日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

鹿児島へ3

2016-08-23 22:47:58 | 日本
鹿児島は親の故郷で僕自体子供の頃
9年も住んでいるので第二の故郷と言っても
過言でないのだ。街を歩いていても
自分にどっか似ている体型で、顔つきの人とか
歩いていてなんかほっとするのだった。

鹿児島の老舗のデパート山形屋に行ってみる。
お土産コーナーにある特産物なんかを
ぶらぶら見たかったのだ。



すごい種類の焼酎を見る。すべてほぼ一升瓶。



そしてそのあとお決まりの
桜島を見に行くのだ。



鹿児島へ2

2016-08-20 09:22:13 | 日本
鹿児島市内に戻るとホテルにチェックイン。
市内の城山の山頂にある城山観光ホテルへ。
すごい老舗ホテルなので昔から知っていたのだが
宿泊は今回が初めて。
なんかそれだけで都市ができてしまいそうな
ぐらい巨大なホテルなのだ。

客室でボーッとしているうちに
夜になってきたのでシャトルバスに乗って
市街地に。南九州一の繁華街と言われる
天文館へ。

アーケードのすぐ脇にあるまえ割り屋という
居酒屋へ。まえ割りというのは焼酎を予め水で
割っておく飲み方でこうすることによって
焼酎の味がまろやかになるのだ。

鹿児島の郷土料理も堪能。


キビナゴの刺身。



山芋の磯辺揚げ。

そうこうしているうちに
鹿児島の夜は更けていくのだった。

鹿児島へ

2016-08-17 22:15:07 | 日本
指宿の砂蒸し温泉の後、バスに乗って指宿の駅まで戻る。
時刻はもう18時を過ぎて、夕方の雰囲気がホームに漂う頃。
指宿枕崎線の電車はなかなかほーむにすがたをあらわさない。



ようやく来た電車に乗って鹿児島市内にいそいそと戻る。
なんか後ろ髪を引かれながら。


日本に戻ったのはいいが(4)

2012-05-05 22:40:43 | 日本
渡嘉敷島の海岸、阿波連ビーチに行くが空の色はさえない。
さえないどころか、雨まで降りだしてきて、仕方なく岩場の
陰で雨宿り。とりあえず泊港のコンビニで買ったビールなどを
飲むが、気温も上がらず、雨も降っているので全然おいしくない。
う~、沖縄の海岸でオリオンビールを飲むのが夢だったのに。

などとがっかりしているうちに、午後3時ごろになり
帰りのフェリーの時間に。帰りの航路は朝ほど雨が叩き付けたり、
波しぶきが飛んだりしておらず、普通にないでいたので
カンパンに出て、ぼんやり東シナ海を見ていた。あと、
フェリーの航路が海の上で作り出す波しぶきの模様も。
そのうち、目の前に那覇の街並みが見えてきた。

子供のころ、鹿児島港から種子島の港までフェリーに乗って
おばあちゃんに会いに行った。いつも4時間ぐらいかかっていたが、
一人で甲板に出ては、薩摩半島とか、佐多岬とか、海の上を
跳ねるトビウオとか、フェリーについてくるイルカの群れとかを
ぼんやり見ていた。その頃の自分をふと思い出した。

那覇は相変わらず都会で、白い街並みが輝いていた。


日本に戻ったのはいいが(3)

2012-05-04 22:48:21 | 日本
ということで時差ボケの頭も治らないまま、
福岡を後にして、沖縄に飛行機で向かう。こんな短い時間で
移動ばかりして、もっとゆっくりすればいいのに、と
家族に呆れられながら。

那覇に夜半に着くと雨が降っている。4月末の沖縄は
梅雨入り直前でまだ天気がいいのか、と思いきや運の悪いことに降雨。
予約していたホテルにチェックインして、とりあえず寝る。
本当は那覇に着いたら、夜の街に繰り出し、飲み屋でも
行こうと思っていたのだがなんだか疲れて床についてしまった。
なんか行動パターンが中年ぽいっすね。

翌日、7時に起きてさっさと支度して、泊港へ。
高速船に乗って渡嘉敷島へ。この短い期間に沖縄、しかも
沖縄の離島にいく自分もかなり物好きだなと思いつつ
ジェットフォイルは進む。天気は雨でものすごい波であった。

1週間

2011-09-23 01:47:49 | 日本
フランスに行く日まで1週間となり、カウントダウンが始まってしまった。
そういう意味もあって、新幹線に乗って広島と山口の友人に会いに行った。

広島の友人は大学生の頃から、山口の友人は高校3年の頃の同級生、
とものすごく昔から知っているのだ。20年近く知っていることになる。
考えるだけで恐ろしくなってしまうのだが・・・。

広島では川沿いのレストランで地元の素材(もみじ豚とか)を使った
パスタを食べ、山口では地元の地酒と魚介類の料理がたくさんある
居酒屋に行った。と書くとまるでグルメみたいですが、全部友人が
紹介してくれた店に行っただけです。

そういえば広島の友人が博多の人間は弾けていて、思い切った行動に
出る人が多い、保守的な広島人と対照的だ、みたいなことを言っていた。
もしかして、そんな感じだから、福岡人は東京など大都会に行ったとき
浮いてしまって、周りとうまくやれなかったりするんだろうか?
(でも、浮いていることに気がついていなかったりする。自分も含め)

ちなみにアビスパ福岡の応援歌の歌詞はこんな感じです。

♪博多の男なら 気持ちを見せろ~
おそれることはない さあ 行こうぜ

鹿児島2日目(3)

2011-08-27 15:12:33 | 日本
磯庭園で黒豚料理を堪能したあとは、尚古集成館で鹿児島というか
薩摩藩の近代化の歴史資料などを見学する。奄美、琉球王国の支配の歴史、
江戸時代の薩摩藩の社会的・政治的位置などかなり薩摩マンセーな
書きぶりになっているのが気にかかったが、歴史観とか歴史認識とは
そういうものであろう。というか、同じ国の中でもこうも違うものなのか。

新幹線までの時間が少しあるので、天文館に行ってみる。南九州最大の繁華街だ。
老舗の百貨店、山形屋に行って物産品など見る。僕は山形屋に集まっている
客層など観察する。近隣から集まって来ているような主婦や、やることがなく
暇をつぶすだけの老人(圧倒的に女性)、もしくは買い物に疲れているのか
分からないが、エレベータ近くのベンチに座って宙を見ているおばさん連中
などを見る。ありえないぐらい髪の毛を染めていたり、誰も着ないような
不自然な派手な服を着た中年の恰幅のいいおばさんが一人で、ぐったり
ベンチに座っていた。デパートとは何をしにくるところなんだろうか、と
一瞬いろいろ思いを馳せてしまった。

そのあと今度は話題のマルヤガーデンズという新しい(といっても母体は
老舗だが、最近改装され新装オープン)デパートに行く。
ショップなどのテナントのほか、NPOのスペースを確保したり、
ミニシアターがあったり、空中庭園があったり、あとフロアで
カナリアを飼っていたり、とかなりオーガニックなデパートなのだ。
実際コンセプトもデパートではなくてユナイトメント・ストアだし。
センスのいいショップと雰囲気で、店内はごった返していて、
老舗の山形屋とは違い、かなり若々しい感じの空間であった。

で、夕方ごろ九州新幹線に乗る。鹿児島、薩摩川内、出水、
新八代、熊本、玉名、大牟田、船小屋など馴染みの駅があっという間に
去っていく。昔、あんなに時間をかけて移動していた九州の鹿児島本線
沿いの風景があっという間に後ろにとびさっていく。



鹿児島2日目(4)

2011-08-27 15:12:33 | 日本
九州新幹線に鹿児島から乗り込み、1時間30分ぐらいで
もう久留米に着いてしまう。新幹線の開業に合わせて改装された
真新しい駅舎は、もとのうら寂しい駅舎と違い、活気のあふれるものだった。
もちろん、鹿児島中央駅と比べると人の流れは少ないが、小さな
レストラン街なんかもあって、ぶらぶら暇がつぶせる感じだ。

家に帰ると父が刺身とか、簡単な料理を買って待っていて、
家族と姉と、姉の甥っ子と水入らずの宴会になった。
姉と母は、その前の週、福岡市に出かけたらしく、そのときに
福岡で買った赤ワインとスパークリングワインを出してきて
みんなで味わって飲んだ。甥っ子は西武ライオンズの試合に
釘付けで、ご飯も食べないで一生懸命テレビ中継を見守っている。
父親は「まあ、飲めや」と言って次から次へと
ビールやワインを注いでくる。こういうささやかな時間もいいもんだ、
と思うことしきり。

鹿児島2日目(2)

2011-08-25 14:51:16 | 日本
磯庭園で昔の島津家の御殿や、薩摩藩の歴史資料など見た後、
庭園内の和食レストランに入って、薩摩料理などを家族と食す。
姉は鶏飯定食、母は和食定食、僕は黒豚とんかつ定食を頼む。
この黒豚のとんかつがおいしいのだ。東京や大阪のチェーンの
とんかつ屋ではやたら油っぽい、しかもオイリーなパン粉に
まみれたとんかつが出てくるのだが、ここの黒豚のとんかつは
全然油ぽくない。しかもおなかにもたれない。なんか黒豚の
肉汁が普通にすがすがしく流れ出るような、香ばしい味なのだ。

庭園内に薩摩切子の店があり、姉が僕に言った。
「お父さんの誕生日用に焼酎グラスを買わない?」
グラスはそんなに高価なものではなかったけれど、薩摩切子の透明な、
なんだか飲むのが楽しくなってしまうようなグラスだった。


鹿児島2日目

2011-08-23 15:43:34 | 日本
次の日の朝、ホテルを出て、母、姉のいるホテルまで行き合流。
三人でタクシーに乗り、鹿児島市内にある叔父の納骨堂にある寺に向かう。
うちは母方も父方も神道なので、お寺は本来は関係ないのだが、諸般の
事情で3年前に死んだ叔父はお寺の納骨堂に眠っている。
叔父さんの位牌の前で手を合わせて、いろいろ生前の叔父さんを
思い出してみる。姉や、母も同じように神妙な顔で手を合わせては
物思いにふけっている。

鹿児島市内は暑い日ざしが照り付けている。お寺を後にして
無口になった僕ら3人家族はタクシーで磯庭園に向かう。
お墓参りが終わったんで、今度はしばし観光というわけだ。
タクシーの運転手が饒舌に鹿児島の歴史など話し始める。
明治維新の頃の日本のことや、篤姫にまつわるエピソード。
薩英戦争のことなど。

写真は磯庭園の中の木陰の小道。

鹿児島1日目(2)

2011-08-22 14:46:34 | 日本
ホテルに荷物を降ろし、テレビで鹿児島のローカルニュースなどを
ぼんやり見ていたら、ほどなく夕方になり、約束の時間が来る。
姉と母親が予約していた天文館近くの薩摩料理の居酒屋に直行する。

居酒屋は戦前から営業している、鹿児島でも老舗の、郷土料理を出す有名店だった。
ビールを飲みながら、母と姉と郷土料理をつまむ。
きびなごの天ぷら、刺身の盛り合わせ、黒豚の角煮(鹿児島ではとんこつと言う)、
ダシまき卵、黒豚のコロッケ、黒豚のスペアリブ
など次から次へと料理が出てくる。こりゃ、メタボ体型一直線だよ、
と心の中で後悔しつつも、まあ、鹿児島に来るのも久しぶりだからいいか、と
焼酎をロックで飲む自分。久しぶりに聞く母の鹿児島弁(というか種子島弁)
のまじった話も耳に心地よい。

写真は天文館のアーケード。

鹿児島1日目

2011-08-21 16:44:54 | 日本
大阪から飛行機で1時間ほど、びっくりするほど小さな
プロペラ機(というかロンバルディア機)に乗って鹿児島空港に到着、
空港からリムジンバスに乗って1時間、夕方過ぎに鹿児島市内に到着する。

鹿児島市自体には、2年前に種子島に行った際にちょっと寄っているので
その意味では二年ぶりなんだが、ちゃんと滞在する、という意味では
20年ぶりぐらいかもしれない。20年ぐらい前、僕が大学生だった頃、
親が転勤で鹿児島市内に住んでいて、夏休みの間、鹿児島市内でぶらぶら
過ごしたことがあるのだ。もちろん、その前、小学生の頃も鹿児島県に
住んでいたことがあるので、鹿児島市内に住む従兄弟に会いに、
何度も足を運んだことがある。

今回の旅の目的は、僕の母と姉が、鹿児島市内の親戚のお墓参りをする、
というので僕も、なんかよく分からんけど、便乗して、参加したところだ。
久しぶりに鹿児島をぶらぶらしてみたかったというのもある。

で、久しぶりの鹿児島なんだが、子供の頃はとんでもない大都会と
鹿児島を思っていたのだが、今、鹿児島の町を見てみると、あまり大したことない。
天文館とかすごい、と思っていたのだが、福岡と比べるとかなりしょぼい。
やっぱり子どもの目で見てたからか。
でも道を歩く人々は、南国らしく、日に焼けて、顔立ちのはっきりした
人々が多い。きっと離島のルーツの多いに違いない。
薄い顔の多い、大阪とは違う感じだ。

夏の旅行

2011-07-29 23:34:02 | 日本
ある本に書いていたが、「旅行に行きたい」と思った時点で
もう旅行は始まっているんだと。そして旅行に行く前と、行った後では
確実に何かが変わっている、と。何かが心の中に蓄積されている、と。

ということで7月初旬に沖縄に行って以来、どこにも旅行に行っていないので
8月か9月中にどこか旅に出たいと思っているのだが、ちょっとモヤモヤ
したままなんだか考えがまとまらない。

8月下旬に鹿児島市内に母親がお墓参りに行く話しがあり、
それに合流する、という計画もあるのだが、それは自分にとっては
旅って感じじゃないし。鹿児島市内も実は2年前に行ったし。

ということでいろいろ考えているうちに夏は過ぎていくのだ。

沖縄その後

2011-07-08 14:43:00 | 日本
沖縄を後にして1週間ぐらいが経つが、海を見て
ボーっとしていた渡嘉敷島の阿波連ビーチを思い出して、
仕事も手につかず、なんだかふわふわした気持ちになってしまう。
これは沖縄シンドロームなんだろうか?2月に友人と有馬温泉に
行ったときには、戻ってきてすぐに温泉のことを忘れてしまったが。

久しぶりに実家に電話をしてみると、母親が出て、夏の計画を
話してくれた。3年前に亡くなった叔父さん(母の兄だ)のお墓参りを
するために、8月に九州新幹線に乗って鹿児島に行く予定を
立てていると。僕が行きたいのなら、旅行に加わってもいい、と言っていた。
お墓参りにはあまり興味ないのだが、久しぶりに鹿児島に行って
小学校のころの恩師にあってみたい、気もする。

でも、歳をとるとどうして、こんな過去の思い出への巡礼のような
旅が増えていくのだろうか?

沖縄います(2)

2011-07-03 01:14:59 | 日本
今日は天気もよくないし、海に行くのは諦めて
一人で路線バスに乗り、本島南部に。
以前から行きたかった糸満市の平和祈念資料館に行く。

沖縄の現代史と、地上決戦を中心とした戦争史が分かりやすい
パネルや、映像、資料で展示されていた。防空壕から出てきた
遺留品の展示物にちょっと言葉を失ってしまった。
それから、昨日僕が行って、ぼーっと海を見ながら
一日を過ごした渡嘉敷島が、実は、沖縄決戦の際、米軍が最初に上陸した
島であり、そこに燃料補給基地や司令部を築き、沖縄空爆や砲弾戦の
際に重要な役割を果たした島だった、ことが分かった。

ガマ(と呼ばれる鍾乳洞兼防空壕)から降伏して、
手を挙げて出てくる子供の虚ろな目。

写真は資料館から見た、太平洋。