日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

砂漠への帰還

2007-04-29 04:47:06 | フランス
コルテスの「砂漠への帰還」retour au désertを見に行く。
砂漠なんて言っておきながら、舞台はフランスの東部、メスの街。
何も起こらない、退屈だけが支配するフランスの地方都市に
アルジェリアから戦争の影響で戻ってきた親子の話。
コルテスの唯一のコメディー作品、かつ大衆演劇をめざしただけあって
ドタバタ、キッチュな舞台がすごいスピードで展開される。
コルテスというのは非常に高尚な演劇なんだと誤解していた
自分には驚きの作品だった。
後半のハチャメチャな展開も、時折挿入される政治背景、
アイデンティティーの模索、のようなテーマも
ちょっと今見ると古いかな、という印象。80年代には
よかったのかもしれないが。

今週はアポが一日に4件あったり、あと眼科にメガネの処方せん
もらいにいったりなどほぼ毎日せわしく動いていた。
忙しければ忙しくなるほど要領が悪くなる自分。
もともといいほうじゃないんだけどね。

グルノーブルを歩く

2007-04-27 06:08:00 | フランス
グルノーブルをタラタラ歩く。高温で汗が出てくる。
仕事の関係者に会って話を聞いたり、話をそらしたり、
いろいろ反応しあう。こんな田舎に来ても日本人と顔を
見合わせたりする。難しい顔をしているのが嫌になるような
青い空。グルノーブルの青い空。

グルノーブルの街角は

2007-04-24 05:45:34 | フランス
グルノーブルの街角はどこを歩いてみても
写真のように周りを取り囲む山塊というか、崖を頂く山脈の
景色が味わえる。なんて雄大なんだ。

関係ないが、ファーストフードの店に行ったら
「学生証お持ちですか?」と訊かれた。どうやら学生証
見せたら割引してくれるらしい。っていうか、もう38歳だよ、自分。

グルノーブルでTシャツを買う

2007-04-23 07:19:52 | フランス
あまりグルノーブルの街が暑いので、汗だくになって市街をふらふら歩く。
白いシャツにネクタイなんて締めているので全然風通しが悪い。
とりあえず着替えのためのTシャツを買おうと思い、
ギャラリー・ラファイェットとかそういうデパートを探して
いたのだが、土地勘がないのでなかなか見つからない。
ふと迷い込んだ旧市街。男物のシャツやポロシャツがたくさん
ウィンドーに並んでいるブティックがあったので迷わず中に入る。

「ボンソワール」とアラブ系っぽい店員から声をかけられる。
並んでいる服は一応、若向きの適度におしゃれなシャツとか
ベストとか。こんなんだったらとりあえず何買ってもいいよな。
などと考え、目の前にあったブルーのTシャツ、35ユーロを手に取る。
サイズがMとSがあったので、店員に聞いてみる。
いつもフランスで服を買うときはSかMで迷うのだ。
「お腹に脂肪がついていますか?」
店員の言葉に一瞬耳を疑う、「は?」
「お腹に脂肪ついている?」
「い・・・いや、そんなに」
「じゃあ、Sでいいですよ。ピッタリとTシャツ着るのがいいですよね」
「は・・はあ」たしかに、ストラスブールの若者はみんな
ぴっちりとしたTシャツを着ていた。それとお腹に脂肪がついていたら
ぴっちりTシャツ着たら馬鹿みたいだもんな。
しかし、そんなストレートなこと、お店の人に聞かれたの初めて・・・。
グルノーブルではそうなのか?




グルノーブルに赴く、初めて

2007-04-22 06:55:47 | フランス
グルノーブルに仕事の関係で初めて行ってみた。
いろいろな感想が頭をグルグル廻っているのだが、一番思い出に
残ってること、「人間が親切!」
パリみたいによそよそしくなくて、南仏みたいに開けっ広げな
親切さじゃなくて、なんか温かいのだ、人間が。九州人みたいだなあ。

クーラーがなぜか故障しているホテルに泊まったせいで、
しかも季節外れの高温のグルノーブルでクタクタになりながら
夜、一人でレストランに出かける。裏通りを歩いていたら
「kaliente」という名前の不思議なレストランの前を通る。
カリエンテって暑いとか、そんな意味のスペイン語じゃなかったっけ。
表から中を覗くと、黄色いテーブルクロスにモダンなデザインの
グラスが置かれている。壁にはアフリカの写真が並べられている。
アフリカのオブジェも。こりゃ、いいレストランに違いない!と
本能的に入店。金髪のニコニコしたおばさんが迎えてくれた。

料理は創作フランス料理といった感じ。サツマイモのムースに
カレーソースがかかっているものをアントレに頼む。美味。
メインはラムステーキ。地方の名物のグラタン・ドフィノワがかかっていて、
オリジナルソースが香ばしい。これも美味。
デザートは迷っていたら、「イル・フロッタント」(メレンゲボールに
クリームがついているやつ)がおいしいというので頼む。
本当においしい。親切なおばさんは何度も、「おいしい?」と
テーブルに訊きにきた。隣のテーブルの女性二人組みも、デザートを
食べようとする僕に向かって、「Bon appétit」などと言ってくれた。

お店を出るとき、お店のおばさんが店のカードを持ってきてくれて
「また来店してください!」と言ってくれた。
お客もそんな多くなくて、静かに食事を味わえる。定食が26ユーロ
とパリ並みの値段だったけど、満足な夜だった。
写真はレストランの近くの通り。

BERNARD MARIE KOLTESのこと

2007-04-17 06:10:17 | フランス
今日は、フランスの現代戯曲家ベルナール・マリー・コルテスの
インタビューを読んでいた。と書くとなんか引きこもっているようだが、
仕事の空き時間と地下鉄の中で読んでいたのだ。
コルテスが次のように語っている。

「私の人生の半分は旅行です。もう一つの半分が書くこと。
私は非常に遅筆ですが」

ー旅行中に書くこともあるのですか?
「ええ、まさにその通り。私はパリで芝居を書くことはありません。
芝居のアイディアはいつも旅行中に沸くのです。でも本当のことをいえば、
私は民俗学者のように、いくつかの印象に残ったものを集めたりしながら
外国を旅行することはしません。私にとって重要なことは「独り」である
ことなのです。私は「闘い」という戯曲を、スペイン語すら話されていない
グアテマラの小さな村で書きました。私はそこに二ヶ月いたのですが。

自分自身の母語を話せないときには、思考回路まで変わってきます。
言葉もなく展開される小さな出来事の連続が重要性を帯びてくるのです。

アフリカのある部屋で起こることを私はパリでも発見することができます。
アフリカの工事現場で起こることは、パリ郊外のサルセルのHLMでも
起こりうるのです。つまりアフリカとは場所ではなく、一種の
メタファーなのです。


メトロの駅は

2007-04-15 07:51:37 | パリ右岸
天気がいいのでぶらぶらと街を散歩。
ふと立ち寄った地下鉄の駅で電車を待っていたら、
目の前の風景があまりにも現代アートのようだったので、
つい一枚とってしまった。白い壁とこの曲線。しばしうっとり。

前々日の夜、日本人の駐在員の小さな集まりに出た。
日本語で話したりしたのだが、スーツ集団にちょっと気後れした。
昨日の夜はアンテルミッタン(テアトルやフェスティバルで働く
技術臨時雇用職員)の集まるパーティーに出た。日本人の男は
自分だけで、最初から最後までフランス語三昧だった。
今週は働かない同僚を見ていて終始いらいらする一週間だった。
勤労意欲の減退というのは誰にでもあるが、それを恒常化させて
他人のうわさばかり一日中している人間というのはまったくクズだと思う。

どこにも漂着しない人

2007-04-12 06:29:36 | パリ郊外
家に帰ってだらだらと週刊誌を読んでいたら、なんかの記事で
パリ郊外の街、SANIT MAUR DES FOSSEESの事が出ていた。
サンモールといえば、昔の僕の同僚、キャロリーヌの住んでいたところだ。

キャロリーヌは派遣会社からの派遣、正真正銘派遣社員だったので
もともとうちの事務所に長居するとは思っていなかった。
本当にさっぱりしていて、変なこだわりがなくて、いい女の子だった。
派遣社員をやって小金をためては、タイやマレーシアなんかの外国に
行ってバックパッカーをやりながら旅行をする。そんな生活を
一年の半分は続けていたらしい。もとはといえばバックパッカー旅行
をするために定職につかなかったのかも。

僕はキャロリーヌとは安心して話せる気がして、よく
雑談しに行っていたのだけど。彼女がやめる日、
僕の席まで来て彼女が僕にいった。
「OUIと言うことをやめなきゃね」と。
でも未だに僕はいろいろなことにOUI.OUI言って窮地に陥ってるな。
自分でも分かってるのに。

せっかくパリに住んでいるのに

2007-04-11 07:07:31 | パリ右岸
スペインに出張で先月行ったとき、受入れ先のスタッフと話していて
僕が「服の買い物は通販か、事務所近くのGAPに行って適当に
そこらへんに並んでいるものを買う」などとのたまったら、
「せっかくパリに住んでいるのに勿体無い」と即答された。確かに。
パリて買い物、ショッピングが楽しい都会、っていうイメージもあるもんな。
実際そうなんだろうけど。

で、今日などあまりに仕事が立て込んで残業していたら、結局帰宅したのは
夜の11時だった。思わず「せっかくパリに住んでいるのに勿体無い」などと
自分で自分に言ってしまったぜ。オペラとかラシーヌとか
コメディー・フランセーズとかブレヒトとか見に行きたい!あとちょっと
インテレクチュアルな討論会とかにも行ってみたい!どれもできていないが。

今日は沖縄に住む姉貴の誕生日だったので、「誕生日おめでとう」の
電話を沖縄までかけた。ダラダラと話し込んで、ちょうど昨日から幼稚園に
通い始めたという姉貴の息子、つまり僕の甥の話になった。
初めての幼稚園で緊張のあまり口も聞けないほどだったらしい。乗りたい
ブランコも他人に譲って結局乗れないじまいだったとのこと。
ふと昔の記憶が。僕も幼稚園の頃、遠慮ばっかりしてブランコ乗れたためしが
なかったのだ。いつも他人に譲ってばかりで。あれってどうしてなんだろう。
ちなみにおかしなもので、いまだに遠慮しちゃって他人に譲る癖が治らない。
他人に譲っても自分には何かあるから大丈夫という自信の裏返しなんだろうか。
とてもそうは思えないが。気後れしているだけか、いい歳なのに。

ペソアとリスボン(6)

2007-04-08 07:29:23 | 海外(フランス、スペイン以外)
ドゥラドーレス通りには相変わらずペソアが通いつめたレストラン、
「カサ・ペソア」が開いている。自分と同姓のこの店を、半ば面白がり
ながらペソアは通った(今日でも、リスボンの電話帳を覗くと、
20人以上のペソアさんがいることがわかる)。
《この手の中に世界全部を納めることができたとしても》とペソアは言う。
《それをドゥラドーレス通り行きの切符とためらわず交換してしまうだろう》
ペソアの生活や著書を通してリスボンの起伏の多い地勢が手にとるように
分かる。

数々の丘、くぼ地、テラス、袋小路。滝のようにテージョ川に
向かって落ち込む急傾斜、広々とした川岸。リスボンは長い間、帝政や
植民地主義の歴史を刻んできた。
今日、欧州連合の加盟と急速な都市開発によってリスボンは
夢うつつの中で、もう長いこと続いていた凋落から抜け出ようとしている。
しかし、無数の建設現場のカオスの中でも、リスボンにはまだ
ポルトガル人が「サウダージ」と呼ぶような一種独特な雰囲気が漂っている。

《テージョ川が好きだ。なぜならそこに流れ込むような大都市があるから。
バイシャのアパートの4階から見る青い空が好きだ。
どんな自然も、どんな田舎も、この静かな都会が見せる荘厳な雰囲気に
勝ることはない》
(GEO誌、ポルトガル特集号から)



何を考えているか分からない人

2007-04-07 18:41:39 | 自分について
思い立ってアメリカに住む長くからの友人(女)に電話してみた。
年賀状とかは毎年もらっていたのだが、こうやって電話で話すのは
2年ぶりぐらい。なんと来週の月曜から2年ぶりに日本に一時帰国
するとか言って、その準備の最中だったのだ。

アメリカ人のこと、日本人のこと、社会のこと、行動様式のこと、
他人と自分の間に作る「檻」のようなもの、などアメリカに
住む彼女ならではの観察を訊いていた。

訊いて笑ったのだが、彼女の友人でアメリカ人で結婚した日本人女性
の話。もう長いことアメリカに住んでいて英語もうまいのに、
話をしていても「はい」とか「うん」とかそういう相槌しか
うたず、自分の意見というものを言わないので知り合って5年も
経つのに今だに「何を考えているのかよく分からない」人なんだそうだ。

貧富も人種もごっちゃになって、礼儀も思考も行動も一緒くたに
なっているニューヨークなんだなあ。まあパリもそうだが。

ふと思い出したのが、フランスに長く住む日本人はフランス人と
対等に渡り歩くためにフランス人以上にフランス人的に振るまう
人がたまにいる。すごいはっきりイエス、ノーを言ったり。
観察していて分かったのだが、確かにはっきりとフランス人
は自己主張をするが、相手に合わせるところは合わせるているのだ。
日本とはレベルが違うが。そういうところすっとばして完璧な
フランス人のように振舞うから滑稽だなのだ。

それって「おすぎ」が誰も今では使わないような女言葉を使って
女らしく振舞うのと似ているのかなあ、と。

友人付き合い

2007-04-06 07:02:42 | パリ右岸
種ともこの歌を聞いていたらブログという自己表現自体
「覗き趣味に呼応した露出狂」的な行為に他ならないと
書かれていた。まさにそうだと思う。でも、
今日も書き溜める自分だった。

外部から派遣社員として来て働いている若者でよく
自分のことを話すフランス人がいる。彼はみんなに対してそうオープンなのか
僕に対してだけそうオープンなのかよく分からないが、僕に今日も
べらべら話していった。僕はといえばフランスでも日本でも
他人にそう心を開かない困った人間だからなんともないんだけれど。

今日、そのフランス人の若者が自分の家のことなんかを僕にしゃべった
んでちょっと面食らった。というか秘密を打ち明けられるという行為に。
他人と積極的に関わろうと思わないからそういうの苦手なんだよね。