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松山市内の銅像巡り2 伊佐庭 如矢胸像

2014年04月24日 | 伊予松山歴史散策
伊佐庭 如矢胸像

松山市の観光資源である、松山城と道後温泉を残し創り上げた伊佐庭如矢の功績は多大である。・・この事は松山市民あまり知らない事である。
伊佐庭如矢は、松山城・道後温泉の存続に大きく貢献した人物である。
明治6年政府は全国の城の廃城令を公布した。松山城廃城方針に対して愛媛県は松山城の公園化を訴え、城の楼閣全ての無償払い下げを実現し天守の存続に尽力した。
※公園永久維持之儀 申上候書を愛媛県参事江木康直名で申上候書を起案したのが伊佐庭如矢で、それに対して、内務卿木戸孝允の指令が「書面の松山城は、再建後まだ日が浅く、人民の愛慕強く・・中略・・格別の配慮を持って楼閣・櫓の全てを無償で公園に指し下すと松山城の公園化を指令した。
※道後温泉の興隆化、明治20年代道後温泉を象徴する建物、100年後を見越した3階建ての本館建設に尽力し道後地区の発展に尽くした。


伊佐庭如矢さんとは、道
現・松山市の町医者・成川国雄の三男として生まれた。成川家は、祖父が土佐から松山にやってきて松山藩の医療に携わる医家で、成川國雄の子として一家を創立し、名は如矢、通称は斧右衛門、碧梧桐とも号した。初め伊予松山藩の老職菅良弼の家令となり、明治維新後は愛媛県庁、内務省の官僚、山田香川郡長、高松中学校長、琴平神社禰宣などを務め、晩年は、道後町長に迎えられ道後温泉の改造などを行った。現在の道後温泉本館は、伊佐庭如矢が建築したものである。


伊佐庭如矢の4代功績は、
1、松山城の公園化実現
2、道後温泉の興隆化
3、道後鉄道建設
4、道後公園の整備
※ もう一つの功績「湯ざらし団子の考案」
「坊ちゃん団子」は道後の名物として有名だが、これは夏目漱石の小説にちなんで生まれたとされている。これは道後温泉東方に「振鷺園」と称する休憩所「風詠館」を造り伊佐庭の発案「湯ざらし団子」を売り出した。これが「坊ちゃん団子」となり今日に至っている。


平成7年5月、道後温泉本館建設100周年を記念して伊佐庭如矢の胸像が建立された事項の石碑が胸像左側に設置されている。


伊佐庭如矢の胸像右側に伊佐庭如矢の略歴が書かれた石碑がある。


如矢の胸像は、道後温泉本館の北側(当時の正面玄関)から眺められる位置に建立されていて今年が本館建築120周年となる。建物も老朽化が目立ち改修の時期に来ているが、関係者は、目先の事柄だけに拘らず、長期を考えて改修しなさいと言っている様な気がする。


今年開催された道後温泉春祭りで本館にはお祝いの紅白の幕が張られた。


如矢の功績の一つに、道後公園の整備があるが、入浴客や観光客が憩いの場とし
て道後公園改修に尽力し、今日に繋がる公園整備を行った。その公園に「伊佐庭如矢翁徳碑」が昭和27年9月に建立された。揮毫は安倍能成である。


如矢は、道後地区の発展に尽くし、延いては、現在の松山の発展に尽力したその功績が伊佐庭如矢翁徳碑の裏面に書かれている。


道後公園の一番いい場所に「伊佐庭如矢翁徳碑」がある。
現在の松山市民は伊佐庭如矢と言う人物を余り知らな過ぎる。!!
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