日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

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2005-07-31 03:47:56 | フランス
久しぶりにノルマンディーの知り合いのおじいさんに
電話する。向こうは暇だったらしく、午後二時間も
話し込んでしまった。

このおじいさんのこと、十年以上も前から知っているが、
昔は彼の話すフランス語がさっぱり分からなかった。
今も100パーセント分かるわけではないが。
なんで分からないか、今日気がついたのだが、会話に
やたら固有名詞が多い! たとえば、マティスの話
をするとき、「サン・ポール・ド・ヴァンス」の
チャペルのことを話に出したり、コルビジエであれば、
REZE(ナントの郊外、確か)のユニテ・ダビタシオン
を引き合いにしたり。ヴェズレーの教会とか。

問題は、フランスの教会や美術がいかに世界的に
有名だとしても、やっぱり外国人には
ヴェズレーやヴァンスなんて地名はすぐにはピンと
こないんだよな。

あと戦争について、「文明を動かしてきたものは
戦争と商業」だとも話していた。詳細はあまり感心
しないもんだったので、省略するが。
マレシャル・ペタンのことも一生懸命話していたが、
はっきり言って僕にはよく分からなかった。
ちなみにパリの外環部を走るブールバールはすべて
ナポレオン時代の将軍の名前がついているんだよな。



オートゥイユ三昧(嘘)

2005-07-28 06:13:45 | パリ右岸
こないだいきなり事務所に電話がかかってきて
戦前の日本の軍事のことについてフランス人から
質問されたんだけれど(って答えられるわけねえじゃん)
海軍って単語が分からず、ARMEE MARITIME
なんて喋っちまったぜ(正しくは、ARMEE DE MER)。
友人に言ったら、「そんな間違い、外国人しかしない」
とかって言われてしまった・・・。

さて、オートゥイユはパリの西の端、16区の南側
ブーローニュの森とブーローニュ・ビヤンクールに
隣接した高級住宅街だ。ローランガロスなどの
有名なテニスコートもあるし、競馬場もある。

そんな場所、別に用事なんかなかったんだけど、
ポルト・ド・サンクルーというオートゥイユと
郊外の境界にある広場でビールでも飲もうと
思ってぶらぶらビストロ探しているうちに、
オートュイユの中心部に期せずしてたどり着いてしまった。

広場を囲むように豪勢なアパルトマンが並ぶ。
その一階は高そうなブラッスリーやレストラン。
外から覗くと、スーツを着た男性やドレスアップした
女性が静かに談笑しながら、お酒を飲んでいる。
ちょっと店先のメニューを見ている。一皿20ユーロ代
のアラカルト。た・・・高い。

そのうちのひとつのカフェのテラスに腰を下ろして
ビールを一杯飲む。一杯だけなら6ユーロ。
リーズナブル。空はどんどん暮れていって、
気がついたらもう22時半になっていた。

久しぶりに姉と

2005-07-26 05:26:27 | パリ左岸
結婚して、旦那と沖縄に住む姉から
久しぶりに電話がかかってきた。
どうも、ロンドンのテロ再発、エジプトのテロなど
物騒なことがこっちで起こってることを懸念して
電話かけてきたらしい。

最初はテロのことなんて話していたが、そのうち
昨年末僕が帰国した際に会ったことを思い出し、
「三十代後半になると男はだめねえ。太ったりして。
あんたももうおじさん体型になってたよね」
などと嫌味をたくさんのたまっていた。単なるイジメ?

僕はこれでも寝る前に二十回腹筋をしている。
しかし確かに運動は滅多にしないし、スポーツクラブ
なんて殊勝なものに加入もしていないし、かつ
ビールなど好きでよく飲んでいるので、自然
だらしない体型になっている。いかん・・・。
こういうの、「寄る年波には勝てず」とかって
言うんだろうか?

それにしても僕の姉は弟の身体的欠陥を
暴くのが好きだ。十代の頃はよく「チビ、チビ」と
僕をいじめていた。二十代後半の頃は
「あんたもおじさんになって、十代の頃にはあんなに
若々しかったのにねえ」などと嫌味をのたまった。
で、今じゃこのありさまだ。いい加減にしてほしい。

昼過ぎにフランス人の友達の家に遊びに行く。
帰り道、電車のホームでまたうっとりと景色を眺める。
パリの南の郊外は緑にあふれて、赤い屋根がどこまでも
続き、穏やかな風景が続いている。
ラジオで、バネッサ・パラディとマキシム・フォレスティエが
デュエットしていたんだけど、その中で
「人生を愛さなければならない」と歌っていた。
本当にそうだよな。自分の人生を好きになるのって
簡単なようで、難しいんだろうな。

ムフタール界隈(2)

2005-07-23 17:48:33 | パリ左岸
仕事帰り、ムフタール街に住スイス人の
おばさんと会い、一緒に界隈のレストランへ食事へ行く。

ムフタール街は相変らず、若者であふれ、狭い通りや
広場に面したカフェは人、人、人。こんなにレストラン
が集まっている界隈はパリでも珍しいかも。

僕らはバスク料理のレストランに入る。
おばさんはこのレストランの顔らしく、従業員や
店長とそれぞれ握手をしている。隣にいる僕も
ついでに皆さんと握手なんかしたりして。

バスクのハムや、魚料理など食べながらダラダラと会話。
スイスの話、サルコジの話、会社の話などする。
僕が、「自分の知らない文明や文化には興味はあるけど、
他人の生活には興味ないんだよね・・・」と言うと、驚いて、
「他人に興味がないの? でも文明や文化を動かしているのは
その中にいる普通の人間の生活でしょ?
文明の歴史なんて本読んだら分かるけど、他人の生活は
本なんかには書いてないじゃない!」
などと指摘される。まあ、確かにそうなんだけどね。


さよならプロヴァンス~アヴィニョン三日目

2005-07-21 06:17:04 | フランス
アヴィニョンを去る日、午前8時にホテルの
ベッドで目を覚ます。暑さで無理やり目覚めた感じ。
クーラーのない狭い殺風景な部屋。
夕べ戻ってきた時間が午前3時。5時間ぐらいしか
眠ってないことになる。かなり瞼が重いのだが、
TGVの時間もあって、出かける準備をしなくては。

チェックアウトを済ませる。
鍵と、テレビのリモコンをフロントで返却するだけ。
フロントの隣にあるキッチンでは、
簡単な朝食を取っている宿泊客がいた。
一泊30ユーロしかしないのに、朝食は
5ユーロも取られるみたいだ。

ホテルからTGVのアヴィニョン駅までとぼとぼ歩く。
道路には車一台通らない。朝の光の中、殺風景な景色の中、
舗道を一人で歩いている僕がいる。歩行者は、僕以外誰もいない。
道の両側にはやっぱり人気のない工場や倉庫街が続く。
時々、パーキングがあって入り口に、自然に生えているのか、
デコレーションのために植えられたのか分からないラベンダーの
一群が咲いていたりする。この野生のラヴェンダーがいかにも
プロバンス風なんだよなあ、なんて思ったりする。

線路の脇に生えている夾竹桃の深緑の葉と、深紅の花びら。
風の中で揺れているポプラの並木。焦げ付きそうな家々の窓枠。
人懐こい瞳の人々。
また来年の夏もプロバンスに来たいなあ。

アヴィニョン二日目

2005-07-20 06:18:39 | フランス
午前八時、アヴィニョン郊外のボロホテルで目覚める。
今日は予定が目白押し。大変な日になりそうだ、
と思いながらホテルのドアを開ける。まだひんやりとした
空気の中、野良猫が二匹芝生の上に座って僕を見ていた。
こいつら、炎天下じゃどこで涼を取るんだろう?

足はアヴィニョンTGV駅へと向かう。午前中はマルセイユの隣の
港町、ラ・シオタで知り合いのスイス人のおばさんと
食事をすることになっている。

思ったよりラ・シオタは遠い。正午前ようやく町に着く。
街と言っても、ラ・シオタ駅の周りは松の木しかない。
中心街まではかなり離れているようだ。
スイス人のおばさんは海岸からそう遠くない海の見える
小さなレストランに僕を連れて行き、魚料理などご馳走してくれる。

食事が終われば今度は午後のドライブ。海岸沿いをラ・シオタ、
カシス、マルセイユとドライブ。中でもラ・シオタと
カシスの間は「ルート・デ・クレット」という名前で呼ばれる
コートダジュールでも有数の標高の高い、断崖絶壁を
走る道路。途中で車を止めて、高い崖から、おそらく二百メートル
ぐらい真下にある青い海を眺める。あまりの高度に
めまいがしそうになる。地中海はどこまでも青く、陽光が
反射している。遠くにカシスの赤茶けた町や、カランクが見えた。

時間がないとか言って、スイス人のおばさんはマルセイユの
入り口で僕を下ろした。ここから自力でマルセイユの中央駅
まで行かないといけない。近くのバス停を探して路線図を見ると
中心部まで恐ろしく遠い。地下鉄の駅だってかなり行かないとないようだ。
炎天下を待つこと数十分。ようやく路線バスがバス停に到着。
中央駅まで40分ぐらいバスに揺られる。マルセイユは何度か来たことは
あったんだが、いつも旧港とか、カヌビエールとか中心部だけ
だったので、こんな郊外から町をバスから眺めるのは初めて。
途中で、ル・コルビジエの建築物、「ユニテ・ダビタシオン」の前を
通る。これか、あの有名な建物は・・・、と感心。たしかに
こんな辺鄙な場所ならそうそうか簡単には来れないよな、
ちょっと自分、ラッキーかも、などと思う。

アビニョンで夕方、友人を介して知り合った日本人と合流。
一緒に夕食をとる。演劇関係者で今回のフェスティバルの話など
聞く。精力的に毎日複数演劇を見ているらしく、受身で、まあ好きな
ものだけ、一個見れればいいかなあ、なんていう僕とは大違い。

予約した演劇は市立劇場で夜10時から始まり、0時に終了した。
演劇終了後、さっきの知人の日本人と再び合流し、フェスティバル
関係者の集うバーに連れて行ってもらう。
深夜を過ぎているのに、あちこちのカフェもバーもレストランも
若者とその熱気でにぎわっている。それぞれが思い思いに
ビールを飲んで思い思いに語っている。こんな自由な雰囲気が
アビニョンのフェスティバルのいいところなんだよなあ。

こんなホテルでも野宿よりまし~アビニョン一日目

2005-07-19 03:38:47 | Weblog
アビニョンのTGV駅に降り立つ。雲ひとつない空と
ポプラの並木道。つんざくような蝉の鳴き声、と
どこをどう切り取ってもプロバンスなのだ。

ホテルはTGVの駅から炎天下を30分ぐらい歩いたところに
あった。昔アメリカ映画でモーテルというものを見たが、まさにあんな感じ。
三階建てのコンクリートの建物にアパートのような部屋が並んでいる。
一泊30ユーロ。最低限の設備が部屋にあるだけ。クーラーもない。

レセプションの兄ちゃんに、
「中心街まで歩いていける?」と尋ねる。
「あなたは若いからいけなくはないけど、かなりな距離があるし、
この暑さだし・・・お薦めしない」などと言われる。

仕方なくバス停まで歩き、中心街行きのバスに乗ると、
歩いていかなくてよかった、と心の中で思ってしまうぐらい
遠い、起伏のある道のりをバスは通っていった。
ジプシー、アラブ系がたむろしている住宅地をバスは進む。
かなり老朽化した公営住宅の前では、上半身裸のアラブ人の
おじさんが同郷人と雑談をしている。道路にはチリやごみが
散乱している。そんなこと誰もお構いなしに、自分らの会話に講じる。

アヴィニョンの中心街はすごい混雑。演劇フェスティバルの
ポスターがあちこちに張られている。通りは車両通行止め。
舗道をあふれんばかりの人々が往来している。普段は静かな
この街が演劇ファンで溢れかえっている。通りのカフェで
一人ビールを飲みながらその様子を眺めている僕。
明日は忙しくなりそうだな。

イッシー・レ・ムリノー界隈

2005-07-15 04:53:59 | パリ左岸
今日は祝日ということもあって、ブーローニュの
ショッピングセンターに行っていたのだが、全館閉店。
市役所も、ブティックもすべて閉店している。
うだるような午後に開いているのはメトロの駅、
マルセル・サンバ近くのマクドナルドとモノプリのみ。
こんな悲惨な状態の中、何とか打開策をと考え、
セーヌ川対岸のイッシー・レ・ムリノーの街まで
歩いていくことを企てる。

イッシー・レ・ムリノーはパリの南郊、
IT企業やケーブルテレビ関係の放送局など、
いわゆる先端産業と呼ばれる企業の集積地であることでも有名。
確か市長はアンドレ・サンティニという、これもまた有名人だったな。
フランスのシリコンバレーとも呼ばれている。まあ、これは
僕が見ていたテレビでそう呼んでいただけなんだけど。
僕の出身地、九州だってシリコンアイランド、なんて
昔呼ばれていたもんな、そういえば。

で、イッシー橋を渡って、ブーローニュからイッシーの町へ。
すごい熱風が吹いている。日曜ということもあって
舗道を歩く人はまばら。トラムの駅、イッシーの周りには
東京にもないような近代的で人工的なオフィス街が広がっている。
ちょっとパリの北の郊外にあるルバロワ・ペレにも似ているかも。
人間的ではないのだけれど、いわゆる荒れた、一晩で駐車中の
自動車が何台も燃やされるようなすさんだ郊外とも違う感じ。

イッシーの地下鉄駅の近くで一軒だけ開いていたビストロはほぼ満員。
ブラジル風の音楽が流れ、舗道に張り出したテラスや店内で
客が踊っていた。おじさんもおばさんも、子供も。
こんな暑い夏でも、いい音楽とおいしいビールで天国に。

ジル・ジルベルト

2005-07-14 06:15:01 | パリ右岸
ジル・ジルベルトはボサノバ以降のブラジル音楽の巨匠、
カエタノ・ヴェローソとともに60年代後半、トロピカリスム
という新たなブラジルのポピュラーミュージックの波を生み出し、
世界的なブームを巻き起こした大人物だ。
僕は以前から彼のことを知っていて、ライブアルバムやベストアルバム
なんかよく聴いていた。軽快なリズムと、
一度聴いたら忘れないキャッチーなメロディーが好きだ。

彼は逮捕されたり、亡命したりと波乱万丈な運命を送りつつ、
今はなんとブラジルの文化大臣をやっている。ブラジルってすごい国。
そんな彼が、なんと今日、バスチーユ広場で無料コンサートをやるという。
あの世界的に有名なジル・ジルベルトがバスチーユ広場で、
しかも無料でコンサートをやる。こりゃあ、行くしかないと
すっかりハイテンションになり仕事も手につかず、午後はその話ばかり。

いざ、終業時間になると仕事が終わらない。急ごうとするがはかどらない。
そのうち時間はどんどん過ぎ、今更バスチーユに行っても、なんて時刻
になる。諦観。せっかく生のジル・ジルベルトと、彼の生歌が見れるはずだったのに。

ちなみに彼のライブアルバムを聞いていると、「平和」という曲が
出てくる。ポルトガル語なのでよく分からないが、日本の戦争と広島のこと
を歌っている曲らしい。平和が心の中に進入してくる、
平和が運命を変えていく、なんて歌詞。

アヴニュー・モザール界隈

2005-07-10 06:13:46 | パリ右岸
アヴニュー・モザールなんて書きつつ、
日本語で言うとモーツアルト通りなんだけどね。

朝起きてすぐ、今日で受付の女の子がバカンス前
最後の出勤であることに気がつく。昨日帰り際に
彼女から「明日来たら、もう当分は事務所には来ない」
みたいなことを言われ、「ああ、そう」と例によって
素っ気なく別れたんだけど、今朝になってベッドで横たわったまま
天井をみていたら、なんかプレゼント持って行かなければ、
という気持ちがどんどん膨らんできた。

ということでアヴニュー・モザールのチョコレート屋に
やってきた僕。よく考えたらこの店にチョコレートを買いに
来たのはもう二年前の冬、ブザンソンに住む友人へのお土産を
買いに来て以来だった。第一、チョコなんて買わないよ、
普通の生活で。デザートとか甘いものとか興味ないし。
普通の買い物だってちゃんとしないのに。

以前、ブザンソンの友達に買ったさくらんぼ入りのチョコレートが
非常においしかったので、それがないか、店員に尋ねる。
クリスマスの時期にしか置いていない、といわれる。
他にフルーツの入ったチョコはないか、と尋ねると(←もう投げやり)
「ない」とすぐ返答される。そのあと一通り、ガラスケースの
チョコを説明してくれたんだけど、説明聞いているうちにもう
どうでも良くなってきて、最初に説明をしてくれた
アーモンド入りのチョコを購入。

受付にチョコレートを持っていく。本当は彼女だけに買った
つもりだったんだけど、他の受付の女の子もいたせいで、
「みんなで分けて食べて」などと腰砕けなことを言う自分。


機械故障

2005-07-09 12:31:39 | パリ左岸
銀行口座に現金を入金に行く。
以前は受付窓口があってそこでやってもらってたんだけど、
窓口が廃止されて以来、すべて機械で。
でもこの機械がよく故障するのだ。今週、水曜に行ったとき
また故障していて使用できなかったので、
今回は銀行に行く前に、ちゃんと電話で機械が
修理されたことを確認する。

故障の原因は至極簡単。お客が機械の入金窓口に
封筒やら、ピンやら、クリップやらつまり
お札以外のものをうっかり入れてしまうから。
ほんと、馬鹿タレが、機械壊しやがって、など毎回思う僕。

で、僕もお札を入金する。クリップがお札についていたので、
「いかん、いかん、こりゃ注意せねば」などと思い、クリップを外して入金する。
・・・が、いつもと違って今日は機械の調子がおかしい。
直に見たことのないメッセージが現れる。
「○○枚以上はお札を入れないように」とか。
ま・・・まずい。いやな予感。レシートが出てくるが、
入金金額ゼロ。もっとまずい。おいおい、今、入金したじゃん。

おそるおそるインフォメーションのおばさんに
「なんか機械の調子がおかしいんだけど・・・」などと
言いに行く。そのとき背後では僕の後に機械を使おうとした
おじさんが「なんだこの機械使えないじゃないか!」
と大声で叫んでいる。もっとまずい。

おじさんはすごい剣幕でインフォメーションにやってくる。
「どうして、こんなにいつも機械が壊れるんだ!
前はちゃんと窓口で人間がやってたからこんなことは
起きなかったのに、機械化するから不都合極まりない」
といった趣旨のことを早口でまくしたてていた。
僕は僕で別室に連れて行かれ、取調べ。銀行の人が
機械を調べてみると・・・、クリップが入っていた。
俺のクリップ外し忘れじゃん、故障の原因・・・。




ダンフェール

2005-07-07 07:08:03 | パリ左岸
今日はうんざりすることが多くて、とダンフェール・ロシュロー
の駅のホームでくさっていたら,偶然会社の受付の女の子に
出くわす。彼女も郊外電車を待っていたらしい。
驚くくらい透き通った大きな瞳をした綺麗な子だ。

バカンスの話などする。彼女はブレストとキブロン方面へ
二回ブルターニュに行くらしい。僕は彼女がブルターニュ出身だと
知っていたので、てっきり子供の頃の友達に会いに行くのかと
思いきや、彼女はブルターニュ生まれだけれど住んだのは
ほんのわずかな期間で、後は全部イル・ド・フランスで育ったらしい。
どうりでメンタリティーやアクセントがパリジェンヌと変わらないはず。
それに彼女は非常に頭がいいしな。

いい匂いがするので「今日はいい匂いがする」と言ったら、
「いつもは変な匂いがするってこと?」と冗談を言われる。ほんと女ってやつは。
「これは、ロー・デ・イッセイよ」とは彼女の説明。三宅一生の香水で
「イッセイの水」という意味だ。ということは知ってだんが、聞いているうちに
「オデッセイ」(l'odyssée、ホメロスの長編叙事詩)の言葉遊びということに
気がつく。

僕は途中で彼女より先の駅で降りてしまう。そこに用事があったから。
金曜になったらまた会えるのだがなんとなく寂しい気持ち。
ぐずぐずしたり、うじうじしたり、躊躇したり、優柔不断だったり、
そんないつまでもしょうがない僕を叱咤するように、彼女を乗せた
電車は線路の先へどんどん遠ざかっていった。

夕食の時間

2005-07-05 06:16:19 | パリ右岸
今日、職場の同僚とパッシーにある
某有名中華料理レストランに行った。
あんまり職場の人と仕事後に食事に行くこと
なんてないんだけどね。

夜八頃、入店してびっくり。パリのレストランは
夜遅く始まるので、八時なんてまだ宵の口、
普通はレストランは閑散としているはず・・・
という予想に反して、ほぼ満員。しかも、ここは
老人ホームかと思うぐらい、老人ばっか。
パッシーに住む裕福そうな老人たちが集っている。

そういえば、こないだの土曜の夜、自分にしては
めずらしく遅い外出をしていたのだけれど、
午前1時、オペラ座の付近はレストランもバーも
あいていて、今頃メインコースを食べている客が
どっさりいた。午前1時のスパゲティなんて
消化に悪そう。通りかかったタパスバーに入りたかった
んだけどね。

アンダルシア後遺症

2005-07-04 04:47:44 | スペイン
セビリヤから戻ってきてもう一週間が過ぎた。
なのにいまだにアンダルシア地方を旅行している
気持ちがしてならない。なんか心をあっちに置いてきた
みたいだ。いまだに脳裏にセビリヤの街角とか、
あの乾いた空気や抜けるような青空が浮かび
上がってくるもんなあ。すっかり依存症になってるよ、アンダルシアの。

久しぶりに日本の高校のときの同級生と国際電話で話す。
アンダルシア旅行がどれだけよかったか、を話したいんだけれど、
あまりよく伝わらない。ひとつには言葉と表現力の限界なんだろうけど、
そもそもアンダルシアに行ったことのないやつにはいくら
説明してもこのよさは分かってもらえないのかも。


ふと高校の同級生から、「自分自身のことを好きな気持ちと
嫌悪する気持ちの割合はどのくらいか?」などと心理学的な
質問を電話でされる。僕は「8対2ぐらいで自分のことが好き」と答える。
彼は120パーセントぐらい自分ことが嫌いらしい。
僕も20代前半の頃は自分のことがほぼ100パーセントの割合で
嫌いだったんだけど、そのうちちょっとずつの割合で自分のこと
を好きになれてきた。
まあ、もともと自分ことを嫌いな人間に恋愛なんてできないもんなあ。

買ってきた絵葉書にはセビリヤの堂々とした大聖堂と白い旧市街。
「いろんな街角でいろんな人に出会う」というのは種ともこの
歌詞に出てくるけれど、まさに人生はその真っ最中なんだと思う。
セビリヤですれ違った人々、カフェやバルで言葉を少しだけ
交わしただけの人々。これからどんだけの人とすれ違っていくんだろうかな。