EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

司馬遼太郎 記念館

2012年03月19日 | 伊予松山歴史散策
和歌山県南海市の「琴の浦温山荘園」を後にして、今回最後の研修地である、東大阪市の「司馬太郎記念館」に向かった。

秋山好古・秋山眞之がこれだけ全国の皆さんに知って頂けたのは、これ一重に司馬太郎さんが書き下ろした「坂の上の雲」があっての事、正岡子規については、短詩系文学を嗜んでいる方は知らない方はおられませんが、秋山兄弟についてはその道の関係者諸氏以外の方々には知られてなかった。坂の上の雲が産経新聞連載小説で登場、そして書籍となり、NHKがスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放映されてから、全国に知れ渡った。

松山の秋山兄弟生誕の研究員は奉仕として活動している18名は2ヶ月に一度内部研修会を行い、そして毎年1回県外研修をして研究員の自己研鑽を行い、全国からわざわざお越しになられる秋山兄弟支援者の方々を心を篭めたお持て成しが出来る様日頃から心掛けております。(そのような気持ちで行っておりますが、まだまだ至らぬ点多々あります)
ここであえて「司馬遼太郎記念館」の事は、ご紹介いたしませんが(それは皆様既にご存知なので)先日伺った時に撮りました画像を掲載しますのでご覧下さい。
記念館内部は、撮影禁止ですので撮影可能な所を撮らせて頂きました。


正面玄関

記念館表札

司馬遼太郎、直筆の表札(福田 定一)


玄関から入ると司馬遼太郎が好きだった雑木林がある

この時は各所に菜の花が咲いていた

菜の花の奥には書斎が当時のまま残してある


奥に見える左側の日当たりのいい部屋が書斎である

書斎の建物の横に見える金属板は、平成8年11月1日完成した記念館建設に自己資金だけでは賄えなく建設に賛同され醵金された方々の署名版がある

2月12日は司馬遼太郎さんの命日「菜の花忌」です。司馬遼太郎は野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きでした。『菜の花の沖』という長編小説があることにも由来する



司馬遼太郎自筆の歌碑
「ふりむけば 又咲いている 花三千 仏三千」
平成18年河内長野市にあった文化リゾート施設から移設された

奥の建物が記念館

内部北側からの記念館


ガラス張りの廊下を進み

受付がある

入口には画像の掲示板があった・・これから記念館内部は撮影禁止


外に出て外観を撮ってみた・・南側の駐車場から

南側の駐車場前から

東大阪市の歴史の道の道標


北側から記念館の搦め手で、展示物等々出入れ汎用口

大阪都市景観建築賞・・大阪府知事を受賞・・街路樹の中に設置
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