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南 次郎の墓参

2014年06月25日 | 伊予松山歴史散策
南 次郎、(明治7年8月10日生まれ、昭和30年12月5日没、81歳) 最終階級は陸軍大将。
大分県国東郡高田町(現・豊後高田市)に生まれ、暘谷学校(現在の大分県速見郡日出町、日出小学校)を卒業した明治・大正・昭和期の軍人。明治28年陸軍士官学校第6期,明治36年陸軍大学校第17期卒業。第16師団長,参謀次長,朝鮮軍司令官などをへて昭和5年大将に昇進し,昭和6年第2次若槻礼次郎内閣の陸相として満州事変を推進した。

さらに軍事参議官,関東軍司令官を歴任,昭和11年の二・二六事件後予備役に編入されたが,同年朝鮮総督,昭和17年枢密顧問官,昭和20年大日本政治会総裁兼貴族院議員となった。
第2次世界大戦後A級戦犯として東京裁判にかけられ,終身禁錮の判決を受けた。東京巣鴨拘置所獄中時に大病を患い特別に出所が許可され自宅療養が許され鎌倉の自宅で逝去、81歳であった。

松山市の秋山兄弟生誕地に「秋山両将遺邸之碑」があるが、題額を揮毫したのが、南次郎である。南次郎大佐が最も慕ったのが、秋山好古大将で、日露戦争の時秋山好古は旅団長で、その傘下に南次郎連隊長の第13連隊があり、最も実践向きの猛者揃いであった。南連隊長の指導方針は、1、騎兵精神の徹底、2、将校団の団結、3、戦術能力の向上、4、武道奨励、特に敬礼は、身をもって範を示し、体罰はしないが身上であった。・・とある。

また、千葉県習志野市にある東邦大学構内に南次郎揮毫の立派な石碑が建立されている。
日出町では、南次郎の顕彰は行っていない(それはA級戦犯として東京裁判にかけられ,終身禁錮の判決を受けたためでは?と私は思う)墓参に訪ねて来られた人にはご案内をしている程度に留めているようだ。南次郎の墓と書いた表示板が掲げられていた。

南次郎の墓は、大分県速見郡日出町 神田団地傍にあり、6月22日(日)第31回・九州マイクロウエーブ・ミーテイング・大分大会の帰りに墓参に行ったその画像である。


大分県速見郡日出町神田(以前は日出塔の平と言っていた)、神田団地の傍にある南次郎の墓である。
南次郎の本籍は、日出町にあり、暘谷学校(現在の日出小学校)を卒業、家は旧藩政時代のご用人の家系であった。


墓石の左側に先考 南次郎略歴が書かれている。暫く家族は墓参りに来てないのだろう、花が枯れていた。


南次郎の略歴が書かれている墓石建立は、昭和31年6月5日、南重義建之と刻印されている。重義は、次郎の嫡子で大正6年5月8日生まれ、陸士50期生、陸大58期生、終戦時少佐、嗣子は鎌倉在住。


墓石正面に「南次郎家之墓」と書かれている。枯れた花は私が始末しておいた。


道路脇に「南家墓地入口」の石碑、この石碑は昭和31年6月5日に建てられたものか?


現在の表示板。


松山市歩行町の、秋山兄弟生誕地に建立されている「秋山両将遺邸之碑」で、題額を揮毫したのが南次郎「陸軍大将南次郎書」書とかれている。建立は、昭和12年7月秋山両将遺邸保存会が建立、文書は、井上要撰書。
昨年の秋に鎌倉から南家の方が秋山兄弟生誕地に来られこの石碑を案内しました。すると、尊敬していた秋山好古さんの生家に南次郎が書いた石碑がある事は知らずに来ました。来てよかったと喜んでおられた。
石碑に沢山のひびがあるには、平成13年芸予地震の時に石碑が倒壊し時に出来たもので、特殊な接着剤で修復し建てなおした。


千葉県習志野市、東邦大学構内にある南次郎が揮毫した石碑で、六角柱の立派な碑である。平成21年8月24日東邦大学許可を得て撮影。
東邦大学は騎兵第13連隊があった場所である。
この石碑も、南さんご家族はご存じなくご案内しておいた。
なお、習志野市には、騎兵第12・13・14・15・16連隊があった。戦後12連隊跡に、順天堂大学、13連隊跡に、東邦大学、14連隊跡に、日本大学生産工学部、15連隊跡に、東邦大学付属東邦中・高等学校、16連隊跡は空き地となっている。東邦大学構内には、13連隊当時の建物が一棟現存しており、大学では永久保存する事が決定している。現在は、当大学の柔道部・空手部の武道場として使用している。


東邦大学の武道場で柔道部・空手部が使用している。平成24年10月秋山兄弟生誕地研究員を引率して研修に行った時大学の許可を得て撮影した。当時は馬具関係の物置か何かに使用していたのだろうが使用目的は不明。南次郎第13連隊長もこの建物に出入していたかも??です。当大学では、この建物を永久保存する事に決定したそうです。
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