EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

続 銅山川流域・紫陽花ロード(別子・翠波はなみ街道)

2013年06月19日 | 伊予松山歴史散策
6月18日、東雲女子大学を午前9時に出発、松山自動車道川内ICから高速に乗り、土居ICで降り国道11号線で四国中央市三島中央から国道319号線で目的地に向かった。途中「具定展望台」から四国中央市の中心市街地を眺望、続編の画像は、「下長瀬あじさい公園」以外のものを掲載しております。


四国中央市街地から同市嶺南地区に向かう国道319号線沿いの法皇山地中腹、標高349mの地点にある具定展望台から見下ろすと画像のような夜景がみえるそうだ。
夜景は、日本の夜景100選(四国では6ヶ所、県内では他に松山市総合公園からの松山市街地の夜景)日本夜景遺産((四国では6ヶ所、県内は1ヶ所)である。


昨日は昼間であったので残念。四国中央市は製紙の町である。


具定展望台には「認定証書」が掲示してあった。
日本の夜景100選などがあった事知らなかった。


細い国道319号線山中をひた走り、途中中型トラックと遭遇離合に一苦労。


画像は銅山川で、水は三つのダムを経由して徳島県の四国三郎・吉野川に流れ紀伊水道に注いでいる。途中、愛媛県四国中央市側に新宮ダム・柳瀬ダム・富郷ダムがあり、現在降雨不足で川には水は流れてなかった。画像の水はくぼみに溜まったもの。
日本三大暴れ川、「坂東太郎・利根川」・「筑紫次郎・筑後川」「四国三郎・吉野川」の異名を持つ。


柳瀬ダムもかなり水位が落ち込んでいた。


細い国道319号線を走り、道の駅霧の森に到着。
駐車場から馬立川に架かる吊橋を渡り道の駅に行く。


霧の森で製造している「名物・霧の森大福」
霧の森大福は、愛媛県四国中央市新宮町の観光スポット「道の駅霧の森」内にある菓子工房で製造販売されている和菓子。
中心に生クリーム、そのまわりに漉し餡、そしてそれらを抹茶を練り込んだ餅でくるみ、抹茶をまぶす四重構造になっている。クリームと漉し餡の甘味、抹茶の苦味のバランスがよい。
この大福に使用される抹茶は、収穫前に黒い布を被せて日光を遮る「かぶせ抹茶」という栽培法により苦みを抑えている。また、完全無農薬有機農法で有名な新宮茶を使用するなど、品質にもこだわりを持っていて、1つ1つ丁寧に作られている。その為、大量生産に向かず、それがよく品切れを起こしている最大の理由である。
松山市ロープウェイ街の松山店は何時も開店前から行列が出来直ぐ売り切れてしまう。


観光者にも体験できる茶道場がある。


展示場には、土佐藩主参勤交代時の行列絵巻がある。


画像は、馬立本陣の御成門
『馬立本陣』は、江戸時代の享保3年(1718)、土佐藩代6代藩主山内豊隆(やまうちとよたか)から16代藩主山内豊範(とよのり)まで、歴代の藩主が参勤交代の折に当地の庄屋石川氏の屋敷を本陣と定め、その後146年もの長い間続いた殿様の宿所。往時は石垣の上に1.8mの銃眼を構えた土塀で囲まれていたというものものしさ、そして駕籠が50丁も並ぶほどの広大な庭があったが、明治30年(1897)年の火災で焼失した。だが、川之江の円徳寺に移築されていた正門はこの難を逃れ、のち昭和58年(1983)に旧地のこの地に戻ってきた(現存しているのは石垣と正門のみ)。  
なお、馬立川沿いの古道は『土佐街道』と呼ばれ、土佐藩の参勤交代の街道として大いに栄えた道で、伊予と土佐を結ぶ主要道として、昭和初期までにぎわった。また、大和朝廷時代の官道として、時の役人の往来を見てきた道でもある。 

当時は、太平洋航路は危険が多く、大名は使わない。


御成門の内側。


馬立本陣跡にもあじさいが咲いていた。


道の駅霧の森にある喫茶店内には、こんな幻想的な造りをして観光者を持て成す工夫がしてある。


帰りは、道の駅霧の森直ぐ近くにある高知自動車道で東雲女子大学に「本日の自然観察講座」無事終わり帰還。画像は、高知自動車道・徳島自動車道・高松自動車道・松山自動車道の分岐点。
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