名古屋を中心にいくつもの店がある「一八(いっぱち)」の屋号の付いた麺類食堂。こちら橘が本店で、創業は明治23年(1890)とのこと。ただ全ての「一八」がこちらからの暖簾分けという訳ではないそうなので系譜を辿っていくのは難しい。この日は開店時間直前に店に着いた。すると3組もの開店待ちの先客が。久しぶりだったが主人夫婦は健在。以前と変わらず”一八のれん会”の暖簾が調理場に掛かっている。テーブル席に腰掛け、お願いしたのは「天南丼」。この地方に僅かに残る絶滅危惧丼だ。相変わらず威勢の良い主人の調理が始まる。
出来上がった「天南丼」が運ばれた。味噌汁と漬物付き。深い丼に盛られた「天南丼」は、ご飯の量は少なめ。海老天が1本に、茄子とかぼちゃの天ぷらものって長ネギが使われている。つゆと一緒に煮込んでいるのかは分からないが、天ぷらはサクサクでネギもシャキシャキの食感が残っているので煮込んでいないかも。つゆというほどの水分は無く、タレは濃いめでご飯の下に少し溜まるぐらい。深い丼なので少々食べ辛い。自分のイメージする「天南丼」とはずいぶん違う。面白いなァ。出汁の効いた豆腐とわかめの味噌汁と高菜漬けを挟みながら平らげた。(勘定は¥950)
↓ 店の近くにある貫禄ある黒漆喰壁の「楠木屋本店」(建築詳細不明)◇。壁に逆文字で屋号と「屋問具家器漆」と表記されている。2階のこういう窓も虫籠窓(むしこまど)と呼ぶのかな。
↓ 同じ下街道沿いにある元・煙草屋(あるいは商店)の建物(建築詳細不明)◇。ショー・ウインドウだったろう場所は木板で塞がれているが、下のタイルには逆読みの”コバタ”の文字が残っている。
↓ 通りがかって気になった上前津1丁目の隅切りの住宅(建築詳細不明)◇。こんな場所なので多分以前は商店だったろうと思うが、2階の窓がかなり深い位置で、全てに袖壁が付いている。どういう目的でこうなったんんだろう。
一八 本店
愛知県名古屋市中区橘1-5-14
( 名古屋 なごや 大須 おおす 橘 たちばな 仏壇通り いっぱちほんてん 一八 麺類食堂 大衆食堂 てんなんどん てんなん丼 近代建築 登録地域建造物資産 )
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