日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

火祭りのバレンシア(7)

2008-03-29 08:54:58 | スペイン
海岸を背に市内中心部に向かっててくてく歩いていく。
通りには陽光が散乱しているけれど、すれ違う人もまばら。
まるで今日の夜の火祭りのために体力を温存すべく
みんな家で休んでいるようだ。

30分ほど歩いてようやく市街地の南の端、
ウルトラモダンな建築で有名な科学都市につく。
今まで雑誌やガイドで見たことはあったが、初めて
実物を見る。これは巨大なプラネタリウムらしい。


火祭りのバレンシア(6)

2008-03-27 15:41:40 | スペイン
翌朝、気持ちよい目覚め。やはりスペインにいる、
休暇中、ということだけでいろいろ心が躍ってしまうのだ。
ベッドから起きだすのも全然苦じゃないし。

旧市街に歩いていき、カテドラルやロンハと呼ばれる
ゴシック・フランボワイヤンの建築様式が残る交易所跡を
見学。中央市場にも行くが閉まっていた。とほほ。

ひとしきり歩き回ったところで、することもなくなったので
地下鉄に乗って一番近い海岸へ。バレンシアは地下鉄で海に行ける
なんか博多のような街なのだ。しかも福岡と違って人工海浜じゃなく
ほんとの海岸だし。

この海岸、この空、この水平線。すばらしいの一言につきるな。

火祭りのバレンシア(5)

2008-03-26 07:06:44 | スペイン
昼寝が終わって、ノロノロと起き出しホテルの部屋の
時計を見るともう夜の10時。ポロシャツに着替え
夜のバレンシアの街へ歩いていく。

旧市街の広場に来ると、周りが騒がしいことに気がつく。
通りには伝統的な衣装を着た男女がブラスバンドの
音にあわせて街道を練り歩いている。
火祭りの行進だ。行進とブラスバンドの大音響と
それを一目見ようと集まってくる人々でバレンシアの街は
大変な大騒ぎになっている。

火祭りのバレンシア(4)

2008-03-24 18:46:13 | スペイン
ひとしきり旧市街を探検した後、街のもっと北、
lastminutes.comで予約していたホテルへと移動する。
バレンシアの街は一歩旧市街を出ただけで、
広いアベニューと、近代的な高層ビルの立ち並ぶ
まったく違う顔を見せる。大型のホテル、オフィスビル、
ショッピングセンターなどが軒を連ね、まるでここが
バレンシアじゃなくて、どっかカリフォルニアの
郊外の町でもいいような錯覚を受ける。
(カリフォルニア行ったことないが・・・)

ホテルは歩いて30分ほど行ったところにある高層ビルだった。
と・・・遠い。地図をよく見ると地下鉄の駅で2つも先立った。
しかもこの街は駅間距離が長いのだ・・・。
HOLA DOS NOCHES POR FAVOR
など片言のスペイン語をフロントでしゃべる。
その後すぐ言われたことが分からなくなったので英語に戻る。
情けねえ!

火祭りのバレンシア(3)

2008-03-23 17:23:12 | スペイン
市役所前広場からゆっくり街を北上。
近代的なビルは消え、だんだん古ぼけた
旧市街に入ってくる。狭い路地、地中海らしい
黄色やオレンジ色の建築、優美な模様のバルコニー。
旧市街の中心部、大聖堂の前に来る。

巨大な聖母マリア像の周りは献花で埋め尽くされている。

火祭りのバレンシア(2)

2008-03-22 07:22:16 | スペイン
バレンシアの地下鉄は結構発達していて5つの
路線が街をくまなく網羅している。
車内の駅名表示はカタロニア語のみ。なんか読みにくい。
たとえば空港がスペイン語なら、aeropuertoがaeroportとなるのだ。
微妙にスペイン語と違っている。

地下鉄コロン駅を降りて市役所前広場へ向かう。
ツーリストインフォメーションで市内地図をもらうのが目当て。
途中、たまたまあの有名な張りぼて(las fallas)に出くわす。
こういう張りぼてが市内あちこちに展示され、明日の夜
いっせいに火に焼かれてしまうのだ。


火祭りのバレンシア(1)

2008-03-21 07:07:54 | スペイン
ストラスブールからパリに戻って2日後、
無理やり有給休暇をとってバレンシアへ旅立つ。
慌しいことこのうえない。というか自分のせいだが。
スペインの3大祭りの一つ、バレンシアに
春を告げる火祭り、las fallasのフィナーレを見るため。
フィナーレは3月19日の深夜。

実はこのフィエスタの話を20年近く前、
大学生の頃、そこに行ったと言う友人の話を聞いてから
行きたくてたまらなかったのだ。でも、なんとなく
時間だけが過ぎて今日が来てしまった。
もうすぐ40歳になってしまうし、仕事は山積みだけど
これは行ってみないといかんばい、今年こそ!などと
自分に言い聞かせかなり無理なスケジュールでバレンシアに
行ったってわけさ。

パリのシャルル・ド・ゴール空港から直行で2時間、
うとうと居眠りしている間に飛行機はバレンシア国際空港に
着いていた。空の青さがまぶしい!同じ欧州なのに気温が
全然違う。気温は午後5時で20度。温暖このうえない。
ああ、念願のバレンシアに来たんだ。
写真は中心部に近い、ノルド駅。駅の隣に闘牛場がある。

ストラスブール1日目(2)

2008-03-18 08:06:26 | フランス
路面電車は無愛想にストラスブールの中心部を目指す。
窓から見えるのは何の変哲もない、地方都市の郊外の
風景。ただっ広い校庭を持つ高校だったり、ルノーの
代理店だったり、大型のスーパーだったり、とここが
ストラスブールでも、そのほかのどこの町でもいいような
特徴のない風景が延々と続くのだった。

15分ほど、6つぐらい停留所を超えると徐々に古い町らしい
建築が増えてくる。運河を渡るとようやくストラスブールの
都心地区、川のデルタ上に開けた旧市街に電車が滑り込む。

予約してもらっていたホテルになんとかたどり着く。
鍵をもらって部屋に上がる。思っていたより広い部屋。
そのままベッドに横になる。ほんとは仕事先に行かないと
いけないんだけど、しばし惰眠をむさぼる自分。

ストラスブール一日目

2008-03-17 16:03:30 | フランス
仕事の関係でストラスブールへ出張する。
経済的理由により、飛行機で往復。本当は行きはTGV、
帰りは飛行機、というコースがベストだったんだが、
航空チケットが片道で買っても往復で買っても
まったく同じ価格ということが発覚。ということで
しぶしぶ午後遅く、ストラスブール空港に着陸する。

ストラスブールの会社の受け入れ先の人が
「家が空港の近くだから、車で迎えに来ます」
と言ってくれたのだが、なんとなく自分で公共交通機関
を使って中心部まで行きたかったので「ありがとう。でも
自分でなんとかします」と断る。

で、空港バスを待っていると、なんと20分に1本
もしくは40分に1本間隔。全然バスがない。
しかも誰も待っていない。
一人で待つことほぼ15分。やっとバスが来る。

乗り込むと20ぐらいにしか見えない若い兄ちゃん
の運転手。とりあえず質問する。
「このバス、クレベール広場まで行きますか?」
一応クレベール広場が中心部の一番大きい、ランドマーク
になる場所なのだ。
「いや、ベグレスまでしか行かないよ」
「ベグレス? ってどこ?」
そうすると運転手はおもむろに市内地図を出してベグレス
(ほんとはそう読まないのかしれないが、そう聞こえた)
の場所を指差した。市内の南、5キロぐらい離れている場所。
どうもそこから路面電車が出発するらしい。
ナベットって空港と路面電車の終点を往復するだけってか・・。

海の牛乳

2008-03-13 09:21:32 | パリ左岸
アリアンスフランセーズの中にある劇場、
世界文化会館で行われた黒川能の公演を見に行く。
実は黒川能を見るのはこれが初めて、最初聞いたとき
熊本の黒川温泉の人たちがやっている能楽かと
勘違いしていた。ただしくは山形県鶴岡市の黒川郷の
農民が起こした何百年もの歴史を持つ能。

そのあと友人とモンパルナスのオイスターバーに
牡蠣を食べに行く。よく考えたら牡蠣を食べるのは
すごい久しぶり。海の牛乳と呼ばれる栄養価満点の
牡蠣は非常に美味でおなかもホクホクだったのだ。
写真はオイスターバー。

夜警

2008-03-09 17:55:44 | パリ左岸
事務所で簡単なパーティーがあり、酔った頭を冷まそうと
一人で屋上に上がって柵に寄りかかって夜空を見上げていたら、
夜警中の警備員と出くわした。
パスカルという40ぐらいの顔だけは知っているおじさんだ。
「何やってんだ!」と笑いながら言われ、
「夜景見ているだけ」と返事。
よく考えるともう何年もこのおじさんを知っているが、
話すのは初めてだ。
雑談していると彼はもう20年も夜警の仕事をしている、
夜勤は1ヶ月に13日間、午後はアソシエーションの仕事、
去年ガンにかかって10ヶ月間入院していたが、今は回復
して仕事をしている、夜勤明けは一日4時間しか寝ずに
アソシエーションの仕事に行くこともある、などのこと
が分かった。というか別に聞き出した訳じゃないが。

「夜警の時間は事務所に誰もいないし、一人で
ゆっくり働けるからいいんだよ」と彼が言ったとき、
「あ、まったくそれ同感」と思った。自分もすごい朝早く
一人で事務所で働くの好きだもんな。

無性にラーメン

2008-03-06 09:10:43 | 福岡
今週忙しくて、朝の8時から深夜まで勤務。こういうので
いいんだろうか? と言いつつこの体制があと3日ぐらい
続くんだけど。

ということで深夜1時に帰宅して、なんだか無性に
博多ラーメンが食べたくなった。博多ラーメンじゃなくて
久留米ラーメンでもいいんだけど。あの白濁したとんこつ
ラーメンが食べたくなった。

パリにはラーメンのようなものを出す日本食レストランや
中華料理屋がある。でも自分にとっては限りなくエセラーメン
なんだよね。まず麺が全然違うし、スープも醤油ラーメンの
ような、よく分からない薄さ。そういえばシャンゼリゼの
裏通りにある日本居酒屋にとんこつラーメンあったけど、
あれもなんか違うんだよね。

福岡にいたときにどんなラーメン屋に行ってたか思い出そうとした。
なかなか思い出せない。長浜ラーメンは食べたことあるが。
観光客と一緒に380円のラーメンを食べた。地元の学生だったのに。
あとうまかっちゃんのような、インスタントもよく食べていたっけ。
飲み会の締めは屋台のラーメンだったと。なつかしか。
どこに住んでても博多は僕の思い出の街やけん、いつも心の中に
持ち歩いているとよ。なんちゃって。

15区の路上を歩いていると

2008-03-03 06:20:20 | パリ左岸
15区の南部、地下鉄コメルス付近の通りを深夜、
0時30分ごろ一人でブラブラ歩く。友達の家で
飲んだ後、家までほろ酔い加減で帰るところだった。

「ムッシュー」と言っていきなり声をかけられる。
見ると、60歳過ぎの金髪のおばあさんがボーっと
立って僕に話しかけようとしている。
「このお店には何が売っているか分かる?」
と目の前の暗い店の店内を指差す。
彼女の視線の先には、明かりを落としたイランの物産を
売る店が。暗いながらも店内にはイランのCDや、
イラン産の乾物、イランのポスターなどいろいろな商品が
並んでいるのが分かる。
「イランのものをいろいろ売っているんじゃないんですか?」
と相手にしなきゃいいのに返事をする自分。
「イランはイスラム教の国なの? 王はいないの?」
次から次へと質問が来る。彼女はどうもフランス人ではないらしい。
どこの国か分からないが、強いなまりがある。
あとちょっと頭が足りないようだ。大体こんな時間に
フラフラしているおばさんなんて・・・。
「王はいたけど、70年代のイスラム革命で王は追放
されたんじゃないんでしょうか?」
「あなたって教養があるのね!」とおばさんは目を丸くする。
つーか、知ってるよ、ホメイニ師とかぐらいだったら。

そのあと少し話して、おばさんは気が済んだらしく、
「ボンソワール」と言ってどっかに去っていった。
話し相手がほしかっただけなんだろうか?
にしてもまた変な人につかまっちゃったよん。

スペイン旅行準備

2008-03-02 16:40:04 | スペイン
なんか昨日のブログを読み返してみると、
「弱音や愚痴を吐くのは自分のスタイルじゃないね」
とかと偉そうなことを言いつつ、文書の最後は
弱音になっているところが情けない(笑)。
まあいいや、自分らしくて。

今月スペインに旅行しようと思って、ガイドブックを
読み漁る。地球の歩き方(スペイン編)、ミシュランGuide vert、
アシェットのguides voirシリーズのスペイン。
アシェットのガイドは絵と写真が満載で個人的には
ガイドブックの芸術品だと思っている。スペインのカテドラルの
内部構造や、旧市街の散歩のコースまで町並みと一緒に
描写されていて、読んでるだけで行った気分になれる逸品。
あと各地方の名物料理が写真付で出てるしね。

ホテルとエアチケットはインターネットで予約したんで
あとは心構えを作っとくだけだ。あ、こういうのetat d'esprit
と言うんだろうな。一緒に仕事をしたフランス人が
何かプロジェクトを立ち上げるときには実際面に移る前に
関係者間のetat d'espritを作っとくことが大事だと言っていた。
確かにそうだと思う。押し付けられたり、どうなるか分からず
闇雲に仕事させられるより、みんなのやる気が高まったうえで
仕事に着手するほうがスムーズに行くもんな。
と頭では考えつつ、よく一人だけ空回りすることが多い自分。


スティーブン・キングでなくとも

2008-03-01 07:08:06 | 読書生活
恐ろしいほど忙しかった2月が終わった。
あんまり「忙しい」とか「僕はこんなに大変なんです」
なんて言うのは好きじゃない。というか声にして言った事はない。
なんかものすごくかっこ悪い気がするから。
自分がどんなに大変か、とか、自分がどんなに凄い仕事を
しているか、ということを言葉にして他人に語る行為というのは
受け入れがたく、そういう人間を軽蔑してきた。
まあ、各人、好きなことを言っていいんだけれど。

といいつつ、ちょっとどんなに忙しかったか言ってみると
毎週土曜出勤、かつ週のうち3日は深夜帰宅。
こりゃ老化が進むよ、と思ってしまうような勤務時間。
日本ならともかく、労働者の権利が守られているフランスでは
ありえない勤務体系だったっす。
といいつつ、弱音は吐かないが。というか吐きたくなるような
日本人の友人もいないしな。

フランスの週刊誌を読んでいたらあの、スティーブンキングが
長らく住み慣れた、かつ自身の小説の舞台にすることを常と
していたメーン州に愛想をつかし、フロリダに移住したらしい。
全米のすべての退職者のように。彼ももう60歳を越えた頃。
退職を迎える年齢なのだ。
スティーブン・キング、昔よく読んでたなあ。ITとか。
日常に潜むホラーを抉り取るような作風が好きだったなあ。