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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

ピーターキャメロンのこと

2012-11-06 22:39:50 | 読書生活
最近本屋に行ったら、ピーター・キャメロンの「ママがプールを洗う日」
のフランス語版が文庫サイズで出ていた。ハードカバーサイズ版は
日本で持っていたのだが、文庫版は初めてだったので買ってみると、
日本版「ママがプールを洗う日」には収録されていない短編が
いくつも入っている。
いつもながらキャメロンの繊細な、人生の一場面を描写するような
見事な筆致の短編があふれている。
初めて読んだ短編、「lentement(ゆっくりと)」はこんな話だ。

夏のバカンスで突然の事故で夫のイーサンを失ったジェーンを、
その夫の弟である「僕」はじっと観察している。
イーサンを失って1年経っても、まだ、その不在
や喪失、といったものになれることはない彼女に会うため、
僕は彼女のいる、湖の中の島に立つ静かなコテージまでやってきた。

*********
僕は、光に照らされたテラスの端にある鉄製のベンチに座って、湖の
ほうを眺めているジェーンをじっと見ていた。
彼女の瞳と頬は濡れていた。彼女がなぜ泣いているのか僕は知っていた。
少なくとも知っていると思った。

彼女の目の前に座っているのはイーサンであるはずだった。もしくは
彼女のベンチの隣に座っていてもよかったかもしれない。
午後じゅう、彼女と一緒にカヌーを湖で漕いでいるのはイーサンの
はずだった。平原で眠っているジェーンを起こすのはイーサンで
あるはずだった。

そう、だから彼女は泣いているのだと僕は思う。
そして、だから僕も泣いてしまったのだと思う。

今週のことば

2011-05-11 16:37:24 | 読書生活
今週の読書でもっとも心に残った言葉

人間は過去を思い出すのではない。
それをいつも再構成するのである。
----彼は過去を保存しているのではない。
彼は現在から出発する。そして、彼が過去を知り、
それを解釈するのはつねに、彼自身をとおしてである。

-リュシアン・フェーブル

まさにフェルナン・ブローデルの師匠、フランスの
アナール学派の草分けのフェーブルの重みある言葉である。
現在を通してしか、過去を見ることはできない、
現在のフィルターを通して、流動的な過去を再構築した
残像をわれわれは見ているだけなのだ。

最終目的地(4)

2011-04-18 14:38:20 | 読書生活
亡くなったユルス・グントの愛人で、現在は彼の妻と兄との奇妙な
同居生活を続けているアメリカ人のアーデンを映画の中で演じるのは
シャルロット・ゲンズブールだ。
アーデンの、どこか厭世したような、臆病で、物静かで、自制的で、
しかし繊細で、芯の強い複雑な性格を、その華奢なシルエットで演じる
シャルロット・ゲンズブールはまさに当たり役といえる。

アーデンは感情と言うものをあまり信じていない。信じていないというより
ある時期からそれを表に出すのが億劫になってしまったようだ。
彼女自身が、自分の子ども時代を短く話すシーンがある。
心の琴線に触れるようなセリフなんでここの引用しておく。

   *     *     *

わたし、人がもって生まれる感情の貯えには限りがあるんじゃないかと
思うことがあるんです。子供の頃、船に乗ると、食べ物や水やいろいろな必要な
ものが、どんなふうにしまわれていて、どんなふうに使い果たされて、
毎日どんなふうに船が軽くなっていって、どんなふうに食べ物がわたしたちの
体を通って海に流されるんだろうって考えたわ。船はどんどん空っぽになて
浮かんでいくの。わたし、大人になるってそういうことだって考えていたんです。
虚ろに、空っぽになっていくことだって。大人たちは感情が空になってしまったから、
せわしなくて意地悪なんだと思っていた。

最終目的地(3)

2011-04-15 17:44:23 | 読書生活
「過去とは、別の国ようなものだ」という表現がこの本には出てくる。
過去とどのようにつきあうか、それがこの本の大きなテーマになっている。

なくなったユルス・グントの未亡人、キャロラインは、過去を振り返るなんて
無駄だ、という義兄のアダムに次のように言う。
「わたしはそうは思わない。だって分からないでしょう-過去を振りかえらなければ
自分自身のことは少しも分からないわ」

本に登場する三人は、もういないユルス・グントの亡霊のような思い出に取り付かれ、
この地の果てのようなウルグアイの荒野の中の一軒家で思い出と格闘しながら生きている。
オマーが伝記を書くのに公認を与えないのも、もう死んでいるユルスが
もし生きていたら伝記をきっと望まないだろうから、という理由だ。

あまり関係ないが、来週、中学を卒業して以来あっていない同級生にひょんなことで
東京で会って飲みに行くことになった。卒業以来だからもう25年以上
会っていない。というか写真もないのに見つけられるんだろうか。
なんか自分の「過去」に会いに行くようで不思議な感覚だ。

最終目的地(2)

2011-04-13 14:02:31 | 読書生活
歯医者の帰りに、関西空港のターミナルの中でシャツ買おうと思って
レジに持っていったら、「関空の従業員の方ですか?」とレジの人に言われた。
従業員だったら割引があるのか?もしくはよっぽど関空で買い物をする
スーツ姿のサラリーマンって珍しいのか?

とそれはさておき、『最終目的地』はこんな話だ。カンザス州の大学院生
オマーは博士論文のために、欧州から南米ウルグアイに渡りそこで非業の死を
遂げた作家・ユルス・グントの伝記を書こうとする。
公認の伝記を書くためには、遺族の伝記を書くことに対する承認を得なければならない。
半ば衝動的に公認を受けるためウルグアイに渡ったオマーは、広大な草原の中で
ひっそりと暮らすグントの遺族、彼の兄、妻、そしてアメリカ人の愛人の三人に出会う。
そしてそこからオマー、三人の遺族の人生が少しずつ変わっていくのだ。

上のようなプロットだが、登場人物それぞれの言葉が、すばらしい。まるで
本当に生きた言葉のように描かれている。

-それって私にはちょっと不思議に聞こえるわ。仕事しだいで住む場所が決まるなんて。
まさか、あなた、そこまで現実の言いなりになっているわけではないでしょう?

-(彼女は)名作の模写をしているの。もう自己表現ではないし、彼女の芸術でもない。
彼女は絵の中から自分を取り去ってしまったの。

-わたし、そういうの、大嫌い!自分の考えが分かっている人なんているはずないわ。
あなたはただ、自分の考えを言うのが怖いだけよ。

-怖いと思うのはかまわない。大事なのは、怖いのを理由に、正しいことをしたり
欲しいものを手に入れたりするのをやめないことだ。やめたら、それは臆病者だ。

-なんていうか、わたし、過去がきらいなんです。自分の過去が、いやでたまらないの。
-どうしてですか?
-ばかみたいなんですもの。行き当たりばったりで。筋道があるわけでも、発展して
いくわけでもない。ただ、どこかにぶつかてはよそに飛んでいくばかりで。だから、
ポーシャには安定感を、ここが家だっていう感覚を与えたいの。地理的なものまで
含めた、ありとあらゆる意味で。わたし、どこかの場所と結びついているのって
大切だと思うの。

最終目的地(1)

2011-04-10 16:18:04 | 読書生活

久しぶりに小説というものをアマゾンで買って読んでいる。
ジェームズ・アイボリーの映画にもなった、ピーター・キャメロンの
「最終目的地」だ。実はフランスにいるときに、まだ日本語に翻訳される前の
仏語版で読んだことがあった。そのときのタイトルは「là-bas」(あそこ)
と非常にシンプルで、でも深いタイトルだった。

本書の感想は別として、ここ数年、なんやら学業の関係もあり
北大西洋条約機構とか、欧州連合とか、なんかそういう堅い本ばかりに慣れていたので、
その頭でこういう、どこかメランコリーな、人間の機微を描写するような
小説を読むと非常に違和感を感じる。まあ、どちらもいいのだが。
あるフランス人の読者がこの小説のことを、ペタンクに例えていた。
ペタンクは、ビュットに向かって、金属のボールを投げるゲームであるが、
意識的もしくは無意識にボールがビュットからそれて他のボールに
あたってしまうと、それによって全体のバランスが崩れ、まったく違った
模様ができる。その、トリックスターのようなボールが、この小説の主人公オマールだ、と。

ピーター・キャメロンお得意の、映画のシナリオのようなセリフ(実際
映画になったが)がこの小説にはちりばめられている。感慨深いので
引用しておこう。

-このネクタイは1955年にベネチアで買ったのだよ。幸せなときには美しいものを
買うことが大事だ。このタイを見ると、わしにも幸せな時代があったことを思い出す。

-でも人生って、かならずしも-なんていうか、人生の楽しみっていうのは、
かならずしもものすごく実用的だったり、ものすごくエコロジカルだったり
するわけじゃないのよ。

-わたしには、世の中がそんなことろだとは思えないんです。人が冷酷に、意地悪く
行動するだろうって、あらかじめ想定することなんてできない。人って、常識を
わきまえて、プライバシーを尊重するものだと思います。




聖アントニウスの火

2011-01-02 16:40:53 | 読書生活
新年早々、文庫本数冊買って読んでいたのだが、すべて論文を
書くことに対する逃避である。と言いつつ、逃避のほうに
一生懸命になってしまうのだが。

その中でも中野京子作『「怖い絵」で人間を読む』(NHK出版、2010)
は内容が面白くて3時間ぐらいで全部読んでしまった。
文章も平易だし、図版も多いし、そんな予備知識なくても
欧州の歴史を分かりやすく読み解いてくれる。

その中に中世の病「聖アントニウスの火」について書かれてあった。

原因は麦角アルカロイドによる中毒で、細菌感染したライ麦で
つくったパンを食べると発症しました。[...]
当時この病気を治癒する唯一の方法は、聖アントニウスを祭った
教会へ巡礼し、祈りを捧げることでした。かつて病に冒された人が、
聖アントニウスの聖遺物に祈って健康を取り戻した、と伝えられたからです。
この言い伝えたにすがるしかない人たちは、各地にあった聖アントニウスゆかりの
場所に詣でるようになっていきます。

                        ~中野京子「怖い絵で人間を読む」p237

そこを読んではっと思い出した小説がアントニオ・タブッキの
『レクイエム』である。原本は手元にないので詳細はうろ覚えだが、
夏の日、リスボンをさまよう主人公が、聖アントニウスの絵に
関するエピソードを聞く場面がある。
リスボンの市庁舎に「聖アントニウスの誘惑」の絵があり、
昔の人々が災いや病を治癒されることを願って、次々とその絵を見に来る
という話だ。
以前読んだときには、中世は絵画に魔力が宿ると思われていたのか、
ぐらいにしか思わなかったのだが、上記の本を読んでいて、実は
これはしっかりとした根拠のあるエピソードだったんだなあ、と感心。
同時にアントニオ・タブッキの知性の底深さを垣間見たような気がした。


文明の暴力

2010-09-13 15:20:43 | 読書生活
ポルトコロニアリズムという本を先週から読んでいて、
それはそれで面白いんだけれど、読み進めるうちに今まで知っていたつもりで
実は何もわかっていなかったことが何度も出てきて
目から鱗が落ちるような感覚に襲われる。

たとえば「日本」の平和。平和が大事だというのは簡単だけれど、
その日本の、当然だと思われている平和が、実は他者の苦しみや、
世界の他の国の戦争などの犠牲の上に成り立っている「平和」なのではないか。
平たく言ってしまうと、平和国家と言っているけれど、沖縄の人々の
米軍基地の日常の苦痛の上に成り立っている平和ではないか。
パレスチナやアフガンやイラクでは日常茶飯事にテロが起きているのに、
そういったものを押さえつける圧倒的なアメリカの帝国主義的な
軍事力に下支えられた、手の甲の上の平和なんじゃないか、とか。

そして「あらゆる暴力に反対」と言うのは簡単だけれど、
その実、あらゆる暴力が発生するのを押さえつけるような、もっと大きな
国家体制の暴力に庇護されているから、それ以外の暴力に反対することが
できるだけなんじゃないか。

読んでいて、自分が何も考えていなかったことを思い知らされる。

野地秩嘉氏の新著

2010-09-07 16:55:32 | 読書生活
今日はちょっと仕事の関係で落ち込むことがあって、腐って家で
タラタラ本など読んでいた。昔から好きなルポライターの野地秩嘉氏の新著
「一流たちの修行時代」だ。なんか人生のハウツーものっぽいタイトルで、
実際に一流の人間の行き方などがインタビュー形式で書かれているのだが、
どこにも「●●のように生きろ」とか、「●●すべきだ」なんて書かれていない。
どれもあからさまな人生観とか仕事観とか出てこずに、ただ淡々とそれぞれが
やってきたことが語られるだけなのだ。
そういう欲のない、ギトギトしていない乾いた文体が非常にいい!
あるホテルマンの言葉を引用しておこう。

経験したことのないトラブルや状況に直面したときに大切なのは、
ビジネスノウハウやテクニックではありません。心の中に支えがあるかどうかです。
メンタルな力がないと乗り切ることはできない。

こういういい言葉があちこちに出てきて、すばらしい本なのだ。
ところで僕の落ち込みの件だが、結構自分のふがいなさにあきれちゃって
こんなところにいるより、福岡でのんびり、平和に、地味に働いていたほうが
ずっと幸せなんじゃないか、なんて一瞬思ってしまったぜ。
まあ、大阪でも大したことをやっているわけではないので単なる逃げなんだが。

着地すること

2010-04-30 00:02:26 | 読書生活
ふと昔読んだ小説を思い出した。タイトルとあらすじは時々思い出すのだが
正確な作者名なんかが分からなかったのだ。気になってネットで調べてみると
作者はエリザベス・ギルバート、『着地』(LANDING)というのが正式な
タイトルだった。ネットって便利だなあ。

「根無し草」それがテーマだ。主人公の女性は、もういい歳だというのに
いっこうに落ち着く気配もなく、行きずりの恋愛をアメリカの西海岸で
している。出会ったばかりの男をナンパしたりとか。そういう様子が
描写されているのだが、最後に、女が考える。人生にはいつか着地する
ときが来るのだ。でも、それは今じゃない。

多分、そんな筋だったとような気がする。なんか「着地」という単語が
重くって。最初に読んだのは30歳ぐらいだったんだが。なんか、自分、
まだ人生において着地していないような気がする。根無し草のような。
漂流しているのかなあ。

物事の真ん中にあるもの(5)

2010-02-21 22:47:53 | 読書生活
来週に大学院の修士論文の指導教官と面談をすることになっているので
いろいろペーパーを作成していたのだが、あとで読み返して、
こんなんじゃレポートの延長だよ、とか学部レベルだよ、とか
いろいろ考えて思い悩んでしまう。やっぱり絶対的な基礎的な
学力が自分にはないんだろうな、と思ってしまう。
今週続いていたピーター・キャメロンの「アリア」はこんな
終わり方だ。国際政治を考えるのもあきて、ちょっと逃避。

   *    *    *
私はそれからテーブルについて、トーマの電話番号を押した。

-私よ、と私は彼の留守電に話しかけた。今、家にいるの。
水曜の夜。今何時か分からないんだけれど。かなり遅い時間ね。
よく分からないけれど、でも、今が何時なんだか知りたくないの。
ちょっと眠って、今、目が覚めたばかり。今夜、ルディにさよなら、
って言ったの。彼は明日になれば行ってしまう。本当のことを言うと、
彼にさよならなんて言ってないの。お互いに、本当のところ、
さよならなんて言い合えないから。当然だと思うわ。
今日、ある男の人から話しかけられたの。そんなこと初めてだったわ。
誰か知らない人よ、通りで会ったような。彼は私が「ドリアン・グレイ」
で歌っていたのを見たんだって。彼は私が素晴らしかった、って言ったわ。
でも多分、人は、誰かを通りで見かけて話しかけたんだったら、その人に
「素晴らしかった」って言わないといけない気持ちになるものよね。
本当はそれは通りじゃなかったの。それはルディの住む建物だったの。
今、私は猫を飼っているの。ルディが飼っていた猫よ。
猫はベッドの下にいるわ。私は素晴らしくなんかないわ、そうじゃない?
トーマ、あなたはそこにいるの?そうは思わないけど、でもそこにいるような
気もするの。かなり遅い時間だし。本当に遅い時間なら。きっと
あなたを起こしてしまったかもね。そうだといいんだけれど。
あなたに私の家にいてもらいたいの。あなたにここで、私と一緒に
いてもらいたいの。あなたに、私があなたに話ができる場所に
いてもらいたいの。

私はちょっと間を置いた。
-いや、あなたと話すんじゃない、と私は言った。あなたを見ることが
できる、あなたに触れることができる場所に。

物事の真ん中にあるもの(4)

2010-02-20 10:10:29 | 読書生活
(続き)

   *     *     *
-ここに引っ越してきたときのことを覚えてる?アパートの中に
何もなくて、地面に座ってピクニックしたよね。
-ああ、マイケルと、とルディは言った。
-そう、マイケルと、と私は言った。

私はいつも死んだ人のことを、意識の外に出して放ってしまうけれど、
ルディは逆で、絶えず死んだ人を、自分の中で生き続けさせようとする。
私にとって死んだ人の話をすることはなんだか失礼な気がするのだ。
本当はそんなことはないんだろうと分かっているけれど、
でもどうしても私はそんな気がしてしまうのだ。

-マイケルはいつもドアを大きな音を立てて締めていたから、
そのことを階下の人たちは苦情を言いに来ていたわよ。

そう私は言いたした。なぜなら、一度死んだ人の話をしてしまうと、
私はその人たちのことを怖がっていないことを証明するために、
なにか言い足さないといけないような気持ちになってしまうのだ。

でも本当は、彼らは死んでいる、ということだ。必死になって
彼らを私たちの生活の中に呼び込もうとがんばっても・・・。


物事の真ん中にあるもの(3)

2010-02-17 07:03:13 | 読書生活
「アリア」の一場面から。

     *     *     *
もう6年も前から私は、トーマという人と恋愛をしていた。
彼は金持ちで、積極的で、そして結婚していた。フェリシア、
という名前の女性と。でも彼女は6ヶ月前にそのせいで自殺した。
彼女はアパートのテラスから身を投げたのだ。
「身を投げた」というのは適当な表現ではないかもしれない、きっと。
でも私はそういう行動にたいするふさわしい言葉を知らない。
それ以来、トーマは私に会うのをやめてしまった。

「死」が彼を誠実な人間にしたのだ。彼は女性を裏切ることが
できたかもしれないが、思い出は裏切ることができなかった。
とにかくそんな風に私は考えていた。

物事の真ん中にあるもの(2)

2010-02-15 00:16:51 | 読書生活
昨日引用したピーター・キャメロンの「アリア」とは
不思議な短編だ。もう死ぬことが分かっている親友が、
死を準備するために田舎に旅立つのを静かに見送る、
そんな話だ。誰も誰のことを責めない、自分以外は。
どうすればいいのか分からないまま、時間だけ残酷に
流れていく、そういう状況を描写した話だ。

   *    *    *

私はルディをもう18年も前から知っている。
私たちは、お互いがそれまで持ったことのなかった、本当の
友達だったと思う。少なくとも私にとってはそうだ。
私たちは大学で知り合った、ちょうど私たちがようやく
本当の自分自身になろうとしていた頃、そして
なりたい自分になるために励ましあった最初の友達だった。
もう長いこと、私たちはそんな人間だったのだ。

物事の真ん中にあるもの

2010-02-13 08:40:44 | 読書生活
ポルトガルから戻ってきて、まあ、淡々と働いているのだが
なんかいろんなことが馬鹿らしく思えてきて
気を紛らわすためにピーターキャメロンの昔買っていた
フランス語の小説を読んでみた。

ピーターキャメロンらしく、短編を読むと心につっかかる
文章があちこちに散らばっている。

     *     *     *
私は彼が行ってしまうことを、そしてたぶんもう彼に二度と
会えないことも知っていた。
でもそれに対して、どう反応すればいいのか分からなかった。
それは今まで彼との友情の中で出会ったことのない状況であったし、
そうでなくても私の人生の中でもこんな状況に出会ったことはなかった。
私は、まずどうやって生きるのかなんて学ぶことなく、
生きていけるような類の人間でいたかったのに。
                        「アリア」