日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

地名の不思議

2008-12-28 11:11:12 | フランス語
スペイン語の時間に、いきなり出てきたフランスの都市名。

Burdeos

一体、どこのことだろうと思ったら、ボルドー(Bordeaux)の
ことだった。全然違うやんけ!
ボルドーはフランスの西南にある、とかそういう簡単な
例文の中に出てきたんだけど・・・。

地名というのは不思議で、各国(というか各言語)がいかに
世界を見ているのかが垣間見れる要素かもしれない。
アーヘンの和約で有名なドイツのアーヘンの街なんて
フランス語だとaix la chapelle(エクス・ラ・シャペル)
だもんね。知らないと全然見当がつかない。
グローバリゼーションの時代だからこそ、バラバラの言語、
バラバラの地名が残ってたらいいなあ。

今日から福岡帰省します。




丸の内界隈をぶらつく

2008-12-25 23:54:14 | 東京
仕事納めもあしたに差し迫った今日、丸の内界隈で
昔からの友人と小規模な忘年会など催す。なんで丸の内かというと、
何週間か前、丸の内の丸善に本を買いに来たとき丸の内界隈のミニコミ
新聞みたいなのが出ていて、そこで紹介されていたスペイン料理の
店になんとしても行きたかったからだ。俗っぽいかも、自分。

友人はフランスの事務所で同僚だった人だが、転職して
今は東京のNPOというか某民間財団で働いている。で、一緒に
スペイン料理の店に7時半ごろ行くと、「予約が一杯で待ち時間
1時間」とかと言われる。仕方ないので、天ぷらの店などに行く。
スペイン料理より空腹のほうが、行動の決定原因だった。

友人としゃべっていて、なんか文学の話になって、偶然、
清岡卓行が一昨年亡くなったことを知る。清岡卓行と言えば
高校生の頃、「アカシアの大連」を読んで以来、ずっと心の中に
生きていた作家だった。文学とか、文章の高潔さとか、そういった
概念が死語になりつつある現在、ずっと現役の、自分にとっての
日本文学の金字塔みたいな作家だったのだ。彼は亡くなってしまったのだ。
じゃあ、今は、誰の小説を読めばいいのだろうか?
重松清か? 沢木耕太郎か?

まじめな人々

2008-12-23 23:08:19 | 東京
東京にいるから、というわけじゃないけれどたまに
周りの人間のまじめさになんかうんざりしてしまうことがある。
いやあ、真面目ということはいいことなんだろうけど、
なんか根拠のない真面目さというか、小学生みたいな真面目さを
持ったまま大人になったような人がいて、なんか気に障るのだ。

こないだも、サブカルチャーの話を職場で世間話的に
話していたのだが、彼は、「今、ちょうどサブカルチャーを理解する
ためにその関係の本を読んでいるところです」と言っていた。
というか本読んで理解するもんじゃないって、サブカルなんて!

多分、彼は子供の頃から周りの大人から宿題を与えられて、
それを一生懸命解いて、提出して、褒めてもらって、復習して、
そしてまた次の宿題が来るのを待ってたんだろうな。そして学校を
卒業してもう何十年も経つのに、彼はまだそんな、同じことを
やっているような気がしてならない。
答えが見つからない問題なんて人生にはあちこちに転がっているのに。

忘年会シーズンに

2008-12-23 00:16:58 | 東京
忘年会なんて自分には関係ないと思っていたのだが、
なんやかんや言って、お世話になった人や会社の部署などの
忘年会が先週から立て続けに入り、胃がもたれちゃって
日曜の忘年会をドタキャンしてしまった。
おかげで主催者を怒らせてしまった。じゃあ、最初から
行くなんて言わなきゃいいのに、などと自分に突っ込み。

先週、金曜のライブで種さんが言っていた言葉をまだ覚えている。
人生の中で、上げ潮ムードで、勝ち続けているときはいい。
でも人生、どちらにしろ勝ち続けることなんてできない。
むしろ運勢が下がっていて、負け続けているとき、どういう自分でいるか、
負けているときの自分をどう生きるかが難しいと。
そうだよなあ。自暴自棄にならないで、でも、自己憐憫なんかの
感情に襲われないで、負けていても凛としているのは
難しいんだろうな。






今年最後の種さん

2008-12-19 23:59:12 | 種ともこ
今年最後の種さんのコンサートイベントが
赤坂のカフェ、ファンソンカフェであったので行ってきた。
狭い店内は15人ほどしか入らないが、暖かいレンガの壁に
至近距離の種さんの生声が反響してとてもいい感じだった。

歌った曲はthe rainbow songとかあの頃アタシもカナコも、
流星群、泣いた、守ってあげられないこと、から
シンディローパーのカバー、クリスマスらしくワムのラストクリスマスなど
多彩なラインナップだった。

ところで種さん、久しぶりにツアーで日本を回っているとき
新幹線の窓から、農家の、大村昆の板なんかいまだに貼ってある
一軒家なんて見えてはなんとも懐かしい気持ちになったという。
あの家でたとえば自分が高校生だったら、どんな暮らしをしているだろう
なんて想像したりして。
そして、今自分が住んでいる狭い世界で、よかれと思っていることは
きっと、その大村昆の看板のかかっている家ではきっと通用しないんだろうな。
それが外国であったらなおさらそうなんだろうな。
だからこそ僕らは旅をするんだろうな、という話をしてくれた。
まったくそうだと思う。自分のつまんない世界観なんて全然通用しない
ような場所に行って、通用しないことを知るために旅をするんだろうな。

ハンバーグの匂いがする

2008-12-17 23:39:54 | 西荻
J-WAVEを聞いていたら、夏木マリが出ていた。
かっこいい大人とはどういう人間か、という質問に
「人をちゃんと愛せる人」とコメントしていた。確かにそうだ。
友人の死や人生への失望で暗い画風の絵しか描いていなかった
「青の時代」のピカソは、人を愛し、人から愛されることを知り
暖かな色調の「バラ色の時代」に移行したとどこかに書いているのを
読んだことがある。あのバラ色は愛の色だったんだ。

全然関係ないが、今日は西荻駅前の大戸屋に会社帰りに
ぶらっと寄ってみた。もう10時を過ぎていたし、なんか買い物して
家で一人で夕食を食べる記になれなかったのだ。
文庫本を読みながら、ハンバーグを食べ、食べ終わるとまた本を覗き込み、
とせわしない食べ方なんだが、ふと本から顔を上げてみた。
店内の席にパラパラ座っている人々。みんな一人で座って
黙々と箸を動かし、口を動かし、食事している。一瞬、このレストランが
どこかの学食みたいな錯角に陥った。黙って、話し声さえ聞こえない。

セビリヤの聖人

2008-12-15 23:19:52 | スペイン
ある日、地下鉄の構内を歩いていたら巨大なスペインの
カテドラルのポスターが。近づいてみると講談社の
ムック TRANSITの最新号の広告だった。
スペイン、ポルトガル特集と聞いていてもたってもいられなくなり
翌日、本屋で購入。最初のページから最後のページまで
至福のひと時であった。マドリッドが、ビルバオが、
リスボンが、イベリア半島の空気があちこちの記事からあふれているようだ。
しかもいいところは、客観的な歴史や文化の説明に加えて、
ライターが自分で旅をしたスペインがそこにあるのだ。
実際にいろんな街角で出会った人々の笑顔や、ライター自身の感傷。
いろんな感情が詰まった文章にしばし、ページをめくる手を休めて
ぼーっとしてしまった。

中でもよかったのは東京を抜け出し、セビリヤに30年間住んだ
ヒッピー全盛時代の英文学者、永川玲二の記事。ジプシーの住んでいた
地区としても有名なトリアナ地区に居を構え、さまざまな国籍の
人々が行きかうコミュニティーで自身の思想を他人とぶつけあう人生。

作家の丸谷才一が彼への追悼文として書いて文章が引用されていた。

     *     *     *
わたしたちは生きてゆく途上で、ときどき初心を忘れ、冒険の
意欲が薄れることがあります。さういうときに、まるで神話に
出てくる放浪の王子のやうな彼の行き方、彼の面影を思ひ浮かべる
ことは、自分を励まし奮ひたたせるのに非常に役立つやうな
気がします。

めまい系のアート

2008-12-13 20:23:10 | アート
あまり関係ないが、こないだ大枚をはたいて冬物のコートを買った。
3万9千円もした。あこがれのTOMMOROWLANDのコートだ。
買うとき迷ったのだが、フィット系の、思いっきりカジュアル用のコートを買った。
で会社行くとき用のコートは、もう買わないつもりでいたのだが
最近の冷え込みに決心がかなりぐらつき気味。しかも実家の母親と電話
で話していて、ひょんなことでコートも着ずに会社に通勤していることが分かり、
「コートぐらい買え!」と怒られる。
仕方なく、今日新宿の伊勢丹MENS館に行ったのだが、ありえない値段の
コートばかり売っていて、3万9千円なんてかわいいもんだった。
あのアニエスBですら無茶苦茶コートが高い。あんなに高かったっけ、あのブランド。

とそれはそうと、原美術館のジム・ランビー展に行ってみた。
床一面、白黒のテープが引かれ、インスタレーションを鑑賞する前に
目が回る。原美術館全館がこの不思議な、うずまき状態になっていて
三半規管が狂いそうになるような展示だった。でも、面白い。
unknown pleasureというタイトルが付いている。密かな楽しみ?
写真は去年オペラシティであった個展のもの。

会議は進むが手元はついていかず

2008-12-11 23:41:24 | 自分について
あまり残業をしないようにしている。9時から会社にいるが、
定時は夕方5時半。まあ定時に帰ることはないが、たいてい
夜8時ぐらいに帰る。それを伸ばしても9時とか最悪で10時。
というのも仕事が楽しくて時間も忘れて残業するのであればいいが
(残念ながらそういうことはあまりない)、そうでないと
なんか鬱病になってしまいそうな気がするのだ。鬱病になったことはないが。
あまり長い間会社にいると、それ以外の生活を忘れてしまいそうだしね。

とそんなこんなでやってるのだが、今日の午後、結構重要な
会議に出た。管理職が出られなかったので代理出席。いろいろ
メモを取らないといけなかったのだが、始まってから5分で
ボールペンのインクが切れた。やばい。これは。
周りの人にペンを借りようと思ったが、誰も自分の分しか持ってない。
で、どうしたかというとインクの出ないボールペンでそのまま
ノートに書き続けたのだ。もちろんノートは真っ白。何書いたかも
あまりよく分からない。隣の同僚はギョッとしてみてたんだろうな。
なにせ1時間近く、真っ白なノートにインクの出ないボールペンで
メモ取ってたんだから。

で、会議後席に戻って、ノートの表面を鉛筆でこする。
すると、みるみるうちに黒字に白抜き文字が現れる。そうそう、
インクは出ないけど、文字を書いた場所はペンと紙の
摩擦でノートの紙の表面が凹んでいるから
この方法でメモの文字が浮かび上がってくるのだ。
で、鉛筆で一生懸命ノートを黒く塗りつぶしていると、また隣の席の
同僚にギョッとされる。

夢がみたい

2008-12-09 23:02:03 | 自分について
海外のニュースをPODCASTで聞いていたら
米国の失業率が6,7パーセントになり過去15年で最悪に
とのニュースが流れた。日本や英国の失業率も然り。
経済指標はどれもマイナスばかり。九州のリーディング産業
であった自動車産業も各メーカーが減産、人員削減を繰り返している。
政局も不透明、内閣支持率は最低水準。

ギリシャでは全土で警察に対する抗議デモが暴徒化する。
まるで数年前のフランスの郊外のようだ。
フランスでは社会党の党首選びが混迷を極めたすえに
オブリー法で有名な、リール市長、オブリーに。

とか日本のこととか世界のこととかいろいろ考えていたら
暗い気持ちになった。なんか自分がやっている仕事や
やろうと考えていることとか、考えるたびに、もう一人の
自分が、「こんな大変な世の中なのにそんなことやっている場合かよ」
とかなんか怒鳴っているような感じ。
ああ、でもこんな世の中でも夢がみたい。

ルオーの影

2008-12-07 22:58:34 | アート
前から行こう行こうと思っていた、ブリジストン美術館の
「都市の表象と心象」を見に行った。規模は小さかったものの、
19世紀後半、オスマン県知事のパリ大改造の時代の、さまざまな
政治の舞台になったパリの街角をリトグラフ、エッチング、絵画で
紹介している、なかなか味わい深い展覧会だった。エッチングって
非人間的で、結構苦手だったのだが、今回の展覧会のエッチングは
パリの19世紀の街角がつぶさに描写され、寓話的でもあり、
写真的でもあり、結構、見入ってしまった。

企画展のあとは常設展。よく考えたらこの美術館に来るのは6年ぶりぐらいかも。
そしてまた再会したのだった、あの絵に。ルオーの「郊外のキリスト」に。
アントニオ・タブッキの本を読んでいたら、中世のリスボン市民が
人生の災難や病気から救われるために、大勢が市庁舎の中にある
ボッシュの絵の前に集まってきた、という一節が出てきたが、
僕にとってもこの絵は、まさに一種の浄化作用を持ってるんじゃないか、
と思うくらいの思い入れの強い絵だ。要するに自分が不幸だった時期に
よく眺めていた絵なのだ。

何年かぶりにこの絵の前に立ってみると、前には気づかなかった
絵の部分が見えてきた。月は満月なのだが、完全な円ではなく、染みが
付いたように黒い雲が下のほうについている。
うらびれた郊外は、聖書の中の町というよりは、まさにパリ郊外の
サンドニのよう。工業地帯の高い煙突。そして画面のあちこちに付いた
しみのような黒点が時代の暗さや街の暗さ、そして人間の心に住む闇を
象徴しているようだ。建物には窓はあるけれど、明かりはついていない。
入り口も真っ黒でまるでシャッターが下りたよう。
まるで街頭をさまようキリストとその弟子を拒絶するかのように。

こんな孤独感や寂寥感が見る人を絵に向かわせるんだろうな。







九州人の背中

2008-12-06 00:36:31 | 自分について
仕事をしていると同じ部署の同僚がいきなり、
「○○さん(僕の名前)の背中は本当、九州の男、って感じですね」
と言ってきた。な・・・何を持ってそんなことを言うのだろうか?
実はその同僚も九州出身なのだが、あまり九州の話をすることはない。
というのも彼はもう大学時代から東京で、奥さんも東京出身のため、
九州へは年に一度、戻るか戻らないか、ぐらいの感覚なのだ。
そこいくと、僕は就職する23歳まで福岡に住んでいたし、そのあと
福岡でフリーターやっていたこともあるし、まだ「九州度」が高いのかも。
「背中が自分の親父の背中みたいだ」といわれる。
要は彼のお父さんが典型的な九州男児の親父さんで、その背中が
僕の背中に似ていた、ことが言いたかったんだろうな。
そのあとひとしきり、親父さんの話をされる。
ぐでんぐでんに酔っ払って家に戻ってきたこと、
それなのに会社の若い衆も連れてくること(これは我が家でもあった)など。

話しているうちに僕も自分の親父のことを思い出した。
うちの親父もすごい酒飲みで、よく「役所の飲み方」
(親父は公務員だったので)と称して、よく酒飲み言ってたなあ、なんて。

日本は広い、というか多様性あふれるものなのかも

2008-12-03 22:14:39 | 日本
仕事の関係で佐賀県に電話した。電話で問い合わせたかった
人間はおらず、70代と見られる、その人のお父さんが代わりに
電話口に出た。それが、見事なまでの、こてこての九州弁。
というか佐賀弁。あまりに訛りが強いので、こっちまで引きづられて
イントネーションがおかしくなってしまった。
「息子はおらんでね、そんで、どげんしよったらよかとですか」
とかそういう感じ。意味が分かる自分も自分だが。

これが欧州だったら、言語が違うとみなされるのでは。
きっと東京弁と九州弁の違いは、スペインの
カスティリヤ語とカタロニア語の違いより大きいんだろうな。
などと想像。そういえばバレンシアに旅行したとき、
地下鉄の表示や観光ガイドがスペイン語とバレンシア語の
二カ国で表記されていたがあれより、絶対違いは大きいはず。

そんなこんなで日本の近代化は地域の独自性や固有性を
中央集権の名の下に抑圧してきた歴史だったのだな、と
歴史に思いをはせる自分だった。

40回目の誕生日

2008-12-01 22:46:27 | 自分について
ということで待ってもいなかったのに誕生日が来てしまい、
今日、40歳になってしまった。よく考えると大台だ。
10台に乗ったときは何も覚えていない。子供だったから
10代になれるのがうれしかったんだろうな。
20台に乗ったときも、あまり覚えていない。親が鹿児島に住んでいて
何のゆかりもない鹿児島の小さな町に成人式に出かけたのを覚えている。
しかも遅刻して顰蹙。ああ、これから20代だ、なんてこれっぽちも
思わなかった。ただ人生をも邁進、という感じだった。
30歳になったときのことは覚えている。
今まで何も考えずに、やりたい放題やって、そのあげく30歳を
目前にして、これでいいんだろうか、なんて自問した。
世間はちょうど世紀末で、このままノスタラダムスの予言のように
世界が滅びるんじゃないか、なんてちょっと本気で思った。
そしてあれから10年がたった。ついに40歳になったのだ。
世界は滅びず、ノウノウと毎日が過ぎている。ボンベイではテロが
起きたけれど、僕の職場は何も変わらない。

昔は結婚もしなきゃ、親孝行もしなきゃ、社会のためにもならなきゃ、
なんて自分への課題の多い自分だったが・・・。
結婚にもなんか興味失ってしまったし。

職場で何度か「誕生日おめでとう」と言われた。でも
別になんとも思わなかった。
フランスの友達からメールが来て「誕生日おめでとう」と
書かれていた。これは嬉しかった。そして家族からの電話。