仙太の「雑杷ひとからげ」

「工房仙太」の新作紹介及び日々の雑想を連ねています。(ショップ http://k-senta.com/)

小屋建て#4 束石

2021年12月24日 20時07分40秒 | 映画
 小屋の基礎には束石(つかいし)を使います。普通の建物の場合は「布基礎」といって、型枠に生コンを流し込んで万里の長城のようなものを作りますが今回のこれは手作りなので。

 穴の向こうに置いてあるコンクリートの台形状のものがそれで、「羽子板付き沓石」(はごいたつきくついし)というものです。穴を掘って底にバラスを敷いて…



練ったモルタルをぶち込んでその上に沓石を置いてレベルで水平を合わせる。と同時に十文字に張った水糸で位置をしっかりと決める。そして…



モルタルにバラスを混ぜて生コンにしたものを周りに置いて固めて一昼夜置く。生コンがすっかり固まったら土を戻して完成。これを48か所やります。はぁ~…。

沓石には高さが30㎝の300型と24㎝の240型があります。大きいものほど土に深く埋まるのでいいだろうということで当初はすべて300型で考えていましたが、値段の問題と穴を掘る手間の問題で300型は外周だけにしてあとは240型で行くことにしました。値段は200円くらいの差ですが、48個となると10,000円くらい違ってくるのでバカになりません。

youtubeなどで探してみると自分で小屋を建てている人が驚くほど沢山います。中には自宅から離れたところの土地を買ってまでやっている強者も。そんな人に比べれば私は恵まれているので頑張らねば。

小屋建て#3 丁張り

2021年12月18日 21時22分04秒 | 日記
 丁張り(ちょうはり)。
前回水盛りで印を付けた杭に板をはりました。この板に合わせて束石(つかいし)の間隔や、それに立てる束の長さを決めます。これが立つと一気に建築現場っぽくなりますねー。



小屋の大きさは4m×8.5m。1mおきに束石を置く予定なので合計48個になります。地面に高低差があるので束石の高さはまちまち。従って束の長さも48本すべてバラバラになります。この丁張りの板の上端が束の上端の高さなので、板から板へ水糸を張って1本1本束の長さを決めていくことになります。

 ところで、実は実際の作業の日時はこのブログの日時と一致していません。実際の作業はもっと進んでいますがこの記事は順番に1工程づつアップしていこうと思っています。
ところが今日、景色を一変させる出来事がありました。



この冬初の積雪。約25㎝。近年の12月としては多い量です。幸い明日以降は回復傾向のようなので根雪にはならないと思います。次の作業は雪をかき分けてすることになるかもしれませんが。
春になると田畑が忙しくなるので冬の間にできるだけ進めておきたいのですが、そうそう思い通りにはいきません。

小屋建て#2 水盛り

2021年12月14日 23時13分55秒 | 日記
 さてこれは一体何をしているところでしょう?

 前回書いていたとおり、この建設予定地の地面には高低差があります。写真奥が東側ですが、手前の西の端は東の端より少し高い。ここに水平なものを建てようとすると四方を同じ高さに揃える必要があります。そのための作業がこれ。
中央に水の入ったバケツを置いて、そこから透明なパイプを引いて空気が入らないようにパイプに水を満たします。



そうするとパイプの端をどこへ移動させてもパイプ内の水面は常にバケツ内の水面と同じ高さになるという仕組み。で、その水面に合わせて敷地の周りに打った6本の杭に印をつけると基準の高さが決まるという訳です。
わかったようなことを言っておりますが、私も実際やるのは初めてで、「おー、なるほどー!」と感心してしまいました。

結果、東端と西端では約30㎝の高低差があることがわかりました。束(つか)の長さで調節することにします。

小屋建て#1 整地

2021年12月12日 21時57分01秒 | 日記
 一念発起、小屋を建てることにしました。もちろん業者さんに頼むのではなく一人でやります。

 実は何年も前から漠然と考えてはいたのですがなんだかんだぐずぐずと踏ん切りがつかず今日に至りました。もう歳だし、第一金も無いし…。
しかしここへきて遂に決めました。

 場所は自宅の裏の空き地。戦時中に芋でも作っていたのかもしれない畑の跡があったりするところです。山にくっついたようなところなので日当たりは良くないですがそんなことはどうでもいい。



敷地の真ん中を横切っていた鹿よけの電柵を移設して、上の段から覆いかぶさっていた柿の木を伐採・撤去して、畑跡の土をスコップで除去して…。工事にかかるまでの準備だけでもなかなか大変ですが、なんとか整地ができました。
まだ地面には高低差がありますがこれ以上は人力では無理なのでこのままやることにします。

やると決めたからにはもう迷ってもしょうがない。ライフワークのつもりでコケの一念でやり通すしかありません。ライフワークといっても、私ももう62。建てることだけが目的ではなく使うことが大事なのでそうそう時間をかけてはいられない。というわけで完成目標を1年後とします。令和5年の正月は新居でお酒が飲めますように!

「なんで百姓するの?」

2021年05月28日 21時16分01秒 | 日記
都会に住む知り合いから、「仕事でもないし、増してや趣味でもなさそうなのになんで農業やってるの?」という質問を受けました。それもわりと短期間に2人の人から。

先祖代々やってきていることだし、周りも皆そうだから何故?などということは考えたこともなかったので、チコちゃんに質問されたゲスト解答者のような反応をしてしまいました。「え?な、なんで…?」
確かにすごく時間とられるし、すごくしんどいし、そういう労力を考えるとスーパーで米を買うほうがずっと手軽で値段的にもかえって安いかもしれない。現に毎年3月の終わりに差し掛かると、間もなく始まる米作り作業のことを思って気分がズーンと憂鬱になる。う~ん…、と考えた末、「義務、みたいなもんですかねー…。」などと、煮え切らない上に的を得ない自分でも不本意な返事しかできませんでした。

米づくりをする意義、という話ならいろいろ言えることはあります。低農薬の米が食える。食料危機が来ても安心。田んぼを放置して荒地になると地域の荒廃を招くので耕作することでそれを防ぐことができる。等々。そして何よりも自分の手で食料を作り出せるということは何にも代えがたい意義のあることに違いない。それは確かにそうなのだけれどしかし、知り合いが聞きたいのはそういうことではなく「なんでそんなことやってるの?」というシンプルな疑問なのです。

都会で暮らしていると、仕事でも趣味でもない、おまけにやりたくもないのに毎年やらなければならないことって無いのでしょうか?田舎の生活にはそんなことは米作り以外にも山ほどあります。様々な地域行事、いろんな団体の「役」など。自分の時間を削って奔走しなければならず、そのうえけっこうな責任までのしかかる。それが当たり前という中で日々生活しているので米作りに関しても何の疑問も抱かないのかもしれない。

こんな話をカミさんにしてみると一言で明快な答えが返ってきました。「そんなん簡単やん。要は自分で調理するか外食で済ますかの違いと同じやん。」
なるほどー。やはり女性は偉大だ。

ヒノキ2枚重ねテーブル 完成

2021年04月28日 21時39分54秒 | オーダーもの
できました!といっても約2カ月前ですが…。

正直、接ぎ作業の最中には「これ、ちゃんとできるんかな…。」という不安もかなりありました。何しろ初めてやることなので。



幅90㎝となるとけっこうな迫力です。塗装はオイル。



脚をコーナーいっぱいに付けるデザインはお客様のご要望です。これも初めてやりました。脚を中の方に付けたら位置が少々ずれても気になりませんが。コーナーいっぱいに付けると接合部に段差ができてはいけないので誤魔化しがききません。



天板の2枚重ねの接合部もまっすぐに揃えないと恰好がつきません。そこそこ揃ってるかな?

終わってみればなかなか楽しい仕事でした。
ありがとうございました!


桧2枚重ねテーブル #1接ぎ(はぎ)

2021年02月27日 21時52分57秒 | オーダーもの
桧の1,500✖900の座卓の注文をいただきました!それもただの1,500✖900ではありません。分厚い天板がご希望なので、いつもの33mmの板を2枚重ねにすることにしました。



100mm~120mm幅の板を貼り合わせて(この作業を接ぎ(はぎ)といいます。)1枚の天板に仕上げる訳ですが、今回は2枚重ねなので一つ一つの部材が大きい。そして当然ながら重い。



接いでしまったら最後おいそれと動かせる代物ではないので、家の中の使っていない部屋で固定作業をします。



固定完了。ちゃんと平らな天板になりそうでひと安心です。

余談ですが、このように板を木目に平行に貼り合わせて幅を広くすることを「接ぐ」と言いますが、木目方向に結合して長くすることは「継ぐ」(つぐ)と言います。で、継いだり接いだりすることを「継ぎ接ぎ」(つぎはぎ)と言うようになったとのことです。

ブログが10にやってきた!

2021年02月14日 22時10分55秒 | 日記


「Windows7のサポートが終了しました。」と言われてから数か月後に新しいPCを購入。届きはしたもののデータ移行作業の煩わしさを思うとなかなか手を付ける気にならず、そのまま梱包を開けることなく何カ月か経ってやっと始めたのが昨年の7月。それからぼちぼちぼちぼちと牛歩の如く進めてきてようやく最近いろんな文書データも編集できるようになりました。

それにしてもWindows10というやつは便利なのか不便なのかわからん!
まず7で使っていたソフトが使えないものが多い。メールソフトも画像編集ソフトも。そして、本体にデータを入れたらすぐに「One Driveがいっぱいになりました。」とか言ってくる。One Drive?なにそれ!? 文書データをいくつか入れただけでいっぱいって、どーゆーこと?おまけに「年間12,000円払ったらいくらでも保存できますよ♪」だと。なんでお金要るの!? 誰に払うの?わからんことばかりです。

以下、PC音痴のジジイのたわ言なので、ちょっと教えてやろうと思われた方は是非コメントをお願いします!

どうもこのPCは本体にデータを保存することを良しとしていないフシがある。ウィルス対策ということか?だから大切なデータはクラウドに保存しなさいということなのか?それは果たして信用できるのか?そもそも盗まれて困るような大層なデータなどひとつも無いんですけど。
しょうがないのでジジイの思いついた方法はデータを全てUSBメモリに入れて保存する、ということでした。文書も画像も音楽もライブ動画も。膨大な量だと思っていたけど64GBと32GBと8GBのUSBメモリに全部入りました。One Driveだかクラウドだか知らないが、そんな得体のしれないものの世話になんかなるものか!

さて、それやこれやで何とかやってきた中で最後までできなかったのがこのブログ。編集ページに入ろうとするとIDとパスワードを聞いてくるようになってしまって、それがどうしてもわからない。仕方なくブログの更新だけはいちいちモニターとネットのジャックを繋ぎ換えて7のPCを使っていました。それが面倒くさいこと甚だしい。ただでさえおっくうになっていたところへ面倒くさいのが加わってますます更新が滞っていたわけです。
そうこうしているうちに7のPCの動きがだんだん悪くなってきました。反応にえらく時間がかかる。機械モノは使わないと調子が悪くなるというのは農業機械でもPCでも同じのようです。これは早く何とかしないとブログが閉鎖になってしまう・・・。

そこへ降って湧いたのが昨日、「パスワードはあそこに書いてあったかも・・・。」と思いついたところに書いてありました!これでやっとめでたくジャックを繋ぎ換えなくてもブログが更新できるようになりました。
かといってマメに更新するようになるとは限りませんが。

Windows10はデスクトップ画面の世界の絶景写真もきれいだし、画像の取り込みもソフト無しでできるし、大変便利です!

そんなわけでこれからもよろしくお願いします。



古代琴

2021年02月12日 21時02分30秒 | オーダーもの
古代琴できました!というか、先月末にできています!

写真上が欅(ケヤキ)、下が栃(トチ)です。全長60cm。膝の上に置いてちょうどいい具合に演奏できるサイズでしょう。右側の出っ張り部分に弦を固定して張る仕組みです。なので欅が5弦で栃が6弦ということです。





裏側は「槽(ふね)」と呼ばれる共鳴箱になっています。



試しにうちにあったタコ糸を張ってみました。ちなみに縄文、弥生時代には絹糸の弦を使っていたらしい。
鳴らしてみるとまあまあそれなりの音は出ました。音を出すには弦はかなりしっかりと張る必要がありますが、張った弦の固定方法が問題。



頼まれていたわけではないですがついでに琴柱も作りました。栃の板の木端で。けっこうそれっぽくできたような気がします。

縄文、弥生時代の遺跡から出土しているとのことですが、この時代から音楽があったというのはすごいことです。しかも打楽器ならともかく弦楽器!中には超絶技巧の凄腕ミュージシャンもいたことでしょう。ちょっと覗いてみたいものです。

ありがとうございました!

あけましておめでとうございます。

2021年01月01日 21時38分23秒 | 日記
あけましておめでとうございます!

とんでもない年だった昨年。こんなことが現実に起こるなんて…と思っているうちに事態はますます悪化して年が明けても全く先が見えない。事実は小説より奇なりと言いますが、まさしくSFが悪い方に現実になってしまった状況です。

震災のときもそうでしたが、こんな時には人間の尊さ、浅ましさが如実に現れます。浅ましいのは困ったものですが、浅ましい人に「浅ましいじゃないか!」と非難する行為も負けず劣らず浅ましい。では浅ましくないようにするにはどうしたらいいか?自分がこれでいいと信じたようにするしかない訳ですが、「俺は浅ましくないぞ!」と信じきっている人こそ実は一番浅ましかったりするから始末が悪い。考えれば考えるほどわからなくなります。
人間の力ではどうしようもないことはたくさんありますが、その中でいかにできることをするか、ということですねー。

今回の災厄の一番恐いところは人同士の接触を妨げることではないかと。困ったときには支えあうことで人は今までやってきたのに、助け合うためには会わないようにしないといけないというジレンマ。
でも人との繋がりはこんなことには左右されないと思います。それを信じて大切にしてこの窮地を乗り切りたいものです。

世の中も人の心もま~るく収まる年になりますように!

今年もよろしくお願いします!