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秋山好古生誕156年祭開催

2015年01月19日 | 伊予松山歴史散策
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が再放送されています。その主人公の一人であります「秋山好古」の生誕156年祭が平成27年1月18日、秋山兄弟生誕地で中村愛媛県知事・野志松山市長のご出席の下厳かに行われました。
好古は、安政6年1月7日、現在の松山市歩行町二丁目3番地6に伊予松山藩徒歩目付けの父、秋山久敬、母・貞の三男として誕生、幼名信三郎、元服して好古となり、正式には、秋山信三郎好古であります。親しい人々は愛称で信さんと呼ばれていました。16歳のとき、福沢諭吉の「学問のすすめ」に共感し此れからの近代国家構築には、青少年の教育が必要と考え教育者を目指し、18歳の時、大阪高等師範学校に学び卒業後、名古屋高等師範学校付属小学校に赴任しましたが、同校で郷土の先輩、和久教務官と、名古屋鎮台山本武官の強い勧めで明治10年4月、陸軍士官学校騎兵科に入学しました。卒業後、日本の騎兵隊を創設、日本騎兵の父と言われました。

その後大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退、大元帥(大正天皇)は驚かれ、未だかって元帥を辞退した者はいなかったからです。大元帥は、元帥を辞退した秋山好古に、特旨として官位従二位を与え好古は、官位従二位を拝命し大正13年郷里の伊豫松山から強い要望に答え北豫中学校長として昭和5年3月まで本来の教育者として勤務し、故郷の青少年の教育に尽くし同年3月北豫中学校長を辞任、東京に帰る途中、大阪の新田長次郎氏を訪れ、共に愛読した「学問のすすめ」で二人は大きな志を抱き、座右の銘は二人とも「独立自尊」で一夜を語り明かし、東京に帰りました。その後体調を崩し11月4日、陸軍軍医学校で永眠しました。(享年72歳)現在東京青山霊園に眠っています。
生誕156年祭は、秋山兄弟武道場で、秋山兄弟柔道部・合気道部の稽古始めも行い記念の餅搗きを行い、偶然来館したお客さんに搗きたてのお餅を振舞い美味しく賞味する事が出来、いい時に秋山邸に来たものだと喜んでいました。全国の秋山フアンは、好古さんは生誕156年になるのか、生前はお国のためにご苦労様でしたと、好古騎馬像に対して言葉を掛ける来館者もおられました。
註:秋山好古の信条、「質素にして清く正しく心豊かであれ。」元気な間は、働くべき、仕事はその気で探せば幾らでもあります」。座右の銘「独立自尊」であります。
好古は、父の教え守り、勉強すれば貧しい人間にはならない、そして大きくなった暁には、私利私欲を捨て、世の為・国の為・人の為・故郷の為に役に立つ人間になりなさい。・・父の教え貫き72歳を全うされました。元帥を辞退したのも、父の教えの一つ「私利私欲を捨てて」が何時も脳裏に有ったのではないでしょうか?
昨年、好古には嬉しい出来事がありました。それは、新潟市民文化顕彰に好古が揮毫した石碑で新潟市江南区沢海にある「忠魂碑」が市民文化顕彰に認定されました。地元新聞「新潟日報」は大きく報道されました。

画像は、秋山好古生誕156年祭の様子であります。ご覧ください。






舞台に飾られた秋山好古生誕156年祭、カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街、三橋正文理事長からの寄贈です。


秋山好古生誕156年祭開催にあたり挨拶をする、公益財団法人常磐同郷会、平松昇理事長。(財団法人常磐同郷会は、秋山兄弟生誕地の管理運営母体)


平松昇理事長の挨拶を真剣に聞き入る参列者、今年も山下亀三郎関係者の方々が東京からお祝いにお越し頂きました。秋山兄弟武道部「合気道・柔道部」の門下生も正座をして聞いていました。


好古生誕156年祭、来賓の挨拶をする野志松山市長さん。特に秋山兄弟武道部「合気道・柔道部」の門下生にこの武道場は、秋山眞之さんが松山の青少年の文武両道の場として開かれた施設です。眞之さんの意思を受け継いで今年も鍛錬して下さい。期待しておりますと、挨拶されました。


自民党愛媛県連幹事長、竹田県議の挨拶、その中で、現在NHKスペシャルドラマ坂の上の雲が再放送されておりますが、再放送の請願は秋山生誕地から起こしました。是非再度放映をご覧いただき当時大きな問題を抱えていた日本が存亡を掛けて祖国を守った事柄です。その精神を受け継いでこれからも良い日本を造って行きましょうと挨拶された。


平松昇理事長が、柔道部・合気道部の稽古始めに先立ち鏡開きを行った。
理事長も柔道有段者です。


好古生誕156年生誕祭を「伊予水軍太鼓」の皆さんが特別出演、生誕祭を祝って頂きました。


野志松山市長さんに入って頂き、秋山兄弟武道部門下生と指導者との合同稽古始の記念集合写真です。


秋山好古生誕156年祭にお越し頂いた来賓の方々。東京からお越し頂いた山下様、野志松山市長様。


好古生誕156年祭式典も終わり、いよいよ武道部の稽古始です。


式典後、生誕地では、恒例のお祝いの餅つきが行われ、最初は、中村愛媛県知事が餅をつきあげ鏡餅を作り、好古の騎馬像にお供えしました。


続いて、野志松山市長さんが杵を持ち出来上がった餅は、参加者に振る舞い餅として配られました。


好古生誕156年祭を多くの人々が生家に来て祝ってくれる様子馬上から、好古は、「おおきに・・だんだん・うれしいぞな」と言っている。・・と思います。


搗いた餅を、色んなお餅に仕上げるのは、秋山兄弟生誕地女性研究員達で、大忙しでした。お餅を食べた人曰く、最近は機械で搗きますが、手で搗いたお餅は美味しいです。・・と言われました。
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