ぼくのおじさん、というか自分の父親のお兄さんの訃報で今朝は目が覚めた。
というか目を覚まされた。
ずっと子供のころから知っている、種子島に住んでいたおじさんだ。
亡くなったときもう87歳だった。
子供のころから、なぜか好きになれなかったおじさんだ。ちょっとがさつで、
いつも日焼けしていて、乱暴に人に話しかけるようなおじさんだった。
僕は子供で、どちらかというと複雑な性格で、変なところで繊細で、
そんな僕は、そのおじさんから乱暴に、がさつに声をかけられるのがとても嫌だった。
もっとうちの親にみたいに、自分のことを大切に扱ってもらったのかもしれない。
8年ほど前に、おじさんに会いに行った。相変わらず種子島に住んでいるおじさん。
そのころにはわだかまりも解けて、ただ、僕の昔の風景の中にいたおじさんを
確認できたのがうれしかった。
種子島のおじさんの庭は相変わらず、ソテツや亜熱帯の植物が生えていて、
放し飼いになっている鶏がいて、懐かしさでいっぱいになる空間だった。
何かの本で、どこかの作家が言っていた。親しい人の訃報にせっして、一番つらいのはなんだろう。
人間は多かれ少なかれ、他者の不在には耐えられるものだ。
一番つらいのはもう新しい思い出をあきらめること。
今度、種子島に行くことがあっても、あの笑っていた、がさつなおじさんには会えないのだ。
思い出をあきらめないといけないんだなあ。
あの庭に行って、空に伸びるようなソテツや、バナナの木や孟宗竹をみても。
もうおじさんはそこにはいないのだ。
というか目を覚まされた。
ずっと子供のころから知っている、種子島に住んでいたおじさんだ。
亡くなったときもう87歳だった。
子供のころから、なぜか好きになれなかったおじさんだ。ちょっとがさつで、
いつも日焼けしていて、乱暴に人に話しかけるようなおじさんだった。
僕は子供で、どちらかというと複雑な性格で、変なところで繊細で、
そんな僕は、そのおじさんから乱暴に、がさつに声をかけられるのがとても嫌だった。
もっとうちの親にみたいに、自分のことを大切に扱ってもらったのかもしれない。
8年ほど前に、おじさんに会いに行った。相変わらず種子島に住んでいるおじさん。
そのころにはわだかまりも解けて、ただ、僕の昔の風景の中にいたおじさんを
確認できたのがうれしかった。
種子島のおじさんの庭は相変わらず、ソテツや亜熱帯の植物が生えていて、
放し飼いになっている鶏がいて、懐かしさでいっぱいになる空間だった。
何かの本で、どこかの作家が言っていた。親しい人の訃報にせっして、一番つらいのはなんだろう。
人間は多かれ少なかれ、他者の不在には耐えられるものだ。
一番つらいのはもう新しい思い出をあきらめること。
今度、種子島に行くことがあっても、あの笑っていた、がさつなおじさんには会えないのだ。
思い出をあきらめないといけないんだなあ。
あの庭に行って、空に伸びるようなソテツや、バナナの木や孟宗竹をみても。
もうおじさんはそこにはいないのだ。