日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

希望と笑顔はどこに?

2011-03-30 13:53:38 | 自分について
種さんのオフィシャルYOUTUBEサイトができたので、
ここにリンク貼っておきます。

http://www.youtube.com/user/tomokotane#p/a

こんな日本だけれど、希望と笑顔にはどこに行けば会えるんだろうか?
アマゾンで『「アナール学派」と社会史』という本を買って読み始めたが
あまり心がうきうきするような本でもない・・・。

メールでフランスの友人から連絡が来た。東電の対応のまずさを指摘しつつ、
フランスでも同様の原発の災害が起こる危険性を指摘するような記事だ。
そして家に戻ると、ノルマンディーのカーンに住む古い知り合いである
おじいさんから手紙が届いていた。僕が大学生の頃知り合いになったから
もう20年も知っている人だ。原発の事故とか、僕のことや日本のことを
いろいろ案じていた。

明日は東京で開催されるシンポジウムを聞きに行く予定なんだが、
いまだに中止になるかどうか分からない。有給休暇も取ったし、
明日の朝、行くかどうか考えるか。

大阪で暮らす日々

2011-03-29 15:45:00 | 大阪
東京の知り合いからメールが来た。不安な日々が続いていて西の方に逃げたい、
と冗談めかして書かれてあった。被災地や原発の損害のために何かしたいと
思うけれど、とりあえずは義捐金を寄付するしかないのか、といった状態。

修士論文は数箇所書き直して再提出することになったが、
まだあまり作業をしていない。なんか気が抜けた感じで手につかないのだ。
とりあえず博士課程への進学は一息ついてしばらくは目途が立たないのだが、
自分の嗜好で、ブローデルの「文明の文法Ⅱ」を買って読み始めた。
全部咀嚼することは難しいが、少しでもブローデルの思想に触れることが
できれば、と思って読んでいる。

最近は、非常に苦手な、「人と会うこと」というのを半分に自分に課された仕事
のようなもんだと思って会うようにしている。今日も、職場の飲み会に行ってきた。
普段は面倒なんでパスするんだが、人と会って少しでも話ができて
知らない考えや意見に触れられたらいいんじゃないか、みたいな気持ちが最近
芽生えたのだ。自分で思うほど自分は気後れせずに人と話せるかもなあ、なんて。

おそるおそる上京

2011-03-27 16:46:14 | 東京
大学院の成績証明と学位証明書の配布があるというので
久しぶりに上京してみた。修了式は震災の影響で自粛され、ただ単に
修了者に書類を配布するだけの話だったが、まあ、いい節目になった。

夕方、電車に乗って中央線沿線を移動していたのだが、節電の影響のせいで
いつもならネオンで明るい東京の街が、まるで地方都市のように暗く
ひっそりしていた。中野駅も、見たこともないくらい真っ暗になっていて
北口の商店街入り口のネオンサインも、もうすぐ桜が満開になる
中野通りの街灯もすべて落ちていた。この街はどこへ行くんだろうか・・・。
中野がこんな調子だから、阿佐ヶ谷はもっと暗かった・・・。

そんな中、ゼミ関係の飲み会で神楽坂のレストランに行く。
フレンチアフリカンの料理を出すというので、クスクスとか出てきて
なかなかよかったのだが。
大学院の同級生が、修士論文を書いていた頃の苦労話などをしていた。
一日中考えすぎて、二行しか論文が進まなかったこと、とか。
そういう話を聞くと、週末にちょこちょこっと書いて、修士論文執筆中も
気が散って沖縄に二回行ったりしていた、自分は本当に
真面目さが足りない、と思う。よく卒業できたよな。

春先の夕日

2011-03-24 12:53:02 | 大阪
アンチクライストのオープニングは、「私を泣かせてください」の美しい音楽とともに、
赤ちゃんがあやまって、スローモーションで地上に落下していくシーンが
展開するのだが、あの赤ちゃんの落下するくだりは、きっと堕天使ルシファーの
暗喩なんじゃないか、と思う。シャルロット・ゲンズブールが狂気におかされ、
ウィレム・デフォーとグロテスクで絶望的な抗争を繰り広げるのが、
「エデン」と呼ばれる山小屋であること考えると-つまり二人は
アダムとイブなのだ-、納得がいくのではないか。と考えていたのだが、
周りに「アンチ・クライスト」を見た人もいないし、行きたいと思っている人も
いなさそうなので、何も共感を得られないのである。

歯医者に行くために、久しぶりに定時に会社を出た。
外にはいつの間にか、冬の終わりの、美しいピンク色の夕日の空が広がっていた。
いつから夕日がこんな色になっていたんだろうか、と考えたが
冬の間もどちらにしろ夕焼けの時刻に外にいることはなかったため、
なんともいえない。いずれにせよ、今日の大阪の夕日は美しかった。

言語感覚

2011-03-21 13:52:16 | 自分について
地震と津波から10日が経った。地震よりも恐ろしいものは津波で、
それと同じくらいの恐怖は原発の放射線漏れだった。僕は
神戸の阪神淡路大震災のときに海外に留学していたので
あのとき日本がどんな状態だったのかよく知らないのだが、
被災した人には一刻も早く安心できる生活が戻ることを祈るのみです。
そして被災しなかった人、僕も含め、この状況を克服するために
何か役に立つことはできないのか、と思います。

それとはあまり関係ないのだが、僕は「がんばれ」という
言葉が好きじゃない。なんか、がんばるかどうか、というのは
個人の自由であって、逆に、「がんばれ」と言う人は、がんばらなくて
いい側にいて、がんばらない状況にいる人をがんばらせている
だけのような気がする。というか、がんばるときは人から言われなくても
がんばるよ、ってだけの話なんだが。

「やばい」という言葉もあまり好きではない。というか
何がやばいんだか、よく分からないし。昔、仕事の関係で
某キュレーターに会ったとき、「私の企画はかなり過激ですよ」
と脅されながら企画書を見せられたので、僕はてっきりトリアー監督のような
展覧会の企画かと思ってみたら、全然普通の保守的な企画で、
どこが過激か分からなかったのだが、「やばい」を連呼する人は
それと同じような気がする。そういえば、昔、「やばい」という
名前のバンドが身近にいたのだが、おまえらのそういう
ネーミングのセンスのほうがやばいだろ、と突っ込みを入れたのを
思い出した・・・。

アンチ・クライスト その後

2011-03-13 15:01:16 | 大阪
アンチクライストを見た後、ネットでいろいろ調べてみたのだが、
YOUTUBEでちょうどシャルロット・ゲンズブールのこの映画に
関するインタビューがあって、いろいろ聞いていたのだが、
どうもラルス・フォン・トリアー監督は撮影時うつ状態にあったのだが、
撮影が進むにつれて欝から回復したという。この映画がセラピーの
役割を果たし、撮影の進むにつれて少しずつ、監督は笑顔を見せるように
なったという・・・。

でも、映画自体はストーリーが進むにつれて笑顔よりもひきつった
表情になってしまうようなシーンが多いんだが・・・(笑)

なんの救いもない映画ですが(救いなんか映画に求めていない自分にとっては
そんことはどうでもいいが)、非常に美しいオープニングの楽曲が
YOUTUBEで簡単に聞けたので貼っときます。
ヘンデルの歌曲、「私を泣かせてください」です。いろいろバージョンがあるけど、
ニュージーランド出身のHayley Westenraが美しいので・・・。



こんな状況だけれど映画でも

2011-03-12 16:01:39 | 大阪
大学院の博士課程の試験に結局落ちてしまったので
4月からどうしようかとぼんやり考えていたら、東北地方であんな
大地震が起こってしまい、テレビの被災地の映像など見るにつけ
やるせない気持ちになってしまう。早く、支援物資が届き
元の生活に戻れますように。

それとは全然関係ないのだが、シャルロット・ゲンズブールの
主演映画「アンチ・クライスト」を観に、梅田の映画館まで行ってきた。
監督がラルス・フォン・トリアーなんである程度覚悟していたが、
またしてもやられた、という感じ。映像はすばらしく美しく、まるで
現代アートを見るよう。スティーブ・マックイーンの映像のよう。
シャルロット・ゲンズブールは狂気に犯された妻を演じているが、
あまり狂気はないような。監督に極限まで追い詰められて、迫真の
演技をした、と聞いていたが、そんな狂気は感じなかったなあ。
鬼気迫る、残忍さと残酷さを放出するような演技ではあったけれど。

トリアー監督は別に見ている人を楽しまそうとか、幸せな気持ちにしよう、
とかそういう俗っぽいことを考えないので、非常にシュールな作品が
いつも完成するのだが、「ドックビル」など見ていた自分にとって、
この作品は、それでもまだ救いのある作品のような気がした。
初めてトリアー作品を見るのがこれだったら、結構大変かもしれないが。

奇跡の小路

2011-03-08 22:19:01 | フランス語
奇跡小路
cour des miracles

ブローデルの本を読んでいたら出てきた表現だ。
中世の大都会で、物乞いや盲人、ホームレス、売春婦などが
たむろした界隈のこと。なぜ、奇跡なのかというと
盲人も、物乞いも、日中は不具を装い、道行く人の
憐れみを買い、施しを受け、夜になってこの界隈に戻ってくると、
まるで奇跡のように普通の状態に治ってしまうことから。

WIKIPEDIAによるとパリだけで12か所ほどあり
RUE DU BACや、あと二区のRUE DU CAIRE
なども奇跡小路として有名だったらしい。
フランス語らしい、なんかウィットにとんだ言い方だ。
現実はグロテスクだったのかもしれないが。

アイデンティティーの問題

2011-03-06 15:24:04 | 自分について
去年一年読んだ文献の中で一番心に残っているのはフェルナン・ブローデルの書いた

「フランスの歴史はない、ヨーロッパの歴史があるのみだ」

という言葉だ。社会史の大家である彼は、国家によって歴史が
分断されて、国家によってその時々で恣意的な解釈が与えられる歴史について
上のように述べている。たとえばフランスに起こったある歴史的な事象は
実はドイツで起こった別の出来事と同期したり、もしくは影響を受けながら
成立し、存在していくのだ。
これを日本に置き換えると、
「日本の歴史はない、アジアの歴史があるのみだ」
そして
「アジアの歴史はない、そこには世界の歴史があるのみだ」
ということになる。

いつかある雑誌を読んでいて、中国人留学生が中国人とか日本人とかそういう
枠にとらわれたくない、コスモポリタンになりたい、と答えていた。
僕も20代のころは一時期そんなことを考えていた。しかし、今思うのだが、
ある人間がコスモポリタンなんてことはありえなくて、
出身国や、教育や、現在居住している国などさまざまな影響を受けて
重層的なアイデンティティーで存在しているに過ぎない。たとえば
僕は、日本人である、というアイデンティティーの下に、
鹿児島県人である、というアイデンティティーもあるし、また無宗教である、
というアイデンティティーもある。またアジア人というアイデンティティも。
逆にそういった自己の属性から人間が逃れられないのだと思う。
もちろん、一つの国の価値観にとらわれるような偏狭な人間になりたくない、
という意味でコスモポリタンになりたい、と言っているのかもしれないが。

などとつらつら書いていたのだが、アイデンティティと歴史のことを
うまくまとめようと思ったがまとまらず別々に書いてしまった。

師走よりも慌しい

2011-03-03 15:12:11 | 大阪
こないだ東京から戻ってきたと思ったら
明日の夜からまた上京。今度は博士課程の面接試験が
土曜にあるのだ。それに備えようと思ったのだが、なんだか
本も、新聞も読む気になれない。アフリカの地図など
広げてみたが、北アフリカで起こっていることと現実の
自分との隔たりを考えると、なかなか何もできないくせに
いろいろ考えたりするのが馬鹿らしくなってくる。

それはそうと先週、元から知っている、60代後半の友人(女性)
と呑みにいったのだが彼女がぽつりと、「10年後はこの世に
私はもういないかも」みたいなことを言った。
聞き返さなかったけど、あとあとずっと覚えているようなせりふだ。
人間の一生ってどういうもんなんだろうか。