EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山眞之生誕144年祭 開催された

2012年03月21日 | 伊予松山歴史散策
藩政時代徳川家光は、寛永12年(1635)伊予松山藩に徳川家康の甥に当る松平定行を伊勢桑名藩から異封させ以後親藩として維新を迎える。大政奉還、王政復古、戊辰戦争、西南戦争を経て近世から近代と急変した中、伊予松山藩は、ある事情で幕府方から疎外され、新政府からは朝敵とされ、伊予松山は土佐藩預かりとなり政府に制裁金15万両の支払を命じられた。

世は薩長土肥の時代伊予松山の住民は何処からも支援がなく、自分の身は自身が護り家族を支えていかなくてはならなかった。それは一生懸命に勉強をして世の中に出て行こうと、その中で育ったのが「正岡子規であり、秋山好古、秋山眞之」たちであった。自尊自立の志であった。・・この道しかなかった。

秋山眞之は兄好古の支援を受け東京大学を目指すが尊敬する好古に経済的な負担を掛けるのは偲びがたいと好古を説得して東京大学をあきらめ海軍兵学校に進路変更して海軍軍人となった。
伊予松山藩出身初めての海軍軍人である。

以後眞之の生涯は皆さんご存知の通りであります。
昨日3月20日は、眞之生誕144年になり生誕祭を行いました。

「明治の気概に学ぶ国家存亡の危機を克服した明治の先人に学び、日本人として誇りと自信を回復し、併せて日露両国の相互理解と有効を促進する事も含め秋山眞之生誕を今後も開催いたします。」・・これは秋山兄弟生誕地を管理する常盤同郷会の使命であろう・・一部の人は「軍人を顕彰することは如何なものか」と言う御人もおられるが!!・・皆さんどうおもわれますか。

兄弟は、幼少期に母から
「大きくなったら、自己を犠牲にしてでも、世の為、人の為、故郷の為に尽くせる人になるようにと」教えられた。
母の教えの通り生き抜いた立派な人だと私は思っています。・・・私は兄弟の事についての詳しい知識はございませんが・・凄い二人だと感じている。



開場となった「秋山兄弟生誕地・武道場」


午前9時30分時間厳守で開会、開式で挨拶をする「常盤同郷会常務理事&秋山兄弟生誕地運営委員長:宇都宮良二」


秋山眞之に献茶を点てる、「伊豫売茶流天山会」それを取材するマスコミ


伊豫売茶流天山会がお茶を点て献茶する「常盤同郷会理事・藤島氏」


生誕地の眞之胸像には、地元の支援者から献花が添えられた


眞之が尊敬した兄、好古の騎馬像に眞之生誕祭を報告する地元の支援者


開場で、「正派邦楽会、大師範・琴・三弦」前谷雅貴社中の皆さんが演奏


横須賀市の財団法人三笠保存会から「ご丁寧な祝電」が送られて来た


東京からお祝いに駆けつけた大学生


秋山兄弟生誕地の研究員が手作りで縫い上げた「伊予絣袋に、眞之の好物、いり豆を作り特販」


お茶会を開催していただいた「伊豫売茶流天山会」の皆様


開場を盛り上げていただいた「正派邦楽会、大師範・琴・三弦前谷雅貴社中」の皆さん


今年の冬は厳寒で秋山兄弟生誕地の白梅も開花が遅れましたが、この日を待っていたかのように満開だった


本日3月21日付けの地元紙「愛媛新聞記事」

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 司馬遼太郎 記念館 | トップ | ボーイング787機搭乗記 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
秋山真之ほか聨合艦隊首脳部・・ (泰弘さん)
2012-03-25 22:27:39
お久しぶりです。
不思議にも先日アップした「日本海海戦絵葉書」に真之ほか海軍首脳が写った絵葉書を載せております。

http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/28454954.html

 旅順陥落時の連合艦隊首脳部・・
【左から】舟越楫四郎、島村速雄、東郷平八郎、上村彦之丞、加藤友三郎、秋山真之
返信する

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事