EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

再度冠雪の石鎚山

2009年11月19日 | 伊予松山歴史散策

再度冠雪の石鎚山 

西日本最高峰の「石鎚山」に再冠雪する。
11月17日松山は終日降雨でこの秋一番の冷え込み、午後松山城観光ガイド当番日で標高160mにある天守最上階に上がると冷たい風が吹く抜け冬を思わせる一日であった。
今日久しぶりに石鎚山が顔を見せ、見てみると雪化粧していた。
11月2日に初冠雪した雪は解けていたが再度冠雪した。
この雪解けは来春になるだろう。

画像は、再冠雪した西日本最高峰の「石鎚山・1982m」です。
    600mmレンズで撮影

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JR四国特急「しおかぜ」の運転機器

2009年11月14日 | 往年の名車 メグロ
JR四国特急「しおかぜ」の運転機器

11月8日三重県の伊賀上野城紀行の帰りJR四国特急「しおかぜ」の最後尾の運転席を久しぶりに見た。以前のしおかぜと車両も変わり流線型でしかも電車である。以前運転席を見た時は気動車であった。
速度は、122km走行である。

瀬戸大橋を時速何キロで走行するのか童心に帰りカメラ持参でこっそり撮影した。
瀬戸大橋は、昭和63年4月10日供用開始された。開始前に開通記念歩行者天国として解放された。坂出から児島まで瀬戸大橋を歩こう企画があり此れに参加した。距離は、全長13,1kmで橋梁部が9,368mあり歩くと長い途中で引き返そうかと思った。

参加者の中から抽選で帰りは瀬戸大橋を電車で帰れる乗車券が当たり嬉しかった。当初の計画は、倉敷から宇高連絡船に乗り高松経由で帰る予定であった。

計画中の四国横断新幹線が建設される際は2線増設され、東側2線を在来線に、西側2線を同新幹線として使用する予定であるが、四国横断新幹線実現は夢のまた夢になるのでは??

開通から21年経過した。当時の予讃線は非電化線で列車は全て気動車、電化されたのは平成5年に伊予市まででその後電化工事はされてない。JR四国は営業路線距離も短く経営は苦しい。JR西日本にしておけばよかったのにと思う。

画像は、JR四国予讃線を走る「しおかぜ」の運転機器。デジタル表示とアナログメータの併用である。この画像は、瀬戸大橋を制限速度最高時の表示122kmが表示されている。列車が揺れるのでピントのいい画像撮影が困難であった。

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東京ヤクルトスワローズ、松山秋季キャンプ

2009年11月13日 | 伊予松山歴史散策
東京ヤクルトスワローズ、松山秋季キャンプ

11月20日まで愛媛県松山市の坊ちゃん球場で東京ヤクルトスワローズが秋季キャンプを実施している。参加選手は若手選手と高田監督、淡口打撃コーチ、荒木投手コーチが来ている。
今日天候がよかったのでカメラ持参で観戦に行ってきた。

近年東京ヤクルトは松山によく来る。古田選手が史上32人目の2000本安打を達成したのも松山市の坊ちゃん球場で対広島戦であった。

来年坊ちゃん球場開場10周年になり此れを記念して平成22年4月17日・18日に東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ戦が開催される。
多分超満員になると思う

坊ちゃん球場は、国際規格の球場で、両翼99、1m 中堅122m3万人収容出来る。地方の球場としてはりっぱな球場である。

画像は、若手投手陣に対してノックをする荒木投手コーチ、ノックが終わると荒木投手コーチ自らグランド整備、以前読売ジャイアンツのキャンプを見に行ったが一軍のコーチがグランド整備などしてなかった。
    甲子園を沸かした「大ちゃん」今は、いい指導者になっている。
    400mmのレンズで撮影
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国旗(日章旗)について

2009年11月13日 | 伊予松山歴史散策
国旗(日章旗)について

昨日は、平成天皇在位20周年記念奉祝式典が政府主催で実施された。
出て来たのが国旗掲揚について、今朝の新聞に各地の地教委の対応記事があった。
何故日本は、国旗(日章旗)に対して偏見があるのか、これは先の大戦がからんでおり、日の丸=軍国主義が脳裏を掠めるのではないか、国旗(日の丸・日章旗)を国旗と制定するに反対する、日教組・日本共産党、一時期朝日新聞社等々は、此れに変わる国旗の形を出せばいいのに出ずして反対ばかりを主張する。

特に遺憾に思うのは、義務教育の最大の行事(入学式・卒業式)で反対する教師が国旗・国歌斉唱時に生徒の前で起立もせず、斉唱もしない教師がいる。
反対する教師は別の所で意を伝えればいいのに、聖域な場所で行う師達が、生徒達の面前で堂々と行う、気に入らなければ場所を選ばず行動を起こせばいいのだと生徒達は思う。これは、教育者としてあってならない行為で、即懲戒免職に値する。都道府県の教委は訓告また減給では軽すぎる。

日の丸は、長い歴史の中で受け継がれて現在に至っている。もっと歴史の勉強をしてほしいものだ。
日の丸が国旗と制定されたのだから、元旦、国民の祝祭日等々には堂々と日章旗を各家庭でも掲揚して祝いたいものだ。
そして義務教育時に日章旗に関する歴史勉強する必要あり、付随して社会道徳教育もしかり。

画像は、我が家の国旗(日章旗)である。


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日本100名城を紀行して感じた事

2009年11月11日 | 伊予松山歴史散策
日本100名城を紀行して感じた事

私が城郭紀行をしだしてから46年になる。
最初は城郭のどの部分を見てみようという気持ちはまったく無く、ただ漠然とした気持ちで見ていた。

伊予松山城は別として、一番最初に訪れたのが熊本城であった。
昭和38年5月に熊本の親父の戦友宅を訪れた。開催中の熊本大博覧会が城内で開催中で此処を見学、城内が凄く広いと感じ、そして天守の壮大さに圧倒された。天守は、昭和35年開催の第15回国民体育大会熊大会を記念して外観復元されまだ真新しい天守だった。

平成15年から松山城観光ガイドをする事になり本格的に城郭紀行をはじめた。最初は現存12天守を行い、その後は私の好きな城郭、天守(天守が復元・復興・模擬がる)次は石垣が残っている、城門、櫓が現存している事を目標にして訪れている。城郭に入ると築城に関わった職人の匠の技に驚きそれに関わる費用の捻出が大変であっただろうと思いが馳せる。

平成19年6月2日から日本100名城スタンプラリーが開始され、此れ以降はスタンプ帳を持参して城郭紀行をしている。
そこで最近感じた事は、日本100名城に指定を受けた城の窓口に従事する職員の態度の悪さには閉口する、城の見学に来て頂き有難うという感じが全然無い、見せてやろう、100名城のスタンプを押させてやろう・・で、見てもらう、押してもらうという気持ちが無い・・持て成しの言葉を掛ける心配りがあれば気持ちのいい城郭めぐりが出来るのにと時々思う。・・私の思い上がりであろうか??

酷い所はスタンプの設置場所が休館日で押せない所がある。天守の無い城郭は殆どが文化施設に設置してあり、施設の殆どが月曜日が休館日である。最近は前もって連絡をして休館日のときのスタンプの設置状態を伺い城郭紀行をしている。
最後に初めて来たお城の愛好者の為に城内の案内板の設置を完備して頂きたい。出来てない城郭が多い。

画像は、平成16年7月16日に熊本城に行った時このような掲示板があった。本丸御殿の工事は未だしていなかった。城は行くたびごとに表情が違う不思議なものだ。



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