日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

いつか行きたい場所

2008-01-29 07:01:06 | フランス語
オランダの北部海岸、北海沿いに細長く
大陸と平行して浮かんでいるような列島がある。
フリージア諸島だ。
なんか寒々しい北海に浮かんでいるその姿がすごく
痛ましくて、か細げで、いつか行ってみたい場所だ。
たぶん、寒くて荒涼としているだけなんだろうけど。
海岸線をビュービュー吹き付ける風の中、
ぶらぶら散歩していたいとかと思うんだが。
そういう話をフランス人の友人としていて、つい
フランス語で

j'aime bien y aller(そこに行きたい)

と言ったら、「一回も行った事のない場所に対して
そういうのはおかしい」

j'aimerais bien y aller(そこに行きたいのだが)

と条件法を使わないといけない、と言われた。
ちなみに前者はすでに一回でも行った場所、
知っている場所に対して使用するもので
「そこに行くことが好きだ」という意味にしかならない
と言われた。

純化されたメッセージ

2008-01-27 17:34:11 | 読書生活
今週の後半は労働争議に巻き込まれ、いろいろ矢面に立ち
ろくなことがなかったばい。こういうとき会社組織っていや
だとつくづく思う。フリーでやってると気楽なんだけどねえ。
しかも自分なんか大して責任ある立場にないんだから、
交渉相手に選ぶなっつーの。

さて、15年くらい前に買った雑誌「エスクワイア」の
野地秩嘉の記事に以下の文章があった。すばらしいと思う。

   ★ ★ ★

人と会って、話をして、何かひとつでもそれまでに分からなかった
ことが解決すれば、私はもう満足してしまう。自分が遥かに
進歩したような気がしてくる。氏の家を引き上げた後、
私には何も不満がなかった。

   ★ ★ ★

是非はともかく

2008-01-24 07:23:12 | 自分について
「是非はともかく」という表現はフランス語で
A TORT OU A RAISON
というらしい。今度使ってみよ。

それはともかく昔、小学生とかの頃、クラスに絶対数人、
いつもニコニコ笑っていて誰とも摩擦のまったくない
クラスメートというのがいた。
とりたててかわいいとか、頭がいいとか、
取り柄があるわけじゃないんだけれど、誰とも仲良くして
気持ちよくやっている大人しい人たち。
子供心にああいう人間になれればいいなあ、といつも
思っていた。要するに僕はすごい人見知りで、引っ込み思案で
他人とかかわるのが億劫だったので、そんな存在だったら
楽なんだろうなあ、と漠然と思っていたわけだ。

でも幸か不幸か、10代のうちはそんな存在になることは
決してなかった。黙って自分の殻に閉じこもるとしても、
いい人ぶってニコニコするにしても結局、なんだか
浮いてしまうのだ、変に目立っちゃって。

そのうち大人になって、他人にほっとかれることも
自己主張して他人の前に出ることも、自分でいることに
とってはなんの変わりもなく、大したことではない、
と思うようになってしまったのだが。
他人になりたいと思わなくなってしまったということか。

ちょっと充実した日

2008-01-22 06:49:26 | パリ左岸
今日は前々から準備していた(かなり手作りの)
記者会見の当日。
フランスのジャーナリストを集めて自分の今後
やるイベントの説明会というかコンフェランスを
やったのだが、思った以上に記者やら、業界の人
が集まってくれて満足な一日だった。出席の
返事をくれた人の8割が実際に出席したし、
コンフェランスを手伝ってくれた同僚も
「今日のイベントはよかった」って口々
に言ってたし。参加者も満足、主催者も満足、
なんてなかなかない仕事だったのだ。
バレリーもsympa!と満足してたしね。

その後午後、怒涛のように電話がかかってきて
内線やら外線やらで10分おきに電話にでている状態。
こんなに忙しくていいのか?しかも忙しさの割りに
全然報われてないし。トゥーロンで日本関係の仕事を
しているフランス人からも電話かかってくる。
そういえばコンフェランスでリールからきた人とも話したな。
まあ、リールはそんな遠くないからいいんだけど。
などと今日はフランスの地方とコンタクトした日だった。

カンの城壁

2008-01-20 18:32:07 | フランス
カンから戻ってきてもう3週間ぐらい経つのだが、
なんか最近いろんなことが多すぎて、あとやらないと
いけないことが多すぎて、もう半年も経ったような気がする。

あと、年末年始の暴飲暴食がたたって、太ったんだよなあ。
進められるままにあちこちで食べてたら、よく考えたら
フォワグラとか3回も食べちまったぜ。カロリー取りすぎだって。
こんなんじゃ普通のおじさんになってしまう・・・。

写真はカンの街の真ん中にそびえる城壁跡。

間抜けという言葉

2008-01-18 07:15:41 | フランス語
うんざりする、ということを指すフランス語はすごいたくさんあるが、
最近覚えた表現。

C'est rasoir.

「それはかみそりだ」ということなのだが、なぜかうんざりするという
意味になるらしい。確かに、ひげまわりに関する単語はすべてそっちの
意味になるもんな。la barbeとか。

今日、会議に出ていたらバレリーがいきなり、ある意見を述べた同僚の
フランス人に、

Arrêtes de parler comme un couillon!
(間抜けみたいなことを言うな!)

と言ってみんなを驚かせた。確かにつまんない意見だったんだけど、
couillonなんて言うか、普通?

グアドループと南西諸島

2008-01-16 06:55:36 | パリ左岸
南西諸島というか、自分の生まれた鹿児島の種子島の
写真をネット上で見ていたらグアドループ出身の警備員が
やってきて「グアドループと景色がそっくり」とコメントをした。
まあ、グアドループに限らず、南のほうの島の空とか海の色とかって
よく似ているんだけど。日本だろうが、カリブだろうが。
でもいつかこの警備員と廊下で立ち話してたら、東京から来た
人に「おまえら兄弟みたいに似ているよなあ」とかって言われことがある。
日本人とグアドループ人に共通点があるんだろうか?
ちなみにグアドループにも少数ながら日本人が住んでいてコミュニティを
形成しているそうだ。日本人はオープンで固まったりしないから
地域の人に評判がいいらしい。逆に中国人には警戒感があって、
中国系スーパーの放火事件も起こっているらしい。

その後久しぶりに外部の会合に出席する。あまりに長い間
サボっていて出席していなかったので除籍されそうになっていた。
で、ブランクのせいで話し合いのフランス語にもついていけず
壁にかかっている写真のパネルとか眺めていたぜ。

もうすぐあるイベントの記者会見を事務所で開こうとして
同僚とあれこれ現在活動中。ダイレクトメールを出したり、ネット経由で
情報を流したり、ジャーナリストに電話かけたり、会見用の
プレスリリース作成したりと結構バタバタしている。
でも、なんか手作りで仕事しているみたいで楽しい。
普段は巨大企業とか巨大行政機構とかにつぶされんばかりの
何の方向性も分からない様な仕事ばっかりだし。


ダンス三昧

2008-01-15 07:13:23 | パリ左岸
「おまえは極端だ」とよく指摘されるがまさにそう。
先週から狂ったように(ってほどでもないか)コンテンポラリー
ダンスを見に行っている。木曜は市立劇場(タイトル忘れた)、
土曜の夜はシャイヨー劇場でマルセイユバレエ団のsilent collision
(カルビーノの『見えない都市』にインスパイアされた作品)
で、今日はパリ国際大学都市劇場でのダンス、"as far as"。

なんか立て続けに見るとどうもよく芸術を咀嚼できず、
理解も感動も薄いかも。一個だけ見ればうまく理解できるわけでもないが。
as far asはアバンギャルドで良かったんだけどねえ、全裸のダンサーが
踊り狂い、そのうち服をだんだん着ていくところなど。
でも、最後らへん、照明が暗すぎて舞台で何やってるかよく分からなかった。
踊りも従来のダンスのように「型」があってそれに沿って
踊るわけじゃなくて、本当に「動き」の連続という形。
まあ、型を壊すことからコンテンポラリーダンスは
始まった、なんてどっかで読んだが。

大学生の頃の自分

2008-01-13 11:37:39 | 自分について
まったくひょんなことで、自分の会社の日本にある本社の某職員から
僕にメールが転送されてきた。その職員も僕はよく知らないのだが。
なぜかというと、僕の大学のときのクラスメートが本を出版したらしく、
彼が僕の会社に、なぜか分からないがその著作を寄贈したらしい。
で、寄贈にあたってうちの会社に出したメールが、「大学の時の
同級生の○○○○氏(僕の名前)が貴社にいることは知っていますが、
部署も分からなかったため、ぶしつけながら貴部署に送らせていただきます」
とかそういう文面。で、メールをもらった人が僕の名前が出ていたと
いうこともあって、気を利かせて僕に転送してくれたらしい。

と書くと僕がそのクラスメートをよく知っているみたいだが、実は
それまですっかりその人のこと忘れてたんだよね。全然なじみないや。
思い出したことには思い出したけど。
大学のとき、僕はなんか浮いてたんで、クラスに仲のいいやつも
いなかった。しかもそれはそれでいい、とかって思ってたから
状況にはなんの改善も見られなかったんだが。
九州の大学に通っていたんだけど、入学して3ヶ月ぐらいで
「こりゃ、入るとこ間違った」と思ってしまったぜ。というか
自分も周りも違和感だらけで、こんなんじゃ続かない、と思ってしまった。
なんか学部の同級生ってみんなすごい普通な人間ばっかりで
普通の人生はやめようと思っていた僕にとっては居心地の悪さしか
なかったんだよね。同級生と話していても、学食で飯を食っていても
「なんでこんなことが面白いんだろう?」とか「なんでこんなことで
びびるんだろう?」とか「なんでこんなことにこだわるんだろう?」
とかそんなんばっかり。で、フラストレーションたまりまくりだった。

そんでもっと広い世界を見たいと思って、フランスに留学したり
東京に就職したり、したんだけどね。広い世界を見たいというのは
今も変わらないが。もちろんあの頃よりはちと消極的かも。

カンの週末(9)

2008-01-12 17:20:03 | フランス
そのあとはまた市街中心部に向かってぶらぶら歩いていく。
まだ人気の少ない街角を進んでいくと、懐かしい建物に出くわした。
ノルマンディー特有の木組みのこの建物、郵便博物館だ。
古さは半端じゃない。いつからこの建物は建っていて街を
見守っていたんだろうか。

全然関係ないが、僕はざらざらの手触りのものが好きで、
それは物理的なオブジェに対してそうであると同時に、
またそういう感覚の映画とか絵画とか、アートについても
いえるのだが、これってフランス語じゃ「rugueux」というのだと
最近学んだ、ってどうでもいいんだけど。

カンの週末(8)

2008-01-11 08:22:35 | フランス
翌日の朝は早起きして(というか前夜に9時という
普段ありえない時間に就寝したため)、友人宅近くにある
懐かしい競馬場の周りを散歩する。
ノルマンディーの町にはこうして町外れにただっ広い
競馬場がある。どんな田舎の町にいってもある。
競馬が大衆の伝統的な娯楽なんだろうか。といいつつ、
場内をジョギングしている人しかいないんだけど。

博多の繁華街もいまや遠くなりにけり

2008-01-10 07:53:10 | 福岡
九州の、高校の頃からの友人から葉書が届く。
いつも定期的に連絡をくれる殊勝な友達だ。
絵葉書の写真は福岡の岩田屋。昭和35年。

岩田屋というデパートは福岡でたぶん、一番
有名なデパートで、昔はゴジラの映画なんかにも
出てきたぐらいの老舗百貨店だ。僕もよく
大学生の頃には遊びに行っていた。何も買うものなんか
なかったけれど、なんか地元の百貨店という感じで
いい感じなのだ。そういえば地下に大規模な食品売り場
が当時あって、よくコーヒー豆を買いに行っていたかも。

昭和35年当時の岩田屋は天神にはない。博多駅の北、
呉服町にあったらしい。当時は呉服町、中州が福岡の
商業の中心だったらしい。今は見る影もないのにね。
そんな時代の空気を伝えるようなモノクロのはがきの写真を
見ながらなんかノスタルジックな気分に浸る僕だった。
僕の知らない博多がまだたくさんあるとよね。

久しぶりに旧友と電話で話す

2008-01-08 07:33:32 | 自分について
ニューヨークに行ってフリーライターをしている
旧友(女)と1年ぶりにくらいに電話で話す。
東京にいたときの中央線沿線の飲み仲間で、
よく安い居酒屋を朝まではしごしていたものだ。
あの頃はいい時代だったなあ。
中野駅前、高円寺駅前、西荻駅前がテリトリーで
自然食のレストランで健康的な夕食をとったあと、
白木屋でイカげそを食う、などまったくちぐはぐな
ことをしていた。今もあまり変わらないが。

彼女は相変わらず僕のことを「自意識過剰の勘違い野郎」と
思っているらしく、そう電話口で連呼される。あと「独身一直線」とも。
彼女は「今までの男の中で一番長く続いた」という理由で、
今のダンナと結婚して、楽しい生活を送っているようだ。
僕は、別に意識しているのではないが、よく考えると
本当に独身一直線だ。もういい歳になっているのだが。
日本でもフランスでも少ないながら恋愛経験はあるのだが、
毎回「なんか違う」「なんか足りない」という思いを
繰り返しているちに、今に至るというわけだ。



カンの週末(7)

2008-01-06 17:16:57 | フランス
大学の中をぶらぶらするのにもいい加減厭きてきて、
ぐるっと引き返し、カンの市街地のほうへ。
カンの街は町の中心部に城跡が陣取る。城跡といっても
中世の城壁が丘を取り囲むように残っているだけで、
本体自体は跡形もない状況。あと堀の跡か。なんか福岡城跡みたいだな。

写真はその城壁の上から取ったカンの市街地。


カンの週末(6)

2008-01-05 06:09:42 | フランス
もう少しキャンパスの緑の丘を上っていき、
眺めのいい場所で腰を下ろしてみる。眼下には
カンの町並みとノルマンディーの平原が広がっている。

1991年の6月、天気のいい心地よい夕方、
同じ場所に腰を下ろしたのを覚えている。
種ともこの歌が頭の中でグルグル回っていた。
その唄(the rainbow song)にピッタリの景色だったからだ。

やっぱり僕は今でも種ともこやその歌が好きだ。
なんにも自分は変わってないんだなあ。