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秋山好古揮毫石碑を訪ねて 9、千葉県習志野市大久保商店街の石碑「秋山好古顕彰碑・天地無私」

2018年12月22日 | 伊予松山歴史散策

平成21年5月17日に建立された秋山好古顕彰碑「天地無私」

 秋山好古・眞之兄弟の名声は、作家司馬遼太郎の「坂の上の雲」が産経新聞夕刊で昭和43年4月から昭和47年8月にかけて連載された。
平成11年1月10日、文庫本8巻が刊行、平成16年4月10日、単行本6巻が刊行された。
この頃から秋山好古・眞之兄弟の事が伊予松山の出身者であることが知れ渡りだした。

もう一人の正岡子規は、近代俳句の父と言われ短詩系文学を嗜む人々の多い我が国にでは知らない人はいない有名人である。
スペシャルドラマ・坂の上の雲は、この3人が中心で展開される物語であっる。
平成15年1月、NHKは大河ドラマとは別枠で「21世紀スペシャル大河ドラマ」として平成18年から放送すると発表された。

これで秋山好古・秋山眞之兄弟に光が注がれる様になった。
それまでは、坂の上の雲を読んでいない人たちは二人を全く知らなかった。
地元松山の市民でも知る人は少なかった。
その後NHKは、正式名称を「スペシャルドラマ・坂の上の雲」と改め、平成18年11月29日から放映が始まった。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている・この壮大な物語は、伊予・松山から始まる。」・・であった。

建立された秋山好古顕彰碑の横に設置された「秋山好古と習志野」説明版。

森田千葉県知事を迎えて除幕式

平成21年5月、千葉県習志野市大久保商店街の一角に(真言宗豊山派、薬師寺入口)
秋山好古顕彰碑が建立された。
秋山好古と縁が深い、千葉県習志野市大久保には、習志野騎兵連隊史跡保存会があり保存会代表の三橋正文氏は、秋山好古騎兵第1旅団長が在籍したこの地に、NHK大河ドラマとは別枠で「21世紀スペシャル大河ドラマ」として平成18年に放送する予定が発表されたのをきに、大久保商店街に秋山好古顕彰碑を平成21年5月17日に建立した。

除幕式には関係者の手によって除幕された秋山好古顕彰碑。
互いにお祝いの言葉を掛けて挨拶をした。

除幕された秋山好古顕彰碑。

習志野騎兵連隊史跡保存会三橋正文代表から顕彰碑の建立経緯を伺ったその一つに、石碑に秋山好古の功績を称え、現代的に写真を織り込むことにしました。
私は、写真は金属に焼き付けて埋め込んであるものと思って観察すると、なんと直接石碑に彫刻してあった。現在は特殊な技法があることに驚いた。・・あっぱれである。

 秋山好古顕彰碑

1.碑     文:   天地無私
           (天地に「私」、すなはち、不公平は無い。人は皆平等だから
努力をすれば善い人生がおくれる)

2.所  在  地:  千葉県習志野市大久保一丁目17番14号、 学園大久保商店街 薬師寺前(三橋秀紀住職)

3.揮    毫:  秋山好古

4.書の出所  : 好古嫡孫・秋山哲兒氏

5.建  立  者:  習志野市大久保 学園大久保商店街(三橋正文理事長)・ 習志野騎兵連隊史跡保存会代表(三橋正文)

6.建立年月日: 平成21年5月17日

7.石碑大きさ: 高さ1m20cm  横幅1m20cm 厚さ12cm 

8.好古と習志野について:

騎兵第1旅団は明治34年12月、習志野に創設された。
好古は明治36年4月2日、陸軍少将(44歳)で第2代騎兵第1旅団長に就任。
同年6月、母・貞や家族とともに習志野の官舎に移転した。
明治37年2月、日露戦争が勃発すると好古は4月9日、同旅団長として習志野から出陣。満州(現在の中国東北部)各地で敵の情報収集や後方撹乱など騎兵の近代的戦法を駆使して戦った。

とくに、黒溝台では、当時世界最強といわれたロシア・コサック騎兵団が、数十倍の兵力で日本軍の好古騎兵団を襲撃。
これに対し、好古は騎兵同士の戦いは不利と判断し、陣地を急造して機関砲を用いて応戦。
この意外な反撃にコサック騎兵は戦死者を多数出して退却した。
この好古の柔軟な発想と、不利な条件の下で全滅を覚悟しながら戦線を持ちこたえた騎兵軍団の勇敢な戦いぶりが、日本軍の大きな危機を救った。

「日本騎兵に秋山あり」と世界的に名をとどろかせ、また「騎兵の町、習志野」も有名になる発端になった。
しかし、好古は戦後、この時の武勇談をせがまれても「機関砲があったからよ」とポツン答えるだけで質問者を困らせた。

戦争で多くの部下を失ったことに、もっとも心を痛めていた好古にとって、武勇談などは頭の片隅にもなかったのだろう。

明治38年9月、日露講和条約が締結されると翌39年2月、好古は歴戦の痕跡を残す連隊旗と共に習志野大久保に凱旋したのである。
しかし母は、前年の6月19日に亡くなっていた。
戦地で「母死す」の知らせを受けた好古は、めったに入らぬ風呂で身体を清め「母上は 散りにけり山桜」と詠んだ。
松山の知人には、「母上は、眞之の活躍を伝える電報を持って父上に会いに行かれた。
この面白さを知るのはあなた様くらいです。」と手紙を書いた。

平成の今、習志野大久保商店街の方々の熱意で好古の石碑が建てられ、毎日多くの大学生や地元の人が石碑の前を通っている。

この石碑を見て当時の歴史に触れ、より良い世の中を築いてくれればいいと思う。
石碑は、軍馬の形で赤色の花崗岩に秋山好古の写真を彫り込まれ、下部に好古揮毫の「天地無私」が彫られている。
好古揮毫「天地無私」の出所は秋山宗家第10代秋山哲兒氏からである。
平成21年5月17日、習志野市大久保商店街・除幕式時にて。

除幕された、秋山好古顕彰碑の前で祝辞を述べる千葉県知事、森田健作氏。
好古顕彰碑の所在地は、千葉県習志野市大久保一丁目、真言宗豊山派薬師寺入り口にある。

祝辞を述べる千葉県知事、森田健作氏で、千葉県知事初当選した時であった。

タレント時代の森田健作さん、サンミュージックに所属し、同所属タレント第1号時代の森田健作さん。
ヒット曲「さらば涙と言おう」を歌う若い時の森田健作千葉県知事。

除幕式には、陸上自衛隊習志野駐屯地の自衛官「ラッパ隊員」も参加、除幕時にラッパ吹奏して除幕された。
指揮者が除幕の頃合いを確認する様子が伺えられる。

除幕式には、大勢の市民も訪れて盛大に行われた。

除幕式後、秋山好古顕彰碑建立にお礼の言葉を述べられる、秋山宗家第10代秋山哲兒氏。

秋山好古顕彰碑建立に尽力された習志野騎兵連隊史跡保存会の方々。

習志野市大久保・学園大久保商店街を毎日、東邦大学・日本大学・東邦大学附属中高校生達約6000人がこの商店街を通る賑やかな街である。
三橋正文学園大久保商店街理事長は、秋山好古大将の顕彰碑を見てもらい当時を振り返り日本歴史の勉強の一助になればと秋山好古顕彰碑を建立したと言う。
また商店街には資料館の設備も完備している。

平成24年10月30日、秋山兄弟生誕地研究員達が、習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れた時の、歓迎の様子・・大久保商店街の資料館前で。

秋山兄弟生誕地研究員達が、平成24年10月30日、習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れた時の、歓迎の様子・・大久保商店街の秋山好古の顕彰碑前で。

習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れ、保存会の皆さんの案内で習志野騎兵連隊司令部跡を見学した。
習志野騎兵旅団発祥の記念碑の前で。

習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れて時・・大久保商店街の資料館。

習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れて時・・大久保商店街の資料館内部。

習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れて時・・大久保商店街の資料館。

習志野騎兵連隊史跡保存会を訪れて時・・大久保商店街の資料館資料の一部。

保存会の皆さんの案内で、騎兵第13連隊跡、現、東邦大学構内を見学。
騎兵第13連隊の記念碑。
騎兵第13連隊は最強・精鋭の部隊であった。

騎兵第13連隊の記念碑の傍に設置してある「騎兵第13連隊概史」。

東邦大学内にある、明治時代騎兵第13連隊が使用した兵舎で、東邦大学は永久保存を決定した貴重な建造物である。

明治43年当時の千葉県習志野大久保地区。

東邦大学構内(旧騎兵13連隊跡)に建立されている「司馬遼太郎記念碑」。

これからは、騎兵14連隊跡地(現、日本大学生産工学部)の記念碑。

騎兵14連隊跡地(現、日本大学生産工学部)の記念碑。

上空から見た明治時代の騎兵15連隊全体図。(現、東邦大学付属東邦中・高校学校)

日本騎兵の最強部隊が、騎兵13・14・15・16連隊で、平時の時は、近衛師団に属し、有事となると騎兵第1旅団に13連隊・14連隊、騎兵第2旅団に15連隊・16連隊として編成され機動した。

習志野騎兵旅団発祥の記念碑。

習志野騎兵第1旅団発祥の碑誌。

秋山好古が率いた騎兵第1旅団司令部跡の記念碑。

平成23年12月1日、山岸良二先生が監修され刊行された「秋山好古と習志野」の書籍。
山岸良二(やまぎしりょうじ)先生は、慶応義塾大学大学院修士課程修了。
千葉県習志野市文化財審議会会長。東邦大学付属中高等学校、昭和女子大学、放送大学講師、日本考古学会全国理事、現在千葉市在住です。「いっきに学び直す日本史」「秋山好古と習志野」他編著作品数56冊。
秋山好古と習志野については、第一人者である。

山岸良二先生が監修され、来年3月刊行予定で、雄山閣出版から『秋山好古と習志野騎兵旅団物語』が刊行されますのでご案内いたします。私も秋山好古揮毫石について短編で執筆します。

 習志野市大久保には、東京ヤクルトスワローズの監督「小川淳司監督」の実家も秋山好古の顕彰碑の近くです。
書籍「秋山好古と習志野」に出筆されています。

秋山宗家第10代秋山哲兒さんと。

平成29年10月18日、秋山兄弟生誕地武道場で「秋山好古と習志野」について記念講演をされた
講演をされる「山岸先生」。
山岸良二先生は、秋山好古と習志野騎兵隊の研究者としては第一人者で、特に習志野騎兵連隊について造詣の深い方です。平成29年10月18日、松山市歩行町にある、秋山兄弟生誕地で特別講演会が開催され、松山での講演演目は「秋山好古と習志野騎兵旅団」で好古を軸にその人物に迫る大変貴重な講話をされ、松山市民の知らない好古の凄さを改めて確信した思いで参加者は熱心に聴講した。

  

秋山兄弟生誕地武道場で「秋山好古と習志野」について記念講演パンフ。

講演の翌日松山城をご案内。坂の上の雲の主人公が立った場所です。
習志野騎兵連隊史跡保存会の方々。

習志野騎兵連隊史跡保存会の方々は柵の後ろに立って撮影したが、NHKが撮影した時は柵を取り払い撮った。
普段は危険防止の柵が施してある。

これからは、再放送に関するものです。
平成25年NHKに坂の上の雲・再放送請願する。

全国から秋山兄弟生誕地にお越しになる方々から、もう一度NHKスペシャルドラマ坂の上の雲のドラマを視聴したいとの声を聴き、再放送を願うNHKに請願をした。
全国から頂いた坂の上の雲再放送署名3万1千人の署名簿を持参し、NHK松山放送局経由で、日本放送協会に、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の請願書を提出した関係者。
右から、竹田自民党県連幹事長・野志松山市長・中村愛媛県知事・NHK松山放送局副局長・平松公益財団常盤同郷理事長・宇都宮同常務理事。
その結果、BS3で、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、全26回・放映時間各45分で半年間に渡り放映された。

NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスター。

平成14年には志願したスタッフを中心に製作チームが結成され、NHKが総力を挙げて11年掛かりで制作、平成21年から平成23年の3年間に渡って放送したスペシャルドラマ「坂の上の雲」をもう一度全てを短時間で見たいとの声が秋山兄弟生誕地を訪れる全国の皆さんからの声が多くあり、平成25年5月から「坂の上の雲再放送」をNHKにお願いする署名活動を秋山兄弟生誕地が中心で開始した。

NHKは、全国の多くの再放送請願に応えて再放送を決定した。
再放送開始は、BS3で、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、全26回・各45分で半年間に渡り放映された。松山の商店街には再放送決定のポスターを掲示して皆さんに周知した。
画像は、再放送決定のポスター。

スペシャルドラマ登場人物紹介。

松山銀天街商店の再放送決定のポスター掲示。

松山市「銀天街商店」の各商店入口に掲示して皆さんにNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」再放送の決定の啓発するポスターが掲示された。

四国一の大型商店街「大街道」にはNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定の大きな掲示板が掲げられ周知された。

 

秋山兄弟生誕地に署名活動のお礼とNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスターの掲示とお礼状を提示。

NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定を報道した地元紙「愛媛新聞」。

平成22年11月25日、秋山好古生誕150年を記念して、千葉県習志野市・習志野騎兵連隊史跡保存会が秋山好古のカラー肖像画を作成し秋山兄弟生誕地に寄贈して頂いた。
贈呈者は(左)習志野騎兵連隊史跡保存会顧問、三橋秀紀氏。
秋山好古のカラー肖像画を受ける(右)秋山兄弟生誕地運営委員長、宇都宮良治氏。

習志野騎兵連隊史跡保存会より、秋山好古生誕150年を記念して秋山好古のカラー肖像画を寄贈、同時に、秋山眞之生誕142年を記念しカラー肖像画を秋山兄弟生誕地に寄贈された。
好古・眞之の白黒写真を基にして、丸山浩司画伯がカラー肖像画に制作された。
1月7日生まれの好古は、1月初めの日曜日に、3月21日生まれの眞之は、3月21日春分の日に生誕祭を秋山兄弟生誕地で開催している。
今年、好古は生誕160年祭を1月6日、眞之は生誕151年祭を3月21日に開催する。

二人のカラー肖像画は、秋山兄弟生誕地武道場に常設展示している。

平成22年11月25日、秋山兄弟カラー肖像画の贈呈についてマスコミの取材を受ける、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問、三橋秀紀氏(真言宗豊山派薬師寺、住職)

平成22年11月25日、秋山兄弟カラー肖像画の贈呈後、秋山兄弟生誕地座敷にて。
真言宗豊山派薬師寺住職(習志野騎兵連隊史跡保存会顧問)三橋秀紀住職夫妻。
千葉県習志野市大久保商店街の石碑「秋山好古顕彰碑・天地無私」建立の地は、三橋秀紀住職が提供された土地に建っている。

 

千葉県習志野騎兵連隊から騎兵第1旅団長として出征した当時の秋山好古。

日露戦争最大の激戦地となった黒溝台の戦いの図面。

黒溝台の戦いの図面の横に、弟、秋山眞之連合艦隊専任作戦参謀の資料が掲示してあった。

 

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