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ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

新栄堂 @三重県桑名市

2020年07月02日 | 三重県(老舗)

朝から三重県桑名市の近代建築や近代化産業遺産を自転車で散策。雨こそ降っていないが蒸し暑く、じわじわと汗が吹き出す不快指数の高い日。そんな時にはアイスクリーム! ここ桑名は”アイスまんじゅう”でも知られていて、市内のいくつかの店で手作りアイスを販売している。今までに「マルマン」「寿恵広」には訪問済み。この日訪れたのは市役所のすぐ近くの静かな通り沿いにある「新栄堂」。創業は昭和22年(1947)とのこと。以前も来てみたことがあったがその時は休みだった(不定休なのかな)。素っ気ない構えの店に入ると左手に作業場があり、ステンレス製のアイス製造機が置いてあった。アイス専業のようだ。右手の冷蔵庫の中には沢山の「アイスまんじゅう」が入っている。誰も出てこなかったので裏手に向けて声を掛けてみると奥からご高齢の主人が「ごめんなさいねー。」と出ていらした。壁に掛かった品書きの先頭が「抹茶アイスまんじゅう」だったのでひとつお願いする。

そのまま受け取り、自転車を押してすぐ横にある公園へ。早く包みを開けないと溶けてしまう。「抹茶アイスまんじゅう」は割箸でなく丸い棒が使ってある。横から見ると、土台、小豆、それに抹茶と層になっているように見えて、こちらもやっぱりカッチカチ(笑)。歯を入れるとゴリッと音がするぐらいの硬さ。それでも気温と湿度が高いこともあって表面は溶け始めているので待ったなしだ。中の小豆はたっぷりの量。甘い汁で手をベトベトにしながら一気に食べ終えた。こちらにはミカンとパイナップルの「アイスフルーツ」もある。次に来た時に店が開いていたらどちらかを食べてみようっと。(勘定は¥140)

 


 

↓ 市内の高台の住宅地の中にある「諸戸水道貯水池遺構」(明治37年・1904・建造)。昭和4年まで使われたという遺構が残っている。ここから以前訪れた「諸戸家住宅」まで水路が繋がっていた訳だ。それを全国7番目の上水道として個人の財力で造ってしまい、無料で市民に開放したというのだから当時の有力者のスケールの大きさには恐れ入る。

 

 

 


 

新栄堂

三重県桑名市新矢田2-41

 

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一力亭 @三重県桑名市 (※移転)

2020年06月23日 | 三重県(老舗)

正式に7月末に営業を終え閉鎖されることになった三重県桑名駅前の商業ビル「桑栄メイト」。秋には解体され、ホテルビルが建つのだとか。桑栄メイトに残る飲食店等は全て営業を終えることになるが、ご高齢の方がやっていらっしゃる店も多く、廃業の道を選ぶ店も多い。桑名市民に親しまれたビルだけあって名残りを惜しむ客が日に日に増えている。中でも中部圏に唯一残る日本最古のハンバーガー・チェーン店「ドムドムハンバーガー」と餃子の「新味覚」は大行列。ある日曜に覗いてみたら終止行列が続き、「ドムドムバーガー」に至っては結局昼過ぎ早々にシャッターが下りてしまっていた。

自分の目当ては2軒の麺類食堂。片や「桔梗屋」も終止行列があり、並ぶのが好きでない自分はもう1軒の店「一力亭」に入ることに。こちら創業は明治8年(1875)と古い。元々からこの桑名駅前で商売していたのだとか。暖簾をくぐると外の喧騒とは変わってテーブル席には先客が4組程の落ち着いた雰囲気。調理場には男性が2人、給仕は年配女性が1人。親子だと思うがどうだろうか。腰掛けて卓上の品書きを眺める。とはいってもこちらに入る前から決め打ちだった「きしめん定食」を注文した。

東海圏でもある三重県北勢地方の麺類食堂には「みそかつ」や「きしめん」があるのは普通。特に名古屋の人はあまり周辺の食文化に頓着する人は多くない気がするが、大まかに言って東海地方は同系統の食文化圏にある。高低差の分かる地図を見るとよく理解できるが、キーワードはつまり”濃尾平野”だろう(と勝手に思っている)。

それはさておき、しばらくして「きしめん定食」が盆にのって登場。こちらの「きしめん定食」は、先頃惜しくも閉店してしまった大垣市の「鶴丸」や、岐阜市の「武蔵野本店」のようにだるま(あるいは提灯)型の容器に収まっている。こちらに絵柄は無く「鶴丸」と同様の提灯タイプ。容器は3段に分かれていて、蓋を取るとご飯とおかず、その下の段にはきしめんが入っている楽しい仕掛け。まずはきしめんを手繰っていく。水面には菜っ葉、かまぼこ、刻んだ揚げ、そして花鰹という定番の内容。刻みネギは別皿に盛られている。つゆの色は淡く、麺の食感は軟らかめ。こちら”手打ち”と称しているがきしめんもそうなのかな。ご飯の段には玉子焼きが2切れ、山菜、漬物、そして缶詰のみかんが盛られている。玉子焼きは甘めの味付け。これらをパクパクやりながら、ズズッときしめんを啜りつゆを飲む。内容は他店の定食と大して変わらないのに、この容器に入っているだけでなんだか楽しい。店は8km程西に新築移転するそうなので、次は新店で。(勘定は¥890)

※移転されました

 

 


 

↓ 「桑栄メイト(正式名称:桑栄ビル)」(昭和48年・1973・建造)。桑名駅の駅ビルも新築が終わり解体が決定。もうこれが見納めになるかな。(前回の訪問記事はこちら

 

 

 

 


 

めん処 一力亭

三重県桑名市桑栄町2 桑栄メイト2F

 

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たがねや @三重県桑名市

2019年11月30日 | 三重県(老舗)

三重県桑名市でお土産に買っていった煎餅の店「たがねや」。店の事は全然知らずに通りを自転車で走っていて、真新しくて綺麗だけれど何の店だろうとその場でササっと調べたら、煎餅の店だと分かったので立ち寄ってみた次第。後から調べてみると、創業は明治5年(1872)で、現在5代目だという凄い歴史のある店だった。しかも名古屋の主要デパートのみならず、東京・日本橋の高島屋や三越にも店舗があるようだ。元々、桑名を通る旅人向けに切り餅に醤油を塗って売っていたのが、次第に煎餅になったのだとか。店に入ると木を多用しているものの、新しいだけあってモダンな意匠と陳列。多くない品数の商品を眺めたら、箱に入ったしっかりとした値段の高級品ばかり…。「煎餅でも買って帰ろ。」とフラッと入ってしまったし、カゴも無い自転車なのでどうしたものかと焦る(笑)。焦りを悟られないようゆっくりと品を確かめると「たがね(あつ)」と呼ばれる煎餅の小袋があったので、迷わずそれを購入した(笑)。

家に帰って包みを開ける。中に入っていたのはたった5枚の大きくない煎餅。「あつ」の他に「うす」があったので煎餅の厚みを表しているのだろう。包みを開けると香ばしい香りが漂う。もう旨い。黄金色に焼かれた煎餅をひと口。辛口の醤油味で、「あつ」のわりに意外と薄かったが、ザクザクの歯応えで、なるほど確かに旨い。これ全て手作りで手焼きしているのだとか。買った枚数が少なくて普通の煎餅のようにバリバリボリボリと手を出せないが、熱いお茶といただいているとついそうしたくなる。じっくりと米と醤油の味を楽しんだ。次はちゃんと箱入りを…、でもこういうのは誰かに戴くのが一番幸せなんだけれど…(笑)。(勘定は¥378/袋)

 


 

↓ 末広町の大きな通り沿いの「中村医院」(建築詳細不明)。通りを走っていて気になった建物。出入口の雰囲気、植えられたエキゾチックな植物、2階の上げ下げ窓など、確証はないけど結構古そうに感じるのだが…。

 

 


 

たがねや 本店

三重県桑名市田町10

 

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とらや饅頭 @三重県桑名市

2019年11月20日 | 三重県(老舗)

自転車で三重県桑名市の「桑名宗社(春日神社)」辺りをフラフラと散策していたら、路地に年季の入った木製看板を掲げた「とらや饅頭」という店の前に。事前に調べていた訳ではなかったが寄ってみることにした。見上げると破風には木製の虎の像も。帰ってから調べてみたら創業宝永元年(1704)で現在は11代目というとんでもない歴史のある店だと分かった。江戸時代の桑名藩の下級武士の日記にもこの店の饅頭の記述があるのだとか。スゴイ。”とらや”の屋号は全国各地にあり、その出自はよく分からない事がほとんどだが、こちらは京都とかと何か関係があるのかな。それはさておき店に入ると売場は大きくなくシンプル。女性の店員さんにはもちろん「とらや饅頭」をお願いした。

持ち帰って家で食べた「とらや饅頭」は、いわゆる酒種(酒蒸し)饅頭。少し黄味がかった皮はしっかりめで無骨。中には甘さ控えめなこし餡がたっぷりで、酒素を使った饅頭特有の酸味ある香りも鼻に昇ってくる。桑名は東海道で熱田宿(名古屋)から海路(七里の渡し)での到着先で、伊勢参りの玄関口となって栄えたところ。昔の人もこちらでひと休みして、こういう饅頭を味わったのかな。こういう饅頭はすぐに皮が硬くなってくるのは承知で、蒸し直したり、焼いたり、揚げたりして食べるといいのだとか。今度は自分も焼いてみよう。(勘定は¥170/個)

 

 


 

↓ 自転車で市内を散策していた折、飲み物でも買おうと最寄りのスーパーに行こうとしたら見覚えのない洋館の屋根が見えた。周りは工事フェンスで覆われている。全然知らなかったが、こちら「諸戸氏庭園の敷地内裏手に当たるようだ(未確認)。周囲を巡ってみると水路があり、フェンスの間から覗くと敷地内にも煉瓦造りの塀と水路でつながっていた(写真下3枚目)。スゴイ。全然知らなかったので興奮した。入園するとこちらの建物や掘も見られるのかな。

 

 

 

 

↓ 表の「諸戸家住宅主屋」(写真下左・明治20年頃・1887・建造)は現在大改造中。並び建つ「諸戸家住宅煉瓦蔵」(写真下右・明治20年・1887・建造)も夕方はひっそり。

 

 


 

 

とらや饅頭

三重県桑名市本町54

 

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寿恵広 @三重県桑名市

2019年11月16日 | 三重県(老舗)

三重県桑名市は”アイス饅頭”が有名。元祖がどこかとかは知らないが、市内にはいくつもの”アイス饅頭”の幟を掲げた店がある。いわゆるメーカーの市販品と違ってどこもカッチカチに硬いのが特徴。桑名駅から自転車で南下してある店を目指すも残念ながら休業日。その次に向かったのがこちら「寿恵広」。創業は大正12年(1923)。こちらアイス専門という訳ではなく、普通の和菓子屋さん。なのでもちろん和菓子もディスプレイしてある。でもやはり推しはアイス饅頭。店を入ったすぐ横にアイス饅頭各種が沢山入った冷凍庫があった。中を覗くと「アイスドリアン」なるものがあった。アイスで”ドリアン”…? アイス饅頭を買う気満々だった当初の意気込みはどこへやら「アイスドリアン」を手に取っていた。主人にお代を払って外で早速包みを開ける。

「アイスドリアン」といってもドリアンは入っておらず(もちろんそうだろうとは思っていた)、アイスキャンデーを総称して「アイスドリアン」と呼んでいるようだ。名前の由来は知らず。後で調べてみたけれどお店の人も知らないようで、そもそもアイス饅頭よりも歴史が古いのだとか。意外。自分が買ったのは「ココナッツ」味。口にしてみるとさっぱりとした味で、ほのかにココナッツの風味がして、何とも旨い。自分は乳脂肪分が多いアイスクリームよりもシャーベットや、アイスキャンデーの方が好きなので、こういう口当たりのアイスが大好き。1回店を出てしまったから戻らないけど、近くに居たらもう1個買ってただろう。他の味も試してみたいナ。(勘定は¥97/本)

 

和菓子処 寿恵広

三重県桑名市三ツ矢橋11

 

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笹井屋 @三重県四日市市

2019年09月01日 | 三重県(老舗)

三重県四日市市内を自転車で散策。駐車場に車を入れ自転車を取り出し、今まで走ったことのない辺りもウロウロしてみた。四日市は東海道の宿場町(四日市宿)なので街道沿いを走る。他でもよくあるように旧街道は黒いアスファルトでなく白っぽい舗装がしてある。期待に反してあまり古い建物は見当たらないが、道沿いに歴史ある和菓子の「笹井屋」があったので寄ってみた。1号線バイパスはバンバン車が走っているが、こちら旧街道は車もまばら。漆喰で塗られた蔵のような店舗で、”なが餅・笹井屋”の暖簾が掛かっている。なが餅といえば、三重県内では桑名の”安永餅”が有名だし、ここ四日市でも金城軒の”太白永餅”が有名。どうして同じ形態の菓子がこの地域に分布しているのか知らないが、こちら「笹井屋」は創業が天分19年(1550、戦国時代!)と、現存する店の中では一番の歴史を誇っている。

店に入るとガラスショーケースの中には箱入りのなが餅が並んでいた。自家消費なので箱ではちょっと多い。一番小さな包みが7つ入りだというのでそれを購入した。”元祖”の文字が記された包みは竹皮風。それぞれは個別包装されている。嫁も自分もなが餅が大好きだが、はっきり言って他の店のものと区別出来る技量も経験も持ち合わせていない。香ばしく焼かれた両面の硬いところの食感を楽しみつつ美味しくいただいた。(勘定は¥648)

 

 


 

↓ 店のすぐ近くにあった建物「東海道四日市資料館」(昭和35年・1960・建造)。素敵な意匠だなと思ったら以前は個人医院だったものを改修しているのだそう。ここはかつて問屋場があった場所なのだとか。残念ながら時間外で入れず。

 

↓ ↓ 近鉄四日市駅に近い諏訪公園内にある「すわ公園交流館旧・四日市市立図書館)」(昭和4年・1929・建造)に再訪。国の登録有形文化財。

 

 

↓ 諏訪公園のすぐ北にある老舗料亭旅館「大正館」の敷地内には公園の高い位置から少しだけ洋館らしき(建築詳細不明)の屋根が見えた。

 


 

 

元祖なが餅 笹井屋

三重県四日市市北町5-13

 

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紅葉屋 @三重県桑名市

2019年08月02日 | 三重県(老舗)

 

三重県桑名市の多度町訪問の際、もう1軒お土産を買いに寄ったのは、多度大社前の「紅葉屋」(創業明治4年・1871)。いぶし銀の日本家屋の隣には食堂もある。店を覗くと、どの菓子かは分からなかったが奥で製造作業中だった。緋毛氈の上に並べられた菓子を眺めると「八壺豆」(多度豆)をはじめ、いくつかの菓子があったが、その中から「紅梅焼」なるものを購入した。他の土産屋にも同様の菓子があったと記憶するので、多度大社参道の土産屋の菓子は共通するものが多いようだ。それだけ長い歴史があるということなのだろう。

持ち帰った「紅梅焼」は濃い茶色で梅の花の形をした煎餅(実はパッと見て”紅葉焼”だとばかり思って購入した・恥)。ガリッとやってみると、表面は湿った感じだけれどとても硬い。甘さと独特の風味とがあって最初はニッキかなと思ったのだが、山椒だそうだ。なるほど。これは煎茶以外は難しそう。梅雨時とあって皿の上の置いておいたものがすぐ湿気てしまったが、それはそれで悪くなく、お茶請けとしていただいた。隣の食堂でも「大黒屋」のように鯉が食べられるようだ。この辺りの店は共通する名物ばかり。(勘定は¥500)

 


 

↓ 「多度大社」の隣「多度稲荷社」にある「多度町消防団詰所」(建築詳細不明)。下見板張りでかなり古そうな建物だ。傾斜に合わせて半地下みたいになっているが、消防用具でも収納されているのだろうか。

 

↓ 「多度大社」から20分程離れたいなべ市北勢町阿下喜の古い商店街にある「旧・阿下喜郵便局」(昭和14年・1939・建造)。いわゆる郵便局の痕跡(〒マークとか)は無いが存在感あり。再塗装はされていないが朽ちたりしてしまわないのかな。

 

 

↓ 通りの反対側にある、看板が素敵な「旧・デグチパン」(建築詳細不明)。隣の屋号は「丁字屋」(古い商店に多い)だし、この本町通りはもう少ししっかり調べたら面白そうだ。

 

↓ 東藤原駅近くにある「太平洋セメント藤原工場・社員クラブ」(昭和7年・1932・建造)。入口付近のデザインといい、2階のアーチ窓といい、どことなく優しい感じのする建物だ。玄関扉のガラス部分のデザインは当初のままの物なのかな。モダンでカッコイイ。

 

 

↓ 東藤原駅近くの平屋の建物(建築詳細不明)。壁面の処理と庇(?)部分の切り欠いたような微かなデザイン性が近代建築らしくて面白い。

 

↓ いなべ市北勢町東村の「治田簡易郵便局」(建築詳細不明)。どうも外壁をやりかえたばかりのようで、玄関周り以外はあまり近代建築らしさが感じられなかった。

 

↓ すぐ隣にある「治田小学校」の門柱は戦前の物がそのまま残っていた。

↓ 「旧・南大社郵便局」(建築詳細不明)。沿革からいくと明治時代の建物かも。昭和30年に「東員郵便局」と改称し、現在の建物にも”東員”の文字が残る。用水端にあってとても雰囲気のある建物だが、残念ながら裏手は崩れ始めていて、先は長くないかもしれない。

 

 

いなべ市近辺の近代建築を駆け足で沢山廻ったが(先達の皆様の情報のおかげ)、取りこぼしもいくつかある。いつか天気のいい日にまた巡ってみたいなァ。

 


 

紅葉屋

三重県桑名市多度町多度1186-1

 

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西大黒屋 @三重県桑名市

2019年07月30日 | 三重県(老舗)

三重県桑名市の「大黒屋」で鯉料理をいただいた後はもちろん隣の「西大黒屋」へ。確かめていないが大黒屋で出された多度名物「八壺豆」はこちらのものだったろう。それにしても大黒屋の西にあるからって”西大黒屋”とは…。血縁の方が始めたのだろうか。店の前の幟には”宝永年間創始”と書いてある。こちらも凄い歴史だ。建物は古くなく、引戸は開いたままだったので店に入る…が誰も出てこない。”八壺豆”と書かれた所には1つも商品が並んでいない…。あれ、ひょっとして買えないかなと心配に。大きな声を出すと奥から女将さんが出てきた。「ごめんなさい、ひとつも並べないで。」どうも奥で八壺豆を作っていたところのようで、手にはいくつかの出来たてでまだ閉じていない袋が。もちろんその出来たてを1つお願いした。「どこからいらしたの?」と尋ねる女将さんと立ち話。ちょっと”要らんこと言い”の女将さんにわが故郷を若干ディスられながら(苦笑)勘定を済ませ持ち帰った。

風情ある紙の包みに入った「八壺豆」は大豆が甘いきな粉で包まれたお菓子。表面は白砂糖で化粧されている。材料は黒蜜と大豆ときな粉だけのようでシンプル。包みにも”お茶のとも”と書かれているが、熱い緑茶にぴったりで旨い。クセになってついついもうひとつと口に入れてしまう。こちらが始祖なのかどうかは分からないが、多度大社の参拝者の土産として江戸時代からあるのだとか。和菓子って大抵似たようなものが他所の土地でも見つかるのだが、八壺豆に似た菓子ってあるのかな。(勘定は¥500)

 

 


 

↓ 同じ通りにある立派な建物「桔梗屋」(建築詳細不明)。享保元年(1716)創業というこちらも八壺豆(たど豆)を扱っている和菓子屋らしいのだが店の棚には何も並んでいなかった。ただの休業日なのか、商売を辞めてしまっているのか微妙な感じ。

 

↓ いなべ市の田んぼの中にある江戸時代に造られたという用水に架かるコンクリートブロック製の「ねじり橋」(大正5年・1916・建造)。これもやはり”ねじりまんぽ”の一種らしい。橋の上には三岐鉄道・北勢線の黄色い電車が走る。

 

 

↓ 「ねじり橋」のすぐ近くにある「めがね橋」(大正5年・1916・建造)。三連橋でこちらもコンクリートブロック製。姿が美しいので黄色い電車が通るところを撮りたかったが、移動していたら撮りそこねてしまった…。どちらも土木学会の「選奨土木遺産」に指定されている。

 

↓ 北勢町阿下喜(あげき)にある「桐林館(旧・阿下喜小学校校舎)」(昭和11年・1936・建造)。登録有形文化財に指定されている戦前の木造校舎。教室の一部がカフェ「桐林館 阿下喜美術室」として営業していた。

 

 

 

 

 

 

 


 

西大黒屋

三重県桑名市多度町柚井1799-2

 

 ( 三重 みえ 桑名 くわな 多度大社 にしだいこくや 和菓子 やつぼ豆 多度豆 たど豆 近代建築 近代産業遺産 ねじりまんぽ 国登録有形文化財 )

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大黒屋 @三重県桑名市

2019年07月26日 | 三重県(老舗)

三重県桑名市、いなべ市辺りの近代建築を観るべく早朝に車を出して長良川の堤防沿いを走り、意外と早く到着。上げ馬神事で有名な「多度大社」にお参りをしてから移動した。昼食は多度大社脇の街道沿いにある「大黒屋」。某有名作家の著述作品にも出てきた鯉料理で有名な老舗だ。本を読んだ時にはなかなか縁がないだろうなと思っていたが、調べてみると充分行動範囲内だと踏んで前日に電話で営業と1人訪問の可否を確かめると、大抵予約無しでも入れるが念の為に朝にでも電話を入れてくれると尚良いと言われていたので、多度大社に着いてから予約を入れておいた。店は多度大社から1kmも離れておらず、風情のある街道沿いにあるが、並んでいる商店は多くないのでポツンと離れた感じ。駐車場に車を停め、立派な門をくぐる。凄い建物だ。玄関口で靴を脱いで案内されると眼下に立派な庭園が広がる(写真下)。

回廊から見下ろす感じになっていて、澄んだ綺麗な水の池には沢山の鯉が泳いでいた。水が流れ込む音と鹿威しの音が涼をさそう。1人なので手前の小さめの部屋に案内された(写真下)。部屋は奥の方にも続いていて50人位入れる大広間もあるのだとか。この日は気温が高くなく風も少しあったので部屋の障子が開け放たれていて、そこから見える景色も素敵。建物は江戸時代中期頃のものらしいのだが、旅籠(のち旅館)であった頃の風情を残していて、一角には皇族ら、やんごとなき方々をお迎えする応接間(洋間)もあるのだとか。部屋の中に明治時代、大正時代の写真も飾られていて当時の姿を偲ぶことも出来る。広い敷地に池庭、年季の入った複雑な建物。つい”維持費”なんて無粋な事を考えてしまうが、御苦労も多いことだろう。

 

お茶が出されて「ランチコース」を注文。”洗い”又は”煮付け”という事だったので”洗い”でお願いした。お茶請けに出されたのは地元の名物「八壺豆」。大豆を甘くしたきな粉で固めてある菓子。なかなか旨い。給仕は男性1人、女性1人で行っているが、玄関脇の調理場から延々と奥まで歩いて行かなければいけないし、高低差もあるから宴会などがあった時には大変だろうなァ。同じ時間には他に2組程の客が入っていたが、呼ばれる度に部屋の前を歩いて行く足音が途切れない。風情ある風景と涼しい水音を聞きながら食事が運ばれるのを待った。

最初に運ばれたのは「うろこ、すり身だんごのから揚げ」。すり身だんごは串が打たれている。どちらもサクサクとした軽い食感で塩味が付いていた。本当は日本酒でもいきたいところ。グッと我慢…。次は「鯉こく」。京都の西京味噌で味付けしてあるとのこと。とろっとした口当たりで西京味噌の甘味と酸味の中に川魚らしい風味。中にはあらも入っていて、飲んでいるとだんだん体がポカポカとしてくる。寒い季節に飲んだら更に旨いだろうな。次は「季節の小鉢」として海老やキノコ、胡麻豆腐を炊いたものが出てきた。青葉もみじが添えられていて風流。それに「玉子焼」。次は「南蛮漬」。少量だが揚げた鯉の身が大根、人参、ピーマンの千切りと甘酸っぱく漬けてある。さっぱり。そして最後に「洗い」と白御飯、香の物が出てきた。数枚だろうと思っていた洗いは結構な枚数並んでいる。酢味噌などで食べることが多い鯉の洗いだが、こちらでは綺麗な水で1ヵ月以上も飼育することから臭味などは消えてしまうので、醤油と山葵でいただけるのだとか。ひとつ細かく包丁が入れられていた部位があって面白い食感だったのだが、どこの部位だったかの説明を忘れてしまった。これに水菓子(スイカ)と飲物(コーヒー)が付く。

食べ終わって勘定をお願いしようとすると「よろしければ庭にも降りてご覧下さい。」と言われたので、遠慮せず歩かせてもらった。本当は洋間も見せてもらいたかったが、給仕の方々はお運びで忙しそうだったので声を掛けるのを遠慮しておく。これだけの眼福と料理の割に値は安いし、是非またの機会に。(勘定は¥2,080)

この後の記事はこちら (2

 

 

 

 

 

 


 

↓ 早朝、まだ神社の方々総出で朝の掃除をしている静謐な空気の「多度大社」に参拝。ちょうど御神馬も朝の散歩。初めて上げ馬神事の坂を見たがとんでもない急斜面。恐ろしや…。

 

 

 

↓ 店の川を挟んで反対側にある「桑名市郷土館(旧・多度村立多度尋常高等小学校)」(昭和8年・1933・建造、一部移設)。予約のみの開館らしく中は見ることが出来ず。あまり開けられていないのか中はやや荒れ気味。

 

 

 

 


 

 

鯉料理 大黒屋

三重県桑名市多度町柚井1799

 

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金城軒 @三重県四日市市

2018年06月01日 | 三重県(老舗)

JR四日市駅周辺。そのインパクトある佇まいを楽しませてもらった三和商店街の北に、古いアーケードのある本町商店街がある。ところどころ虫食いの更地(駐車場)になっていて、こちらもすでに廃業したと思しき店が多い。とても雰囲気のある店舗跡がいくつも残っていた(写真下)。往時に寄ってみたかったなァ。

 

そんな中に和菓子屋「金城軒」があった。寂れた商店街にあって店前まで来ると何人もの人達が名物「太白永餅」を買い求めて思わぬ列をなしている。創業は慶應4年(1868)という老舗で現在7代目だとか。自分が店に入った後にも店前に車を一時停車させて買い求める人が続く人気ぶり。お土産で購入していくサラリーマンらしき人もいれば、完全に地元の方で普段使いしているだろう女性もいらっしゃった。店は太白永餅を置いているショーケース分だけのこじんまりとしたスペース。自分はまだ周辺を散策する予定があるので箱買いは出来ず、いつものように少量で分けてもらった。

家に帰ってから女将さんに包んでもらった紙袋を開け個別包装された「太白永餅」をいただく。粉を吹いた永餅(長餅)は、以前に桑名で買った「安永餅」とよく似ていて、少しだけ焦げめがついている(ちなみにあちらの創業は天文19年・1550年)。やや硬めの皮からかぶりつくと中にはあんこが。その長細い形が食べるのにちょうど良く、香ばしい独特の皮が旨い。嫁の好物なのでもちろん嫁にも買ってきた。嫁は1つでは足りない様子。次はちゃんと箱買いしないと。

 


 

↓ 店からそう離れていない蔵町の線路沿いで目についた「下里薬局」(建築詳細不明)。アールのついた壁面がとてもいい感じ。小さい写真で分かりづらいが前面はすべて豆タイル。

 

↓ 現在は廃校になっているようだが門は昔のままの「旧・四日市市立納屋小学校校門」(建築詳細不明)。古いものではないかもしれないが親柱頂部の飾りがカッコイイ。

 

↓ 現在は「イオンモール四日市北」の飲食テナントに利用されている豊洲原町の「旧・東洋紡績株式会社富田工場原綿倉庫」(大正6年・1917・建造)。登録有形文化財に指定されている。

 

 


 

金城軒

三重県四日市市本町6-7

 

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