日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

久しぶりのマドリード4

2017-06-23 21:57:05 | スペイン
なんだかプラド美術館のゴヤの絵に衝撃を受けたまま、ぼーっとした気分で
僕はアトーチャ駅に足を運ぶ。今度は、マドリードの郊外、電車で30分ほどの
場所にある古都トレドへ。
窓からは、果てしなく乾いた平原が広がっているのが見える。
人の気配も何も感じられないような荒野だ。そんな景色がひとしきり続いたあと、
電車はムハデル様式に似せた作りの駅舎に滑り込む。
電車を一歩出たとたん、マドリードとは温度も湿気も違う、ひときわまぶしい
痛いような太陽を感じる。




トレドに前回来たのはいつだろうか?やっぱり学生のころ見たいのようだ。
でも、この町は何も変わっていない。あのときのまま、強烈な光の中で、中世から続く
石畳が不愛想に広がっているだけなのだ。



学生の時にも入った、トレドの大聖堂にもう一度入ってみる。
あの頃と変わらない静けさの空間と、あの頃と変わらない巨大なステンドグラスが
そこに存在している。観光客の波の横で、ちょっと長椅子に腰かけて
ぼーっとしてみる。


久しぶりのマドリード3

2017-06-18 19:11:48 | スペイン
翌日は友人と、ほぼ開館と同時にプラド美術館の中に入る。
といっても10時開館で10時15分ぐらいに行ったら、もう
60名ぐらいがチケット売り場で列をなしていたのだが。

プラドに入るのは何年ぶりに何だろうか。明らかに覚えているのは
フランスに留学しているときに、モロッコからの帰りに一人でふらっと
マドリードに降り立って、プラド美術館を訪れた時のことだ。
あのころまだ21歳とかそのぐらいだったから、もう25年以上もたった
ことになる。本当に時がたつスピードっていうのは・・・。

あのときのことを覚えている。静謐な空間の中で、ボッシュの快楽の園や、
ゴヤの暗い、フランス軍に対する市民蜂起の絵を。

楽しみにしていたボッシュの絵は、あまりにも観光客が絵の周りに
たむろして、その中には集団もいて、なかなか絵に近づけない。
近づけないどころか、ゆっくりと鑑賞なんかできたもんじゃない。

ちょっとがっかりして、ゴヤの部屋に行く。ここはまだ観光客が若干少ないようだ。
ボッシュと違って、部屋の面積が広いのでゆっくり鑑賞ができる。
部屋いっぱいに飾られたゴヤのさまざまな傑作。なんだか見ているうちに
息苦しくなってきた。

宮廷画家であったゴヤは、ナポレオンのスペイン侵攻や、自身の聴覚の
消失などさまざまな人生の苦境の乗り越えて、その画面はだんだん暗いものとなっていく。
いわゆる「黒い絵」と言われているものだ。
半ば亡骸のような描かれ方をされている、「食事をとる老人」。
ゴヤの謎の絵とされている「砂に埋まった犬」。無表情の犬が、砂の中から宙をぼやり
みているだけの絵なのだ。
巡礼に向かう人々の絵。真っ黒な画面で、影深く描かれた人々は
泣いているのか笑っているのかもわからないように、不気味な表情で永遠に
列をなしている。ちょっとフランシスベーコンの絵に似ているのだが、ゴヤは
ベーコンよりも100年以上も昔の時代を生きた人間だ。
こんな風に、写実的に、不気味に、でも的確に人々の人生を絵に収めた画家というのは
いるのだろうか?そこにはどんな感情も、価値判断も働いていないような気がする。
絵に向き合っているだけで、なんだか魂をかきむしられるようなのだ。



そうやって、ゴヤの絵を何時間も眺めたあと、プラドのカフェでコーヒーを飲む。
なんか嵐に巻き込まれたような気分だ。

でも、またゴヤの絵に会いに来たい。



久しぶりのマドリード2

2017-06-17 20:07:26 | スペイン
夜は街に繰り出す。スペインはフランスよりももっと時間がずれていて、
みんなの大体の食事時間が21時ぐらいから始まる。
僕らは夜22時ぐらいにようやくホテルを出て、プエルタデルソルに向かって
歩いていく。



マドリード随一の目抜き通りグランヴィアの夕暮れ。これで夜10時なんだから
どれだけ日が長いのかがわかる。



週末の夜は誰もがそわそわして、友達や恋人との待ち合わせの場所に
急いでいくみたいだ。



プエルタデルソルでは、大道芸人があちこちでパフォーマンスを行い人だかりができている。


久しぶりのマドリード1

2017-06-17 19:51:03 | スペイン
スペインに行くのは5月上旬以来だから、前回から1か月もたっていないのだが、
マドリードは乗り換えで数時間滞在したのが4年前、出張で1泊したのが
10年ほど前、腰を落ち着けて観光したのは90年代半ば、という本当に久しぶりの場所。
日本から高校時代の友人がフランスに遊びに来たのだが、週末を利用して近隣諸国
に行きたい、との彼のリクエストに答えるべく、本当に久しぶりにマドリードに降り立った。

実は、マドリードは一番最初に来たのは学生時代、留学時代に何度も来たし、
社会人になってからも日本から来たことがあるし、フランスに赴任してからも何度も来たし、
要するに思い出がたっぷり詰まった場所なのだ。

マドリードの空は青い。そして高い。スペイン人は大声でしゃべり、生きる喜びと
言わんばかりに食事をとる。見ているこちらがすがすがしくなるくらい。



僕らはアトーチャ駅すぐ近くの場所にあるソフィア王立美術センターに足を運ぶ。
ピカソのゲルニカを中心とした展覧会を見に行くために。
ゲルニカを見る、これも今回の大きな目的の一つだった。

企画展は残念ながら写真撮影が禁止だったのだが、どのようにピカソがゲルニカを
構想したのか、最初の展示場所であったパリの大学都市のスペイン館の写真、そして証言、
そしてその奥に、一度みたらきっとそのまま目に焼きつて離れないゲルニカが。

壁いっぱいに広がった白黒の世界。逃げまどう大人、男、女、子供。
傷つけられ変形した腕、その先にある小さな花、希望の象徴。
ゲルニカはどんな薄っぺらい解釈も拒絶するかのように、圧倒的な存在感で
見るものに迫って来るのだった。

非常に精神的疲労を感じながら、ソフィアの中庭に出ると、強い日差しの中で、
ミロの人を馬鹿にしたような、でも、なんだかほっとする銅像がそこにあった。