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徳島城跡
今日、25万石の徳島藩蜂須賀氏の徳島城跡に行って来た。
松山から車で往復4時間50分・399kmの徳島城紀行である。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波一国18万6千石を賜った。入封当初は徳島市西部にあった一宮城に入城したが、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、翌年完成した。以後、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎える。
徳島城は、標高61mの城山に本丸を、東二ノ丸、西二ノ丸、西三ノ丸、南山麓の御殿(一部は現徳島博物館)西山麓に隠居した藩主の住まい、西之丸からなる平山城である。今日行ってみたが、8合目あたりに天守跡の石碑があるだけで天守台も残ってなく、城門、櫓、続塀等々なにも残ってない。本丸跡に行く案内板もなく城を紀行している者に対して非常に不親切である。日本100名城に指定されているのだから気配りをして欲しいものだ。がっかりした。
25万石の城で何か再建している建造物はないものかと散策したら東南の隅に城門が再建してあった。説明版によると、平成元年9月27日徳島市制100周年を記念して、徳島出身の吉井ツルヱ氏が復元寄贈されたものとある。
徳島市は、城郭の復興、復元には情熱がないものだと今日行ってよく分かった。
日本100名城76番目、私は36番目の紀行である。11月7日・8日と伊賀上野城&明石城紀行をする予定である。
画像は、復元寄贈された、「鷲の門」
今日、25万石の徳島藩蜂須賀氏の徳島城跡に行って来た。
松山から車で往復4時間50分・399kmの徳島城紀行である。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波一国18万6千石を賜った。入封当初は徳島市西部にあった一宮城に入城したが、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、翌年完成した。以後、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎える。
徳島城は、標高61mの城山に本丸を、東二ノ丸、西二ノ丸、西三ノ丸、南山麓の御殿(一部は現徳島博物館)西山麓に隠居した藩主の住まい、西之丸からなる平山城である。今日行ってみたが、8合目あたりに天守跡の石碑があるだけで天守台も残ってなく、城門、櫓、続塀等々なにも残ってない。本丸跡に行く案内板もなく城を紀行している者に対して非常に不親切である。日本100名城に指定されているのだから気配りをして欲しいものだ。がっかりした。
25万石の城で何か再建している建造物はないものかと散策したら東南の隅に城門が再建してあった。説明版によると、平成元年9月27日徳島市制100周年を記念して、徳島出身の吉井ツルヱ氏が復元寄贈されたものとある。
徳島市は、城郭の復興、復元には情熱がないものだと今日行ってよく分かった。
日本100名城76番目、私は36番目の紀行である。11月7日・8日と伊賀上野城&明石城紀行をする予定である。
画像は、復元寄贈された、「鷲の門」
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