日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

11月の上野公園

2008-11-30 22:23:53 | アート
昨日は仕事と自分の勉強もかねて、丸の内ホールで開かれていた
シンポジウムに朝の9時半から参加していた。日本とのフランスの
美術館と地域の対話の比較、とかそういう内容だった。
一言に、地域住民との対話、とか美術館が地域で果たす役割、とか
言っても日本とフランスじゃあまりにも社会的コンテクストが違い
すぎるので、比較しようがない、とかと話を聞きながら思った。
壇上の人々が、「共通点を見つけることができて、共感した」
と話していたけれど、それはちょっと無理があるだろ、と突っ込み。

今日は、北風の中、上野の国立西洋美術館へ、前から行こうと
思っていたヴィルヘルム・ハンマースホイ展へ。20世紀初頭の
デンマークの代表的な画家の展覧会だ。フェルメールを思わせる
その画風は、「静謐」という言葉がぴったり。影さえも消してしまう
建物の内部を描いたその静物画は、閉塞感にあふれて、見るものを
不安な気持ちにさせる。取っ手のない、閉められたドア。どこかから
差し込む、薄い一筋の光線の中でうなだれる女性。

鑑賞のあと、西荻に戻り、ちょっと気が向いたので
アンティーク屋というか骨董商が集まる通りに、
アンティックを覗きに行った。買う予定なんかないんだけど、
昔の木製の、椅子とか棚とか見に行った。
昔、おばあちゃんの家にあったのとそっくりな椅子を発見。
家具って、思い出を呼び覚ますものなのだな、と実感。

所得の再分配

2008-11-27 22:57:28 | 自分について
今日は朝から、社会の『所得の再分配』に関する本を読んでいた。
いや、さまざまな税制や福祉政策によって各人の所得を再分配
する必要があること、とか云々。

というのも訳があって、実は僕は、
春から大学院の修士に通うことになっているのだ。
で、その専攻が政治学とか国際政治とかそんなやつだから、今のうちから
勉強しとこうと思って。まあ大学院も、ホントは比較文化とかそういう
関係の勉強をしようと受験説明会に夏場にいったら、たまたま比較文化
の隣でやっていた国際政治学科の説明が面白かったので、ためしに
受けてみたら、受かったのだ。だからかなり偶然の成り行き。

僕は、学部の専攻が教育心理学だったんで、政治学とか全然
勉強したことがない。ただ、昔公務員の試験対策の学校に通っていて
そのときに試験対策用の政治学を勉強しただけだったのだ。

とそれはいいのだが、仕事の関係で午後、某大手証券会社のオヤジと
会って話を聞く機会があった。なんか僕には理解できなかったが
金持ち相手の財産管理の話とか、ひっきりなしにしていた。
あと会話の終わりの辺に、「こんな金融危機でも、お金はあるところには
あるんです!」と熱くなって言っていた。
所得の再分配の話など思い出して、「そのあるところにあるお金を、
社会の不平等解消のために利用しないのか」と突っ込もうと思ったがやめた。

フランスにかえる人

2008-11-26 00:38:51 | フランス
日本に数ヶ月前から滞在し、日本各地を3ヶ月ぐらい
ホームステイするんだ、と意気込んでいたフランス人の友人(女)
から突然連絡が入り、「来週やっぱりフランスに戻ることにした」と。

あまり訳も聞く気になれなかったので、とりあえず吉祥寺でお別れ会。
こういうの、フランス語でpot d'adieuって言ってたな。

おごってやるよ、と意気込んでいいカッコでイタリア料理の
レストランに入ったがどうもチョイスを間違ったらしく、
ハウスワインがその店、3500円もした・・・。初志貫徹ということで
やせ我慢してイタリアンを食べる俺たち。

最後らへんで彼女がしおらしくなって、
「なんか日本に過大な期待をしていたみたい、私」などと言っていた。
何と言っていいか分からなかったので「バッカだなあ」としか言わなかったが。

目標や期待があってそれを途中で頓挫してあきらめるのって
なんか後味悪いな。僕も経験あるけど。

Be My Friend

2008-11-24 23:57:00 | 種ともこ
今日中野のベローチェにカフェオレ飲みに行こうとして
雨の中を中野サンプラザの前を通りかかったら、傘を差した
群集がむらがってなにやら待っていた。搬入口に数十人が
つっ立っている。どうも、コンサートがあってその出待ちをして
いるらしい。
なんか異様だ。その群集というのはみんな女性で、しかも
みんなおばさんなのだ。化粧の厚い・・・。雨の中、必死で立っている。
一体誰を待っているんだろう。と思って家に帰って、今夜の
中野サンプラザのコンサートを調べたら納得。フォーリーブスだった。

とそれはさておき、ずっと前から聞きたかった種さんがNHKの番組
「天才てれび君」用に作った曲が、YOUTUBEにアップされていた。

         *     *     *
Be My Friend

新しい街に 引越しするの
もう放課後のおしゃべりもできないね
泣いたりとかは違う気がする
でも ありがとう言わせてね それからもこれからも

Please Be My Friend
はなさいで気持ちつないでた糸を
時がたっても変わらないで 話をしよう

転校生よ 少し不安ね
でも違う自分がみつかるかもね
遠い街なの 川が流れて
きっとあそびに来てほしいな 約束よ これからも

Please Be My Friend
はなさいで気持ちつないでた糸を
時がたっても変わらないで 話をしよう

うまく言えないけど ちゃんと伝えたい 心のともだち

* * *

この詩がいいんだ、また種さんぽくて。しかも飽きがこないで。
「泣いたりとかは、違う気がする」
こういう感覚分かるなあ、と思う。10代のころ、単純に悲しくて、
単純に泣くような、そういう行動をとる同級生を横目で見ながら、
そういうんじゃないんだよねえ、なんて僕はどっかさめて思っていたっけ。
転校って言っても、ほんとのお別れじゃないし、そうなって欲しくないし、
そんな単純に悲しい気持ちになるのはおかしいんだよ。
そういうニュアンスなんだろうか。
「でも違う自分が見つかるかもね」
というところも秀逸です。

写真は乃木坂の旧乃木将軍邸



のべつまくもなくの土曜日

2008-11-23 00:48:46 | 東京
僕は本来はいつも何かしらやることがあってせわしなく
働いたり、動き回っているのが好きだ。これと言って趣味もないし、
なんか暇になったら自分を見つめるどころか、変なことで悩みそうだしね。
職場でも仕事がたくさんあって、とても手が回らない、とかそういう
状況がちょうどいい、って感じなのだ。

で、土曜日。まずプールへ午前中行く。もうちょっと痩せたいのと
健康診断で運動をもっとするようにとかかれていたせいで週に3回は
行くようにしているのだ。このことは、姉に馬鹿にされたが。
プールのあと、午後の早い時間事務所で残業。ちょうど事務所にいくと
同僚がイベントやってたんで、残業の片手間にイベントをちょこと
手伝う。会議室の後片付けとか、イベント会場の椅子の整頓とか。

残業のあと、スペイン語教室へ。時間がなくなって四谷から代々木まで
タクシーに乗ってしまった。タクシーなんて絶対乗らないことにしてたのに。
このテイタラク、と自分にちょこと反省。定期持ってるからJRだと
タダの路線なのにタクシー代、1000円払っちまったぜ。

スペイン語講座の後、今度は目黒に。目黒で開かれたレセプションに出席。
というか僕は招待されておらず、上司が出席するはずだったのだが
上司の都合がつかず、僕が変わりに出席。とりあえず主催者に挨拶だけ。
ほんと、行って帰ってくるだけの仕事だよ。

で、ほんとはそのあと渋谷で開催された種ともこのライブに行く予定で
予約までしてたのだが、なんだか元気がなくなって梅が丘に住む
友人のところまで行って居酒屋で飲み会。3カ月ぶりの種さんライブ
だったんだけどね。

飲み会が終わって西荻に戻る頃はもう深夜。西友に寄って
今週解禁になったボージョレヌーボーなど買い求める。
今週あったいいことは、なんだろう。自分があいかわらず
自分らしかったことだろうか。

あきらめないやつ

2008-11-20 00:57:44 | パリ左岸
フランスの事務所の仕事の関係者(日本人)が僕に
電話をかけてきた。嬉しそうな声で「●●のプロジェクト
うまくいってるみたいでホント、よかった」。

そのプロジェクトというのは昔の同僚、バレリーが携わっていて、
彼女が広報なんかやっていたものだ。すぐに久しぶりに
「いい仕事やってるじゃん」と激励メールを出してみた。
すると数十分後に長いメールが。
「うまくいってるなんて、とんでもない。あんた勘違いしてるよ。
私の仕事は、もっと職場に信頼関係があって、もっと
仕事にリスペクトがあって、もっと予算がついたらもっと
いろんなことができるんだから」などといつもの調子で、
欲求不満が書かれてある。

でもふと思ったのだが、こうやって彼女は欲求不満をいつも吐き出すが
なんだか現実を改善しようといつも苦闘しているのだ。その証なのだ。
そういうあがいたり、もがいたりする姿が、今の自分の周りの
職場スタッフにはないから、なんか物足りなく感じるんだろうな、
と思った。今の僕の周りの人間は、それが日本社会
なのかどうか分からないけれど、もがき苦しまない(ように見える)。
自分もそういうのに染まって、つまんない事なかれ主義の
オジサンになるんだろうか、嫌だなあ、と思う冬の初めだった。


11月のある月曜

2008-11-17 23:58:02 | 東京
お昼に会社の同僚とランチ。職場とか仕事の
愚痴などこぼされる。なんかいやいや仕事するのも
大変だよなあ、などと思う。

ふと思い立って、セルビアの友人にメールを昼間出す。
すぐに返事が来る。担当する音楽のフェスティバルが今週
始まるので、せわしなく働いているらしい。

夜半、四谷駅近くのスペイン料理のレストランに誘われ行く。
同僚が、その友達のNGOの女性と、なぜか京都で出張の
ときに挨拶したスペインのNGOの若者が来ていた。
よく話を聞くと、同僚がロンドンに留学していたときに、
この若者と友達だったらしい。世界は狭い。

ああ、あの積極的な若者だよ、などと思いつつ4人で
べらべら英語交じりの雑談をする。よく、こんな知らない人の
中に入っていって食事ができるもんだと、と自分で自分に感心。
歳をとって殻がなくなったことか。と思っていたが、積極的な
スペイン人の若者が店主のスペインのおじさんや他のテーブルに
いるベルギーのおじさんなど、知らない人にやたら声かけまくって
いるのを見て、自分にゃできない、などと実感。


人間のすること

2008-11-16 21:23:28 | 海外(フランス、スペイン以外)
欧州連合に関する本を読んでいたらこんな一節があった。

   *   *   *
95年夏、スプレニツァ村に住む700人前後のモスレム系住民が
セルビア人武装勢力によって殺された事件は、旧ユーゴ紛争
の中でもっとも悲惨な事件として記憶されている。
[...]セルビア人勢力の攻撃からモスレム人の命を
守るために、国連は当時、この村を安全地域に指定し、国連部隊
を派遣していた。しかし村を占拠したセルビア人勢力は、
住民をキャンプに収容し、95年7月には働き盛りの男性や
男の子供だけを集めてバスに乗せ、そのまま連れ去った。セルビア人
に抵抗する兵士が将来現れないようにと、全員が山中で
次々に殺害された。
                  『大欧州の時代』脇阪紀行
   *   *   *
人間の蛮行というのは測り知れないものだ。薄ら寒くなってくる。
僕にはセルビア人の友人がいるが、彼らにこのことを
聞いてみるするような気持ちにはなれない。彼らがやったこと
ではなく、その当時の国家体制がそうしたのだから。
理性とか理知的であるとか、そんなこと何の意味も持たないんだろうな、
戦時においては、などと当たり前だが思った。

この村にはオランダ人部隊が派遣されていたが、事件発生から
7年後、オランダ国立戦時資料研究所が「保護を求めていた住民を
セルビア人に引渡した責任は逃れ得ない」としてオランダ政府の
責任を問う報告書を提出した。

京都出張

2008-11-13 22:41:08 | 自分について
今日は仕事の関係で、京都に日帰り出張した。
紅葉の、風情ある秋の京都を堪能できるかと思ったら
まったくそんなことはなくて、朝7時に東京駅から新幹線に乗り、
(ということは西荻で朝の6時過ぎに電車に乗るということ)
9時半に京都に到着、その後延々と夕方まで京都で関係者と打ち合わせ
など行う、などという強行スケジュールだったのだ。
京都の風景、ほとんど見ていない。

仕事の関係で、若い、国際機関でバリバリ働いている若者と
ちょこっと喋った。向こうはスペイン人だったので英語で。
自分がどういう人間か分かっていて、自分の目標がどういうものか
分かっている、自信に満ちた積極的な若者だった。
そのあと自分の二十代を振り返ってちょっと後悔に似た感情が。
僕の二十代の頃なんて、いつも自分を他人と比較して、自分に自信が持てず、
気後ればかりしていて、ほんと、ボーっとして人間だったのだ。
もしあの積極さが自分にもあったら、今頃違う人生に
なってたかな、などとぼんやり思った。
自分は自分でしかないのだから、どうあがいたってしょうがないんだけど。


友達(になりたい人)

2008-11-11 23:33:05 | 海外(フランス、スペイン以外)
仕事の関係で、久しぶりにブリュッセルでNGO
のリーダーをしている女性と電話で話した。最初
英語で話そうとしていたのだが(彼女は英国人)、僕が
フランス語で話すことに固執したので仏語の会話になった。

この彼女がそれは素敵な人なのだ。実際に会ったことも
あるのだが、小柄で、可憐で、でも自己主張が強くなくて、
でも周りのみんなをまとめていく統率力がある、不思議な人なのだ。
この人って多分、他人をうらやんだり、ねたんだりすること
のない人生なんだなあ、とひたすら感心してしまう。
僕のような、大して偉くもない、遠い外国の人間にも
全然分け隔てなく親切にしてくれるのだ。相手を見て態度を
ころころ変えるヤツというのは日本にも、フランスにもどこにでも
たくさんいるのだが、そんなことしなくても彼女みたいに
責任ある地位で、立派な人間になれるんだなあ、などと思う。

若松河田商店街あたり

2008-11-10 22:52:02 | 東京
国立近代美術館で行われていた沖縄に関する展覧会に行く。
「沖縄・プリズム1872-2008」
いわゆる琉球処分から現代まで、沖縄の風景を、社会を、
人々を俯瞰する大展覧会だった。僕は沖縄の現代史を見に来たんだろうか、
社会像を見に来たのだろうか。それともアートを見に来たんだろうか。
などと何度も自問してしまうような、さまざまなものが凝縮されて、
それも含めて沖縄を感じられる、いい展覧会だった。

白黒の沖縄の写真を見ていたらふと自分の父親や親族を思い出した。
彼らは沖縄ではないが、鹿児島の離島出身だ。子供の頃見た、
父がまだ若い頃の写真。父も母も叔父も、叔母も、日焼けして、太陽を
浴びて海岸で笑っていた。「磯遊び」と言って、みんなで海岸へ行き
そこで採った貝や魚をその場で焼いては、焼酎やビールを飲み
日々の憂さを晴らすのだ。真っ黒な髪、真っ黒な眉、真っ黒な肌。
今思うと、若い頃のうちの親はカッコよかったんだな、と思う。

などと南国の雰囲気を味わったあと、とっぷり暗い新宿の下町へ。
というか一回、夜中に神楽坂からタクシーに乗って帰ったとき、
あまりのわびしさに「ここは東京か?」と思った場所があって、
そこを一度、散歩してみたかたのだ。牛込柳町と若松河田。
行ってみたら案の定、どっぷり暗かった。天気が悪かったせいもあるが。
まるで地方都市のような、東京のエアポケット。

モロッコからのメール

2008-11-07 23:28:19 | 西荻
昔の同僚で、今はモロッコで働いているヤツがいる。
まだ若い(といってももう30過ぎか)女性なんだが
彼女から近況を知らせるメールが来た。

今日はテトゥアン、明日はマラケシュ。
モロッコ国内を縦横無尽に走り回り、在留の日本人や
地元のモロッコの人々と笑ったり、激論をしたり、
つまり大いに働いているらしい。
ふと新宿区の狭いオフィスでせこいことで頭を悩ましている
(そんな悩んでないけど)自分が空しくなった。
モロッコじゃどんな空気が流れていて、どんな笑い声が
聞こえてるんだろうか?

まだ大学生の頃、タンジールに旅行したことがあった。
今でもあの坂の多い町並みや、カスバの喧騒や、
親切にしてくれた通りすがりのおばさんのこととか覚えている。
何も知らない、どこの誰かもしらない、見返りも何も期待できない
人に、でも親切にするって実はすごいことなんだなあ、と思う。
タンジールで受けた親切。

オバマ氏勝利

2008-11-06 22:22:23 | 西荻
オバマ氏が初の黒人大統領に選ばれて1日がたった。
昨日は当選が決まってから、ずっとまるで自分のことのように
興奮していたが、今日は少し収まった。
ネット上のある新聞サイトで彼の当選によって、
アメリカで1861年に始まった南北戦争が本当の
意味で終わりを告げた、と書かれていた。
一つはオバマ氏の大統領選勝利によって。
もう一つは、当時の奴隷制度の牙城で、南北戦争の発端にもなった
バージニア州が、オバマ氏に投票したことによって。

今週はあまり忙しくないため、早めに西荻に帰る。
黄虎食堂で豆腐サラダなど食べる。今日はサラリーマン客が
意外に多い食堂だった。



バックパッカー

2008-11-05 21:43:12 | 東京
フランス時代(といってもそんな昔じゃないが)から
知り合いのフランス人女性がこれから日本全国、バックパックの
旅に出かける、というので壮行会を新宿でやった。
どうも、ファームステイのシステムがあるらしく、
これから3カ月、長野とか九州の田舎の農家にホームステイするらしい。
日本語とか全然不自由なのにどうやって働くんだろう?
などと素朴な疑問。脅かしちゃ悪いと思い気を使って話していたのだが、
そうでもなかったらしく、会話の終わりらへんで
「おまえと話して、不安が倍増した」と罵倒されてしまった。
切り詰めた生活をこれから送るらしく、一日一食の日々とかそういう
ことを言うので、食事をおごろうとすると、今度はまた
「おごられる為に会うんじゃない」とか変な気を回す彼女だった。
つーか、おごるって言ってもそんな高い額じゃないし・・・。

くじら山のフェスティバル

2008-11-03 11:29:59 | 東京
久しぶりに、武蔵野公園くじら山で行われた
武蔵野はらっぱ祭りに出かけていった。一昔前は
日本の小ウッドストックと言われるぐらい、あやしい、
オールドヒッピーとニューエイジ系のおじさんおばさんが
集まっている、心躍るフェスティバルだったのだが・・・。

7年ぶりに行ってみると・・・、普通の市民の祭りになっていた。
しかも家族みんなで楽しめるような。
それはそれでいいのだが、ケバケバしい服やアクセサリーを
売る露天とか全然なくなっていて、出展許可の証明書を
脇につけて、コーヒーとかホットワインとか売るスタンド
ばかりになっていたのでちょっとがっかり。
いいのか、それで!もっと驚かせて、びびらせて
ヒッピー魂を見せてくれよ。オールドヒッピーは
どこに行ったんだ????