は取っているけれど、
大阪の地元の友人と言うのが、当たり前だが全然いない。転勤って
こういうもんなんだなあ、と最近実感した。

前、福岡のセブンイレブンでバイトしてたとき、バイト先の
先輩が岡山に単身で転勤したとことがあって、
「岡山人は閉鎖的でほんと、よくなかったばい。
友達とか一人もできんかったと」と言っていたが、
なんかその気が分かるような気がする。

まあ、大阪はそんな閉鎖的な場所ではないと思うが、
友達とか作る機会なんかないね。

大阪の夜は更けて

2010-10-13 16:24:55 | 大阪
今日は職場のスタッフの歓送迎会だったのだが、
気乗りしなかったし、また、他にやりたいこともあったのでサボってしまった。

で、まあ、やりたかったことの一つは最近の運動不足を補うために
プールに行くことだったので、電車に乗って大阪市内の公営プールまで行った。
でもよく考えたらプールなんてその気になればいつでも行けるので
今日でなくてもよかったんだが。
で、気が触れたようにガムシャラに泳ぐ。

プールのあと晩御飯を食べに行く。
で、これがもう一つのやりたかったことなのだが、道頓堀にある大阪唯一の
一蘭に行ってみる。一蘭ファンの自分として、郷里の福岡(天神店、博多駅店)でも、
東京でも(六本木店、新宿東店、後楽園ラグーナ店、横浜店)かずかずの
一蘭を周った経歴の持ち主なのだが、大阪では一度も行った事がなかった。
あと、去年ラーメン食べ過ぎて、最近、ラーメン自体を食べていなかったのだ。
ラーメン・デトックス中。あの、こってり味についていけない今日この頃。

しかし、意を決して一蘭行くと、もう店の前で人が10名ほど並んでいる。
自分もその列に加わる。15分ほどで店内に入り、注文用紙に記入。
久しぶりの一蘭、張り切りすぎて、味付け超こってり、秘伝の垂れ2倍、
バリ堅の麺などと九州男児のお手本のようなメニューを注文したらすごいラーメンでてきた。
なんかほとんどゆでてないようなぐらい堅い麺。しかし相変わらずパンチの効いた
美味なラーメンであった。胃には乱暴なくらいこってりしてるが。
ちなみに福岡特産のラー麦(ラーメン用に福岡県で開発された麦の品種です)
を使ったラーメンを提供しているのは、一蘭の中洲川端店らしい。
こりゃ、今度行かんばいかんばい。


旅行プランの掛け違い

2010-10-09 14:27:16 | 日本
来週、沖縄に週末旅行しようと思っていろいろ準備していた。
航空会社のサイトでパック旅行を予約したり、那覇の観光ガイドブックを買って
いろいろ研究したりして、あとおススメのお店を同僚に教えてもらったりして。
そんな感じで旅行プランも具体化してきた矢先、今日マジマジと旅程表を
見ていて気がついた、「日付が一日ずれている・・・」

仕事が終わってからフルに旅行を楽しもうと思って、
金曜の夜から沖縄に行き、目一杯沖縄を満喫して日曜の夕方に戻ろうと
考えていたのだが、今日になって気がついたのだが、行きは土曜の夜7時の便だった。
帰りは月曜の夕方。ってまったく一日ずれている。しかも
土曜は普通に会社が休みだから、夜までフライト待つ必要ないやんか。

慌てて旅行会社にフライト変更可能かどうか、電話すると、
「変更は可能だが、変更手数料9000円と、変更後の旅行金額と変更前の差額もらいます」
とのこと。変更手数料9000円はきつい!もともとの旅行費用は3万円以下なんだから
その3分の1の出費だよ~。
いや、もともと勘違いして予約した自分が悪いんだが・・・。

苦手意識

2010-10-07 15:40:45 | 大阪
ずっと京都に苦手意識を持っていた自分だ。というのも昔から
京都というものに距離感を持っていたし、社会人になって最初に京都に行った時
なんか日本文化を双肩で支える、みたいなことを言っている京都人と話して、
「京都に日本文化があるように、福岡や鹿児島にだって文化はあるんだよ」
と心の中で感じたのを覚えている。なんか変な選民思想みたいなものに
対する嫌悪感を感じたのだ。

ちなみに初めて京都に行ったのは27歳の頃っす。うちの高校は
修学旅行も長野スキー研修という現代的な校風の高校だったので
なかなか京都に行く機会がなかったのだ。

で、今日、たまたま京都まで日帰り出張したのだが、
これがいいのだ、なかなか、秋の京都。
僕は清水寺とか金閣寺とか行かず、出張だったので仕事の相手先だけ廻った
だけだったんだが、秋の京都の町並みを、駅に向かって歩いていくとき、
クライエントと入った喫茶店で、目の前に広がる東山の風景とか、
なんかすごい風情があっていいのだ。もちろん京都以外に風情のある場所は
たくさんあるし、地元の福岡だって、僕は博多の古い町並みとか、
久留米の筑後川沿いの風景とか好きだけれど、京都の空気は唯一無二だな、
と実感したのだった。
写真は京都市内、白河の上流の川沿いの風景。

徘徊生活・モロッコ

2010-10-05 15:43:18 | 海外(フランス、スペイン以外)
今日電車に乗っていてふと思い出したのが、
(なんで思い出したのか不明なんだが)大学生の頃
初めてモロッコにいったとき-だからもう20年近く前のことだー、
モロッコのタンジール港から出るフェリーが最初に欧州に着く港、
アルへシラス港で日本人の写真家に会ったことがある。

彼はまだ30歳ぐらいで、モロッコを1ヶ月ぐらい旅行した帰りらしく、
顔もよく日焼していた。どんな仕事をしているのですか?と聞くと、
「半年はこうやってモロッコや北アフリカや、世界のあちこちにいって
写真を撮影して、一年のあと半年は日本に戻って、その風景写真を売ったり
雑誌に使ってもらったり、とかそういう仕事だよ」と話していた。
僕は当時二十歳そこそこで、三十歳の写真家なんて立派な大人だと思ったが、
何より彼の話すような、自分の好きな写真を撮って、
あちこち旅行できるような仕事が僕もできればなあ、と漠然と思った。

何者にも縛られないで、根無し草みたいにフワフワ生きていくのが
すばらしいと思っていたからだ。あの頃のそういう考えとかそういう意識とかは
今でも思い出せるし、心にちゃんと保管してある。


羽田界隈

2010-10-02 00:50:02 | 東京
大学院で後期の授業が始まったので、半休をもらって
大阪から飛行機で東京に行ってみる。二週間に1度通学する予定。
今回、授業と言うかゼミが終わる時間が夜の10時なので
とても日帰りできないということで羽田空港近辺のホテルに泊まって
翌日7時20分の飛行機に乗って関西に戻ってきた。
関空に着いたのが8時40分。そうか、この時間のフライトなら普通に
出社できるんだな。

授業が終わったのが夜10時で、そのあとホテルに着いたのが
11時過ぎ。そのあと、コンビニで弁当とか食べて部屋で食べたのが12時過ぎ。
無茶苦茶メタボリックな生活サイクル。しかも大酒飲んで知らないうちに寝てしまった・・・。

ということで羽田空港界隈に泊まりつつも、
あまり街を見ていない。唯一みたのが、翌朝空港に向かう
シャトルバスの窓から見た、赤い大鳥居。鳥居がこんなところに。
なんか和んでしまった。まわりに何もない。神社もない。
ただ赤い鳥居があるだけ。なんでこんな引き寄せられるのか。