日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

カイリー

2011-04-25 16:24:55 | 大阪
大阪城ホールで行われたカイリーミノーグのコンサートに行ってきた。
結構忙しいときで会社の人の白い目を避けながらコソコソと夕方ほぼ定時に退社、
大阪城ホールへと走っていった。

といっても結局開演時間には間に合わず入場したのはコンサートが始まって
もう15分ぐらい経ってすでにカイリーはバックダンサーを従えて踊っていた。
最初の頃は周りを気にして、抑え気味に手拍子をたたいていた僕だったが、
30分ぐらいすると自分をセーブしきれなくなり、飛んだり跳ねたりして、
いわゆるタテノリになってしまい、手動かしたり、大きく手を振ったり、
激しいダンスをしたりと僕自身大変なことになっていたが、
どっちにしろ会場は暗いし、誰も周りの人間知らないし、ということで
結局2時間ぐらいその場でカイリーと一緒に踊り続けた自分。
スーツ姿でそんな一心不乱に身体を動かすやつはあまりいなかったような・・・。

カイリーはi love osakaなどと叫んでいたが、どの会場でも
そういうこと言ってるんだろうか?

お国根性

2011-04-24 14:43:46 | フランス語
ファニー・アルダンの朗読するマルグリット・デユラス原作の
「死の病」をアマゾンで購入。実はアルダンの同名の一人芝居も
見に行ったことがあるのだが、改めて朗読で聞くとすばらしい。

あなたは彼女に見覚えがないはずだ。
でも同時に彼女をあちこちで見かけているはず。
ホテルで、通りで、電車で、バーで、本の中、
映画の中、あなた自身の中、あなたの中、あんたの中に、、、

という冒頭で始まるこの話は、一人の孤独な男が
町で見つけた売春婦を、期限付きで、夜の間だけ買う筋が展開される。
夜の部屋と、そこから見える孤独と同じくらい深い暗い海とが
絶望的な二人の会話の間に挿入される。
これぞフランス文学の醍醐味、という感じですばらしいのだ。

とそれはさておき、電車の中でピーター・バークの本を読んでいたら
「お国根性」(esprit de clocher)という単語が出てきた。
直訳すると、「教会の鐘の精神」ということになる。フランスの
小さな村には必ずコミュニティのシンボルである教会とその教会の鐘が
存在しているが、象徴的なその鐘をいつも思っている精神、
転じてある場所や、ある人間関係にばかり執着するような性質のことを
指すようになったという。だからお国根性なんだが。、

4半世紀(2)

2011-04-22 15:43:43 | 自分について
ということでどういう風の吹きまわしか、中学3年の頃の同級生2人と
渋谷で飲み会する。四半世紀ぶりの同級生は、やはりアラフォーの
風体は見せつつ、当時の面影もちゃんと残っていて、そんな変わっていなかったのだ。

客観的に見ると、中学の僕は陰気で、おどおどしていて、おまけに
自己否定がひどく、でも自意識過剰で、今考えると友達なんかとうていなりたくない
タイプだったように思う。実際友達も少なかったしね。
そんななか、大して仲もよくなかったのにこうして飲み会に声をかけてくれた
クラスメートにちょっと感謝してみたくなった。
たわいもない、同級生の消息とか、好きだったアニメやマンガの話とか
そういう話で何時間も喋ってしまった。過去はいやだが、過去を誰かと
共有できるっていいなあ、と思う。

4半世紀

2011-04-20 14:17:19 | 自分について
今日歯科で親知らずを抜くだの、抜かないだのそういう話を歯医者としているとき、
「親知らずは、40ぐらいまでは成長するんですよ」みたいなことを言われ、
「いや、もう俺、42歳だよ」と反論しようと思ったが、別に言っても
しょうがないので、「はあ」と黙って聞いていた。

とそれはどうでもいいのだが、明日東京に行って、細かい私的な用事を
済ませた後、四半世紀ぶりに中学のクラスメート2人と呑みに行くことに
なった。今年になって始めたミクシィ(しかも今はもうやっていない)で、
偶然つながった同級生だ。

懐かしいんだが、実はあまり覚えていないのであって見分けられるか
どうかが心配だ。向こうも僕のことが分からないだろうが。
何しろ、中学の頃の僕はやせていて青白くてひょろひょろっとしていたから。
しかも、そのクラスメートたちとはそんな仲が良かったという
訳でもない。
と、そんな事情なんだが、なんかあってみようという気になった自分に
驚いている。普段は人と会うのがすごい億劫で、仕事じゃなかったら
全然人の中にはいって行かないような性格なんだが。


最終目的地(4)

2011-04-18 14:38:20 | 読書生活
亡くなったユルス・グントの愛人で、現在は彼の妻と兄との奇妙な
同居生活を続けているアメリカ人のアーデンを映画の中で演じるのは
シャルロット・ゲンズブールだ。
アーデンの、どこか厭世したような、臆病で、物静かで、自制的で、
しかし繊細で、芯の強い複雑な性格を、その華奢なシルエットで演じる
シャルロット・ゲンズブールはまさに当たり役といえる。

アーデンは感情と言うものをあまり信じていない。信じていないというより
ある時期からそれを表に出すのが億劫になってしまったようだ。
彼女自身が、自分の子ども時代を短く話すシーンがある。
心の琴線に触れるようなセリフなんでここの引用しておく。

   *     *     *

わたし、人がもって生まれる感情の貯えには限りがあるんじゃないかと
思うことがあるんです。子供の頃、船に乗ると、食べ物や水やいろいろな必要な
ものが、どんなふうにしまわれていて、どんなふうに使い果たされて、
毎日どんなふうに船が軽くなっていって、どんなふうに食べ物がわたしたちの
体を通って海に流されるんだろうって考えたわ。船はどんどん空っぽになて
浮かんでいくの。わたし、大人になるってそういうことだって考えていたんです。
虚ろに、空っぽになっていくことだって。大人たちは感情が空になってしまったから、
せわしなくて意地悪なんだと思っていた。

最終目的地(3)

2011-04-15 17:44:23 | 読書生活
「過去とは、別の国ようなものだ」という表現がこの本には出てくる。
過去とどのようにつきあうか、それがこの本の大きなテーマになっている。

なくなったユルス・グントの未亡人、キャロラインは、過去を振り返るなんて
無駄だ、という義兄のアダムに次のように言う。
「わたしはそうは思わない。だって分からないでしょう-過去を振りかえらなければ
自分自身のことは少しも分からないわ」

本に登場する三人は、もういないユルス・グントの亡霊のような思い出に取り付かれ、
この地の果てのようなウルグアイの荒野の中の一軒家で思い出と格闘しながら生きている。
オマーが伝記を書くのに公認を与えないのも、もう死んでいるユルスが
もし生きていたら伝記をきっと望まないだろうから、という理由だ。

あまり関係ないが、来週、中学を卒業して以来あっていない同級生にひょんなことで
東京で会って飲みに行くことになった。卒業以来だからもう25年以上
会っていない。というか写真もないのに見つけられるんだろうか。
なんか自分の「過去」に会いに行くようで不思議な感覚だ。

最終目的地(2)

2011-04-13 14:02:31 | 読書生活
歯医者の帰りに、関西空港のターミナルの中でシャツ買おうと思って
レジに持っていったら、「関空の従業員の方ですか?」とレジの人に言われた。
従業員だったら割引があるのか?もしくはよっぽど関空で買い物をする
スーツ姿のサラリーマンって珍しいのか?

とそれはさておき、『最終目的地』はこんな話だ。カンザス州の大学院生
オマーは博士論文のために、欧州から南米ウルグアイに渡りそこで非業の死を
遂げた作家・ユルス・グントの伝記を書こうとする。
公認の伝記を書くためには、遺族の伝記を書くことに対する承認を得なければならない。
半ば衝動的に公認を受けるためウルグアイに渡ったオマーは、広大な草原の中で
ひっそりと暮らすグントの遺族、彼の兄、妻、そしてアメリカ人の愛人の三人に出会う。
そしてそこからオマー、三人の遺族の人生が少しずつ変わっていくのだ。

上のようなプロットだが、登場人物それぞれの言葉が、すばらしい。まるで
本当に生きた言葉のように描かれている。

-それって私にはちょっと不思議に聞こえるわ。仕事しだいで住む場所が決まるなんて。
まさか、あなた、そこまで現実の言いなりになっているわけではないでしょう?

-(彼女は)名作の模写をしているの。もう自己表現ではないし、彼女の芸術でもない。
彼女は絵の中から自分を取り去ってしまったの。

-わたし、そういうの、大嫌い!自分の考えが分かっている人なんているはずないわ。
あなたはただ、自分の考えを言うのが怖いだけよ。

-怖いと思うのはかまわない。大事なのは、怖いのを理由に、正しいことをしたり
欲しいものを手に入れたりするのをやめないことだ。やめたら、それは臆病者だ。

-なんていうか、わたし、過去がきらいなんです。自分の過去が、いやでたまらないの。
-どうしてですか?
-ばかみたいなんですもの。行き当たりばったりで。筋道があるわけでも、発展して
いくわけでもない。ただ、どこかにぶつかてはよそに飛んでいくばかりで。だから、
ポーシャには安定感を、ここが家だっていう感覚を与えたいの。地理的なものまで
含めた、ありとあらゆる意味で。わたし、どこかの場所と結びついているのって
大切だと思うの。

最終目的地(1)

2011-04-10 16:18:04 | 読書生活

久しぶりに小説というものをアマゾンで買って読んでいる。
ジェームズ・アイボリーの映画にもなった、ピーター・キャメロンの
「最終目的地」だ。実はフランスにいるときに、まだ日本語に翻訳される前の
仏語版で読んだことがあった。そのときのタイトルは「là-bas」(あそこ)
と非常にシンプルで、でも深いタイトルだった。

本書の感想は別として、ここ数年、なんやら学業の関係もあり
北大西洋条約機構とか、欧州連合とか、なんかそういう堅い本ばかりに慣れていたので、
その頭でこういう、どこかメランコリーな、人間の機微を描写するような
小説を読むと非常に違和感を感じる。まあ、どちらもいいのだが。
あるフランス人の読者がこの小説のことを、ペタンクに例えていた。
ペタンクは、ビュットに向かって、金属のボールを投げるゲームであるが、
意識的もしくは無意識にボールがビュットからそれて他のボールに
あたってしまうと、それによって全体のバランスが崩れ、まったく違った
模様ができる。その、トリックスターのようなボールが、この小説の主人公オマールだ、と。

ピーター・キャメロンお得意の、映画のシナリオのようなセリフ(実際
映画になったが)がこの小説にはちりばめられている。感慨深いので
引用しておこう。

-このネクタイは1955年にベネチアで買ったのだよ。幸せなときには美しいものを
買うことが大事だ。このタイを見ると、わしにも幸せな時代があったことを思い出す。

-でも人生って、かならずしも-なんていうか、人生の楽しみっていうのは、
かならずしもものすごく実用的だったり、ものすごくエコロジカルだったり
するわけじゃないのよ。

-わたしには、世の中がそんなことろだとは思えないんです。人が冷酷に、意地悪く
行動するだろうって、あらかじめ想定することなんてできない。人って、常識を
わきまえて、プライバシーを尊重するものだと思います。




世代の壁

2011-04-07 15:41:21 | 大阪
今日はうちの会社の新入社員(といっても小さい会社なんで
数も少ないんだが)と話す機会があったのだが、みんな真面目ですごい
びっくりした。自分が新入社員ときはすごい緊張しつつも
年取ったおじさんなんかを馬鹿にしつつ、あまり器用に振舞えず
結構情けなくジタバタあがいていた記憶があるのだが、今日会った新人君は
質問してもかなり優等生的な答えしか戻って来ずに、
なんか聞いていても結構疲れてしまったのだが。

家に帰ると昨年、修士論文でお世話になった、モロッコのラバト在住の
友人からメールが来ていた。転職が決まったらしく、今度は
コート・ジボワールらしい。象牙海岸。
きっと彼女はそれがフランスであってもスイスであっても、
モロッコでもコートジボワールであっても平気な顔で
働くんだろうな、と半ば感心しながらメールを読む。

モロッコでもかなり遠いのに、コートジボワールはもっと遠いなあ、
なんて友人のことに思いを馳せる自分だった。

海鮮居酒屋

2011-04-03 15:50:59 | 大阪
難波の海鮮居酒屋で、大学のときの同級生で、たまたま大阪で
仕事をしているやつと飲む。彼とは昔から知り合いで、大学生の頃も
友人グループと一緒にドライブしたり、あと、
就職してからも、実家の近くの大学に彼が勤務していたこともあり、
飲みに行ったこともある、まあ、旧知の友人だ。

飲み始めてから友人がすぐに、「ウコンの力」を飲む。
これを飲むと、翌朝、アルコールにもかかわらず目覚めがすっきりするらしい。
あと、12時近くまで難波で飲んでいて、「やっぱ〆はとんこつラーメンやね」
などと福岡の大学生のようなことを言って、黒門市場近くのラーメン屋に
とんこつ食いに行ったのだが、そのときには胃腸薬を飲んでいた。
こうするのが翌朝いいらしい。

確かに飲んだ後の〆のとんこつラーメンは良くないらしい。
と分かっているが、友人と飲むたびにそのような展開に・・・。
もう大学生じゃない、と分かっているのだが。
あと僕はウコンの力とか、胃腸薬とか全然飲まないので、
二日酔いになったときかなりつらい。でも、そういうの真似する気にもなれないしな。

自分のようなものでも

2011-04-01 15:35:18 | 大阪
ブローデルの「文明の文法Ⅱ」を読んでいるのだが、この
原題はgrammaire des civilisations
となっている。なぜ、「文明」が複数形になっているかというと、
西欧文明以外の中国文明やインド文明、イスラム文明なども
扱っているからだ。もし、そういった文明の複数性を無視して、
西欧帝国主義がしたように、未開の農村社会(=国)から西欧の
しかるべき文明というものに連れ出す、といった意味合いであれば
「文明の文法」という邦題は同じでも、フランス語は
grammaire de la Civilisation
となるだろう。あと、文法、といった単語に重きをおいて、
文明に関する文法、文明化のための文法、といった意味でのタイトルだと、
定冠詞が抜けてgrammaire de civilisationとなるのかな。

とそれはいいのだが、大学院の教官が電話をくれた。
4月から、もう大学院は終わったのだけれど、ゼミに出席しないか、
との誘いだった。本当に今月からどうするか決めていないので
途中だったスペイン語の講座にでも通おうと思っているのだが、
まあこんな風に声をかけてもらうのはありがたい。

こんな毎日を続けていると、なんかなんのキャラクターもない
のっぺらぼうな人間になりそうだなあ、などと思った。
難波に行ったついでにとんこつラーメンを食べ、
法善寺横丁の水掛地蔵に水をかける。大阪で一番落ち着くスポットだ。