日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

人に支えられること

2015-11-20 22:34:41 | 自分について
先週の金曜の夜に同時多発テロがパリで起きてから一週間。
毎日、なんだか重苦しい雰囲気が街や職場を覆っている感じがする。
どこかに出かけて行っても何かありそうな気がするし、そもそも
どこかに出かけようなんて気持ちになれなくなってしまった。
先週の日曜などは、デマにひっかかって、マレ地区のカフェの地下に
閉じ込められてしまった。。。

そんなとき、なぜか分からないが、街を歩いていて思い出したことがある。
僕の父方の祖母はずっと鹿児島県の種子島に住んでいて、子供の頃は
両親に連れられて毎年のように種子島の祖母の家に帰省していた。
夏になると、今でも、あの古い祖母の民家や、濁った庭の池を僕は思い出す。
井戸や大きなソテツの木が玄関に生えている、今も思い出の中に
存在しているあの大きな家だ。床は高く、部屋は広く、長い縁側から
外をずっと眺めることができる古い家だ。

高校生になったとき、一度、親と一緒に祖母の家に帰省したことがある。
両親と姉と四人で祖母の家に1週間ぐらいいて、ぼんやり夏を過ごしていた。
祖母と僕は話すことなんてなくて、ただよそよそしくして、あいさつを交わす
ぐらいだったんだが。

帰る日、僕ら四人の家族は祖母にお別れを告げて、車に乗り込んだ。
また、遊びに来るからね、と軽く祖母にいいながら。
そのあと僕の父親がエンジンをかけて車が動き始める。
祖母は僕らにハンカチかなんかを振りながら、またね、またねと繰り返していた。
そのあと、僕は手を振った後、前のフロントグラスに向き直ったんだが、
その横のバックミラーをふとみると、祖母がハンカチを相変わらず振りながら、
いつの間にか泣いて、涙をぬぐっていた。また会えるのに、なんで
泣くんだろうか、なんでそんな大仰にするんだろう、なんてその頃は思った。

でも今でもあのときの祖母の泣き顔を思い出してしまう。
祖母はもうこの世の中にいないのだけれど。
別れがつらくて泣いてくれるなんて、今思えば、なんて
かわいがられていたんだろう、と思う。

誰かを強く思うことや、思われることなんかとうに忘れてしまったような
気持ちになることがある。支えあったり、支えたりするような気持ち。
そんなことを実感したいのかもしれない、とぼんやり思った。