日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

アラン・スーションという人

2005-09-28 04:26:53 | 音楽(種さん以外)
アラン・スーションのアルバムを
久しぶりに買った。前回の
『FOULE SENTIMENTALE』
を買ったのは、もう10年近く前になる。僕はまだ
留学生だったかも。その間にアルバムが出ていた
かもしれないけれど、フランスにも全然来ていなかったし、
フランスの音楽を追っかけてもいなかったの省略。

今日買ったのは新作、『LA VIE THEODORE』
ちょっとアートっぽい、崇高さの香りのする
とぼけた味のブックレットがついていた。
一曲、一曲にどう関係するのか分からないけど
イラストが添えられている。
そういえば、THEODOREという名前は「神を愛する人」
を意味するってどこかで聞いたことがあったけ。
THEO、は「神の」という意味の接頭語なんだよな。
神学のことをTHEOLOGIEとかっていうし。

フランスワーズ・サガンに対して贈った
「悲しみよ、こんにちわ」という曲が入っていた。
一番美しいのは、「もし、そのうえ誰もいなくなったら・・・」
という曲。アラン・スーションらしい、美しい
アコースティックなメロディに乗せて韻をやたら踏む
フランス語歌詞が踊ってます。
メランコリックな、
アラン・パーソンズ・プロジェクトみたいな感じ。


明かりをつけてください~種ともこ

2005-09-27 05:03:11 | 種ともこ
♪殺しあう人たちにも理由があるのなら
愛し合う私たちは理由を捨てようよ

軽やかにそう歌い始める種ともこの歌は
アルバム「OUT」収録の『明かりをつけてください』
こんな時代だからこそ、こんな歌、
簡単に人が殺しあう時代だからこそ、彼女の
さりげない歌が冴えるのかも。

♪どうしても埋められない溝なの 二人は
本当はかけだせないだけ
離さないでね、私を願いを涙を光を
つないでいてね この手を心を回路をすべてを

♪この世界を作ったのが神様だとしたら
かなり趣味が悪いよね 
昔の私なら愛に必要なものもっと発明してたね

この週末にかけてフランス人の友達と
日本の歴史や戦争について話す機会が多々あった。
そういうとき本当に困る。なぜって僕には
確固たる信念も正義感もないから。
「~こういうふうに言われている」とか
「~こういうふうだったらしい」なんて離すのは
簡単だけれど、それはあまりに他人行儀すぎるし
自分の責任を放棄しているような気がする。

フランス人の友人のおじさんが言った。
「どっちにしろ歴史観は戦争に勝ったやつが作る
ものだ」と。もし日本やドイツが戦争に勝ったら
今みたいな論争なんて起こるべくもなく、まったく
違った論争が起こっているだろう、と。
過去を振り返ってそれに後悔ばかりして後ろ向きの
考えばかりすのではなく、現代の問題と向き合っては
どうかと。戦争がもたらした、現在に残る問題と
向き合ってはどうか、と。

そんな意見にも相変らず反論もできず、
ただ聴いている僕だった。



アジア料理はしご

2005-09-25 18:46:24 | パリ左岸
最近、覚えた表現。

tout est possible, l'espoir fait vivre.

なんかの拍子に友達に言ったら、
「大丈夫?」みたいな顔をされた。
普通の表現なんだが。
あと、

Nous continuons courageusement.

「がんばって行きましょう」みたいなニュアンスか。
仕事相手のフランス人のおばさんが電話の最後で言う言葉。

昼間はメトロ・パストゥール駅近くの小さなバーに行く。
ベトナムから亡命してきた元哲学の先生であるおじさんが
経営する場末風のバーだ。穴倉みたいな店内には
カウンター以外の席は8席ぐらい。壁には
ベトナムのペナントや旗やカレンダーなどが所狭しと
並んでいる。あとフランス語の書籍を置いた本棚。
ボリュームのあるフォーが4ユーロしかしない。
(ちなみにフォーの語源はPOT AU FEUらしいな)

夜はよく知っている韓国料理屋へ。なんか自炊がしたく
なかったのだ。土曜の夜に行くことなんかないので、
店のオヤジから「どうしたんだ?」などとびっくりされる。
ぐずぐず食べていると、いつの間にか客は僕だけになり、
オヤジがビール一本サービスしてくれた。
うう、手羽先のから揚げなんて食べてしまったぜ。

家に帰ると元BLURのリーダー、デーモン・アルバーンが
テレビのトークショーに出ていた。当たり前だが、
少し太って、ヒゲも伸ばし、昔のアイドル然とした時代しか
知らないと驚くような変わりようだ。しかも、どうも
うつ状態らしく、見ているのがつらくなるぐらい
痛々しくトークをしている。37歳か。早いなあ。
ちなみにそのトークショーにはマドンナのダンナ、
ガイ・リッチーも出ていた。司会者から
「マドンナ・クイズ」なんか出されて、質問に答えられず
四苦八苦していた。ダンナだろ、お前。

フランス語の壁と日本社会の出口?

2005-09-24 05:40:36 | パリ左岸
夕方頃、なんか知らないけど同僚の
ヴァレリーと話をしていたら、チュニジアの
話になって、ヴァレリーがチュニジアでの
体験を身振り手振りを交えながら熱演し始めた。
チュニジア人の家庭に呼ばれたら、
髪が綺麗だと誉められながら、髪を櫛で
勝手に梳かれたとか、チュニジアでは
「あなた」とか「君」とか呼ばれず、
どんな他人からでも「私の娘」と
いつでも呼ばれていたとか。

彼女は生粋のパリジェンヌなんで、20歳
ぐらいの頃、90年代初頭は毎週、あちこちの
パーティーに明け暮れたらしい。その頃の話なんかも。
パリ在住の外国人の映画監督と交流があったらしく
その映画監督についてパリ中で週末に開かれる
パーティーの情報を察知するやいなや出かけて
行っていたらしい。エチエンヌマルセルの
レ・バンや、その他もろもろのクラブ巡り。
まだ彼女は若いんだけれど、もうパーティーには
飽き飽きしているらしい。うらやましい。

そして日本社会とフランス社会の比較論など
話してたんだけれど、悲しいかな、フランス語が
次の文章で止まってしまった。

「日本が国際連盟を脱退した」

こんな簡単な文章なのに、フランス語が出てこなかった。
大体、国際連盟ってなんて言ったっけ?フランス語で。
あと脱退ってどんな動詞だったっけ?
まだまだ修行が足りないなあ。アリアンス・フランセーズ行こうっと。

日本社会で思い出したんだけれど、僕が日本にいた頃、
今思うと、日本社会の閉塞性についていけなくて
(というか、うまくついていける人がいるんだろうか?
社会にうまい具合に適応していて、日本社会に100
パーセント満足している人がいるなら、是非会ってみたい)
たまに、「ああ、日本人であることをやめたいよ~」
みたいなことを思ってたっけ。
日本人であることを一瞬やめる。
サラリーマンであることをやめる。
大人であることをやめる。ダメ男であることをやめる。
究極は、自分であることをやめる、か。



殺伐とした日常

2005-09-23 05:50:00 | パリ左岸
夕方まで事務所で残業していると、
事務所で購読しているLE MONDE紙を
手にとって、記事の内容について同僚の
ヴァレリーが他の同僚に大声で話しかけていた。
「○○のことについてどう思う?」なんて。
彼女は開放的で、開けっぴろげで、ストレートな
もんだから、よくLE MONDEの記事を読むや
いなや、こらえきれない様子で、
「ブッシュについてどう思う?」とか
「ニューオーリンズに住んでたら大変だったよね」
などといった発言を事務所じゅうに響き渡るような
大声でする。感情と感想をみんなで分かち合いたいんだよな。
ある意味うらやましい。
僕もどちらかというとストレートな人間で感情に
小細工をできない性質だけど、開放的じゃないもんね。

家に帰ってまたワインでも飲みながらテレビを
見ていると、ギャンブルに溺れるフランス人を
追ったドキュメント番組をやっていた。番組によると、
1987年にスロットマシンがフランスのカジノに
導入されて以来、ギャンブルに溺れるフランス人が
後を絶たないとか。それは社会衛生上多大な影響を
及ぼしていて、多額の負債を抱えての自殺者の増加や
社会不適応の産出など様々な病理を呈しているとか。
じゃあ、日本のパチンコなんてどうなるんだろう、
なんて少し思ったりして。
パチンコしようなんて思ったことないけど。

最近、ベルギーを旅行したくてたまらない。
こないだはスペインだったのに、今度はベルギーかよ(笑)。
遊佐未森の歌で「アントワープへ」という不思議な曲が
あるが、是非アントワープに行ってみたいのだ。
彼の地には北のベニス、ダイヤモンド研磨産業の世界的中心地、
ユダヤ人街など旅愁を誘うものばかり。
ちなみにブリュッセルは行ったことないけど、
別にいいのだ。アントワープに行きたい。


ポンピドーセンター界隈~ビッグ・バン

2005-09-21 11:20:48 | パリ右岸
最近、ポンピドーセンターの年会員になり
フリーパスを取得。早速、フリーパスの特典を利用すべく、
ポンピドーセンターで開催中のエクスポ
「BIG BANG」を見に行く。

それは企画展と常設展の中間のようなエクスポだ。
まあ企画展なんだろうけど。要は、
ポンピドーセンターが持つ膨大な数の
コレクションを倉庫から一斉に外に出し、
数々のテーマに沿って、再編成、再構築したもの。
通常だと、ポンピドーセンターの常設展は
作家別に、部屋ごとに分かれての展示だと思うが、
このエクスポでは、「破壊」「再構築」「透明性」
「戦争」「性」などおびただしい数のテーマが
設定され、そのテーマを共有する様々な作品群が
一緒くたに展示されているのだ。

最初は真剣に見ていたのだけれど、そのうち
なんか頭がくらくらしてきた。テーマ「セックス」
の部屋なんて、作品見ていたら、馬鹿馬鹿しくなってきて
思わず一人で笑ってしまった。「これがアートかよ!」って。
そうそう、現代アートって実は、「馬鹿馬鹿しいもの」なのだ。
芸術の崇高性とバカっぽさは紙一重。
とはあくまでも僕の定義だが。

会社でバンビが、ブルーというか水色の美しい
シャツを着ていたので、「あ~、ブルー(BLEU)
が今日の色なんだ」と声をかけると、
「違う、違う。ブルーじゃなくて、この色は
ターコイス(TURQUOISE)よ」とピシと言われた。
で、ハタと思ったんだが、日本語で言うところの
「みずいろ」のフランス語に相当する単語は
BLEUではなく、TURQUOISE
(ターコイス、トルコ石色)なんだろうか? 
ブルーはもっと濃い青色をさす言葉なんだろうか?

文化遺産の日

2005-09-19 06:10:44 | パリ右岸
今日は文化遺産の日。日ごろは市民に閉ざされた
公共機関や美術館が無料で開放される日。
その中には大統領府や外務省、内務省といった
メジャーなものから、政府刊行物印刷所のような
マイナーなものまでカバーされる。歴史的建造物
なのに、普段はオフィスとして使われ、市民には
縁遠い建物を皆で訪問して、その芸術的価値を
みんなで評価しよう、という極めてヨーロッパ的な
イベントなのだ。

ということで僕が友達と訪れたのは
エリゼ宮に近い、イギリス大使邸。
既に中に入るまで長蛇の列。1時間も待たされる。
中に入ると、これはコンピエーニュのナポレオンの城、
かと思うぐらい豪華絢爛な内装の建物。
食堂、舞踏の間など数々の豪華なサロンが
市民に公開されていた。
食堂では、1970年代に実際に行なわれた
大使邸の食事会が再現。食事会のメニューと
招待客の名前がそれぞれの席に記載されている。
その中にはポンピドゥー大統領の名前も見えたっけ。

一歩、公邸の庭に出ると、そこにはすばらしく
刈り取られた気持ちのいい芝生と、こんもりとした林。
これがシャンゼリゼのすぐ近くにあることが
信じられないくらい、喧騒から離れた、美しい
秋の初めの夕暮れが影を落としていた。


若き日の望楼~AMOUR LEVANT

2005-09-18 18:48:39 | フランス
昨日から気温がぐっと下がり、空気もなんだか
ひんやりしている。街を歩きながら見上げる空の色も
すっきりとしたブルー。弱弱しい日光の中で
揺れて入る街路樹の葉っぱなどを見ていると
秋になったことを実感してしまう。

とそんなとき毎年思い出すのが大貫妙子の
表題の歌「若き日の望楼」だ。
ピエールバルーとコラボレーションで作り出された
繊細な、はかないフランス語曲の世界。
本当に何度聴いても飽きないくらい美しい曲っす。
実は高校生の頃、この曲を聴いて、
「よし、将来フランス語を学ぼう!」と思ったんだよなあ。

いつかロワール地方を車で旅行していたときに
その秋の風景を見ながら、頭の中でこの曲が
一人でに流れてきたのを覚えている、これぞフランス!
みたいな感じで。

全然関係ないがふと、これまで旅行したことのある
フランスの大都市を考えてみた。どこにまだ行っていないか、
どこにもう一度行きたいか。

パリ、ルーアン、ル・アーブル、エトルタ、カン、シェルブ―ル、
ナント、レンヌ、アンジェ、トゥール、ボルドー、ラ・ロシェル、
ビアリッツ、ラ・ロシェル、マルセイユ、ニース、
アビニョン、アルル、ディジョン、ブザンソン。

マリー・ラフォーレはもう聞かせないで

2005-09-17 16:07:49 | パリ右岸
マリーラフォレといえば、80年代
の好きだったアイドル、早瀬優香子
(かなりB級ですが)の「マリー・ラフォレは
もう聞かせないで」が思い起こされる。

が実際のところ、リアルタイムで僕は
何も知らないのだった。そんなところへ
突然、マリーラフォレが登場。
場所はメトロのプラットフォーム。
構内の特大ポスターに数百のマリー・ラフォレの
ポートレートが描かれ、あの強い視線で
こっちを見ている。

どうもマリー・ラフォレが9月24日まで
ビュッフェ・パリジヤン劇場で30年ぶりに
コンサートをやるらしい。
60年代、あらゆるテレビ番組のドタッキャン
騒動で名をなしたお騒がせ歌手。70年の
オリンピアでのコンサートでは「フランス語の
曲は一曲も歌わない」と主張。
など、エピソードには事欠かないキャラらしい。

関係ないが、職場の同僚バンビが何か気のきいた
ことを言ったので、
「よく知ってるなあ」と感心していったら、
「私は何でも知ってるし、何でも見逃さないのよ」
などとまた生意気なことを言っていた。
生意気なのがでもサマになるなあ。可愛いから。

ソフィー・マルソーの現在

2005-09-16 06:59:10 | パリ左岸
ソフィー・マルソーといえば、
彼女のデビュー映画『ラ・ブーム』がまず
思い起こされる。フランスはおろか
日本でもブームになったこの映画。新人にして映画初主演
のソフィー・マルソーはこの映画で一躍スターダムに
上り詰める。まだ幼い、思春期の入り口に立った
ばかりの彼女のあどけない表情が印象的だったっけ。

その後、彼女は数々の映画に出演し、挙句には
ハリウッド映画に進出。いまや、世界的に有名な
フランス人女優として、押しも押される立場に。

そんな彼女の新作映画、「A CE SOIR」の
ポスターを見た。影絵のシルエットになっている彼女が
何か急いでいるように、街を足早に歩んでいる絵柄だ。
その暗い影と、ペシミスティックな奥行きに、
心惹かれてしまった。
映画評を読んでみると、新人映画作家の描いた、
「死」をモチーフにした映画らしい。そんな映画に
ソフィー・マルソーが出演するのも、なんだか
奇異な感じはするけれどね。
ソフィーのほうはまったく真面目にインタビューに
答えていて、「生」と「死」の境目や、
それをテーマにした映画に出演することを
真面目に自分なりの意見で語っていたっけ。
見に行こうかなあ。






クルヌーブ公園(2)

2005-09-14 05:48:35 | フランス
そういえば今日、会社で「○○さん(僕の名前)って
実は、結構歳食ってるんですよね」などと言われる。
これってどういう意味なんだろうか?などと自問。
この手のこと、日本人から言われるのは
何回目か。どういうシチュエーションで、どういう考えが
頭にあれば、相手にこんな言葉を発するんだろうか?
などと一瞬瞑想。

さて、クルヌーブ公園の赤旗祭り。こんな祭り、一人で
行くのは俺だけだよ、などと思っていたら、意外や意外、
シャトルバスから降りた人間の中に結構、一人で参加した
者もいる模様。広大なゲートの手前でチケットを交換して
黄色い蛍光色のブレスレットをもらう。ブレスレットには
FETE DE HUMANITEと大きく書かれている。

会場はまるで迷路のよう。通りの両側にフランスの各町、
各県、各地方のブースが延々と並んでいる。そして
ブースではその地方の名産料理をサーブして、行き交う
見物客に振舞っている。たとえばブルターニュ地方の
コミュニストのブースでは生ガキを売っているし、
オーベルニュ地方のブースでは、スキンヘッドの兄ちゃんが
(多分コミュニスト)名産ハムを売っている。

その雰囲気に圧倒されながら、僕は一人で通りを進む。
通りの辻辻ではブラスバンドの演奏や、移動遊園地の
アトラクションが僕らを待ち構えている。
途中で特設ステージの前を通る。アビニョン出身の
インディペンデント系のロックバンドがフランス語で
大声で絶叫している。

会場内には「本の村」「劇場小屋」「社会改革のための
討論会ブース」など、本当に多種多彩な催し物がぎっしり
詰め込まれていて飽きない。僕は自分が日本人であることや
単なるノンポリであることも忘れてあちこちのブースに
首を突っ込むのだった。

クルヌーブ公園まで

2005-09-12 06:19:01 | フランス
日曜の午後、フランスの赤旗祭りこと
FETE DE L'HUMANITE
を見物に郊外のクルヌーブまで行ってみる。

「行ってみる」なんて、簡単に考えていたのだが、
ネットでクルヌーブ公園への行き方を
調べると思いのほか、遠い、複雑。
どのくらい時間がかかるんだろうか、と
一抹の不安を抱きながら7号線のメトロに揺られる。

まず7号線の終点、クルヌーブ1945年5月8日
駅まで行く。メトロの終点なんて、しかも7号線
の終点だよ。駅の改札をすりぬけ地上に出る。
そこには殺風景な典型的なパリの北の郊外の
風景が広がっていた。舗道に無造作にちらばった
タバコの吸殻、ごみ。誰もそんなもの気を止めない。
汚れ放題の街路。低層の薄汚れた壁のアパルトマン。
カフェがあるんだが、客はみんな男ばっか。
どんよりとした空の色と同じ雰囲気。

大丈夫かよ、などと思いながらFETE DE HUMANITE
行きのシャトルバスの乗り場へ移動。舗道は僕のような、
フェスティバル参加者たちで溢れ、乗り場まで大勢の
人々が移動している。シャトルバスの中もほぼ満員。
若者も、男も女も、家族連れも、黒人も、白人も、
ありとあらゆる人々が乗っている。

バスはほどなく発車。クルヌーブの町を公園に向かって
移動していく。バスに揺られて10分。
広大なパーキングの入り口にたどり着く。
クルヌーブ公園だ。遠くのほうに
おびただしい数の白いテントが見えた。
やった、フェスティバルだ。



シャンゼリゼ界隈

2005-09-11 16:46:52 | パリ右岸
フランス人の友人がうちに飯を食いに
来たんだけれど、食後なんか時間が余ってしまい、
久しぶりにシャンゼリゼに行ってみようという
ことになる。

というか僕はシャンゼリゼに全然
興味なく、シャンゼリゼとはまったく
関係のない生活を送っているのだが、
友人はシャンゼリゼに好印象を持って
いるらしく、何軒かのバーを提案。

メトロの駅で降りて、凱旋門に
向かって左側のシャンゼリゼ通りを
歩いていく。バージン・メガストアや
映画館が立ち並ぶ通りの向こう側と違い、
僕らが歩いている側はあまりパッとしない。
サッカーチーム、パリサンジェルマンのグッズを
扱うショップとか、チェーンのレストラン、
「シェ・クレマン」とか。
途中で工事中のルイ・ヴィトンの前を通る。
前回シャンゼリゼに来たときは、まだ工事中じゃなくて、
ルイヴィトンの前では日本人や中国人の
観光客が入り口で列を作っていたなあ、なんて。

で、入った店は、通りに面したPUBLICIS
という広告代理店オフィスの一階にある、
バーなんだかレストランなんだか
よく分からない店。同じフロアに本屋やら
みやげ物屋なんかがある。満席だというので
カウンター席に案内される。とりあえずビール
を頼むが、すごいまずいビールが出てきて
絶句。シャンゼリゼは相変らず、
居心地の悪い場所なのだった。
そうえいえば、ブッダバーってこの界隈だっけ?

モンパルナスへチケット引取り

2005-09-10 05:29:58 | パリ左岸
今週末の「赤旗祭り」こと
FETE DE L'HUMANITE
の参加チケットを引き取りにモンパルナスのFNAC
まで行く。モンパルナスのメトロの駅は
広いうえに、通路がやたら長く、FNACに一番近い
出口まで地下鉄内を移動すると途方もなく
時間がかかることが分かっていたので、
駅に着くなり、すぐ地上へ出る。

地上はモンパルナスタワーの足元。狭い緑地があり、
そこでは界隈で働くサラリーマンや旅行者が
サンドイッチを食べたり、日光浴をしたりと
思い思いに過ごしている。僕はその脇をすりぬけ
HABITATの前を過ぎ、モンパルナス大通りを
渡り、レンヌ通り沿いのFNACへ。
関係ないが、ここのFNACの前で80年代
テロ事件が起こったことがある。ちょうど隣に
安売りで有名なTATIがあったんだよな。
今じゃTATIはなくなり、スペインのおしゃれな
ブランド、ZARAの店舗になっているが。

地上階の入り口にチケット受付カウンターがある。
無愛想な女の子に予約番号と身分証明書、カードを
渡すとチケットをすぐ発行してくれた。
ふともらったチケットを見ると、「引換券」と
書かれている。「これ、ほんとのチケットじゃないの?」
と聞くと、会場でこの引換券を色つきのブレスレットと
交換するらしい。ブレスレット?




今日道を歩いていると

2005-09-09 05:24:20 | パリ右岸
今日スーパーの帰り、複数の買い物袋を
両手に提げてだらしなく歩いていると、
目の前にスーツをびしっと着こなした
アジア系の男女のカップルが。その後姿は
なんか丸の内のエリートサラリーマンとOL
のようだった。距離が近づくと、日本語を
喋っている。どうも日本人らしい。
足早に脇を通りぬけて、横目にちらっとこの
男女を見ると、大して美男美女のカップルで
ないことが分かって、ちょっと安心。

とそれはいいんだけど、そのときの俺の格好と
来たら同じ日本人とは思えないくらい、薄汚かった。
汚れたジーンズとくたびれたポロシャツ。
もともとこんな格好で日々働いているんで
別にいいんだが、改めて考えると、ホント、
俺ってイケてないかも。
もっとこぎれいにすればいいのかもしれないけど、
なんかそんなのも今更馬鹿みたいだしなあ。
そんな年頃でもないし・・・。

などと考えているうちに、もうすぐ週末。
今週末はフランスの「赤旗祭り!」こと
fête de l'humanitéだ。ぜひ、行かねば。
つーか、もう三日間有効パス買っちゃったよ。