日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

ケルンという町(2)

2012-11-26 22:25:25 | 海外(フランス、スペイン以外)
ケルンでは午後4時半にもなるともう町は薄っすらと
闇に沈み始める。もともと曇り空でさえない、暗いドイツの冬に
日の短さが拍車をかける感じ。昼間もずっと明かりをつけている
アパートの窓辺の風景など、電車の中から眺めてみる。

パリよりも夜が早いのはやっぱりケルンが東にあるからなんだろうな、
と思う。はっと日本のことを思い出した。東京に初めて住み始めた時、
夜が早いことにショックを受けたことがある。福岡は西にあるため
冬でも6時近くでも明るいのだ。

旧市街の石畳の一角を歩いていると、通りにせり出した
ビストロのようなバーで、ビール片手に騒いでいる若者の一群がいた。
そのうち彼らはもっと盛り上がって歌まで歌いだす始末。
まだ時刻は5時を回った周りなのに、もう夜が始まっているのだ。

電車までまだ少し時間があったのでライン川にかかる橋に行ってみる。
橋の上からライン川を眺める。初めてみるライン川。
上流方向へも下流方向へも多くの船がひっきりなしに往航している。
海運というのはこういうものなんだなあ、と一人納得。
河川交通なんて言葉で聞くのは簡単だけど、それがどんなもんか
やっぱりこうやってライン川を目の前にして体感してみないと
分からないもんだな。

写真は橋から見上げた大聖堂。

ケルンという町

2012-11-24 23:29:00 | 海外(フランス、スペイン以外)
ケルンの近くで仕事があったので、パリからTHARYS
に乗って行って来た。北駅から3時間半で着いてしまう町だ。
その気になれば日帰りだってできる。

そんな町だが、実は僕は、ドイツに足を踏み入れるのは初めて。
出張でよく行っていたアルザスあたりのなんかドイツっぽい綴り
の地名(厳密に言えばアルザス語だが)を見るたびに、苦手っぽい
感じを覚えていたのだが、今回は正真正銘、ドイツの町。
結構緊張して行ってきた。

ドイツ語なんて話せない、仕事も、バスも、食事も
なれない英語でやっていたのだが、そうこうしているうちに、
ああ、昔のバックパックやってた頃ってこんな感じだったよなあ、
と思い出してきた。身も知らない人に道を聞いたり、
よく分からないメニューをおそるおそる頼んだり、とか。

ケルンのビールと、名物のソーセージがおいしかったので、
帰りのタリスを待つとき、ホームの売店で身振り手振りで
ソーセージ入りサンドイッチを買う。シンプルな、ソーセージが
入っているだけのサンドイッチだがすごいおいしい!
今度は観光で来てみたいなあ。

写真はもちろん、ケルン駅前の大聖堂。

講演会とパリ

2012-11-21 22:33:43 | パリ右岸
以前自分の周りにいて、何年か前に日本に帰国した女性の
ブログをなんかの拍子に目にする機会があった。
もう日本に帰って何年もたっているのに、何かのたびに
「パリにいた頃は」「パリジャンの生活では」みたいな
枕詞がついた文章を書いていてかなり痛かった。日本にいる
パリに憧れる人々の注意を惹こうとするため、無理やり盛っている
感じでかなり悲惨だった。

まあそんなことはどうでもいいのだが、今日は仕事の関係で
講演会に出かけていった。60年代のアメリカ現代史みたいな
テーマの講演会だったのだが・・・。
聞いていてもまったく分からない。たぶん自分のフランス語力と
歴史についてのリテラシーの低さからくるものかもしれないが、
この難解さはなんなんだろうか・・・、と思うぐらい
何も分からなかった。修行が足りないんだろうか。

人生の転換点

2012-11-18 09:30:46 | 自分について
きっと人生にはあとから考えると、転換点だったと思えるような
日があるような気がする。僕にとっては大学三年の頃、フランスを
旅行した2週間がひとつの転換点だったような感覚を覚える。
2週間だから、「点」じゃないけどな。

そのあとの人生はいろいろ山あり、谷ありだったんだが、
ただ価値観が大きく揺らいだとか、世界の見方が大きく変わったとか
そんな経験や日は訪れなかった。結構こう見えて鈍感なんだな、自分は。

そんな自分なんだが、今朝、一通のメールが。
大学院のときの恩師が今度、本を出版するのでその一章を
担当しないか、とのお誘いが。一章といってもありえないくらい短い
ページなんだが。
まだ先生にOKはしてないが、なんか、人生が変わってゆくような予感が。
って気のせいか。

まったりと

2012-11-13 22:36:27 | パリ右岸
別にまったりとした気持ちでいるわけではないのだが、
テレビの2チャンネルで今日はずっと、la grande battleという
音楽家コンテストみたいなのをやっており、それで次から次へと
クラシック音楽が演じられるので、ぼんやり画面を見ていた。
ヴェルディのトラビアータとか、ヨハンシュトラウスとか
お馴染みの旋律が画面から流れる。

パソコンの画面とにらめっこするのもあきたし、本を読む気にも
なれない。音楽もダウンロードしていないし、なんか
現状にうんざりするような気持ちだ。
旅行でも行きたいなあ。

ピーターキャメロンのこと

2012-11-06 22:39:50 | 読書生活
最近本屋に行ったら、ピーター・キャメロンの「ママがプールを洗う日」
のフランス語版が文庫サイズで出ていた。ハードカバーサイズ版は
日本で持っていたのだが、文庫版は初めてだったので買ってみると、
日本版「ママがプールを洗う日」には収録されていない短編が
いくつも入っている。
いつもながらキャメロンの繊細な、人生の一場面を描写するような
見事な筆致の短編があふれている。
初めて読んだ短編、「lentement(ゆっくりと)」はこんな話だ。

夏のバカンスで突然の事故で夫のイーサンを失ったジェーンを、
その夫の弟である「僕」はじっと観察している。
イーサンを失って1年経っても、まだ、その不在
や喪失、といったものになれることはない彼女に会うため、
僕は彼女のいる、湖の中の島に立つ静かなコテージまでやってきた。

*********
僕は、光に照らされたテラスの端にある鉄製のベンチに座って、湖の
ほうを眺めているジェーンをじっと見ていた。
彼女の瞳と頬は濡れていた。彼女がなぜ泣いているのか僕は知っていた。
少なくとも知っていると思った。

彼女の目の前に座っているのはイーサンであるはずだった。もしくは
彼女のベンチの隣に座っていてもよかったかもしれない。
午後じゅう、彼女と一緒にカヌーを湖で漕いでいるのはイーサンの
はずだった。平原で眠っているジェーンを起こすのはイーサンで
あるはずだった。

そう、だから彼女は泣いているのだと僕は思う。
そして、だから僕も泣いてしまったのだと思う。

タイミングと偶然の問題

2012-11-05 22:51:45 | 自分について
3年ぐらい前仕事で知り合ったベルギー在住の人からメールが来た。
長いこと音信がなかったのだが、数ヶ月前ひょんなことでメールが
出てきたので、仕事の挨拶もかねて、こっちに戻ってきたことを
連絡していたのだ。

彼は僕とあまり歳は離れていないが、当時、ベルギーの大学の博士課程で
何かドクター論文の研究をしていたようだ。

もうかなり前から欧州にいるので、さぞかし活躍しているだろうと思い、
「今、何やってるんですか?」と軽い気持ちで聞いてみると、
「大学は休学して、ブリュッセルのレストランで働いている」との返事。
てっきり研究者になると思っていたのでかなり意外な答えだった。
レストランで働くこと自体、別にいいのだが、なんだか彼の
イメージに合わないような気がした。

いつ、どんな風に、自分の人生が変わっていくのか、まったく偶然にしか
ないような気がする。自分の意志をどんなに強く持っていても。
でもまあ、そんなことを考える前に、果たして自分はそんな強い意志で
人生を歩いてきたのか、と自問したい。

年末の妙

2012-11-01 23:02:48 | 福岡
FACE BOOK経由で知ったリンクで、ついよしもとばななの
ブログを垣間見てしまった。フランスに住んでいる僕がだがつい
もらい泣きしてしまうような文章。

http://www.yoshimotobanana.com/diary/

そのあと日本の実家の母親に電話をかける。
福岡の母親は元気そうでなんだか安心してしまうのだが、
話しているうちに、種子島に住むおば、つまり母親の姉を
来年は福岡の実家に呼んでみたいと思っているという。

おばさんはもうずっと前から種子島に住んでいて、
というか生まれたときからずっと種子島に住んでいて
70を過ぎた今も、サトウキビ畑で農作業をしている
おばあさんだ。いとこももう独立して、おじと一緒に
ひっそりと暮らしている。最近は足を悪くしてしまったみたいで
足をひきずりながら歩いていたようだ。

僕も年末に日本に帰る予定なんだが、久しぶりに
おばさんに会ってみたい気がする。