昨日は仕事と自分の勉強もかねて、丸の内ホールで開かれていた
シンポジウムに朝の9時半から参加していた。日本とのフランスの
美術館と地域の対話の比較、とかそういう内容だった。
一言に、地域住民との対話、とか美術館が地域で果たす役割、とか
言っても日本とフランスじゃあまりにも社会的コンテクストが違い
すぎるので、比較しようがない、とかと話を聞きながら思った。
壇上の人々が、「共通点を見つけることができて、共感した」
と話していたけれど、それはちょっと無理があるだろ、と突っ込み。
今日は、北風の中、上野の国立西洋美術館へ、前から行こうと
思っていたヴィルヘルム・ハンマースホイ展へ。20世紀初頭の
デンマークの代表的な画家の展覧会だ。フェルメールを思わせる
その画風は、「静謐」という言葉がぴったり。影さえも消してしまう
建物の内部を描いたその静物画は、閉塞感にあふれて、見るものを
不安な気持ちにさせる。取っ手のない、閉められたドア。どこかから
差し込む、薄い一筋の光線の中でうなだれる女性。
鑑賞のあと、西荻に戻り、ちょっと気が向いたので
アンティーク屋というか骨董商が集まる通りに、
アンティックを覗きに行った。買う予定なんかないんだけど、
昔の木製の、椅子とか棚とか見に行った。
昔、おばあちゃんの家にあったのとそっくりな椅子を発見。
家具って、思い出を呼び覚ますものなのだな、と実感。
シンポジウムに朝の9時半から参加していた。日本とのフランスの
美術館と地域の対話の比較、とかそういう内容だった。
一言に、地域住民との対話、とか美術館が地域で果たす役割、とか
言っても日本とフランスじゃあまりにも社会的コンテクストが違い
すぎるので、比較しようがない、とかと話を聞きながら思った。
壇上の人々が、「共通点を見つけることができて、共感した」
と話していたけれど、それはちょっと無理があるだろ、と突っ込み。
今日は、北風の中、上野の国立西洋美術館へ、前から行こうと
思っていたヴィルヘルム・ハンマースホイ展へ。20世紀初頭の
デンマークの代表的な画家の展覧会だ。フェルメールを思わせる
その画風は、「静謐」という言葉がぴったり。影さえも消してしまう
建物の内部を描いたその静物画は、閉塞感にあふれて、見るものを
不安な気持ちにさせる。取っ手のない、閉められたドア。どこかから
差し込む、薄い一筋の光線の中でうなだれる女性。
鑑賞のあと、西荻に戻り、ちょっと気が向いたので
アンティーク屋というか骨董商が集まる通りに、
アンティックを覗きに行った。買う予定なんかないんだけど、
昔の木製の、椅子とか棚とか見に行った。
昔、おばあちゃんの家にあったのとそっくりな椅子を発見。
家具って、思い出を呼び覚ますものなのだな、と実感。