日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

テレビが来た

2011-11-24 23:03:11 | パリ郊外
仕事でパリ郊外に出かけて行った。デファンスの向こう、印象派で
有名なアルジャントゥイユの近くの街だ。印象派と言うと聞こえはいいが、
今はまったく現実的な意味でシビアな場所だ。
といいつつ、仕事相手のフランス人女性がかなりホスピタリティ
溢れる人で、喋っていて心地よい感じだった。ちゃんと
僕のような日本人の喋る、たどたどしいフランス語にも
耳を傾けてくれるし。

で、最近ようやくテレビが家に配達された。念願のテレビ。
これまでラジオしかなかったのでFRANCE INFOのようなラジオ局の
10分おきに同じニュースが流れるような環境に甘んじていたが
テレビが来て、ようやく定期購読しているNOUVEL oBSの
テレビ欄のページが読めるようになった。なんという進化だろうか。

10月のフランス(2)

2009-10-06 06:27:01 | パリ郊外
仕事の関係でパリ郊外に電車に乗って移動する。
雨上がりの抜けるような空に映えるパリ郊外の
殺伐とした雰囲気。なんか毎晩外食(といっても3日か)続きで
胃がもたれてくる。ワインも飲むのもレストランに行くのも
控えて、なんかシンプルな生活をしなければ。

結構ダメダメな日

2008-05-07 07:08:27 | パリ郊外
marne la valléeに行く本ちゃんの日、なんか
久しぶりに緊張してほとんど眠れなかった。アポなのに
クマ作って会いにいっていいのか?

などと考えつつ会社のパーキングから車を出す。
ガーン、地下駐車場から地上に出るエレベーターが故障で
全然降りてこない。パーキングからつまずいてんのか?

なんとかエレベーターが下りてきて地上に出られたのはいいが
今度は環状線が大渋滞。パリから出るのに30分ぐらいかかる。
高速のA4に出る。運転の仕方がまずいのか、なんか無謀なことを
しているのか、ライトがついたままなのか、車が汚いのか
よく分からないがトラックからクラクションでやじられる。
それも5回ぐらい、別のトラックに。なんだなんだ。
で、出口も2回ぐらい間違えて、一旦高速を出て、
あ違ったとか、言ってまた高速に戻ったりと相変わらず
馬鹿をやる。

アポにも遅刻。すべてがおせおせになって、結局
ランチを食べる暇がなくなる。げっそりして事務所に戻ると
今度はバレリーから仕事のことでバッシングされる。
この先の仕事の内容をまとめたのだが、精彩を欠くだの、
こんなことやってらんない、だのフランス語で人格否定
されるようなことを30分ぐらい言われる。で、最初の
うちは言い返していたのだが、そのうち疲弊してどうでもよくなってくる。

などとダメだしばかりの一日だったばい。

郊外の工業団地

2008-05-06 06:24:50 | パリ郊外
明日、仕事仲間と一緒にパリ郊外、
marne la valléeの某企業を訪れることになっていたのだが、
何せ鉄道の駅から離れた辺鄙な地に企業が位置するため
僕の車で行く羽目に。

で、こないだみたいに肝心なときにバッテリーがいつの間にか
上がっていて車のエンジンがかからなかった、
なんて悪夢のようなことがないよう、今日の夕方
車を慣らすために事務所の近くを流してみた。

うーん、エンジンのかかりはそんなよくない。
バッテリーがうまくrechargerしてないんだな、と思い
環状道路に出てみる。どうせだから東のほうまで行こうと
思い環状道路をそのまま進んでいくとついにベルシーまで
やってくる。高速の看板にmarne la valléeと書かれているのをみて
せっかくだからどのくらいかかるか、試してみよう、と
そのまま車でmarne la valléeまで行ってしまった。
明日の予行演習かよ、自分。

でもオレンジの夕焼けの空を背景にして高速をがんがん乗るのは
なかなか気持ちがいい。いい季節になったなあ。

パンタンの夕暮れ

2007-09-25 05:45:49 | パリ郊外
パンタンには先週仕事で行ったばかりだが、個人的に
調べたいことがあって、今日また一人でパンタンに行ってきた。
地下鉄の駅を降りると、雑然としたパンタンの町並みが広がる。
アジア系もアラブ系も、アフリカ系も
みんな融合した、現代フランスの多人種社会を
反映するような光景だ。

スラムになっているような街角があちこちにあった。
そこでは舗道に生ごみや家具のような粗大ごみが放置
されていて、その近くでアフリカ系の子供が遊んでいた。
夕暮れはその向こうに広がっている。

郊外とパリ、行ったり来たり

2007-09-21 15:32:20 | パリ郊外
今日は朝から仕事のアポでパンタンへ。
パリの東の郊外の町だ。地下鉄は通っているものの
遠い。1時間近くもかかってしまった。

昼間は事務所に戻って仕事。別のアポが2個入っている。
代わる代わる外部の人と話す。口だけ先に動いて
あまり脳は何も考えていない状態。

夕方からまたパリ郊外でアポ。今度は
アンギャン・レ・バンまで。
パンタンより遠いって。
カジノも湖も何も見ずに、仕事の話だけしてパリに戻る。
なんだか非人間的な一日だ。でもじゃあ人間的って
どんな一日なんだか、それもよく分からないが。

フェット・ド・リュマニテ

2007-09-18 06:48:24 | パリ郊外
日曜にまたもやフェット・ド・リュマニテ(fête de l'humanité)
に行ってしまった。今年で三回目。年に一度の楽しみ、
パリ郊外、クルヌーブ公園で開催されるフランス共産党のお祭りだ。

フランス各地からの共産党ブースでは各地方の名産品を売っている。
たとえばツールーズの共産党ブースでは地元のワインとフォワグラの
メニューが食べられる。ポルトガル共産党のブースでは
なんとリスボン名物、いわしを店先で焼いては、香ばしい香りが流れる。
ベルギー共産党は名物のフレンチフライとベルギーワッフル。
ありとあらゆる地域、国のテナントが青空の下店を広げている。
快晴だったこともあって人が公園内に溢れかえっているのだ。

広大な芝生のグラウンドに設営された野外ステージでは
オーケストラからエスニックバンドまであらゆる演奏が聴ける。
ちょうど僕が通りかかったのは夕方6時ごろ。フェットの最後を
飾るコンサート、ルノーのステージだった。
国民的歌手ということは知っていたが、ルノーのステージを見るのは
これが初めて。マイクの調整がうまくいってなくて
最初はまったく聞きずらい。そのうち耳が慣れてきたが
やっぱ苦手かも。

今年も大勢の人のエネルギーと未来への希望と連帯と
いろいろなパワーが集まって、すごいフェスティバルなのだ。

空港と工業団地と僕の車

2007-09-05 06:24:46 | パリ郊外
仕事の関係で車に乗って、空港近くの工業団地
まで行ってきた。僕は自慢じゃないが、驚くほど運転が下手で、
極力車には乗らないようにしていたのだが、
ロワシー近くの工業団地なんてタクシーで行くのも
馬鹿みたいだし、路線バスは恐ろしいほど本数が
少ないらしいし、結局重い腰を上げて車のエンジンを入れたってわけだ。

すでにパリ市内から環状道路に乗るのにてこずる。
というかあちこち工事中でなかなか道路に着かない。
やっと環状道路に乗ったと思ったら、反対方向の入り口だったり。
環状に乗っても今度は、ひどい渋滞。パリから空港方面行きの
高速に乗るだけで30分以上費やす。
空港までの高速はスムーズだったが、何せ自分、高速の運転
自体に慣れていない。よろよろよろけながら、フラフラ
運転するのだった。

工業団地に着いたころはもう空港近辺は黄昏どき。
こんなに倉庫があって、こんなにパーキングに
車が駐車されているのに、道路には人っ子一人いない。
道路を走っている車もまばら。工業団地特有の
殺伐とした空気が流れていた。

目的地到着。
なんだやればできるじゃん、自分。
よく考えたら車で高速に乗って空港来るのは
これが初めてだったんだ。

enghin les bains界隈

2007-07-02 14:44:58 | パリ郊外
仕事の関係の打合せがあるというので一人で
パリの北郊、アンギャン・レ・バンまで行ってきた。

北駅の郊外線のホームから四つ目の駅。
途中にはサンドニやらバールなど移民が多い
街を通っていく。そんな街とは対照的なアンギャン・レ・バン。
カジノがあって、昔から保養地として有名な
この街は駅から見る町並みもなんだかこぎれいで
ブルジョワな雰囲気に溢れているのだ。

打合せは自分以外はすべてフランス人およびベルギーの
フランス語圏の人々だったが、はっきり言って惨敗。
これまで聴いたことのないようなフランス語が飛び交っていた。
シンプルなことを言うために非常に難解な表現で
回りくどく言う。ああいうの、なんて言うんだろうか。
pedanterieってやつですか。
粗野な外国人のフランス語しか喋らない自分には
太刀打ちできないって。

l'hay les roses という街

2007-06-05 06:08:16 | パリ郊外
l'hay les rosesの街にある有名なバラ園で行われている
イベントを見に行った。このパリの南の郊外にある町、
ラ・エ・レ・ローズと言うのだけれど、ぱっと街の
名前を見ただけではにわかに想像できない呼び名だ。
発音の法則にもちょっとだけずれているし。

バラ園は街を見下ろす高台にあった。
気持ちのいい芝生の広がる公園の中にバラ園がひっそり存在する。
季節のせいか、バラ園のすべての種類のバラが満開になって
芳しい香りを蔓延させている。こんな多くのバラがあるとは。
昔、大学生の頃ジュネーブに一人で旅行してバラ園に行ったことがあった。
あのときもわけの分からない名前のバラを見ながらバラ園を散策
したなあ。もっと身近なところでは、実家の近くの
久留米の石橋文化センターのバラ園に行って、咲き乱れる
バラの花を見ながら散策したことがあったっけ。
市民図書館と青木繁の復元アトリエとかあるあたり。
などとバラ園についてはいろいろ思い出がある自分だった。

バラ園の中ではスタンドが出て、バラの香りのジュースを
売っていたり、またバラ水で手を洗いませんか?などという
不思議な屋台があった。手を洗わせるための商売?

サンドニの劇場

2007-06-03 20:43:51 | パリ郊外
パリの北郊、サンドニにあるフィリップ・ジェラール劇場まで
コンテンポラリーダンスを見に行った。
ダンス自体は非常によかったんだが、なにせ遠い!地下鉄で
サンドニ・バジリクまで50分ぐらいかかって、駅からも
15分ぐらい歩かされる場所。
サンドニに行ったのはこれが二度目だったが、思ったより
中心街が大きくてびっくりした。

ダンスが終わったあと23時半ぐらい、暗い商店街をぶらぶら
一人でメトロまで歩いた。やることのない、時間をもてあました
人々が辻辻に立っていては、こちらをじろじろ見ていた。
若者もマグレバンのおじさんも、みんな漫然と話をしている。
荒涼とした郊外の夜。

どこにも漂着しない人

2007-04-12 06:29:36 | パリ郊外
家に帰ってだらだらと週刊誌を読んでいたら、なんかの記事で
パリ郊外の街、SANIT MAUR DES FOSSEESの事が出ていた。
サンモールといえば、昔の僕の同僚、キャロリーヌの住んでいたところだ。

キャロリーヌは派遣会社からの派遣、正真正銘派遣社員だったので
もともとうちの事務所に長居するとは思っていなかった。
本当にさっぱりしていて、変なこだわりがなくて、いい女の子だった。
派遣社員をやって小金をためては、タイやマレーシアなんかの外国に
行ってバックパッカーをやりながら旅行をする。そんな生活を
一年の半分は続けていたらしい。もとはといえばバックパッカー旅行
をするために定職につかなかったのかも。

僕はキャロリーヌとは安心して話せる気がして、よく
雑談しに行っていたのだけど。彼女がやめる日、
僕の席まで来て彼女が僕にいった。
「OUIと言うことをやめなきゃね」と。
でも未だに僕はいろいろなことにOUI.OUI言って窮地に陥ってるな。
自分でも分かってるのに。

LAPLACE駅界隈

2007-03-05 06:17:20 | パリ郊外
LAPLACEというのはパリからメトロで郊外に行った二つ目の駅。
用事があったので今日ちょっと行ってみた。
写真は駅前の風景。典型的なパリ郊外の町という感じ。
殺伐としていて活気がない。それもそのはず。パリ郊外はベッドタウンが
果てしなく続いていて、街独自の文化や商店街が発展しないのだ。
みんなパリに行ってしまうから。でも、このパン屋もない通りはどういう
もんか。地方都市よりも始末が悪いかも。

全然関係ないが、子どもの頃からユーモアの通じない大人と言うのは
いやだなあ、大人になってもユーモアの分かる大人になろうと
ずっと思っていたのだが、現実はそう単純でなかった。
大人になって例えば僕がユーモアの分かる大人だとしよう。
そうすると、同じようにユーモアの分かる大人はなかなかいないのだ。
そうすると周りに合わせるためにユーモア抑えないといけないし。
大人になってもみんな子供のようにはしゃぎたいのだけれど、
社会や会社がそれを許してくれないのだ。なんて。


パリの21区(4)、サンドニ

2007-02-07 06:11:40 | パリ郊外


引かれたと言えば!コメディフランセーズで上演中の
パゾリーニの戯曲「orgie」を土曜の夜に見に行ったんだけど、
あんな素晴らしい演劇をバレリーを除いて誰とも共有できなかった。
みんなパゾリーニってだけで拒絶反応起こすんだよね。

93番、セーヌ・エ・サンドニ県の二番目に大きい街サンドニ。
ワールドカップの決勝も行われたスタッド・ド・フランスの近辺に
オフィスビルや住宅を次々に建設している。
1999年からの人口増加は9500人。現在の人口は9万6000。
メトロ、文化センター、市場など遠まきに見るとまさにパリの21区
という感じ。しかし近くから見ると、広すぎる市域、強烈な
街の歴史、強烈な人口構成などパリ的な色彩が薄れる。

パリの21区(3)、ブーローニュ

2007-02-05 05:29:42 | パリ郊外
パリジャンの移住先ナンバー1の街、ブーローニュ・ビヤンクール。
90年代にこの街は1万1120人のパリジャンを受け入れた。
そしてこの街は同時に小規模だが「文化革命」を経験した街でもある。
もともと10万9000人の人口を抱えるこの街はもともと保守的な
文化を標榜している街だったが市長により新たな文化政策を振興すべく
さまざまな人々を受け入れた。カフェ・ド・ラ・ダンスのジャンセバスチャン・
ニコレ、ポップミュージック界のパスカル・ブアジズ。
これらの人材を市の文化政策に起用することによって市は
すべての層に訴えかけるような文化政策を提供することに成功した。
アート・ギャラリー、ロックフェスティバル、セガン島に開設予定の
現代音楽劇場。